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思慕

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アルベールは公爵邸の北側にある公爵家所属の兵たちが訓練するための修練場で、一心不乱に剣を振っている。

己の捧げた剣を手に取り、主君から与えられた正式な宣誓ではなかった──だが、あの子爵令嬢は怯まず、言い間違いや言葉遣いの違いはあってもまっすぐに自分を見つめ、誓いを受け入れてくれた。
だが──叶うなら、本当の主君であるリオン王太子殿下の許可さえあれば、本気で婚約の申し込みをしたかった。

しかしそれでは、今三人が目指している『ルエナ・リル・ディーファンが無実の罪で処罰され、シーノ・ティア・オインに複数の男が侍る』という結末を捻じ曲げる計画が潰れてしまう。
シーナ嬢が危害を加えられ、暴言に晒されているのは事実であり、それに関わり犯行すれすれの命令をしているのがルエナ公爵令嬢かもしれない・・・・・・という憶測が飛び交っている現在。
憶測だけで決めつけるなと思うが、王家の次に位置する公爵家の子息令嬢という立場では調べる側が配慮した消極的な捜索だけで『そんな証拠はなかった』という発表がされれば、逆に事実を権力でもみ消したのではと疑われる。
そんなことが起こりうると容易に想像できる今、シーナ嬢に対して選択権を与えることも控えた方がいいというのが、シーナ嬢と同じ『夢』の内容を知っている王太子から言われていた。
「……クソッ!」
思わず大声が出たが、その勢いのまままた模擬剣を振る。
そのあまりの気迫に誰も近付けないため、アルベールは目の前に立てた訓練用の案山子にその念を叩きつけた。
シーナ嬢を匿う計画もルエナ嬢を救う計画も共にあったが、それをいっぺんに解決しようと卒業パーティーの前に動いたのは、シーナ嬢が説明してくれた『逆ハーエンド』という言葉のせいである。
逆ハー──いわゆる『逆ハーレム』状態。
ひとりの女性に対して複数の男性が誰も嫉妬心を持たずに心からの愛を捧げて侍ることだという、荒唐無稽な現象のことらしい。
それを男性に置き換えればおかしくないだろうとも言われたが、たとえ後宮に複数の側妃がいたとして、全員が自分以外を寵愛されることを平常心で受け入れることなど想像できなかった。
実際リオン王太子は王宮の慣例に逆らい、正妃以外を側に置くつもりはないと公言しており、アルベールもその意見に全面的に賛成である。

だからこそ──


寝室からは応接だけでなく浴室にも不浄の部屋にも行けるため、ルエナは特に不便を感じずに過ごしていた。
時間を選べば、庭に出ている母も、何故か庭園に興味を持ったらしい子爵令嬢も目に入れることなく風を入れることができる。
唯一不満といえば応接室に置いてある本はすべて読み尽くしており、新しい物を手に入れようと思ったら、階下にある図書室まで足を運ばねばならない。
「……それも、嫌だわ」
シーナ嬢がサラの控室だった部屋にいるかどうかを確かめさせればいいのだが、そこに侍女をやることはまるで自分が彼女を気にしているという意思表示に思え──実際気にしているのだが、ルエナはその気持ちをかたくなに認めるつもりはなかった。
父と母と兄が『あんな低位貴族の女を客人として持て成すなんて、品位を落すようなことを悪かった』と頭を下げ、孤高を保つルエナに家族の元に戻るようにと言われるのを待っている──つもりである。
しかしそんなルエナの心の慰めのひとつとなっているのが、シーナ嬢の物だという綺麗な水彩のスケッチブックである矛盾に思い至らず、何故かルエナは美しい湖畔やどこかの町の背の高い教会などを飽きずに見ていた。
特に気に入ったのは、ガラス玉に色のついた帯が入っている絵である。

こんな物が実際にあるわけではないだろうが、これを描いた人はなんと想像力が豊かなのだろう──

フッと心が緩み、ついで頬も緩むが、どうしてこの絵を見ると自分が幼く感じるかわからない。
毛糸玉にじゃれつく子猫、帽子を被せられた頬皮の弛む犬、雲と空に浮かぶボール、キラキラと水滴を乗せる瑞々しい何かの植物の葉。
「……お嬢様、新しいものが置かれていました」
サラが少し不機嫌そうに新しいスケッチブックを持って入ってくる。
ルエナはその様子を気にせず、ただ心急いて腕を伸ばした。
これはシーナ嬢から、ルエナに対する献上物である。
どうにかルエナを懐柔しようと下手したてに出てご機嫌を取ろうとしている行動だと思えば、この美しい絵を楽しみにしている気持ちを誤魔化して、自分が優位に立っているように思えた。


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