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標の中で(下)
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子解は嬰を座らせ、岩に寄りかからせた。矢を抜こうとした時、嬰が手を振り、子解の足にしがみついた。
彼が自身の足を見下ろすと、嬰の触れたそこには流れ矢が一本刺さっていた。先に負傷して、すでに痛みがあったので、新たに矢が刺さっていたことにも気付かなかった。
嬰は躊躇いなく、思いきりその矢を引き抜いた。矢はずっときれいに抜け、血が流れて川の水を染める。
「私はよい。そなたが先だ」
手当てしようとする嬰の手を止めると、嬰が青い顔のまま、
「いいえ、子解が先です。きっと子解に刺さっていた鏃にも毒が塗ってあるはず。お元気なうちに、毒を取り除かなくては」
「いや、しかし」
「身体中に毒が回ってしまわないうちに、毒を吸出して薬を。私はもう……」
手遅れだと言うのか、言い終わるや否や、
「あっ」
子解の傷口に嬰が口を当てた。毒を吸い出している。
「……嬰……」
かくりと子解は河原に腰を下ろしてしまう。嬰は毒を吸うと、川の水で傷口を洗った。そして、懐から薬草を取り出して傷口に塗り、自身の衣を裂いて包帯にしていく。
「ありがとう。そなたも一刻も早く手当てしなければ」
手当てされる間、ずっとやきもきしていた子解が嬰の傷口にようやく触れた。
「抜くぞ?痛いが、我慢してくれ」
「はい」
今度は素直に手当てを受ける嬰。ぐっと引き抜くと、激痛に嬰の気が遠退きかける。
「しっかりしろ、嬰!」
慌てて子解が嬰の体を支えた時、またもや矢が飛んできて、鬨が上がった。
「なっ!こんな時に!」
子解が地団駄踏んだ瞬間、敵軍が彼方に姿を現した。
「子解!私に構わず、早くお逃げ下さい!」
敵襲に意識が覚醒したか、嬰が強く言った。敵兵が走ってきている。みるみる距離が近づく。
「子解!早く!」
金石も裂けんばかりの絶叫。しかし、どう考えてもこの状況、無理であった。
「敵の手にはかからぬ!」
瞬時に子解は判断し、己の身を貫くために小刀を引き抜いた時、別な方向からまた鬨が上がった。
子解目掛けて走っていた敵が、急に後退し始める。鬨は子解たちに迫り、ついに追い越して敵兵たちに飛び付いて行った。目の前で始まった戦闘。
子解がほうっと安堵の息を漏らす。背後から声がかけられた。
「子解、ご無事でしたか」
振り返ると、幽貞だった。
「そなたの軍だったか」
「いえ、司母の一隊です。すぐに他の隊も駆け付けて参ります。謀叛軍は司母が追い払われ、敵の本隊は西へと後退しました。もう大丈夫です」
「そうか」
子解が頷くそばから、次々に援軍がかけつけて来る。敵兵はみるみる仕留められて行く。おそらく後に残って、子解を仕留めるよう命じられた殿軍なのだろうが、間違いなく潰滅するだろう。
幽貞は子解の傍らの嬰に気付いた。
「幽貞!助けてやってくれ。私を助けてくれた命の恩人だ。私を庇ってこんなことになった。すぐに手当てを」
しかし、幽貞は何とも複雑な表情をし、嬰の流れる血潮を見て、白眉を歪めた。
「よりによって、生け贄が血の穢れに……子解、残念ながら、生け贄の選定をやり直さなければなりません。この生け贄はもう生け贄としては使えません。穢れた生け贄は、一刻も早く聖域から出さなければならない……」
「なんだって?」
「おい!」
幽貞は聞き咎める子解を無視して背後に振り返り、手勢に命じた。
「この者を速やかに聖域の外に投げ捨てよ!」
手勢が嬰に群がる。
「ば、馬鹿な!手当てが先だ、このままではっ……!?」
幽貞を叱りつけた後で嬰を見れば、彼女はいつの間にか意識をなくしていた。
「嬰!嬰!」
子解が嬰にすがる。
それを無情にも引き剥がして、幽貞の手勢が嬰を戸板に乗せて運び始めてしまった。
「幽貞!いくら貞人の長とはいっても、許さぬぞ!私は太子だ!太子に逆らうのかっ?」
喚きながら、嬰の戸板に追い縋る子解だが、次の瞬間、首に衝撃が走り、動けなくなった。意識ははっきりしている。口も動かせるのに、体の自由がきかない。まるで金縛りのように。
目の隅に幽貞の手が見えた。幽貞の仕業に違いなかった。
「幽貞!何をする!」
「ご無礼を。お許し下さい。しばらくじっとしていて下さい。直にお体はもとの通りに戻りますので」
「幽貞!嬰を、嬰をどうするつもりだ!あのまま放っておいたら、死んでしまう!私を助けてくれたのに。私の命を救った者なのに。高い功績のある者に対して、この仕打ちはあんまりだろう!心が痛まないのか?そなたは天のご意思を聞く貞人だが、人だ!人として、人を思いやる心はないのか?」
幽貞は苦しげに白眉を歪めていたが、顔を背けて、残りの手勢に命じた。
「子解はお体の自由がきかぬ。司母の御前までお連れするのだ」
手勢が美麗な担架を運んできて、子解を乗せた。そして、ゆっくり森の中を進む。
このまま聖域を出て、司母辛の本陣まで連れて行かれるのだろう。
やがて、標が現れた。その標の向こう側に、左将軍が率いる軍勢が待っている。
「子解!」
子解は左将軍に迎えられ、聖域の外の俗世に還ってきた。
幽貞の手勢から左将軍の手勢へ、子解の身が担架ごと引き渡される。
「子解、大事ありませぬか?」
左将軍がおろおろと、子解を見下ろしている。
「すぐに手当てを──」
「必要ない!」
子解は強い口調で言った。
「子解?」
「誰のせいでこうなったか!幽貞のせいだ。幽貞が私の体の自由を奪ったのだ、術でな。しばらくすれば術も解け、もと通りに戻る。それより、左将軍」
「は、はあ……」
「先程、幽貞の手の者たちに、若い娘が捨てられなかったか?多分、この辺だ」
「は……」
「あれは私の命の恩人だ。私を庇って、毒矢にやられて死にかけている。この国の太子の命を救った大功ある娘だ。必ず善処を尽くして助けてくれ。どんなに貴重で高価な薬でも構わないから、与えて必ず治してやってくれ。そして、家に返して療養させてやって欲しい。いや、これは太子からの命令だ。必ず実行せよ」
「はい」
左将軍は周囲の兵卒たちに命じて、すぐに嬰を探させた。
安心したのだろう。なお高熱がある。足も負傷している。もしかしたら、足に刺さった矢の毒が、僅かに体内に残っているのかもしれない。左将軍の対応を見ているうちに、子解は意識を手放した。
彼が自身の足を見下ろすと、嬰の触れたそこには流れ矢が一本刺さっていた。先に負傷して、すでに痛みがあったので、新たに矢が刺さっていたことにも気付かなかった。
嬰は躊躇いなく、思いきりその矢を引き抜いた。矢はずっときれいに抜け、血が流れて川の水を染める。
「私はよい。そなたが先だ」
手当てしようとする嬰の手を止めると、嬰が青い顔のまま、
「いいえ、子解が先です。きっと子解に刺さっていた鏃にも毒が塗ってあるはず。お元気なうちに、毒を取り除かなくては」
「いや、しかし」
「身体中に毒が回ってしまわないうちに、毒を吸出して薬を。私はもう……」
手遅れだと言うのか、言い終わるや否や、
「あっ」
子解の傷口に嬰が口を当てた。毒を吸い出している。
「……嬰……」
かくりと子解は河原に腰を下ろしてしまう。嬰は毒を吸うと、川の水で傷口を洗った。そして、懐から薬草を取り出して傷口に塗り、自身の衣を裂いて包帯にしていく。
「ありがとう。そなたも一刻も早く手当てしなければ」
手当てされる間、ずっとやきもきしていた子解が嬰の傷口にようやく触れた。
「抜くぞ?痛いが、我慢してくれ」
「はい」
今度は素直に手当てを受ける嬰。ぐっと引き抜くと、激痛に嬰の気が遠退きかける。
「しっかりしろ、嬰!」
慌てて子解が嬰の体を支えた時、またもや矢が飛んできて、鬨が上がった。
「なっ!こんな時に!」
子解が地団駄踏んだ瞬間、敵軍が彼方に姿を現した。
「子解!私に構わず、早くお逃げ下さい!」
敵襲に意識が覚醒したか、嬰が強く言った。敵兵が走ってきている。みるみる距離が近づく。
「子解!早く!」
金石も裂けんばかりの絶叫。しかし、どう考えてもこの状況、無理であった。
「敵の手にはかからぬ!」
瞬時に子解は判断し、己の身を貫くために小刀を引き抜いた時、別な方向からまた鬨が上がった。
子解目掛けて走っていた敵が、急に後退し始める。鬨は子解たちに迫り、ついに追い越して敵兵たちに飛び付いて行った。目の前で始まった戦闘。
子解がほうっと安堵の息を漏らす。背後から声がかけられた。
「子解、ご無事でしたか」
振り返ると、幽貞だった。
「そなたの軍だったか」
「いえ、司母の一隊です。すぐに他の隊も駆け付けて参ります。謀叛軍は司母が追い払われ、敵の本隊は西へと後退しました。もう大丈夫です」
「そうか」
子解が頷くそばから、次々に援軍がかけつけて来る。敵兵はみるみる仕留められて行く。おそらく後に残って、子解を仕留めるよう命じられた殿軍なのだろうが、間違いなく潰滅するだろう。
幽貞は子解の傍らの嬰に気付いた。
「幽貞!助けてやってくれ。私を助けてくれた命の恩人だ。私を庇ってこんなことになった。すぐに手当てを」
しかし、幽貞は何とも複雑な表情をし、嬰の流れる血潮を見て、白眉を歪めた。
「よりによって、生け贄が血の穢れに……子解、残念ながら、生け贄の選定をやり直さなければなりません。この生け贄はもう生け贄としては使えません。穢れた生け贄は、一刻も早く聖域から出さなければならない……」
「なんだって?」
「おい!」
幽貞は聞き咎める子解を無視して背後に振り返り、手勢に命じた。
「この者を速やかに聖域の外に投げ捨てよ!」
手勢が嬰に群がる。
「ば、馬鹿な!手当てが先だ、このままではっ……!?」
幽貞を叱りつけた後で嬰を見れば、彼女はいつの間にか意識をなくしていた。
「嬰!嬰!」
子解が嬰にすがる。
それを無情にも引き剥がして、幽貞の手勢が嬰を戸板に乗せて運び始めてしまった。
「幽貞!いくら貞人の長とはいっても、許さぬぞ!私は太子だ!太子に逆らうのかっ?」
喚きながら、嬰の戸板に追い縋る子解だが、次の瞬間、首に衝撃が走り、動けなくなった。意識ははっきりしている。口も動かせるのに、体の自由がきかない。まるで金縛りのように。
目の隅に幽貞の手が見えた。幽貞の仕業に違いなかった。
「幽貞!何をする!」
「ご無礼を。お許し下さい。しばらくじっとしていて下さい。直にお体はもとの通りに戻りますので」
「幽貞!嬰を、嬰をどうするつもりだ!あのまま放っておいたら、死んでしまう!私を助けてくれたのに。私の命を救った者なのに。高い功績のある者に対して、この仕打ちはあんまりだろう!心が痛まないのか?そなたは天のご意思を聞く貞人だが、人だ!人として、人を思いやる心はないのか?」
幽貞は苦しげに白眉を歪めていたが、顔を背けて、残りの手勢に命じた。
「子解はお体の自由がきかぬ。司母の御前までお連れするのだ」
手勢が美麗な担架を運んできて、子解を乗せた。そして、ゆっくり森の中を進む。
このまま聖域を出て、司母辛の本陣まで連れて行かれるのだろう。
やがて、標が現れた。その標の向こう側に、左将軍が率いる軍勢が待っている。
「子解!」
子解は左将軍に迎えられ、聖域の外の俗世に還ってきた。
幽貞の手勢から左将軍の手勢へ、子解の身が担架ごと引き渡される。
「子解、大事ありませぬか?」
左将軍がおろおろと、子解を見下ろしている。
「すぐに手当てを──」
「必要ない!」
子解は強い口調で言った。
「子解?」
「誰のせいでこうなったか!幽貞のせいだ。幽貞が私の体の自由を奪ったのだ、術でな。しばらくすれば術も解け、もと通りに戻る。それより、左将軍」
「は、はあ……」
「先程、幽貞の手の者たちに、若い娘が捨てられなかったか?多分、この辺だ」
「は……」
「あれは私の命の恩人だ。私を庇って、毒矢にやられて死にかけている。この国の太子の命を救った大功ある娘だ。必ず善処を尽くして助けてくれ。どんなに貴重で高価な薬でも構わないから、与えて必ず治してやってくれ。そして、家に返して療養させてやって欲しい。いや、これは太子からの命令だ。必ず実行せよ」
「はい」
左将軍は周囲の兵卒たちに命じて、すぐに嬰を探させた。
安心したのだろう。なお高熱がある。足も負傷している。もしかしたら、足に刺さった矢の毒が、僅かに体内に残っているのかもしれない。左将軍の対応を見ているうちに、子解は意識を手放した。
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