19 / 66
15話
しおりを挟む「ぐ……っ!?」
いきなりのことに反応出来なかったが、僕は手足をばたつかせて押さえている腕を外そうとした。けれど僕と見習い料理人では全く体格が違った。びくともしない体と、苦しさ、そしてこれからどうなってしまうのかという恐怖に体が震えてしまう。
「わかるだろ?」
臭い息を耳元に吹きかけられなから、そう囁かれた。さっぱりわからなくて呆けてしまう。なぜ見習い料理人はこんなことをしているのか理解出来ないのに、わかるって何がだろうか。
(わかるって何が? 今、何が起きているんだ?)
首を押さえている腕はそのまま、体で押さえ込まれていた上半身が少し離される。ほっとしたのも束の間、見習い料理人の手のひらが、服の上から体を撫でていた。
「や、やめ……っ」
許可もなく体に触れられて、気持ち悪くて仕方ない。医師の触診だって、最初に触りますよと断ってからだ。なのに、この見習い料理人は壁に押さえつけて、許可も取らずに体に触っている。
悠長なことを考えている暇はないと思っても、僕の体は自由にならなかった。焦るばかりで良い案も浮かばず、どうしたら良いのかパニックになる。
心臓が早鐘を打ち、嫌な汗が湧き出る。喉がカラカラに乾いて、悲鳴をあげたいのに掠れた声しか出なかった。震えが止まらず、瞳の奥がチクチク痛んで、涙が盛り上がってくる。
「ああ、泣くのか。孤児院育ちなんだろ? こんなことしょっちゅうだろうが。クッキーと引き換えに、お前の体を俺の好きにさせろ」
「……ひっ」
男の象徴を手のひらで撫でられ、ビクッと体が大きく震えた。
(孤児院育ちがなんだって言うんだ! ぼ、僕はこんなことしたことない! クッキーと引き換えだって、いや、だ。な、なんとか、なんとか、しないとっ)
吐き気を催す相手の行動に、自分自身を叱咤しても力の差は歴然で、どうにも出来ない。いやらしい笑みを浮かべながら見習い料理人の顔が近づいてくる。唇を引き結びどんなに首が苦しくても、一発頭突きをしてやると震える体に喝を入れる。
その時、大きな音をさせて扉が開いた。薄暗い部屋の中に希望の光が差したように感じた。見習い料理人越しに見たが、光が眩しくて目を細めてしまった。
「キンケイド侯爵令息様、下がってください」
誰かの声が聞こえて、ルーファスが来たのだと分かった。不意に体が自由になり、足の力が入らず床に座り込む。ドサッ、ドスッと音がしてそちらを見れば、見習い料理人が小部屋から投げ捨てられ厨房に転がっていた。
「な、何を……俺は、あいつに迫られて、い、痛い、やめ、やめてくれ、あいつがッ悪いんだッ」
見習い料理人が何か言っているが、ルーファスはその襟首を掴み、乱暴に振り回し壁にぶつけていた。その度に食器や料理道具が床に落ちて酷い音を立てている。
まるで人形を振り回しているように、ルーファスは見習い料理人を掴んでいた。その手を離して床に叩きつけると、口中で何か呟いている。
キラキラと光り輝くものが、ルーファスの手の中に現れた。青白く輝くそれがなんなのかわからないが、見ているだけで震えそうになる程のオーラを放っていた。
「お……俺は、悪く、ない……あいつが、あの孤児が……」
床に沈んだ見習い料理人が血走った目でサッシャを睨んでくる。
「言いたいことはそれだけか」
「ヒイッ」
「エッケザックス」
ルーファスはエッケザックスと呼ばれた浮かんでいる剣を手に取ると、床に転がって恐怖に震えている見習い料理人を見下ろす。その眼差しは冷たく、路傍の石を見るようだった。
「わ――っ! ローラント、ルーファスが乱心してる!」
「と、止めないと! えっと、鎮静剤、鎮静作用のある薬品は、あ――、出てこない。これは惚れ薬、こっちは媚薬、こっちは……」
「ルーファス、エッケザックスを出すな! こんなところで簡単に出して良い剣じゃないんだよ。お、落ち着け! その剣で存在ごと消そうとするんじゃない!」
ルーファスを止めようとするが、幼なじみたちはそばに近寄ることすら出来ないでいる。
「ルーファス、サッシャ君はどこだ? そんなモノに構う暇があれば、やることがあるだろう?」
慌てる幼なじみとは裏腹に、王子は落ち着いた声でまだ小部屋にへたり込んでいるサッシャを指す。
その途端にルーファスの意識は、見習い料理人からサッシャへ移った。そんなルーファスに対して、見習い料理人はまた言い訳を口に出す。
「ヒイッ! お、俺は悪くない、俺はあいつに、あの孤児に誘われたんだ。だ、だから……」
「ばか! せっかく意識をそらせたのに、火に油を注ぐな!」
「わ――、やめろよ。ルーファス!」
「サッシャ君、ルーファスを止めて!」
お願いと幼なじみたちが、扉の開いた小部屋にいるサッシャに声をかける。
「そいつ、消しちゃって、ルーファス」
「「「「!!!!!!!」」」」
幼なじみたちも王子もサッシャの言葉に声も出ないほど驚いていた。サッシャも自分がこんな冷たい声を出せるなんて思っていなかった。
「わ――っ! サッシャ君、きみの怒りはもっともだけど、ルーファスに手を汚させないで!」
「こいつは司法できっちり捌くから、お願いルーファスを止めて!」
「先生に質問しに行っても良いし、惚れ薬でも媚薬でもなんでも作るから、ルーファスを困った状態にしないでっ」
「サッシャ君!」
王子にもう一度名前を呼ばれた僕は、瞬きを繰り返して今の状況を確認する。見習い料理人にクッキーと引き換えに体を要求され、危うい時にルーファスに助けられた。
「やめて、ルーファス。剣をしまって」
ルーファスはサッシャから握りしめている剣に視線を落とし、そしてもう一度サッシャを見つめた。まるでそれが本当のサッシャの望みなのかと確認するようにじっと静かに心を見透かすように見つめている。
「僕、ルーファスにやめて欲しいって本当に思ってるよ」
ルーファスは再度サッシャに言われ剣を逆手に持つと、そろそろとその場から逃げ出そうとしていた見習い料理人の首元を掠るように床に突き刺す。ドンッ、と地響きをさせて突き刺さった剣に、見習い料理人は失禁していた。幼なじみたちは下がって、今度は騎士服を着た数人が見習い料理人を捕縛していた。
僕は感情が止まってしまったように、ぼんやりとそれを見ているしか出来なかった。
視界に影が出来て、顔を上げればルーファスが僕の前で背を屈める。
「……ぁ」
何か言わなくちゃと思うのに、舌が痺れたように動かない。それでもここにこのままいることは出来ないことくらいわかっている。僕は自分自身を叱咤して、立ちあがろうとした。けれど膝が震えてふらついてしまう。
「サッシャ……」
ルーファスがまるで宝物にように、僕の名前を呼んでくれる。それだけで全てが決壊した。力の入らない腕を必死で上げて、ルーファスに回す。酷い顔をしているだろうから、誰にも顔を見せたくなくてその胸に顔を埋めた。ルーファスはそれを許してくれそうな気がした。泣きたくなんてない。こんなことで負けたくなかった。
震えるばかりで何も言えないでいると、体がふわりと浮き上がる。
「後は任せていいか?」
ルーファスが誰かに何かを言っているのを遠くで聞きながら、抱きしめられた腕の中で力を抜く。
「おい、こんなあぶねーもん置いたまま任せるな!」
「片付けてから⋯⋯っ」
誰かの声が聞こえるが、僕の意識には残らない。ゆらゆらと揺れながらルーファスに運ばれていることだけがわかっていることだった。
40
お気に入りに追加
113
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
【完結】もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。
本編完結しました!
おまけをちょこちょこ更新しています。
第12回BL大賞奨励賞、読んでくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
魔王様の瘴気を払った俺、何だかんだ愛されてます。
柴傘
BL
ごく普通の高校生東雲 叶太(しののめ かなた)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。
そこで初めて出会った大型の狼の獣に助けられ、その獣の瘴気を無意識に払ってしまう。
すると突然獣は大柄な男性へと姿を変え、この世界の魔王オリオンだと名乗る。そしてそのまま、叶太は魔王城へと連れて行かれてしまった。
「カナタ、君を私の伴侶として迎えたい」
そう真摯に告白する魔王の姿に、不覚にもときめいてしまい…。
魔王×高校生、ド天然攻め×絆され受け。
甘々ハピエン。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
「婚約を破棄する!」から始まる話は大抵名作だと聞いたので書いてみたら現実に婚約破棄されたんだが
ivy
BL
俺の名前はユビイ・ウォーク
王弟殿下の許嫁として城に住む伯爵家の次男だ。
余談だが趣味で小説を書いている。
そんな俺に友人のセインが「皇太子的な人があざとい美人を片手で抱き寄せながら主人公を指差してお前との婚約は解消だ!から始まる小説は大抵面白い」と言うものだから書き始めて見たらなんとそれが現実になって婚約破棄されたんだが?
全8話完結
婚約破棄された悪役令息は従者に溺愛される
田中
BL
BLゲームの悪役令息であるリアン・ヒスコックに転生してしまった俺は、婚約者である第二王子から断罪されるのを待っていた!
なぜなら断罪が領地で療養という軽い処置だから。
婚約破棄をされたリアンは従者のテオと共に領地の屋敷で暮らすことになるが何気ないリアンの一言で、テオがリアンにぐいぐい迫ってきてーー?!
従者×悪役令息
【BL】こんな恋、したくなかった
のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】
人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。
ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。
※ご都合主義、ハッピーエンド
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる