上 下
12 / 412
第一章 アーウェン幼少期

伯爵夫人は静かに怒る ①

しおりを挟む
ひと口目はすごく美味しかった、生まれて初めてのケーキ。
アーウェンはそれをほとんど味わうことができなかったが、まるでやり直すかのように夫人が用意させたアフタヌーンティーセットにはケーキやカナッペ、サンドイッチなどがたっぷりと用意されていた。
「さあ、召し上がれ」
あまりに美しくセットされたそれらにまったく手を伸ばさないアーウェンを訝しく思いながら、それはおそらく子供らしく『見知らぬ場所に来たゆえの遠慮と恐れ』と見て取った伯爵夫人は、遠慮することはないと態度で示すようにティーカップを取った。
どうしていいのかわからずに挙動不審に目を泳がせるアーウェンの側に控えた侍女が、小さくカサついた子供らしくない手の側にそっとカップを寄せると、周囲の大人たちの目を窺うようにしながらようやくおずおずと手を伸ばす。
カタカタと震えるのを伯爵夫人以下は緊張のためと思ったが、アーウェン自身はいつそんな美しいカップに手を出したことを咎められるのかと戦々恐々としていた。
だがそんなことをしても怒鳴られることも手を叩かれることもなく、上質な食器のその薄さと軽さに驚いて目を見張り、ルビー色のお湯とその香りに不思議そうな表情をするアーウェンを、皆が憐れみの目で見ることにも気付かない。
男爵家ではこんな上質な食器は王都の家どころか領地の屋敷にすら無いし、そもそもアーウェンが使うことを許されている食器といえば欠けたどころか半分に割れてしまった皿がせいぜいで、水を飲むにしても自分の手で掬って啜るのがせいぜいだ。
赤ん坊の頃はさすがに哺乳瓶やコップを使ってミルクを飲ませてもらったはずだが、アーウェン自身にはもうその頃の記憶はない。
そこまで詳しくアーウェンのことを聞かされてはいないディーファン伯爵夫人は、先にアーウェンのことを知らされている侍従たちがもたらし伝染した場の空気を変えようと上品に咳ばらいをし、アーウェンの側にいる侍女に向かってわずかに扇を動かした。
「……そのままでは飲みにくいかもしれないわ。甘いのが嫌でなければ、ミルクとお砂糖を入れるか、蜂蜜をお使いなさい」
「は…ちみつ……?」
『砂糖』は料理の時に使うとても貴重なものだったが、あまり質の良くない蜂蜜でもサウラス家では高級品になるため、両親とヒューデリクはともかくアーウェンには味を覚えさせないようにと一切与えられずに育ったため、まったく見知らぬ単語にキョトンとする。
それにこのいい香りのするお湯が「飲みにくい」とは……?
赤ん坊の頃にはさすがに薄めたスキムミルクを飲ませてもらえたが、二歳よりも前に与えられたのは水や両親と兄たちが飲み残したスープをさらに薄められて嵩増しされた物ぐらいで、アーウェンは他の味を知らない。
「……ッアツ!にがっ!」
見た目と香りに反した味と熱さにアーウェンはものすごく驚き、エレノアはそんな義兄あにの様子にキャッキャッと笑う。
そんなふたりの幼子を見ながら、また母であるヴィーシャムも微笑んでいたが、次の言葉でほんのわずかに凍りついた。
「……は…はくしゃくふじん、さま……あの……こ、この、あつい…おみずは……どく…ですか?」

『毒』というものが何なのかわからないが、すぐ上の兄が笑いながら教えてくれた──それはとても苦くて、喉が熱くなって、苦しいものだと。
アーウェンが兄のための食器をひとつでも壊したら、本当に苦くて喉が熱くなって苦しくなるのか、試してやると。
「それを飲んでも死ななかったら………お前を許してやるよ」と。

だからきっとアーウェンは今、この伯爵家で何か粗相をして毒を飲まされたのだと理解した・・・・
それはひょっとしたら父に殴られて気絶したことかもしれないし、それをいいことに綺麗なベッドでぐっすりと寝てしまったことかもしれない。
だからきっとこのカップのこの『あついみず』を飲み干して死ななければ──アーウェンは『死』という概念を理解してはいなかったが──きっと許してもらえるのだ。
そう思って決意を固めた目で湯気の立つ赤くかぐわしいを見つめ、火傷も辞さない覚悟で喉に流し込むためにカップを持ち上げ──
「……………もうひとつカップを。少しぬるめで、蜂蜜を入れてちょうだい。アーウェンのカップにはお砂糖を」
魔法のように熱いカップはアーウェンの指から外され、少しだけ言葉に詰まったのを誤魔化す柔らかな笑みを浮かべた伯爵夫人が指示を出す。。
「え……?あ、あの……?」
オロオロとアーウェンが取り上げられたカップを取り戻そうと手を伸ばしかけようとして引っ込めるのを可愛らしく思いながら、あくまでも他人行儀な呼び方にターランド伯爵家とサウラス男爵家には意思の齟齬が生じていることを感じて、ヴィーシャムの手にした扇の骨がわずかにピシッと軋む音を立てた。
アーウェンがそれが何であれ・・・・・・・取り上げられたカップを目で追っていたが、戻ってきたカップを見て目を丸くする。
さっきのルビー色のお湯は少し黒ずんだ色に変わっているが、手にするようにと促されたカップはさっきよりも指に優しい温かさになっていた。
しかもふわりと立ち上る香りはかぐわしいのと同時に嗅いだこともないほどの甘さも備わり、たまらず口に含んだアーウェンはとろけるような顔で飲み干した。


しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

嘘つきと呼ばれた精霊使いの私

ゆるぽ
ファンタジー
私の村には精霊の愛し子がいた、私にも精霊使いとしての才能があったのに誰も信じてくれなかった。愛し子についている精霊王さえも。真実を述べたのに信じてもらえず嘘つきと呼ばれた少女が幸せになるまでの物語。

宝箱の中のキラキラ ~悪役令嬢に仕立て上げられそうだけど回避します~

よーこ
ファンタジー
婚約者が男爵家の庶子に篭絡されていることには、前々から気付いていた伯爵令嬢マリアーナ。 しかもなぜか、やってもいない「マリアーナが嫉妬で男爵令嬢をイジメている」との噂が学園中に広まっている。 なんとかしなければならない、婚約者との関係も見直すべきかも、とマリアーナは思っていた。 そしたら婚約者がタイミングよく”あること”をやらかしてくれた。 この機会を逃す手はない! ということで、マリアーナが友人たちの力を借りて婚約者と男爵令嬢にやり返し、幸せを手に入れるお話。 よくある断罪劇からの反撃です。

隠された第四皇女

山田ランチ
ファンタジー
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

処理中です...