お鍋の方【11月末まで公開】

国香

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三・和睦(上)

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 良親は神妙に平伏していた。

「ことの発端はそれがしにございまする。人は夢に固執して生きるは実は難しく、恨みによってこそ生きられるもの。それがしも、かつて城を追われ、お屋形様のお世話になりました身。それがしを支えた感情は恨みにございました故。死ぬ道を選ばんとしていた六角の内室に、生きてもらうため、恨みを持つようにと申してしまいました。此度の事態、それがしの責任にございまする」

 深夜。相谷城の庭。お鍋の出産もあって、深更の今も、薪があちこちで燃えている。

 庭は昼のように明るい。

 冲羅の騒動の後、信長は良親を呼び出した。冲羅があんなことを仕出かしたのは、捕らえられた時、良親の言った一言に触発されてのことだと、そう冲羅が白状したから――。

 良親をうち据える信長は目を細めて言った。

「良親、隠居せよ。小椋、高野、相谷を治める小倉一門の長は甚五郎に譲れ。ただし、引き続き相谷城主として、甚五郎の後見を命じる」

 弾かれたように良親が顔を上げ、驚愕の眼差しを向けた。

「お屋形様!されど!」

 良親の一言が重大な事件を引き起こしたのだ。

 六角の内室が信長の子を殺そうとした。それを誘発させたのは、良親である。

「冲羅を捕らえ、生かすために言ったことならば、許す。だが、責任は取れ。そのための隠居だ」

 だが、信長はそう言い捨てた。

「ですが、それがしの一言で、とりかえしのつかない事態になるところでございました。隠居では罰が軽すぎまする」

 良親はひたすら神妙である。

「冲羅を生かすための方便であろう。構わぬ。それに、冲羅を殺すつもりはないゆえ。生まれたばかりの我が子にも何事もなかった。そもそも冲羅は、あの子を殺す気などなかったようだしな」

 あの時、お鍋が意識を失ったため、信長は益々動転して、冲羅に約束してしまったのだ。腹の子も冲羅も殺さないと。

「だから、そなたも腹の子も織田が面倒を見てやるから、俺の子を返してくれ!」

 そう懇願してしまった。

「言質とします!」

 鬼の首を取ったように言った冲羅に、さらに頷いていた。

 すると、冲羅はすぐに三崎殿の手に赤子を渡した。

 そうして、無事に冲羅から赤子を取り返すことができたのだ。

 冲羅は赤子に乱暴は一切働かなかった。やはり、彼女も母なのである。母たる者が赤子に手をかけるなど、できるわけがなかった。

 しばらくしてお鍋は意識を取り戻した。冲羅がその場に崩れ落ちて震えているのを確認すると、彼女のために助命を嘆願した。

「冲羅様はお屋形様の若君様を殺すおつもりなど、全くなかったのです。お腹のお子を守りたかっただけ、そのために芝居をされたのです。御台様とて、お腹のお子を助けたいと思われるに違いありませぬ。どうか、お屋形様――」

 産褥に横になったまま、健気に訴えるお鍋に、信長は応えたのだ。

「冲羅は姪だ。もとより殺すつもりなどない。六角の子がいると聞いて驚きはしたが」

 赤子をお鍋の枕元に寝かせた。

「この子を取り返した時に、約束させられてしまった。冲羅の子を殺さぬ、と。だから、六角の子は生かす」

 瞬間、ザアザア暗かった辺りが、いつものようにくっきり見えたお鍋だった。

 お鍋はあらかじめ察していた。冲羅には赤子を殺す気など初めからなかったことを。

 信長の赤子を人質にして、腹の我が子を生かせという条件を出す。要求を飲まねば赤子は殺すと、信長を脅して我が子を守る。それが、冲羅の作戦だった。

 赤子を殺す気はなかった。だが、本気で殺す気だと信長に思わせなければ、言質を取れない。

 だから、冲羅も必死で、殺気立っていたし、お鍋もそれがわかったから、信長に懇願したのだ。

「冲羅様とお腹のお子を生かすとお約束下さい。さもなければ、お屋形様の若君様が殺されてしまいます。何卒お屋形様の若君様をお助け下さい!」

と、そのように言ったわけである。

 信長からの言質を得て、赤子がお鍋のもとに戻ると、冲羅は全て白状した。

 お鍋の察した通り、赤子を殺す気はなかったが、他に方法が思いつかなかったこと。山中で良親に捕えられた時、その言葉が元になって、思いついた方法であることを。

 信長は舌打ちしたが、

「約束は約束だ。冲羅も六角の子も殺さぬ」

 そう言って、冲羅の起こした騒動をうやむやにした。冲羅を許したし、良親の処分も当然軽くなる。

 だから、庭の土の上に身を投げ出している良親に言ったのだ。

「今夜の冲羅の騒動を公にしてはならぬ。外に漏れぬように尽くせ。冲羅も不問なれば、良親も不問と致すが、それではうぬも気が晴れまい。故に、これを機に隠居を命ずるのだ。責任を感じているならば、相谷城主として、この騒動の秘密厳守に努めよ。そして、甚五郎のために尽くせ」

「ははっ!」

 良親もようやく納得して、再び深々と平伏した。

「甚五郎をうぬの子とするがよい」

 信長はさらに甚五郎を良親の養子にするよう命じた。




 さて、一晩明けて、騒動の翌日。

 お鍋も冲羅も落ち着き、赤子の健やかさを確認すると、信長は冲羅をあくまで六角の女主人として扱い、改めて表の広間で会見した。

「六角とは和睦する」

 信長はその席上でそう言って、冲羅と交渉を始めた。

「ただし、六角は敗れた。何度も和睦しては、それを反故にされたという過去もある。また、承禎、義治も揃って逃亡中なれば、石部城のみを六角家に譲る」

 冲羅はその話を飲んだ。本来、城など一つも与えられるわけがない。これは、信長の冲羅に対する温情以外の何物でもない。

 冲羅は六角家の当主としてそれを受け、そうして和睦は成った。

 その後、冲羅は石部城に住むことを許され、やがてそこで子を産むことになる。だが、生まれた子は岐阜に人質となるのだ。それは仕方あるまい。

 ただし、岐阜ではその身柄は冲羅の生母が預かることになる。だから、決してひどい扱いではないはずである。

 しかし、織田家のこのような寛大な処置であるにもかかわらず、冲羅の夫である義治は出頭することなく、そのままどこぞへと逃げ失せた。そして、永久に冲羅と合流することはなかった。

 左京も、また承禎もである。

 こうして、近江国内に唯一石部城が、名目上の六角家の城として残った。




 生まれ落ちてすぐ、このような騒動の渦に巻き込まれた赤子は、酌と名付けられた。

「母が鍋だからな。鍋には杓だ」

 相変わらず、いい加減な命名である。

 先には、松には鶴だと言って、松寿の妹に鶴姫と名付けた信長である。

 しかし、今度はお鍋は文句も言わずに笑っていた。

「まあ!まあまあまあ!」

 怒ったのは酌の伯母である三崎殿である。

 信長のいい加減さ、それを笑っているお鍋に腹を立てていた。いや、厳密にはお鍋には怒ってはいるまい。

 三崎殿はお鍋のそれを苦笑と見ていた。

「御方様は何も仰有らないんだから!」

 お鍋の従順に、三崎殿は文句をつけていたのだ。

 お鍋は出産直後にあんなことになりはしたが、翌日にはけろりとして、その後の経過は良好である。つくづく安産な質のようで、信長にも冗談を言われた。

「お鍋ならば安心だ。次も期待している」

 さっそく次の子を要求された。

「次のお子って……またおかしな名を付けられまする」

 三崎殿が眉をひそめた。

(佐和山に鍋丸がいるもの。鍋には酌だというのは、私ではなく、鍋丸のことだわ。鍋丸が佐和山から酌を守ってくれる。鍋丸が酌を支える存在になってくれる)

 お鍋の小田城から佐和山までは一本道である。その佐和山にいる丹羽長秀の嫡男の鍋丸を思った。

 鍋丸は酌と歳が近い。また、鍋丸の母は信長の姪である。酌の支えとして、将来これほど心強いものはない。

 佐和山から丹羽家が酌とお鍋とを支えてくれるのだ。お鍋は酌の名について、そう思っていた。




*****************************

 さて、お鍋の出産からしばらくして、その佐和山に信長は滞在していた。

 甲斐の大物・武田信玄の死は、本人の遺言により極秘にされていたが、その情報は漏れていた。徳川家康によって、信長のもとにも伝えられている。

 信玄の身に重大な問題が発生していることを察していた信長ではあったが、これで信玄が死んだことが確定した。もう気に病むことなど何もない。

 後顧の憂いがなくなった。だから、信長は佐和山に来たのだ。

 丹羽長秀に命じて、大船を作らせるためである。

 都に攻め上る時のための準備である。

 上洛するのに、これまでは、近江を縦断して琵琶湖を巡り、つまり、佐和山、安土、守山、草津等を通って大津へ、そしてようやく都へ入っていた。陸路を巡るのでは時間がかかる。

 だが、先年、堅田、坂本など、琵琶湖の対岸を手に入れることができたのだ。これを利用しない手はない。

 つまり、琵琶湖を船で渡れば、大幅に時間短縮になる。

 兵を輸送するための大船。それを信長は作らせていた。

 その同じ頃、岐阜から濃姫が出てきていた。彼女の行き先は石部城である。

 姪の冲羅に会うためだ。そして、冲羅の母も伴っていた。

 お鍋は酌と共に相谷城を出て、小倉城に移って療養していたので、まだ小田城には帰っていない。

 岐阜から石部城に向かうには、小田城は通り道であるが、お鍋が不在なので、濃姫が立ち寄ることはなかった。

 小倉城は全く方角が違うので、無論、そちらにも赴いていない。冬姫のいる日野にも行っていないのだ。小倉城に寄るはずがあるまい。

 そのため、濃姫は未だ酌に対面していなかった。

 彼女は真っ直ぐ石部城に入ったのである。

 戦に敗れて、その上懐妊している姪の身を案じて、わざわざ遠路はるばるやって来たのであろう。しかし、お鍋は濃姫の近江来訪の理由を、それだけではないと考えていた。

 信長が都へ攻めるために大船を作っている、今まさにその最中なのである。信長が上洛戦の準備を進め、そして、濃姫が近江まで来たならば、都で何らかの大きな変革が起こるということであろう。朝廷か幕府辺りに関わること――。

 冲羅に会いに来たのは口実で、実は都での事変に備えての近江入りのようにも思える。事変後、速やかに入洛できるように――。

 事実、将軍・足利義昭に動きが見られた。ちょうど信長が船を作り始めた五月のうちのことである。

 義昭は朝倉義景、本願寺の顕如に御内書を送りつけた。武田信玄の死を知らない義昭は、それを信玄にも出している。

 すなわち、信長討伐を命じる御内書である。

 信玄の上洛は迫っていると見たのであろう、顕如は今回は同意した。

 顕如を味方につけることに成功すると、義昭は兵糧を準備、七月三日に遂に挙兵した。

 二条御所を日野輝資、高倉永相、伊勢貞興、三淵藤英らに守らせる。そして、義昭本人は宇治の槇島城に入った。

 明智光秀がすぐにそれを信長に報告。

「わははは、待っていたぞ!」

 信長は心底愉快げに手を打って喜び、七月六日、完成した大船に乗って佐和山から坂本へ一気に渡った。

 そして、柴田勝家に先陣を命じて、二条御所を囲ませた。

 大軍に囲まれ、義昭も不在の二条御所は、一見落ち着き払った様子を見せながら、実はあわあわしていた。

 間もなく到着した信長自身が、二条衣棚の妙覚寺に陣を構え、三万の大軍で御所を囲む。

 妙覚寺といえば、その昔、濃姫の祖父・新左衛門尉なる者が、初め僧侶として入寺していた所である。その関係もあってか、斎藤家の菩提寺である岐阜の常在寺は、妙覚寺の末寺だ。

 信長はやはり、近々濃姫をここへ呼ぶつもりでもあるのだろうか。

 信長がやって来ると、主不在の二条御所では、やはり、すぐに降伏してきた。

 織田軍は、

「幕府の終焉なり!」

と勝鬨を上げ、十六日には義昭が籠る槇島城へ向かった。

 その数、七万である。

 一方、義昭はたった三千七百だ。

 槇島城は、宇治川が本流と支流に分岐する中州部分にあり、西には巨椋池が広がっている。水に囲まれ、なかなかに難攻不落と見られていた。

 とはいえ、兵力差があり過ぎる。

 開戦は十八日の早暁であったが、織田軍の猛攻で、城は僅かの時間にみるみる落ちていく。

 あっという間に本丸まで落ちる寸前に陥った。

 義昭もさすがに観念し、二歳の息子を人質に差し出して、降伏したいと申し入れてきた。

「どうかどうか、命だけは助けて下され!出家する、都も出て行く、それゆえ、助けて下され……」

 何としても生きていたい。幼い我が子の身など、どうなっても、構ってはいられない。我が子の命一つくらいを犠牲にしてでも――。

 それが義昭だ。

 ずっと死ぬ恐怖と戦ってきた。この期に及んでも、死一等だけは免じられたい。いや、免じられなければならない。

 この生への執着は、どこか六角承禎・義治父子に似ていた。名門の共通点だ。

 いや、名門なればこそか。

 力などなくとも、その身一つだけで価値がある。存在自体が宝なのだ。

 命さえあれば、全てを失っても、その身一つさえ残れば。必ず誰かが彼を保護し、血筋を重んじ、彼を旗印に立ち上がる。その者の希望の星になるのだ。

 身一つしかなくても、彼の行く場所が幕府なのであり、彼は武士の主である将軍なのだ。

 殺されでもしない限り、死んでは損、死ぬ必要はない。世の中の損失である――義昭はそう信じる。

 世間は散り際を大切にする。潔く美しく自害するのが美徳であり、命を惜しむ者は臆病者と笑われる。

 命を惜しむは最低だ。命乞いなどしては、見苦しいと笑われ、憎まれさえする。恥知らずという風潮がある。

 だが、存在自体が国宝にもなる名門の者は、そうではない。名門の者は百万の兵を犠牲にしてでも、生き延びなければならないとは、六角義治が左京に語ったことではあるが、まさにその通りなのだろう。

 義昭も同じ考えだ。いつか誰かの希望の星として、その旗印となる人間は、その旗の下に集う百万の人々のために、死んではならないのだと、信じる。

 生きたい。死ぬのが恐い。義昭のその一念だけで、世の損失を防げるのだ。

 死を恐れず、真っ先に腹かっ切って立派に果てるべきは、価値判断の材料となるべき物がその人の性質くらいしかない、生まれながらに何も持っていない、名門ならざる雑草にのみ関わる話なのである。




 義昭は出家した。そして、幼い我が子を人質に差し出した。

「……」

 信長は何とも言えない表情で、無言を貫いた。

 明智光秀、細川藤孝など、もとは義昭に仕えていた者が、何やら必死になって喋っているのを、聞いているのかいないのか。

 光秀と藤孝は義昭を見限り、信長にのみ仕えるようになっていたが、なお義昭のために動いているようだ。

 彼らの思いは複雑だろう。だが、そんなことは信長は預かり知らない。いつもならば、慮ることもあるだろうが――。

 倒幕。

 これが今まさに現実として、目の前で成ろうとしている。しかも、それを成し遂げるのは、他ならぬ信長なのだ。

 倒幕ということに、今の信長は囚われていた。

 下克上は将軍とて例外ではない。そんなことを、昔、少女のお鍋は言った。倒幕という発想も。

 臣下が主を殺して、その地位を奪う。どこにでも当たり前にある下克上の光景。将軍も容赦なく害されてきた。

 だが、将軍を殺して、自らがその地位につこうとした者はなかった。あくまで幕臣として、自分の都合の良い将軍を立て、幕政を牛耳る、そういう者ばかりだった。

 倒幕という発想がなかったのだ。

(それほど、足利の血筋が重いということか。足利でのうては、誰も従わぬということか。三好の奴輩は、己が将軍に成り代わる自信がなかったか、己が将軍になっても、世が従わぬということをよく知っていた)

 身の程をわきまえていたということだろう。

 倒幕というもの、将軍に成り代わるということが、どれほど大それたことか。難しいことか。

 どんなに暗愚でも、史上最低の暗主でも、いざとなったら、それを討った正義が、ただの返り忠者と見なされるのだ。

 返り忠者に従う者はいない。

 不思議なことに、世の中とはそういうものだ。

 かつて、蒲生賢秀が父の定秀に力説したように、よほどの例外でもなければ、正義の返り忠者は世の中に背かれる。そういう意味では、決して将軍に成り代わろうとしなかった三好三人衆は、身の程を弁えていたばかりでなく、人心をよく心得ていたと言える。

(お鍋、貴様はやはりとんだ馬鹿よ。俺は……今後、次から次へと敵が涌き出ることになろうな……腐っても将軍、それを飾って、名ばかりの幕府を残し、天下を掌握する方が楽だろう)

 そうした体制を数十年続けた末、将軍から禅譲されるのが最も楽な方法なのかもしれない。

 明智光秀がなお必死に義昭の助命を乞うている。

「公方様殺しの汚名は、お屋形様の不利え……」

「わかった」

 信長はようやく声を発して、義昭の命を許した。

「ただし、都より追放する。幕府も終わりだ」

 光秀が感謝の言葉を口にしつつ、頭を下げた。その表情は不思議に何を思っているのか読み取れないものだった。

 信長の方も、全く何を考えているのかわからない顔だったが。

 藤孝は二人の顔を見比べて、人知れず嘆息した。

(鍋御前、俺はとうとう倒幕してしまった)

 信長は昔のお鍋に報告した。
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