小倉鍋──織田信長の妻になった女──

国香

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故郷

十二・旧主勢力の最期(下)

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 四月七日に義昭の降伏を認めて、和睦に応じた信長は、ゆっくりと近江へ向けて動き出していた。

 一方で、柴田勝家、丹羽長秀らの動きはとても早く、さっさと近江入りしている。そして、草津、守山とどんどん進んでくると、先鋒の柴田軍の中にいた蒲生隊が、大森城に知らせをもたらした。

 蒲生家は柴田勝家の与力である。大森城は布施家の居城であるが、布施家の嫡男・忠兵衛は蒲生賢秀の娘婿であり、布施家は蒲生家の与力となっている。今はその蒲生隊の一部に編成されていた。

 当主が蒲生隊の一員として出陣していたため、大森城には現在、嗣子の忠兵衛しかいなかった。忠兵衛が留守居をつとめているのである。

 その留守居の忠兵衛のもとへ、父から連絡が来たのだった。

「お屋形様の御意により、一揆の鎮圧を行う。その首謀者は六角義治であろうから、鯰江城を攻める。大森城でも武装せよ。また小倉城にも報せるように」

 信長が鯰江城を攻撃するというわけである。

 これは布施家から小倉家にも伝わったが、お鍋はそれを聞いて、箕作城に問い合わせた。

 鯰江城攻撃命令が信長により出されたことは、無論、蒲生家の日野中野城にも伝わっていた。

 蒲生家は賢秀も忠三郎も出陣中であるが、定秀や冬姫はいる。賢秀が二人に伝えたのである。

 冬姫の連れてきた織田家の者たちは、その報告を受けて、やはり箕作城や観音寺城に問い合わせた。

 小倉家や布施家、それに蒲生家など各地から箕作城に問い合わせが来たならば、当然ばたばたして、千代姫の耳にも入る。

「やはり!武田軍が来る前に、叔父上は鯰江城を攻め滅ぼすつもりなのね!」

 昨日千代姫は左京と話していたばかりである。

 すでに左京は城を出ていた。千代姫は残っていたが、信長の意思がはっきりしたので、なお残る必要はないとばかり、ひそかに脱出を試みた。

 各所から使者が来たので、箕作城の女佐役の面々は左京と話をしようと、この時になってようやく彼を探し始めた。だが、当然、城中どこにもいない。

「どうもおかしいぞ」

 家臣たちも今日は登城していなかった。

 誰となくはっとして、

「城下の様子を見て来い!」

と、城下に急いだ。

 箕作城下は商人でそこそこ賑わいはあったが、いつもより活気がなかった。そして、家臣たちの屋敷はもぬけの殻。城下の周囲の佐々木(小脇)庄一帯の雑兵・農民もごっそりいない。

 女佐たちはようやく察した。

「箕作城、裏切り!」

と――。

 女佐たちが城下に繰り出している間に、千代姫は城を抜け出したのたが、これも発覚までに時間がかかることになる。

 箕作城の裏切りはすぐに観音寺城、大森城、小倉城、中野城へと伝えられる。

「一大事!なれば行き先は鯰江城であろうか?」

 目星を付けて、小倉家と布施家とで鯰江城の様子を探っていると、城下に続々と兵が集結してきている。そして、勢いよく城門内にどんどん吸い込まれて行く。

 早くも織田軍による襲撃が伝わったようだ。それにしても、兵の数が多いように思える。

 鯰江城下の者だけで、これほどにはなるまい。つまり、左京の家臣たちも、手勢を率いて鯰江城に集結しているのだろう。読み通りだ。

 箕作城が裏切り、鯰江城に合流。鯰江城は織田軍の進軍以前から、戦うつもりだったことが明らかになった。

 鯰江城に籠っている者たちの大将は、六角義治である。

「――となれば、観音寺城にいる義治の内室は?」

 義治に奪われていやしまいか。

 彼女の身は観音寺城にあるが、箕作城の六角左京の監視下にあった。ところが、箕作城の面々は、左京以下ことごとく鯰江城に合流しているのだ。

 お鍋はすぐに良親に命じて、使いを観音寺城へ走らせた。そこには蒲生家から様子見に来た者もいたが、彼はお鍋の使者を見るなり。

「やられた!観音寺城の義治の内室も連れ去られたぞ!」

 観音寺城の織田家臣たちは、ことの次第に青ざめていた。

 どうやら、左京が先に観音寺城に寄って義治の妻を連れ出し、それから鯰江城に向かったらしい。

「なんたること!監視役の左京が来たゆえ、疑いを持たなかった。左京が裏切っていると知っていたら――左京の奴め、周辺の一揆勢からかの女の身を保護するために、しばらく箕作城で預かるなどと言って、かの女を連れ出したのだ!裏切っているとも知らず、みすみす義治の妻を奪わせてしまったわ!」

 観音寺城の面々は自分たちの失態に蒼白になりながらも、左京を罵った。

 左京の妻は信長の姪だが、義治の妻は濃姫の姪である。

 お鍋は帰ってきた使者からの報告を聞いて、頭を殴られたような衝撃を受けた。

「ご自分のご意思か、連れ去られたのかはわからないけれど、鯰江城に立て籠っておられるわけね?困ったわね……」

「それだけではございませぬ。左京の内室も――!今日の朝までは左京の内室の姿は見られたそうですが、気がついたら、見当たらなくなっていたそうで。箕作城の者どもめ、何をしていたのやら!」

 今は昼過ぎ。つい先程、ようやく千代姫の脱走が明らかになり、良親の耳にも届いた。

 良親は千代姫の女佐たちの失態に怒って地団駄踏んでいる。

 お鍋は大きな腹を窮屈そうに、身動ぎした。

「左京の内室はお屋形様の姪とは申せ、実父は織田信清にござる。それがしの放った細作によれば、何でも信清は甲斐の武田のもとにいるとか。左京は信清の縁を頼りに、武田と公方を結ばせたのやもしれませぬ」

「そうなのだとしたら、千代姫はお屋形様よりも実父の方へ心を寄せているということ?ご自分の意思で夫に従い――。鯰江城に向かったのかもしれないわね」

「かもしれませぬな。六角義治の内室も、御台様よりも夫を選んだのやもしれませぬ」

 二人をどうするべきか。ここはお鍋の腕の見せ所ではないか。

(二人は何としてもこちらが手にしないと!)

 自分の意思で夫に従ったのだとしても、信長と濃姫の気持ちを思えば、二人は織田家に戻さなければならない。

 どうしたものかと、お鍋は重い腹で考え込んだ。

「左京の内室はまだ鯰江城には着いていないはずよ。探して連れて来て!」

 お鍋は千代姫の身柄の拘束を命じた。

 さて、大森城でも戦の準備は着々と進んでいよう。この小倉城の準備は完了し、いつでも出撃できる状態に整った。

 指示を出すため、城内をかけまわる甚五郎の稚児鎧姿が、凛々しく頼もしい。

 他にもまだ小倉家がするべきことはある。

 鯰江城を落とすためには補給させてはならない。以前から小倉城と大森城が付城として機能していたが、さらなる荷止め人止めの必要があり、八風越の道を封鎖しなければならない。

 お鍋は甚五郎や良親に指示を出させた。高野、相谷等に軍勢を差し向け、人の往来を遮断させるようにと。




*****************************

 以前から、鯰江城の東南側は小倉城と大森城が囲っていたので、鯰江城でもこちら側の備えは盤石にしてあった。また、愛知川が天然の掘の役割を果たしている。

 東南は守りに長けているのだ。織田軍が東南から攻めても、あまり効果は期待できない。

「攻めるとすれば、北の搦め手からです」

 鯰江城の川下側に到達した柴田軍の中で、蒲生忠三郎がそう発言した。

 この辺りの一揆勢は織田軍の先鋒隊に恐れ、蜘蛛の子を散らすように霧消している。大人しく家に帰ったか、鯰江城に合流したか、はたまた――。

「されど、搦め手を攻めれば、その背後の百済寺から挟み撃ちに遭いまする。そうして我等が苦戦している隙に、討ち漏らしてしまった敵は君ヶ畑越にて、やすやすと逃走してしまうでしょう」

 忠三郎の進言に、賢秀は地元の者らしく頷いた。

 鯰江城の搦め手には、少々隙がある。というのも、そちら側には百済寺があって、物資の供給をしており、人の往来が多いのだ。また、そちら側からは君ヶ畑越に抜けることができる。

 柴田勝家は眉をつり上げ、大きく鼻から息を吹き出した。

「消えた一揆勢は、百済寺にも逃げ込んでいるのでしょうな」

「左様でありましょう。その百済寺は鯰江城を支援しております。鯰江城を包囲して、物資を完全に断っても、百済寺から武器兵糧、人員が調達されます。百済寺は相当な規模を誇る大寺院。この寺が後方支援をしている限り、鯰江城は二年でも三年でも持ちこたえましょう」

 百済寺は天台宗の巨大寺院である。僧兵もいるが、何より相当裕福なのだ。しかも、城の構えをしている。

 忠三郎の指摘を受けて、勝家は困惑した。

「では、どうします?大手門から攻めるので?」

 答えなど明らかなのに、勝家はそんなことを言う。きっと先年の比叡山焼き討ちが脳裡によみがえるのだ。

「先ず百済寺から攻め、後顧の憂いを断ってから、鯰江城を搦め手から攻めましょう」

 至極平然と忠三郎は答えた。それを敢えて避けた言動をした勝家だったが。

(これは蒲生の名を挙げる好機かもしれない!)

 忠三郎は鋭く勝家の心中を見て取った。

 忠三郎は信長の婿である。寄親とはいえ、勝家は彼に遠慮がある。ここはその遠慮を利用させてもらおうと、彼は思いきって願い出てみた。

「厚かましいお願いでございますなれども、我ら蒲生は地元にて、地形も心得ておりますれば、百済寺攻めを我らにお命じ頂きとう存じまする」

「……わかった、先陣をお願い致します」

 渡りに船であったか、むしろ勝家は快諾した。

 勝家の承諾を得たので、忠三郎は小躍りして自軍に下がって行った。だが、一緒に下がってきた賢秀は苦々しい。

「何で自ら厄介なところを志願するのだ?」

 寺の攻撃など罰当たりだ。常識人の賢秀は息子が理解できないとばかり、渋面を作っている。

「だいたい百済寺は巨大な伽藍を有している。我らが先陣とは。苦戦が目に見えているのに」

「大丈夫。簡単に片付ける方法がありますよ。鯰江城への兵糧も失わせることができる、一挙両得の策です。それもとても簡単、単純です」

 けろりとして言い澄ます息子が、己の父に重なって見える賢秀。こめかみから冷や汗を一筋流した。

「まさか、そなた――」

「そうです、焼いてしまうんですよ。簡単でしょう?」

 にこっと屈託なく笑って、賢秀の無言を許可と受け取るや、さっそく実行に移してしまった。足軽大将たちに焼き討ちを下知していく。

(そんなこと、舅殿様の真似なぞしなくても良いのに!……父上に似なくても良いのに。倅よ、そなたはわしの子ぞ!?)

 賢秀は茫然としつつも、百済寺の焼き討ちに取り掛かったのであった。

 四月十一日。

 蒲生軍が百済寺へ火をかけ、攻め込んで行く。伽藍を全て、小さな祠さえ残さず、灰にしていく。跡形なく――。

 まるで比叡山焼き討ちの再現である。以前その対岸の惨事を、他人事と眺めていた百済寺であったが。

 この蒲生軍の攻撃には僧侶たちも一揆勢も驚いて、ろくに戦いもせずに四散した。だが、蒲生軍の目に触れた者は、武運つたなく刃の餌食となった。

 そして、激しく燃えさかる紅蓮の中を、必死に逃亡する者がいた。六角承禎である。

 承禎は鯰江城には向かわず、君ヶ畑越にて山中を落ちて行った。

 百済寺の全伽藍が灰になる頃、勝家によって鯰江城への攻撃も開始される。

 搦め手より攻めかかるが、この城攻めに、百済寺から引き上げてきた蒲生隊も加わり、およそ四千の軍勢で攻めた。

 百済寺があったからこそ、搦め手は脆弱ではなかったのだ。その頼みの百済寺がなければ、ただの弱点に過ぎない。

 堅固で難攻不落を誇った鯰江城も、ひとたまりもなかった。搦め手からの敵の侵入を許し、城の多くを破壊された。落城は時間の問題。

 暗くなると、寄せ手の攻撃は一旦止んだ。だが、夜襲を仕掛けてくるかもしれないし、一夜明ければ、必ず攻撃は再開される。

「次の一手で最後よ」

 六角義治はそう悟った。

「わしは城を枕にというつもりはない。百済寺で指揮していた父上とは連絡がつかず、父上は亡くなられたやもしれぬ。となれば、わしは六角家の家名存続のためにも、必ず生き抜かねばならぬから、明日いや今夜かもしれない最後の決戦まで、致しているわけにはいかぬのよ。最後の一戦を前に、わしは落ちる」

 最後の一戦までこの城にとどまっていたら、逃げることは不可能だ。もはや逃げ名人と化していた義治は、逃げるに最適の時を完璧に捉えていた。

「わしはこれからすぐにも逃げる。貴殿も早々に支度なされよ」

 義治は声を低くして、左京に言った。

 城の奥の間。左京と二人きりで、密談中である。

 千代姫はまだ鯰江城に到着できていなかった。おそらく、織田軍が四方八方に城を囲んでいるので、近寄ることさえ叶わないのだろう。

 妻とも合流できていないし、逃げるなど思いの外だったに違いない、左京はしばし返事もできず、義治を見つめていた。

 義治はわかっているとばかりに、頷いて見せた。

「公方様には未だご健勝でいらせられる。貴殿が再起しないで、何とする。公方様を失望させるな。我等は、西上中の武田に合流するのだ。それが公方様のおんためであろう?」

 公方様の御ため――左京の一番弱い言葉であった。

「ご内室のことは気掛かりだろうが、諦められよ。わしも父上は諦めた。生きていれば、すぐに再会できるのだから。それに、貴殿のご内室は信長の姪よ。寄せ手の軍勢の中にいる丹羽長秀とやらの妻とは、義理の姉妹とか?敵に捕まっても、我が父上と違うて、惨めな目に遭わされることはござるまい」

 左京はようやく得心して頷いた。義治はほっと微笑み。

「うむ。なれば、散らばって各々別々に逃げた方が良い。万一、一人が敵に見つかっても、別な道は無事に通れるかもしれないからの。共倒れせぬように――」

 とはいえ、八風越の道には小倉城、相谷城等の小倉家の城が点在している。

 千草越の道には、布施家の大森城はじめ、蒲生家の領地となった山上、その家臣となった速水家の甲津畑などに城が点在している。

 君ヶ畑越には、この城の搦め手に陣取る敵の前を通らなければならない。

「となれば、石榑越か?これも問題があるが……危険のない道などないのだ、仕方ない。わしは石榑越で行く。妻には八風越を使わせよう。貴殿は君ヶ畑越にて落ちられよ」

「わかった」

 義治の提案に左京は同意して、さっそく逃亡の支度にとりかかろうと、膝を立てかけた。

「ああ、待たれよ!ご自身の家臣たちのもとへ向かわれるおつもりか?それは宜しくない。ご家中へはご相談めさるな。信頼のおける近習数人のみを従え、なるべく身一つで、皆に気付かれぬうちにそっと落ちられよ」

「な、何故にござるか?」

「落ちる時の鉄則でござる。敵の目を掻い潜るには少数でのうては。それに、城兵を残して行けば、我等が逃げる間に残った城兵が敵と戦う。城兵が敵を引き付ける役目を果たしてくれることになる。その隙に随分遠くまで、安全に逃げられるというものよ」

「左様な卑怯な真似……」

「やあやあ、勘違いなさるな。人には役割というものがある。雑草には雑草の役割があり、それを果たしてもらうだけや。我等高貴には高貴の役割がある。いつか再興し、皆の旗印とならねばならぬ。そのためには必ず生きぬかねばならぬのよ。まして貴殿には、公方様という大義がある。確実に生き残るためには、後ろめたくとも、心を鬼にして、雑草どもを捨て石にするのや。小事に引かれて大事を失うてはならぬ。高貴とは、度重なる慚愧に堪えに堪えて生きねばならぬ、辛いものよの」

 こうして、この夜、敵が寝静まった様子を確認すると、義治は鯰江城の兵たちにも悟られずに、そっと城外へ出た。

 義治は東側から、その妻は大手門から、そして左京は搦め手から出て、それぞれ散っていった。

 翌朝、丹羽長秀の軍勢が、鯰江城周辺をさ迷う千代姫を生け捕りにした。長秀は妻に連絡した上で、千代姫を丁重に自軍に迎えた。

 千代姫は織田信広の養女であり、信広の実娘である長秀の妻とは義理の姉妹である。

 こうして千代姫が無事に織田軍に保護された頃、鯰江城では義治らが夜逃げしたことが発覚。一気に戦意を喪失した。

 そのため、再び柴田勝家が攻める構えを見せると、多くの城兵は四散した。残った僅かな兵は、柴田軍とはほとんど戦わずに降伏した。こうして呆気なく鯰江城は落ちた。

 四月十二日。百済寺焼き討ちの翌日のことである。たった一日での落城。

 とはいえ、六角家が南近江の統治権を失った永禄十一年秋の観音寺城の戦いより、五年弱経っている。

 ついに、近江国内に唯一残っていた六角方の拠点が消えてなくなった。近江から六角家が完全に消えた瞬間である。

 その織田家にとっての記念すべき一日。元亀四年四月十二日は、超大物・武田信玄の死去した日でもある。

 六角と武田。偶然にも二つの宿敵が、織田家の前から同じ日に消え去ったのであった。
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