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8 妹はそれはもう……ぶくぶくと

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 旦那様が妹に指を置くと、妹がぶくぶくと太っていきます。

「な、何よこれぇ……いったい、何がおきてるのよぉ……」

 声まで野太くなり、ドレスが無残に裂けていく。これは、一体何が妹に返されたのだろう?

「知ってる? これ、君の妹が、君が勉強とか礼儀作法とか勉強して鞭で叩かれていた時に食べていた分のお菓子。時には君の……昔の男の話はあんまりしたくないけど、婚約者ともお茶してたの。君も月に1度は会っていたけど、それ以上に彼女は君の安らぐべき時間や、君を癒すお菓子を自分のものにしていた」

 よくまぁ今まで体型を維持していたものだと感心する。私は確かに細い方ではあるが、王宮や自宅で殿下とお茶をする時にはお腹いっぱいになるような茶菓子が出ていたはずだ。

 それを月に何度も。一体どうやって体型維持していたのか、と不思議に思っていると、旦那様が笑った。

「わかる? 彼女、本来なら君が食べるべきものを食べて、全部吐いていたんだよ。作った人にも失礼だし、材料だってもったいない。彼女にとっては、姉よりいい生活をする自分、が全てで、その為ならお腹いっぱいおやつを食べて全部吐く。ろくに運動もしないのに姉妹2人分の愛情と糖分を摂っていたら、こうなるよねぇ」

 妹の首はもはや無く、ドレスはただの端切れになってしまっている。丸くなった体は立ち上がれず、きつくなった靴を突き出して座っている。

 あぁ、まるで地獄絵図だな、と思いながら私はその空間を眺めていた。

 声も上げられずに苦しみ悶える父だった人。

 痛い、と泣きながら今まで堕胎してきたどこの誰とも知らない父親の子供を腹の中に抱える母。

 際限無く肥って醜くなっていく妹。

 これが寿命が尽きるまで、1日一回、どのタイミングでくるか分からず1時間彼らを苦しめる。

 同情はもう無くなっていた。だって、1時間すれば解放されるのだ。元通りの身体に戻って、苦しみも痛みも傷跡も消える。

 その代わり、彼らはもうどこにも出掛けられないだろう。いや、この地獄のような1時間を耐え切ってからなら出掛けられるのかな? どちらにしても、これが今日だけでなく、毎日訪れる苦痛だという事を理解したら、きっとどこにも行かなくなる。

「……旦那様、ありがとうございます」

「お礼は言わなくていいよ、アナスタシア。君が受けていた苦しみや侮辱、理不尽、裏切り。それがそのまま……少し手緩いかな? ってくらいを返してるだけ」

「でも……、私はこうして今、旦那様といられて幸せです。今後、私の家族だった人たちに、こういった時間が訪れるとは思えないので」

「そうだね。まぁ、財産はあるだろうけど、この神罰はいずれ国王の耳にも入るだろうし。医者や神官を呼んでも治るものじゃ無いしね、だってこれ、神の奇跡だもん。よかったなぁ、アナスタシアの鬱憤、ちょっとだけでも返せて!」

 無邪気な笑顔で旦那様が笑うので、私も釣られて笑ってしまいました。

 彼らが受けているのは私が受けたもの、そのもの。それでも薄めて、これから生きている間ずっと、この発作に苦しむ。

 妹の縁談は破談になるだろう。領地の管理も無理になって、爵位没収となるだろうか。

 私はどんな時も健康を強いられてきた。鞭で打たれた傷が痛んで熱を出していても、食欲がわかないほど胃を痛めても、出されたものは吐くことも許されずに全て食べ、出されなかった日はどんなに飢えていても食べられなかった。

 妹が吐いていたお菓子、私が欲しかった幸せの味がするもの。それを全部持っていって、下水に捨てていた。

 この人たちが幸せだったとき、私は不幸せだった。この人たちが好き勝手していたのに、私に全てそれをなすりつけた。

 私が聖女になって喜んでいたけれど、聖女に対してどんな仕打ちをしてきたか、すっかり忘れていたのだろう。

 その上、飼っていた、と言っていた。

 私は家畜じゃない。人間だ。あなたたちの子であり姉だった。

 旦那様の手が、私のキツく握りしめた拳を包む。

「大丈夫だよ、アナスタシア。君は僕と幸せになる。これまで我慢してきた分、たくさん楽しく暮らそうね。僕が全部叶えてあげる。——僕のアナスタシアを虐めた人たちは、みんな、みんな、懲らしめてあげるからね」

 やっている事は完全に呪いと言えるような神罰なのに、旦那様の表情も声も無邪気で、慈愛に満ちている。

 本当に神様なんだな、と思って小さく笑う。ふと、足元まで伸びた旦那様の髪の毛先が黒くなっている気がする。

 それを聞こうとすると、旦那様は首を横に振った。

「大丈夫だよ、これはアナスタシアの鬱憤を飲み込んだから、少しずつそれが僕に溶けているだけ。心配しないで、何も痛いことも怖いこともない。僕は僕だから」

「……本当に、お体に障りはありませんか?」

「うん。なんていうか、これは、僕の力の方向性みたいなものだから。君らの言葉で言うなら善悪? でも、お嫁さんに悪を働いてきた人たちにそれを返したら、僕は悪なのかな? よく分からないな、神って善であるべきってものでもないし」

「そうなのですか?」

「そうだよ。僕はね、アナスタシアと幸せになりたいだけ。アナスタシアが過去を、傷ついた心を忘れられるようにしたいだけ。そしたら、今度はアナスタシアのお願いを叶えて、アナスタシアのことを幸せにするんだ。一緒に幸せになろうね」

「……はい、旦那様」

 無邪気に、幸せに、と何度も言う旦那様……神は、善も悪もないらしい。

 それは、そうかもしれない。善も悪も、全部神が作り出した人間が決めたことだ。

 私はまだ苦しんでいる家族だった人たちに視線を落とす。

 ——そっか、私、こんなにこの人たちに苦しめられていたのか。

 なんだかそう思うと、日に1時間くらい苦しんだら少しは思い知るのかな、と思った。

 だって、私のことを本当に少しでも思っていたのなら、彼らはこんな苦しみを受けなくて済んだのだから。

「一度にやったら面白くないよね。明日は王子にしようか! 楽しみだね、王子は君をどんな風に裏切って、どんな風に苦しむのか」

「はい……、そうですね。私……楽しみに、してしまっています」

 楽しみ、と言われて、私は他人の不幸を楽しみにしている事に気がついた。

 私、本当に聖女でいいのかしら?
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