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正声

五拍・洛神図(上)

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 時を溯ること数ヶ月前。秋の除目の頃だったか。

 風香中納言殿は、烏丸左大臣の妨害でまたしても昇進ならず、地団駄踏んでいた。

 その頃、病中の備中守は、とうとう堪えられぬとて、その職を辞してしまった。

 風香殿は北ノ方に相談する。

「備中前司(ぜんじ)はいかほど悪いのか」

「死ぬる程ではございませぬ」

「確(しか)とか?仙洞の中将の君に確かめてか?」

「はい。妹(おとと)も案ずるには及ばぬと。ただ、しばしの休養が必要です」

「されば、我が家の執事も別の者に替えねばなるまいの」

 すると、北ノ方はきっとして、

「それはなりませぬ」

と言う。

「何故に。国司の職も辞する程であるならば、執事も無理であろう。実際近頃ほとんど顔を見せないではないか。判官が四辻殿の家司の合間に、代わりに執事の仕事もこなしてくれておるが、執事当人は少しも役に立っておらぬ」

「されば、判官をば前司の後に据え、執事に遊ばしませ」

「そうはゆくまい。年預(ねんよ)……」

「大夫は年預の適任者。大夫以外の者に年預は任せられませぬ。されば、執事はこのまま前司を留任して、判官に代行させれば宜しいではございませぬか」

 北ノ方はどうしても諸大夫で現年預の者を、執事にしたくはないのであった。

 この北ノ方はもとは典侍。義妹は仙洞の女房の中将殿。

 備中前司は中将殿腹の侍従少納言の子で、風香殿家の執事であった。

 判官は備中前司の異母弟・時憲。

 すなわち侍従少納言の子は、伯子が備中前司、仲子・判官、叔子と季子が同母の時有、信時である。

 前司は風香殿の執事。

 判官はもともと四辻内大臣殿の男童で、長じて家司となったが、今は三位殿にも仕えている。そして、病で執事の職も覚束ない兄の代行をもしていた。

 風香殿はそんな現状を好ましく思わない。それで、前司を執事の職から解いて、年預の大夫をそれに任じようと考えたのであった。だが、それには北ノ方は大反対である。

 それは、今の年預が大方殿の親類だったからだ。

 大方殿。それは、北ノ方よりも先に、風香殿の妻となった女性。

 年預が執事になったりしたら、大方殿とその腹の忠兼少将の勢力が増すではないか。

 執事は何としても、北ノ方の息のかかった者でなければならなかった。

「……まったく、困ったものだよ」

 風香殿はつい子息に愚痴をこぼした。

 非参議韶徳三位殿は、自分の母のことなので、反射的に詫びていた。

 この三位殿も今回の除目で、烏丸左大臣殿の妨害を受けている。四位の時から、大弁、参議を歴任していたのだが、正三位の今は参議ではない。

 それでも、家庭においては彼は恵まれた境遇だった。

 母君の典侍殿が強かったから、三位殿は父君の嗣子になれたのだ。そのために、兄君の忠兼は追いやられてしまった。

 兄君にもその母君にも、申し訳なく思っている。

 とはいえ、忠兼の母儀も大変気の強い女性であった。だから、大方殿と典侍殿は、常に熾烈を極めて戦っていた。

 子の忠兼と三位殿は、異母兄弟であるのに仲が良く、互いの母には手を焼いている。

 この執事の件で、またしても二人が火花を散らすのかと思うと、うんざりだった。

 父の風香殿は、あの烏丸左大臣に憎まれる程の人物。新院別当として、院司達をまとめる才覚があるのに、どうしてこうも家庭のことには弱いのか。

「それで、どうなさるのですか?」

「うむ。そのまま備中前司を留任させることにした。大変だろうが、今まで通り判官に代行を頼むことにしたよ。ややこしくなる故な」

「そうですか」

 とりあえず、賢明なる選択かもしれない。

「早く前司がよくなってくれればよいのですが」

 そう言うと、三位殿は頭を下げる。そして、父君の居間を退出した。

 琴の練習でもしようと、廊を歩いていると、判官時憲と会った。彼は急いでいるらしい。

 三位殿は、時憲に感心と労いとを含んだ笑みを見せる。

「おことも大儀なことだね」

 すると、時憲は、

「申し訳ありません。少しも寄り付かない弟どものこと。そして何より、寝返り常套の父のこと」

と、頭を下げた。

 三位殿は顔を曇らせる。

「左様なことではない。叔父の四辻殿の家司をしながら、我が子の乳父になって尽くしてくれているのに。さらに、執事の代理とは」

と言って、時憲の納得する顔を見てから去った。

 自分の居間に入る。そして、奥から何かがさごそと探ってきて、絵巻を手にした。

 この三位殿、元服した時にはすでに嫡子としての地位は確かなものとなっていた。

 元服すると、そのまま自分の意志とは関係なしに、妻帯させられた。

 名門の男子であれば、それは皆そうである。避けることはできない。それができたから、散位政任は奇人と呼ばれるのだ。妻帯しないなぞ、政任だけである。

 三位殿とて例外ではなく、妻帯させられた。

 相手は、大宮中納言の娘である。本院の皇后だった、白河の太皇太后宮の姪にあたる女性である。

 彼女は、新院の最愛の寛子女御に仕え、二条殿と呼ばれている。

 三位殿は、幼い頃から琴に夢中で、他のことには関心がなかったから、二条殿とはあまり睦まじくない。かといって、他に恋うる女性もないので、この身分には稀有だが、二条殿が唯一の妻室だった。

 二条殿は昔は宮中、今は仙洞と、常に華やかな世界にいる。明るく人気も高い。ただ多情で、男の知り合いが多い。

 恋は遊びか。三位殿がありながら、幾人かの殿上人との軽いやりとりがあったとかなかったとか。

 典侍殿は些か二条殿の行動に納得できず、日頃から彼女をあまりよく思っていなかった。故に、三年前に二条殿が若君を出産した時も、

「これは、我が孫ではないのではあるまいか」

と、疑ったのである。

 三位殿は二条殿に滅多に逢わないし、二条殿は多情だ。

 それでも、三位殿は若君を大切にし、皆この若君を「青海波(せいがいは)の君」と呼んでいる。

 二条殿が身重だった頃のこと。

 大分腹も大きくなった時に、三位殿が彼女を訪ねたことがあった。その時、琵琶で『青海波』を弾いたところ、腹が動いたのだという。腹の子が初めて母の腹を蹴った時が、『青海波』を聴いた時だというので、

「これは、腹の中で舞うているのやもしれぬ」

と、青海波の君と呼ばれるようになったのだ。

 青海波の君は、二条殿の実家・大宮中納言家で育てられており、母の二条殿は現在もなお、女御に仕えている。

 三位殿は二条殿にはあまり興味がないらしいが、青海波の君のことは気にかかるらしい。判官時憲夫婦に養育を命じ、二条殿が不在であるのに、しょっちゅう大宮中納言宅に赴いていた。

 三位殿が女にあまりに関心がない分、兄君の忠兼朝臣は、ひどい好色人(すきびと)だった。あちこちに女がいたのだが、これがまた、もめ事が多い。

 余りのことに、北ノ方は疲れ果て、

「夫(つま)のことで悩み多すぎて……妻となった頃は若葉の如き我が身も、今ではすっかり朽葉となり果てました」

 など、恨みを言うのであった。

 この朽葉の上が、何より腹立たしく思うのは、家女房の監(げん)という女である。

 監は侍従少納言の同母妹の娘。つまり、備中前司や判官時憲らの従姉妹である。

 初め、時憲と共に四辻内大臣殿に仕えていた。それが、いつしか忠兼朝臣の妾となって、囲われるようになった。今では我が物顔でいるのが、朽葉の上は気に入らない。

「三位殿のような物静かな方が夫であったならば、かように不幸せではなかったろうに」

 よくそう言った。

 日頃から、よい印象だった三位殿。

 しかし、最近、この三位殿さえもが恨めしく、気にくわなくなった。

 三位殿には謂われなきこと。迷惑至極。

「憎む相手を間違っている」

 三位殿とて口惜しい。いや、彼こそ恨めしい。

 理由は二条殿だった。

 秋も終わる閏九月晦(つごもり)頃に発覚したことだった。

 二条殿の恋が……

 今までのような、遊びというか、挨拶のようなもの、つまり社交の恋なら、さほど問題ではなかったろう。だが、今回だけはどうにもならない。

 典侍殿は癇癪を起こすし、大方殿も気でも違ったかと思える程な壊れ方をした。

 二条殿の恋は本気であるらしいのだ。しかも最悪なことに、相手が忠兼朝臣なのである。

 何がどうして、そうなったのか。最もあってはならないことだ。

 朽葉の上は、三位殿に逆恨みした。三位殿だってどうにかなりそうなのに。

 彼はもう、ただ現実逃避したかった。

 腹違いの兄弟は仲が悪いと決まっている。だが、三位殿と忠兼朝臣は、珍しく仲がよかった。互いの母は角突き合わせているが。

 だが、今度ばかりはどうやって仲良くしろと言うのか。

 執事の件で、母同士が揉めるかもしれないという時に。なんでまた、こんな不倫が。

「どうしてこんな時に。執事はいつまで病にかかっている気だ」

 あべこべに備中前司を呪った程、三位殿は憤慨していた。

 そして、母同士の争いは、案の定激化した。

 典侍殿は、

「少将(忠兼)は気でも狂ったか。弟の北ノ方と通ずるとは、正気を失うたとしか思えぬ。前の世では畜生だったに違いない」

と怒るし、大方殿は、

「三位のいやらしい北ノ方が、忠兼を騙して誘ったのだ。そもそも三位が己の妻を放し飼いにしておくのが悪い。あんな生まれついての娼婦を放任しておくなど、どういう神経をしているのやら」

と言う。

 果ては。

「典侍の御局の教育が悪い」

「大方殿譲りの好色の道。生来の先天的なものならば、少将には罪はないのう」

と、互いを罵り合う始末だ。

 朽葉の上は、

「御事が北ノ方を慈しまなかったから、こうなった。責を負うて下さい!」

と、三位殿を恨む。

 この家の女は、どうしてこう揃いも揃って、気の強過ぎる者ばかりなのか。思ったことを喚き散らす。慎みというものを知らない。

 三位殿はもう、どこかに消えてしまいたかった。あのうら寂しい嵯峨の草庵にでも住みたい。

 そうした状況の中で、十月十六日を迎えたのだった。
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