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15話

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「ぐ……っ!?」

 いきなりのことに反応出来なかったが、僕は手足をばたつかせて押さえている腕を外そうとした。けれど僕と見習い料理人では全く体格が違った。びくともしない体と、苦しさ、そしてこれからどうなってしまうのかという恐怖に体が震えてしまう。

「わかるだろ?」

 臭い息を耳元に吹きかけられなから、そう囁かれた。さっぱりわからなくて呆けてしまう。なぜ見習い料理人はこんなことをしているのか理解出来ないのに、わかるって何がだろうか。

(わかるって何が? 今、何が起きているんだ?)

 首を押さえている腕はそのまま、体で押さえ込まれていた上半身が少し離される。ほっとしたのも束の間、見習い料理人の手のひらが、服の上から体を撫でていた。

「や、やめ……っ」

 許可もなく体に触れられて、気持ち悪くて仕方ない。医師の触診だって、最初に触りますよと断ってからだ。なのに、この見習い料理人は壁に押さえつけて、許可も取らずに体に触っている。
 悠長なことを考えている暇はないと思っても、僕の体は自由にならなかった。焦るばかりで良い案も浮かばず、どうしたら良いのかパニックになる。

 心臓が早鐘を打ち、嫌な汗が湧き出る。喉がカラカラに乾いて、悲鳴をあげたいのに掠れた声しか出なかった。震えが止まらず、瞳の奥がチクチク痛んで、涙が盛り上がってくる。

「ああ、泣くのか。孤児院育ちなんだろ? こんなことしょっちゅうだろうが。クッキーと引き換えに、お前の体を俺の好きにさせろ」
「……ひっ」

 男の象徴を手のひらで撫でられ、ビクッと体が大きく震えた。

(孤児院育ちがなんだって言うんだ! ぼ、僕はこんなことしたことない! クッキーと引き換えだって、いや、だ。な、なんとか、なんとか、しないとっ)

 吐き気を催す相手の行動に、自分自身を叱咤しても力の差は歴然で、どうにも出来ない。いやらしい笑みを浮かべながら見習い料理人の顔が近づいてくる。唇を引き結びどんなに首が苦しくても、一発頭突きをしてやると震える体に喝を入れる。

 その時、大きな音をさせて扉が開いた。薄暗い部屋の中に希望の光が差したように感じた。見習い料理人越しに見たが、光が眩しくて目を細めてしまった。

「キンケイド侯爵令息様、下がってください」

 誰かの声が聞こえて、ルーファスが来たのだと分かった。不意に体が自由になり、足の力が入らず床に座り込む。ドサッ、ドスッと音がしてそちらを見れば、見習い料理人が小部屋から投げ捨てられ厨房に転がっていた。

「な、何を……俺は、あいつに迫られて、い、痛い、やめ、やめてくれ、あいつがッ悪いんだッ」

 見習い料理人が何か言っているが、ルーファスはその襟首を掴み、乱暴に振り回し壁にぶつけていた。その度に食器や料理道具が床に落ちて酷い音を立てている。
 まるで人形を振り回しているように、ルーファスは見習い料理人を掴んでいた。その手を離して床に叩きつけると、口中で何か呟いている。

 キラキラと光り輝くものが、ルーファスの手の中に現れた。青白く輝くそれがなんなのかわからないが、見ているだけで震えそうになる程のオーラを放っていた。

「お……俺は、悪く、ない……あいつが、あの孤児が……」

 床に沈んだ見習い料理人が血走った目でサッシャを睨んでくる。

「言いたいことはそれだけか」
「ヒイッ」
「エッケザックス」

 ルーファスはエッケザックスと呼ばれた浮かんでいる剣を手に取ると、床に転がって恐怖に震えている見習い料理人を見下ろす。その眼差しは冷たく、路傍の石を見るようだった。

「わ――っ! ローラント、ルーファスが乱心してる!」
「と、止めないと! えっと、鎮静剤、鎮静作用のある薬品は、あ――、出てこない。これは惚れ薬、こっちは媚薬、こっちは……」
「ルーファス、エッケザックスを出すな! こんなところで簡単に出して良い剣じゃないんだよ。お、落ち着け! その剣で存在ごと消そうとするんじゃない!」

 ルーファスを止めようとするが、幼なじみたちはそばに近寄ることすら出来ないでいる。

「ルーファス、サッシャ君はどこだ? そんなモノに構う暇があれば、やることがあるだろう?」

 慌てる幼なじみとは裏腹に、王子は落ち着いた声でまだ小部屋にへたり込んでいるサッシャを指す。
 その途端にルーファスの意識は、見習い料理人からサッシャへ移った。そんなルーファスに対して、見習い料理人はまた言い訳を口に出す。

「ヒイッ! お、俺は悪くない、俺はあいつに、あの孤児に誘われたんだ。だ、だから……」
「ばか! せっかく意識をそらせたのに、火に油を注ぐな!」
「わ――、やめろよ。ルーファス!」
「サッシャ君、ルーファスを止めて!」

 お願いと幼なじみたちが、扉の開いた小部屋にいるサッシャに声をかける。

「そいつ、消しちゃって、ルーファス」
「「「「!!!!!!!」」」」

 幼なじみたちも王子もサッシャの言葉に声も出ないほど驚いていた。サッシャも自分がこんな冷たい声を出せるなんて思っていなかった。

「わ――っ! サッシャ君、きみの怒りはもっともだけど、ルーファスに手を汚させないで!」
「こいつは司法できっちり捌くから、お願いルーファスを止めて!」
「先生に質問しに行っても良いし、惚れ薬でも媚薬でもなんでも作るから、ルーファスを困った状態にしないでっ」
「サッシャ君!」

 王子にもう一度名前を呼ばれた僕は、瞬きを繰り返して今の状況を確認する。見習い料理人にクッキーと引き換えに体を要求され、危うい時にルーファスに助けられた。

「やめて、ルーファス。剣をしまって」

 ルーファスはサッシャから握りしめている剣に視線を落とし、そしてもう一度サッシャを見つめた。まるでそれが本当のサッシャの望みなのかと確認するようにじっと静かに心を見透かすように見つめている。

「僕、ルーファスにやめて欲しいって本当に思ってるよ」

 ルーファスは再度サッシャに言われ剣を逆手に持つと、そろそろとその場から逃げ出そうとしていた見習い料理人の首元を掠るように床に突き刺す。ドンッ、と地響きをさせて突き刺さった剣に、見習い料理人は失禁していた。幼なじみたちは下がって、今度は騎士服を着た数人が見習い料理人を捕縛していた。
 僕は感情が止まってしまったように、ぼんやりとそれを見ているしか出来なかった。
 視界に影が出来て、顔を上げればルーファスが僕の前で背を屈める。

「……ぁ」

 何か言わなくちゃと思うのに、舌が痺れたように動かない。それでもここにこのままいることは出来ないことくらいわかっている。僕は自分自身を叱咤して、立ちあがろうとした。けれど膝が震えてふらついてしまう。

「サッシャ……」

 ルーファスがまるで宝物にように、僕の名前を呼んでくれる。それだけで全てが決壊した。力の入らない腕を必死で上げて、ルーファスに回す。酷い顔をしているだろうから、誰にも顔を見せたくなくてその胸に顔を埋めた。ルーファスはそれを許してくれそうな気がした。泣きたくなんてない。こんなことで負けたくなかった。
 震えるばかりで何も言えないでいると、体がふわりと浮き上がる。

「後は任せていいか?」

 ルーファスが誰かに何かを言っているのを遠くで聞きながら、抱きしめられた腕の中で力を抜く。

「おい、こんなあぶねーもん置いたまま任せるな!」
「片付けてから⋯⋯っ」

 誰かの声が聞こえるが、僕の意識には残らない。ゆらゆらと揺れながらルーファスに運ばれていることだけがわかっていることだった。


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