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序章
プロローグ
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森の中に斬撃音が響き続ける。
金属が硬い物に当たる甲高い音とともに、幾度もその巨大な刀身が月明かりに閃いた。
身の丈ほどもあるその刀とも言い難い巨大な金属の塊を振るうのは、白銀の毛並みに覆われた狼のような姿の男。
肩や腰などの最低限の部位のみを鋼の鎧で守り、右へ左へとその恵まれた体躯を躍らせる。
対するは、夜の闇から浮きだしたような黒き獣。
男の斬撃を固い爪で、硬質の体毛で受け止めながら怒りの咆哮を上げ男に襲い掛かる。
身長2メートルはあろうかという男よりもさらに二回りは巨大なそれは熊にも似た姿を立ち上がらせその前足を男に向かって振り下ろす。
その爪を、突進を、幾度となくいなしながら、男の斬撃は少しずつ、確実に獣の肉へと届きつつあった。
『グ、ルル……』
獣の動きが少しずつ鈍くなる。
獣が数歩、巨体を退かせると、獣の行く先には男が立ちはだかった。
獣の勢いはそこからさらに衰えていった。
逃走を考えるには、あまりにも遅すぎたのだ。
及び腰となった獣をさらに激しい斬撃が襲う。
この近くにある村落を荒らし、人を食らってきた魔獣は今、最後の時に向かって確実に追い詰められていた。
「すごい……これが、α(アルファ)の戦い……」
獣人と獣の戦いを木々の影から見守っていた二つの影、その小さな方が呆然と、あるいは恍惚とした様子で呟く。
耳に心地よい、アルトボイス。
獣人の戦姿を息をこらして見つめる少年を、しかしもう一つの影は憎々しげにちらりと一瞥した。
黒髪に狼の耳を生やした亜人の青年は半歩だけ前に出て、思わず身を乗り出しそうになっている少年を制する。
「あまり顔を出すな。気付かれるぞ」
「す、すみません」
静かな一言で縮こまるその矮小な姿に、亜人の青年の眉根はますます険しくなった。
毛の生えていない丸い耳、爪や尻尾も無ければ、頭髪以外の毛並みの無い体。
歳はそう変わらない、成人しているはずだというのにこの小さな体。
始祖、原種、先祖返り、あるいはもっと一般的に言えば、Ω(オメガ)。
その矮小な存在を、青年は厳しい目で見下ろしていた。
亜人の青年の視線に、少年はますます縮こまる。
つまらなそうに鼻を鳴らして、青年は獣人と獣の戦いに視線を戻した。
いよいよ逃げられないと悟った獣は、死に物狂いでその巨躯を暴れさせている。
森の木々を小枝のように叩き折るその前足は、しかし獣人の体を捕らえることはできない。
「グルガアァァァァァッ!!」
「ウオォォォォォォッ!」
二匹の咆哮が、月明かりの下に響き渡る。
青白い光の下で、毒々しいほど鮮烈な紅が舞い散った。
獣の鋼のような毛並みを貫いて、獣人の握った巨大な剣がその喉元から突き出している。
そして、その巨体からはゆっくりと力が抜け、大地へと倒れていった。
「や、やった……!」
思わず叫んだ少年の声が、夜の闇の中に響いた。
瞬間、ゆっくりと閉じかけていた魔獣の赤い目がカッと見開かれる。
怨嗟に光る眼を見開き、巨大な影が弾かれたように隠れていた二人のほうへと跳んでいく。
10年もの間この土地を支配し続けた暴君は、未だ地に伏せず。
突如自分たちへ向けて放たれた黒い巨大な弾丸を前に、動けないでいる少年をかばう形で亜人の青年が躍り出る。
帯刀した両刃の剣を構えると、攻撃とも呼べない無謀な突進をその刀身で受け止めた。
「グッ……!」
重い、重い一撃。
両腕、両脚、全身に力を込め、歯を食いしばり、全霊を持って受け止めてもなお押し込まれる。
白き獣人はこんな攻撃を何度も受け、いなし、この怪物を下したのかと、見ているだけでは伝わりきらなかった実感が、青年の全身に刻み付けられていった。
(抑え、切れん……!)
背中に守る小さな影まで黒き凶弾が届こうかとするとき、不意にその巨体が軽くなった。
グラリ、と、黒き獣の巨躯が傾き、ズシンと重く低い音を立てて大地に横たわる。
今度こそ、それが動くことは二度となかった。
寸でのところで力尽きたのか? 否。
「往生際が悪い……」
黒き獣の上に立ち、たった今その頭蓋を叩き割っただろう拳を携えて、白き獣人が呟く。
その背後には皓々と、その勝利を称えるように大きな満月が輝いていた。
青年の胸の内に、パッと熱いものが広がる。
「流石です、ジュノ先ぱ―――」
獣の骸を乗り越え、地に降り立った白き獣人は口を開きかけた青年の横を通り過ぎ、青年の背後に隠れていた小さな存在へと血に汚れていないほうの手を差し伸べた。
「大丈夫か、アレン?」
「う、うん。クライヴが守ってくれたから」
「そうか。よくやったなクライヴ」
「……はい」
「ごめんなさい。最後、俺が大声出しちゃったせいで」
「いや、俺も油断していた。まだあんなに動ける力が残っていたとは」
「……」
手を取り合い、言葉を交わす二人を、黒髪の青年はじっと見据えている。
悲しみか、怒りか、何とも言い難い感情に歪む顔を必死にこらえながら。
先ほど胸の中に広がった熱い感情が、違う何かに変貌して心の内を焼いていくような感覚すら感じていた。
「これで、依頼は達成だな」
「うん。贄になった人たちも、これできっと安らかに眠れる。でも」
「俺の心は変わらないよ。お前と出会ったあの時から、俺はお前だけのαだ」
「でも……本当に、いいの?」
小さな迷い子のように、上目遣いに恐る恐る小声で尋ねる少年に白き獣人は大きく頷き、その大きな体で小柄なΩの体を包み込んだ。
「富も、名声も、お前の前にはすべて霞む。お前とともに歩む未来だけが、俺の願いだ。アレン」
「ジュノ……!」
言葉にならず、一筋の涙を落としながら、少年は獣人の抱擁を受け入れ、大きな背中に細い手を回す。
そんな二人の姿を黒髪の青年は何も言わず、ただじっと眺めていた。
金属が硬い物に当たる甲高い音とともに、幾度もその巨大な刀身が月明かりに閃いた。
身の丈ほどもあるその刀とも言い難い巨大な金属の塊を振るうのは、白銀の毛並みに覆われた狼のような姿の男。
肩や腰などの最低限の部位のみを鋼の鎧で守り、右へ左へとその恵まれた体躯を躍らせる。
対するは、夜の闇から浮きだしたような黒き獣。
男の斬撃を固い爪で、硬質の体毛で受け止めながら怒りの咆哮を上げ男に襲い掛かる。
身長2メートルはあろうかという男よりもさらに二回りは巨大なそれは熊にも似た姿を立ち上がらせその前足を男に向かって振り下ろす。
その爪を、突進を、幾度となくいなしながら、男の斬撃は少しずつ、確実に獣の肉へと届きつつあった。
『グ、ルル……』
獣の動きが少しずつ鈍くなる。
獣が数歩、巨体を退かせると、獣の行く先には男が立ちはだかった。
獣の勢いはそこからさらに衰えていった。
逃走を考えるには、あまりにも遅すぎたのだ。
及び腰となった獣をさらに激しい斬撃が襲う。
この近くにある村落を荒らし、人を食らってきた魔獣は今、最後の時に向かって確実に追い詰められていた。
「すごい……これが、α(アルファ)の戦い……」
獣人と獣の戦いを木々の影から見守っていた二つの影、その小さな方が呆然と、あるいは恍惚とした様子で呟く。
耳に心地よい、アルトボイス。
獣人の戦姿を息をこらして見つめる少年を、しかしもう一つの影は憎々しげにちらりと一瞥した。
黒髪に狼の耳を生やした亜人の青年は半歩だけ前に出て、思わず身を乗り出しそうになっている少年を制する。
「あまり顔を出すな。気付かれるぞ」
「す、すみません」
静かな一言で縮こまるその矮小な姿に、亜人の青年の眉根はますます険しくなった。
毛の生えていない丸い耳、爪や尻尾も無ければ、頭髪以外の毛並みの無い体。
歳はそう変わらない、成人しているはずだというのにこの小さな体。
始祖、原種、先祖返り、あるいはもっと一般的に言えば、Ω(オメガ)。
その矮小な存在を、青年は厳しい目で見下ろしていた。
亜人の青年の視線に、少年はますます縮こまる。
つまらなそうに鼻を鳴らして、青年は獣人と獣の戦いに視線を戻した。
いよいよ逃げられないと悟った獣は、死に物狂いでその巨躯を暴れさせている。
森の木々を小枝のように叩き折るその前足は、しかし獣人の体を捕らえることはできない。
「グルガアァァァァァッ!!」
「ウオォォォォォォッ!」
二匹の咆哮が、月明かりの下に響き渡る。
青白い光の下で、毒々しいほど鮮烈な紅が舞い散った。
獣の鋼のような毛並みを貫いて、獣人の握った巨大な剣がその喉元から突き出している。
そして、その巨体からはゆっくりと力が抜け、大地へと倒れていった。
「や、やった……!」
思わず叫んだ少年の声が、夜の闇の中に響いた。
瞬間、ゆっくりと閉じかけていた魔獣の赤い目がカッと見開かれる。
怨嗟に光る眼を見開き、巨大な影が弾かれたように隠れていた二人のほうへと跳んでいく。
10年もの間この土地を支配し続けた暴君は、未だ地に伏せず。
突如自分たちへ向けて放たれた黒い巨大な弾丸を前に、動けないでいる少年をかばう形で亜人の青年が躍り出る。
帯刀した両刃の剣を構えると、攻撃とも呼べない無謀な突進をその刀身で受け止めた。
「グッ……!」
重い、重い一撃。
両腕、両脚、全身に力を込め、歯を食いしばり、全霊を持って受け止めてもなお押し込まれる。
白き獣人はこんな攻撃を何度も受け、いなし、この怪物を下したのかと、見ているだけでは伝わりきらなかった実感が、青年の全身に刻み付けられていった。
(抑え、切れん……!)
背中に守る小さな影まで黒き凶弾が届こうかとするとき、不意にその巨体が軽くなった。
グラリ、と、黒き獣の巨躯が傾き、ズシンと重く低い音を立てて大地に横たわる。
今度こそ、それが動くことは二度となかった。
寸でのところで力尽きたのか? 否。
「往生際が悪い……」
黒き獣の上に立ち、たった今その頭蓋を叩き割っただろう拳を携えて、白き獣人が呟く。
その背後には皓々と、その勝利を称えるように大きな満月が輝いていた。
青年の胸の内に、パッと熱いものが広がる。
「流石です、ジュノ先ぱ―――」
獣の骸を乗り越え、地に降り立った白き獣人は口を開きかけた青年の横を通り過ぎ、青年の背後に隠れていた小さな存在へと血に汚れていないほうの手を差し伸べた。
「大丈夫か、アレン?」
「う、うん。クライヴが守ってくれたから」
「そうか。よくやったなクライヴ」
「……はい」
「ごめんなさい。最後、俺が大声出しちゃったせいで」
「いや、俺も油断していた。まだあんなに動ける力が残っていたとは」
「……」
手を取り合い、言葉を交わす二人を、黒髪の青年はじっと見据えている。
悲しみか、怒りか、何とも言い難い感情に歪む顔を必死にこらえながら。
先ほど胸の中に広がった熱い感情が、違う何かに変貌して心の内を焼いていくような感覚すら感じていた。
「これで、依頼は達成だな」
「うん。贄になった人たちも、これできっと安らかに眠れる。でも」
「俺の心は変わらないよ。お前と出会ったあの時から、俺はお前だけのαだ」
「でも……本当に、いいの?」
小さな迷い子のように、上目遣いに恐る恐る小声で尋ねる少年に白き獣人は大きく頷き、その大きな体で小柄なΩの体を包み込んだ。
「富も、名声も、お前の前にはすべて霞む。お前とともに歩む未来だけが、俺の願いだ。アレン」
「ジュノ……!」
言葉にならず、一筋の涙を落としながら、少年は獣人の抱擁を受け入れ、大きな背中に細い手を回す。
そんな二人の姿を黒髪の青年は何も言わず、ただじっと眺めていた。
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