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#2

閑話 ラキ

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(やっちまったなぁ)
食堂でハリムと別れて、教室に戻っても落ち着かなかったオレは、長い昼休みに校内を歩いて散策していた。
魔法科棟から共同校舎にやってきて、中央ホール、正門入口、いくつもの方向に伸びる廊下は共同の施設だったり各クラスの教育塔に続いている。
正門の向こうに見える校庭、暑い日差しの中で体を動かす生徒や木陰でくつろいでいたり、話に夢中でまだ昼食が途中の奴もいる。
中庭の見える渡り廊下。
こちらも校庭と同じようにまばらな人影がある。
運動訓練場の横を通り過ぎると、休み時間も体を動かさずにはいられない武術科の連中だろう。
騒がしい掛け声や物音が響いていた。
第二野外訓練場、通称、魔導訓練場横の廊下。
流石に石造りの、腰かける場所もない場所には人気はない。
意味もなく階段を上ったり下りたり。
あてもなく歩いているとうっかり違うクラスの棟にまで来ていて、用もなく入り込むのは流石に目立つし気が引けるので、共同校舎側にUターンする。
自分がどこを歩いているかもわかっていなかったことに、思っていたよりダメージが大きかったことを再認識した。
周囲に人目が無いのを確認して、大きく息をつく。
オレは、ハリムが好きだ。
南側出身らしい褐色の肌は子供のようにふわっと弾力がありそうで、黒に近いダークオレンジの瞳はくりくりと丸くて小動物を連想させる。
光の加減でオレンジが濃く見えるときなど、小さな太陽を瞳に宿しているようにも見えた。
白に近い銀髪は肌の色との対比で飾らない艶やかさがあり、極めつけはその小さな体。
Ωは小柄とは言うが、ハリムは持ち前の童顔と合わせて本当に子供にしか見えないときが多々ある。
いわゆる美少年とは違う、素朴で飾らない愛らしさは愛玩動物のそれに近い。
あの笑顔を見るたびに抱え上げて愛で回してやろうと何度思ったことか。
一目見たときから胸に広がった独占欲の正体が恋だとわかるまで、さほど時間はかからなかった。
いわゆる、一目惚れだ。
けれど、オレはβで男。
Ωの男であるハリムとは、決して結ばれることはない。
βとΩ、男と男、どちらの性別でも絶対に。
頭ではわかっていても、感情はそう簡単に割り切れないものだ。
もし何かの奇跡が起きてくれたなら、友達よりも、親友よりも一歩先の関係に……
叶わない夢を密かに願いながら、オレはハリムにちょっかいを出す。
けれどさっきのは完全に焦りすぎていた。
(ハリムはどんな相手が好きなんだろうって、それを聞きたかっただけだった)
あるいは、αに対する嫉妬もあったかもしれない。
くだんのαの先輩は、噂で聞くだけでもすごい人だと皆が口をそろえる。
やっぱりΩは強いαに惹かれるのかって、気になった。
(あんな顔されるなんて、思ってなかった)
あの、今にも泣き出しそうな顔を思い出して、また心が重くなる。
運命の番というのはΩの憧れだと、勝手に思っていた。
ハリムが全然話に乗ってこない時点で察するべきだったんだ。
また、ため息が漏れる。
(俺も、αに生まれたかったな……)
そうすれば、もしかしたらハリムと運命の番に……
いや、そんなうまい話にならずとも、少なくとも子供を作り家庭を持てる関係になれたはずだ。
αに生まれていたら。
またいつもの考えになって、今はその悔しさが一段と心に重くのしかかる。
はああ、と、人目を気にするのも忘れてため息をつき、廊下の角を曲がったところで、見えた人影に慌てて廊下の影に隠れた。
ハリムだ。
顔を出して確認すると、場所は保健室前。
どうやら入ろうとして中から出てきた人物と鉢合わせて、道を譲ろうとしているところのようだ。
(抑制剤か?)
オレはすぐにピンとくる。
Ωの体は第二次成長期を迎えると、1~2ヵ月に一度の周期で発情期ヒートが来るらしい。
そのため、Ωは発情を抑える薬を常備しているという話は一般的に知られている。
ハリムはその薬を貰いに来たところなのだろう。
それはΩのセンシティブな事情だし、ここで踏み込むのは違うなと、オレは今のは見なかったことにしようとして、しかし入れ替わりで保健室から出てきた人物の姿を見てその場に留まった。
黒髪、金の眼、狼族のβ……知っている顔だ。
オレはなるべく自然にもう一度、曲がり角の陰から歩き出し、偶然を装って、向かい合わせに近づいてきたそいつに話しかけた。
「よ。クライヴ」
「! ああ、お前か」
クライヴは一瞬目を丸くして、それは突然話しかけられたのに驚いただけだったらしく、俺を視界に入れるとすぐに表情を戻して返事をした。
クライヴ・フォルスター。
ハリムのルームメイト。
こいつとは初等部のころからの付き合いだ。
顔を知ってる程度で特別親しくしていたわけじゃないが、クラスメイトなんて半分ほどはそのくらいの距離感だろう。
あちらもオレを覚えていてくれたようで、すんなりと会話を始めることができた。
「お前も保健室か?」
「いいや。暇だから校内をぶらぶらしてただけ。お前こそどうした?」
「別に……」
と、クライヴは目をそらす。
オレは「おや?」と片眉を上げた。
見た所、保健室から出てきた割に歩き方はしっかりしているし、外傷らしいものはなさそうに見える。
であれば、推測できるのは魔力系の疾患か心因性のカウンセリングか。
初等部にいたころには病気の話など聞いたことが無かったから、おそらく心因性の方だろう。
特待科は他より早くクエスト実習が始まる関係で、特に討伐クエストの後などはショックを受ける生徒も少なくないというし。
この唐変木がそんな繊細なメンタルの持ち主だったとは意外だ。
「まあ、久しぶりだし、せっかくだから少し話そうぜ」
と、オレはやや強引にクライヴの隣を歩く。
これで、久しぶりに会った旧友との雑談という状況の完成だ。
「なんで魔法科に移ったんだ?」
「ん? ああ。親父がさ、可愛い一人息子に危ないことはさせたくないって、進学するときに特待科は避けろってうるさくてさ。残りの二択なら魔法科だなって。そっちは? 特待科はもうクエスト実習始まってんだろ?」
「まあ……」
「歯切れ悪いな。失敗でもしたか?」
「失敗ではないが、ちょっとな。そのせいで持病が悪化したらしい」
「持病、ってお前、初耳だぞ? なんだよその病気って」
「いや……」
驚いて聞き返すが、クライヴは口ごもる。
数秒待って、
「ああ、悪い。あんまり詮索するもんじゃないな」
「……」
答えたくなさそうだったので会話を切ると、ホッとしたように目元が緩んでいた。
口には出さないけど、こいつは顔や尻尾にすぐ現れる。
ハリムが苦手と漏らすように愛想が悪いというか、それでいて悪い意味で素直過ぎるというか。
言葉で探ろうとするとわかりにくいが、よく観察しているとすごくわかりやすい。
そう言えばこんな奴だったなぁと、変わらぬその様子に妙な安心感を覚えた。
「そういえば、高等部の寮はどうよ?」
話題を変えながら、オレはさりげなく本題を切り出す。
オレは商人である親父のコネで町宿の一つに下宿させてもらっているから、学生寮の暮らしは良く知らない。
「どう、と言われてもな。建物が少し頑丈になったくらいだ」
「いや、他にもあるだろ」
「家具は全部同じようなものだったぞ?」
建物が変わったのだから、もっといろいろあるだろう。
前のほうが良かったとか、ここが変わったとか。
オレはこいつにもわかりやすいよう、あからさまに顔を歪めて苦笑してみせた。
言外の圧をかけるとクライヴは少し考えて、
「……風呂が交代制なのが少し手間だな。割り当ての時間を逃すとその日はもう入れん」
(風呂……)
言われるまで思いつかなかったが、そうか。
ルームメイトってことは、こいつ毎日ハリムと……
そう考えると、なんか腹が立った。
が、沸き上がりそうなその感情はどうにか心の中に抑え込む。
「交代って、部屋ごとに?」
「ああ。初等部の時は十人程度が使える浴場が解放されていたが、あれも利用時間に一度に集まるから順番待ちだったし、高等部のほうが気楽と言えば気楽だが一長一短だな」
「二人っきりで、間違いとか起こすなよ? Ωなんだろ、相部屋」
と言うと、クライヴは怪訝そうに眉をひそめた。
「何故知ってる?」
「ダチだし。クラスメイト」
制服をつまんで見せながら強調して言うと、すぐに納得してくれたようだ。
「魔法科だったなそういえば」
「あんまりいじめんなよ? お前、ただでさえ愛想悪いんだから」
「何もしてないぞ」
「愛想悪くてデカい奴に上から見下ろされたら委縮するって話。相手はΩなんだから、少しは気を使え」
「……」
むすっと押し黙る。
それとなく釘を刺したつもりだ。
とりあえず今はこんなところでいいだろう。
ハリムの憂鬱が、これで少しでも晴れればいいんだが。
(これでも駄目な時はいっそ、俺の下宿に誘うのも……)
そんな下心を押し隠して、
「っと、じゃあオレはこっちだから。またな」
「ああ」
丁度よく廊下の交差地点に差し掛かったので、かつてのクラスメイトに軽く手を振って別れを告げるとオレは魔法科棟、クライヴは特待科棟へと別れていく。
(風呂……風呂かぁ……)
教室へと向かう途中、オレはその単語に思いをはせ、羨望と嫉妬に心の中でほぞを嚙んでいた。
それはもう、ガリガリと。
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