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エピローグ

アエラのぼやき

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通称、バジリスク事件。
きちんと管理、監視されているはずの近隣の森に『はぐれ』と呼ばれる時期外れの移動や想定外の行動をする魔獣が紛れ込み、フィールドワーク中の生徒が襲われたというその事件の顛末は、本来巡回をするはずの冒険者の一団が雑な魔力感知だけで事を済ませ、街で春を漁っていたことが発端となっていたことが後に判明する。
冒険者ギルドはこれを公表し謝罪、森は安全が確認されるまで封鎖、その冒険者一団は揃って罰金及び降格処分が決定した。

「まったく、笑えない冗談よね」
「そうだねぇ」
お昼の学生食堂にて、白猫の少女は隣の大柄な牛頭に話しかける。
しかし、少し前まではもう一人いた相槌の声が、今日はない。
そいつは今、
(ほら、あそこよ)
(やだ本当にちっちゃーい。夜とか大丈夫なのかしら)
(マジかよ。俺もαになれんのかな?)
("運命の番"かぁ。βには縁のない話って思ってたけど、俺にもかわいい子出来ねぇかなぁ)
聞こえてくる噂話に、アエラは大きく嘆息する。
移り気な生徒たちの話の渦中にあるのが、彼女らのもう一人の愚痴仲間だというのだから、
「ホント、笑えない冗談だわ……」
半眼になって見つめる先には、狼と豹、二人のαに挟まれて昼食をとるΩという三人組。
クエスト実習から帰ってきたら知り合いが性転換を起こしたと聞かされ、しかもほんの少し前までは『運命の番なんて』と言っていた同志が、毎日毎日飽きもせず惚れた相手にベタベタと、なんという心境の変化だろうか。
ただただ、呆れの感情ばかりが湧いてくる。
「クライヴ、今日もアツアツだねぇ」
「……コーリーン?」
にやあ、と、意味ありげに笑いながら尋ねてくる同級生に、アエラは青筋の浮いた笑顔で答えた。
おお怖い怖い、と、コリンはアエラから視線を外し、昼食に戻る。
(まったく……)
意趣返しのつもりだろうか。
いつも自分がクライヴにやっていたような揶揄を返され、なんとも釈然としない。
彼女自身は認めないが、それは玩具を取り上げられた子供のようなそれであった。
自然と、彼女の視線は件の黒狼からその心を射止めたというΩの姿に行く。
(白に近い銀髪、姓のないΩ……)
ふと、彼女の脳裏に一つの物語が出来上がる。
荒唐無稽だがあり得なくはない、出来上がったその話を誰かに話したくて、彼女は隣にいる牛男に笑いかけた。
いつもの彼女が見せる、意地の悪いニヤニヤした微笑みを。
「ねえコリン、面白い話をしましょうか?」
「えぇ……」
コリンは彼女の表情に嫌なものを感じたが、彼女は止まらなかった。
「貴族には二種類いるのは知ってる?」
「辺境貴族と、王侯貴族でしょ?」
「その違いは?」
「辺境貴族は各都市の領主の家系。そのほとんどは初代聖王様に仕えた忠臣や側近の血筋って言われてる。王侯貴族は聖王様のご子息の家系」
「正解」
「なんで急に歴史学?」
「まあ、聞きなさいよ」
これは長くなりそうだ。と、コリンは苦笑いになった。
「どうして王侯貴族なんてものが出来上がったと思う?」
「ええと……」
「代々、王位継承権はαにしか与えられない。国の顔ですもの。国民を惹きつけるカリスマ性と対外的な圧力を、王よりもむしろそれを取り巻く為政者たちは求めた。自分たちの安寧のためにもね。だから、初代聖王様には多くの側室がいて、そうやって枝分かれした多くの分家が王侯貴族の始まり。そして、次の王位は王侯貴族の中に生まれたαの中から選別される。直系であること以上に、αであることが重要なの」
コリンはふと、初代聖王様の名前を思い出していた。
ルタリク・アスト・エル・パスラ一世。
そして目の前にいる彼女の名は、アエラ・テス・パスラ。
その共通点は、深掘りしない方がいいだろう。
彼女が自分から話してくれる日までは。
「中でも初代聖王様と同じ純白の毛並みや、羊の血族は特に喜ばれるわ。逆に、Ωは徹底的に毛嫌いされる」
「どうして?」
「自分たちの子を王にしたい王侯貴族にとって、Ωは『子供を作れない出来損ない』でしかないのよ。そうやって見下しておきながら、王となったαが"運命の番"なんて見つけたらどうなると思う?」
「それは……」
「"出来損ないの癖に王の心を奪う簒奪者"。おまけに、番を見つけたαはそれ以外の相手には見向きもしなくなる。王の血筋を取り込み、王の地位を手に入れたい彼らにとって、これほど邪魔なものはなかったのよ。彼らの積もりに積もったΩに対する敵愾心は、相当なものだったでしょうね。まあ、最近では性の平等を訴える法もできて、意識の改革みたいなものも始まってるのかもしれないけど、逆に言えばそんな法律を作らなければならないほどに歪んだ常識がまかり通っているのよ。王侯貴族には」
『貴族がΩを毛嫌いしている』という話は、一般的によく言われていることだ。
しかし、"どちらの貴族が"という話は全く言及されない。よく考えてみれば、不自然なほどに。
今まで気にしたこともなかったその事実に、コリンは小さく身震いした。
「ほんと、馬鹿げてるわ。民と直接向き合っている辺境貴族と違って、王侯貴族が治める民とは紙の中にある文字と数字でしかないの。だからその気になれば、紙の上から一人の人間を消し去ることだって平気でやってしまう。たとえそれが血を分けた我が子でも」
「それって、つまり……」
彼女の身の上、そして口ぶりから考えて、それはまるで実際に見てきたことのようだ。
コリンは固唾を飲む。
そんなことが、本当に行われているのだろうか。
緊張するコリンに、アエラは突然にっこりと、今までの口ぶりとは不釣り合いに明るい笑みで笑いかけてきた。
「ねえ、コリン。αの出生率って知ってる?」
「え? ええと」
「一般的には1%未満と言われているわ。だから王侯貴族はこぞって子孫作りに躍起になっている。でも、この世にはαの出生率が3割以上とされている奇跡の組み合わせが存在する」
「それって……」
その数字にはコリンも覚えがあった。
「そう。あなたの大好きな"運命の番"よ。……もしも、存在そのものを抹消してゴミのように捨てたΩの子が、奇跡的にも"運命の番"と出会い、αの子供を産み落としたとしたら、それがもしも初代様と同じ純白の雄羊のαだったりしたら、王侯貴族たちは一体どんな顔をするのかしらね?」
「……その冗談は笑えないよ、アエラ」
苦虫を嚙み潰したようなコリンに、やっと見たかった表情を見ることができたアエラはニンマリと笑い、肩をすくめる。
「全部ただの作り話よ。まあ、あいつらは自分たちが捨てたものになんか二度と目を向けないでしょうね。もしもそんな子供が産まれても、どこかでひっそりと生きていくだけじゃないかしら? いつまでもベタベタと暑苦しい両親に囲まれて、ね」
その話の落ちで、コリンは少しだけホッとした。
向こうの席では何か痴話げんかでも始めたのか、狼と豹が軽い言い争いになって、真ん中の少年が赤くなっている。
やがて耐え切れなくなったのか、少年は席を立ってそそくさと食器を下げに行ってしまった。
慌ててそれを追いかける二人。
そんな彼らを遠巻きに見ながら、クスクスと噂話に花を咲かせる学生たち。
(友達には、幸せになって欲しいもんねぇ)
コリンは彼らの様子を微笑ましく眺めながら、今日も少女の愚痴に付き合っていた。
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