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第一章 アーウェン幼少期

少年は過去をまたひとつ昇華する ⑤

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怖い。
怖い。
怖い。

草の匂いのする暗闇の中、アーウェンの手足はずっと短く不安定で、暗い森の中で裸足で走っている。
と、突然足首に痛みが走ったと思うと、ぎゅっと締めつけられてゴロンと転がった。
雨が降った後の草むらは柔肌を切るほどの鋭さはなかったが、ぬかるんだ泥土はアーウェンの身体に纏わりついて、起き上がろうとするのにずぶずぶと沈んでいくようである。
「どうしたぁ?ほらぁ、逃げろよ!逃げねえと、さっきの兎みたいに耳を切り落とすぞぉ~」
ゲラゲラと笑いながら何人もの男たちが近付いてくる。

ダメ…
ダメだ……
逃げ、なきゃ……

──逃げるな。
──耳を切り落としてもらえ。
──指を切ってくれと懇願しろ。
──脚を折ってもらえ。
──慰み者になれ。
──お前は玩具だ。
──玩具だ。

いやぁ……
いやだぁ………
にいさま……
かあさま……
とおさま……
のあ……

──あはは!
──誰もお前のことなんか気にするものか
──バカな奴だなぁ。
──お前は
──お前は
──おまえは
──お…ま……

声はだんだんと遠くなり、目の前に優しい光が現れて折れた足首を撫でると、痛みはたちまち消えていく。
その光はだんだんと人の形になると細い棒のような腕を伸ばして、ゆっくりと汚れたアーウェンの頭を撫でてくれた。
「お義兄様?この闇はいらないものですわ。捨ててしまいましょう。えいっ」
その細い腕はズボリとアーウェンの額の中に入ると、ズルズルと細長く黒い『何か』を引っ張り出していく。
「うぅ……うぇぇぇぇ………」
その『何か』はアーウェンの中から出ていくのを嫌がるように頭蓋の中へ絡みつこうとし、その気色悪さにえずいてしまうが、光は遠慮なく引っ張り続ける。
「い…いやだよぅ……やめてよぅ……」
「だぁ~めでぇ~す。もうこれはお義兄様には要らないものなので、ポイポイしなくっちゃいけないので~す」
「おにぃ……?」
「ぽ~いぽいぽい~♪出て行け、ぽ~~い♪」
アーウェンが痙攣しかけているというのに、光は遠慮なく、そしておかしな歌を歌いながらズルズル、ズルズルとまだその黒い『何か』を引っ張り出し続ける。
「もうすぐ♪もうすぐ♪……は~いっ!ポイポイッとさよ~なら~♪」
その歌い終わりと同時にポンッと栓を抜くような音がしてアーウェンの額からその『何か』は抜けていったが、そのままアーウェンの意識も遠くなっていく。
「うふふ~♪この要らないのはこうやって綺麗綺麗にしていくのです~」
まだ蠢く黒い『何か』に向かってふわり光が揺らぐと、そこにはまるで女神のように美しい少女がいた。
「お義兄様はもういいのです。お母様もお父様も、お兄様も皆、待ってます~」
「待って……?待って……きみ……ノ、ア………?」
透き通るような長い長い金髪。
柔らかい眼差し。
義母によく似た面差し。
義父によく似た目の色。
義兄によく似た微笑み。

ああ……この子は………

少女の前に横たわる黒い『何か』がもうピクリとも動かず、それどころかどんどん干からびて薄くなって消えつつある。
「もう嫌な夢さんはバイバイなのです~。お義兄様もバイバイなのです~。目が覚めたら『おはよう』なのです……」

いや…ダメ…きえないで……ぼく、まだ、きみに…ききたい……


はっ…と短く息を吐くと、アーウェンは薄明るい部屋の中にいた。
ボンヤリと見上げているのは見覚えのない天井だが、まだ夢を見ているのか現実なのかが判別がつかず、アーウェンは身動きすることすらできない。
「……おにーしゃま?」
「……ノア?」
「……あぃ……おあよーごじゃます……」
まだ眠いのか、ふわふわの金髪を乱したまま目が半分ぐらいしか開いてないエレノアがなぜか手を振りながら、アーウェンに挨拶をする。
それはさっき目の前にいたはずのあの美しい少女ではなく、幼くて可愛い義妹だ。
なぜかその姿に安心して、アーウェンはあちこちに飛んで膨らんでいる金色の頭に手を伸ばして、優しく撫でつけて、同じく挨拶をした。
「おはよう。ノア……会えて、うれしいよ」
「……あい?」
アーウェンの言葉にエレノアはキョトンとしたが、ふわりと笑った──あの夢の少女と同じ顔で。

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