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恋をしたと同時に失恋したけど諦め方がわからない【尚太くん】

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 中三の冬。
 俺は失恋した。

 花子先生はその日、髪を綺麗に巻いて爪もピンク色の貝殻みたいに綺麗に塗ってて……デートの日だった。


 夕方4時から6時までの2時間、毎週水曜日と金曜日。家庭教師の花子先生が来る。もともと成績が良かった俺は家庭教師なんていらないと思っていた。塾に通う必要もない。一人で十分希望の高校に入れる自信があったから。
 でも期末テストの英語……とくにリスニングがいまいちだったせいで、親が勝手に家庭教師を雇った。最初は男の先生が来ていたが、一か月前にバイクで事故って足を骨折した。そいつのかわりに来たのが花子先生。
 最初の印象は、地味。細身のジーンズにグレーのセーターを着て、後ろできゅっと結んだ黒髪や、黒縁メガネ、化粧っけのない顔は、とにかく普通。女子大生が家庭教師になるなんて中三の男子にとっては大事件だったはずなのに、その姿を見てガッカリした……まあ、別に期待してたわけじゃないけどさ。
 でも、声が柔らかくて英語の発音が綺麗だった。
 色が白くて肌が綺麗で、ほっそりした華奢な体。落ち着いた雰囲気は、学校のうるさい女子と違って大人に見えた。それに、動くたび良い匂いがする。
 やっぱ地味でも女子大生は違うなーって思った。

 最初の授業は自己紹介と得意な部分や苦手な部分の確認。開始時間が早いから親父は仕事中。家にいるのは通いで家政婦をしてくれてる、富士子さん……御年74歳。さすがに思春期まっただ中の俺と女性を部屋に籠らせるわけにいかないので、居間の隣にある和室を使うことにした。もちろん襖は開けっ放し。
 富士子さんは耳が少し遠くて、居間にいても和室の話し声は聞こえてない。親父に家庭教師が帰るまでは家にいてほしいと頼まれているらしく、勝手にテレビを見てソファーで寛いでいる。富士子さん用に耳元スピーカーを用意したので、音はそれほど客間に響かない。
 杉の木一枚板で作られた座卓に教科書と参考書を並べる。
 座布団の上に胡坐をかいて座った俺と違い、花子先生はすっと背筋を伸ばして正座した。姿勢の良い座り方が凛としている。
 最初は向かい合ってたけど、参考書を一緒に見る必要があるので角に座ってもらうことにした。以前の家庭教師は俺の部屋で授業していたし、何となく落ち着かない。そのことを話すと、俺の部屋の方がいいのか? と聞かれた。
 慌てて首を横にふる。いやいや、男と二人で密室はヤバイとか思わないのか!?
 もちろん俺は何もしないけど。
 なんだか危機感がないと言うか……男扱いされてないような気がして、少し悔しい。


 二回目に来たとき、地味だった印象がガラッと変わった。黒い髪をハーフアップにして、コンタクトをつけて、化粧も綺麗にしていた。服も、細身のジーンズはいつも通りだけど、白いモコモコした丈の短い可愛いセーター。スタイルが良く見える。細くて白い指の爪にはヌードベージュのネイル。最初に俺が想像してた綺麗なオネーサン。垢抜けた女子大生のイメージ。

 え、この人だれ? って玄関で硬直した。

 そして、三回目はまた地味メガネに戻っている。

 水曜日の花子先生は地味メガネ女子大生。金曜日は清楚系美人女子大生。
 それってつまり、そーゆーことだ。金曜日は彼氏とデートの日ってさ。
 分かりやすい服装の違い。それに気付いてモヤっとする。
 詐偽だよな。……ぜんぜん印象が変わるんだから、さ。

 ただ、どっちの花子先生も授業中は淡々としている。表情もあまり変わらない。会話は勉強のことだけ、俺が脱線して勉強と関係ない話をふってもぜんぜん乗ってくれない。
 唯一海外ドラマの話だけは少し会話が続いたから、先生が好きなドラマシリーズを全話一気見してしまった。次来たら、この話をしようなんて……。
 いつの間にか次の授業を楽しみにしてた。

「花子先生が言ってた海外ドラマ、めちゃくちゃ面白かったです!」
「え、観たの? 何話まで?」
「えっと……14話……まで」

 さすがに徹夜して一気に全話見たと言ったら引かれるかなーと思って、思わず嘘をついた。いや、なに些細な嘘ついてんだ、俺。でも、それがきっかけで、少しだけドラマの話や大学の話をする時間が増えた。花子先生は料理が苦手とか、海外ドラマにはまったのがきっかけで英語に興味を持ったとか。あと、母子家庭という情報も。
 海外ドラマが本当に好きらしいので、英語のリスニングもドラマのセリフを入れるようになったし、お気に入りのセリフも教えてくれた……もっとも、花子先生の好きなセリフは「俺を撃つなら、撃ち返す。俺は絶対に眉間を外さない」とか「吐け! 吐かないなら指を折るぞ」とか……色気のないやつばかりだったけど。

「花子先生、自分で練習するときのために録音してもいいですか?」
「え? 私の声を……それはちょっと……教材じゃだめなの?」
「ドラマのセリフを覚えたいんです! 俺もこのセリフ言えるようになりたい。めちゃくちゃかっこいいですよね!」
「すっかり尚太くんもはまったねー」

 その時は本当に、ただ花子先生を喜ばせたくてそう言った。
 俺がドラマの話をすると、笑ってくれるから。その笑顔が見たくて登場人物も覚えたし、先生が好きなセリフだって本当は完璧に言える。けど……わざと言えないふりをした。少し恥ずかしそうに何度もドラマのセリフを言ってくれるのが、可愛いから。

 先生が帰った後、自分の部屋で録音を聞いてたら、無意識に股間をさすってた。
 最初にオカズにしたのは、4回目の授業のあと。エロ本を見ながら抜こうとしたとき。不意に先生の声を思い出して……気が付いたら花子先生に少し似ている色白黒髪の子が出てるページのおっぱいを見ながら、花子先生とセックスするのを想像して射精(だ)してた。
 それからは、何を見ても顔と声が花子先生に変換される。しかも、今まで興奮したAVは萎える。男優がオッサンなのが特に嫌だ。むしろAVを見たくない。エロ本がいい。妄想は恋人同士ので、とにかくイチャイチャした甘い感じの妄想がいい。

 中三男子なんて毎日抜くのが当たり前だ。右手はつねに股間が定位置。

 水曜日……花子先生が帰った後は興奮するし何度も射精(だ)してしまう。
 逆に金曜日は、萎えてくる方が多い。
 理由は簡単だ。
 花子先生が彼氏と……たぶん会っているから。彼氏の家に泊まってるのかもしれない。泊まりで、セックスすると思うと、叫びたくなる。行かないでって言いたくなる。……泣きたくなる。

 この気持ちを諦める方法がわからない。いつから始まったのかもわからない。最初に柔らかい声を聞いたときから。あるいは、水曜日と金曜日のギャップが凄かったから。俺のことを男扱いしてないと思ったときからかもしれない。
 気が付いたら好きになっていた。どうしようもなく。
 だから、何でもないような、軽い調子で聞いてみた。

「花子先生はいつも金曜日コンタクトだけど、デートですか?」

 途端に、化粧した顔が真っ赤になる。その顔を見て、ズキンと胸が痛くなった。

「や、やっぱりわかる?」

 恥ずかしそうに綺麗に巻いた髪に触れる細い指。ヒラヒラ動くピンクの爪。

 聞くんじゃなかった。聞くんじゃなかった。こんな顔、見たくなかった。
 好きな人が、別のだれかに、恋をしている顔。
 息が苦しい。だれかのために整えた髪も、ピンクの爪も、綺麗なセーターも何もかもメチャクチャにしたい。

 俺は何を期待してたんだろう……別の理由が聞けるとでも思ったんだろうか?
 何も聞かなければ、ほんの少しだけ夢を見ていられたのに。

 俺は花子先生に、恋をしたと同時に失恋した。
 それから間もなく骨折した元の家庭教師が復帰して花子先生に会う理由もなくなった。


→→→尚太くん編つづく。
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