勝手犬

増田朋美

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迎春

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「新年、明けましておめでとう。」

そういっても光男たちの正月は憂鬱でしたかない。

どっちにしろ、どこかにいくわけでもないし、何か大きな買い物をするわけでもないからだ。

母は、箱根駅伝ばかり見て、それでも十分だという。

兄由紀夫は、相変わらず布団の上に寝込んだままだ。

「あーあ、俺はなんにも正月らしきものはないなあ。」

光男は、がっかりと落ち込んだ。

すると、孔明が光男の脇の下に入り込んで、顔をぺろんとなめた。

「そうか、今年の正月は、お前がいるか。」

体を撫でてやると、孔明はそうだと言いたげにワンと一声吠えた。

「光男、孔明の散歩いってきてよ。」

テレビを見ながら、母が言った。

「わかったよ。じゃあ、いくか。」

光男は、孔明の首輪にリードをつけ、彼をひいて外に出た。

みんな、どこかへ出かけてしまっているのか、そとは静かだった。小さな子供たちは、親の実家に帰ってしまっているらしく、うるさい声も聞こえなかった。若い人たちも、多分都会に遊びにいっている。光男の同級生たちも、みんな旅行にいってしまっているのは、SNSをみればわかる。

住宅街の中を歩いた。住宅街は水を打ったように静かだ。

時おり、孔明は、歩きながら振り向いて光男の顔を見たが、光男は顔をあげることはできなかった。しばらく歩いていると、孔明がワンと吠えたので、光男は初めて顔をあげた。

「光男くん。」

知らないおばさんが彼に挨拶した。

「明けましておめでとう。」

「おめでとう、ございます。」

光男がぶっきらぼうに挨拶を返すと、

「かわいいワンちゃんだね。犬屋さんでもいったのかい。」

さすがに、渋谷駅で拾ってきたとは言えず、頭をひねって、理由を考えていると、

「おしゃれなワンちゃん買えていいじゃないか。うちなんか、孫のことで、てんてこ舞いさ。」

と、おばさんは言うのである。

「え、どうしたんですか?」

光男はおばさんにきいた。

「いやねえ、うちの孫が、なんか障害というか、なんというか、どうしても、片付けができないんだよ。言葉もはっきりしないしね、いつも片付けろと言えばうんというんだけど、実行したことはほとんどないんだよ。息子たちは、発達障害と言うけれど、なんかよくわかんないよねえ。」

おばさんの顔は笑顔である。しかし、話している内容は非常に重たいものだ。

「光男くんの、お兄ちゃんはどうなの?大変なんでしょ?」

「そうなんですけどね。毎日寝たり起きたりしています。」

「たまには、一緒に散歩すればいいじゃないか。」

「まあ、それができたらいいんですが。」

おばさんは、兄のことしか、口にしないと思われた。大体のひとは、そうなることは、光男も知っていた。

「光男くんも頑張んなよ。不自由なからだのお兄さんを抱えるけど、介護する家族の方が大変だって、おばさんはしってるからね。だから、何でも相談しな。」

おばさんは、ぽんと肩をたたいてくれた。



「ありがとうございます。」

光男は、かるく敬礼して、おばさんから、離れていった。

おばさんは、にこにこして、光男を見つめていてくれた。

もうしばらくいくと、日の丸の旗を掲げた家の前を通った。

「あれ、このうち、日の丸なんか出していたかなあ?」

思わず呟くと、孔明もワンと吠えた。

この家は、今まで日の丸を出したことなんかない。お正月であっても、家にいたことがない家庭だ。おかしいなあ、そんな家が何で国旗なんか出しているのだろう?

ガチャン、と、玄関ドアがあくおとがして、このお宅の主人であるおじさんが出てきた。実をいうと、光男はこのおじさんが苦手だった。

「おう、光男くん。明けましておめでとう。今年もよろしくな。」

おじさんは機嫌がよかった。会えば、いつもぶつぶつ文句をいっているおじさんが、何故?

「は、はい、今年もよろしくお願いいたします。」

「その犬はどこかで買ってきたのかい?ペルー犬を飼うなんて、なかなか洒落ているじゃないか。」

よく、ペルー犬とわかるものだ。光男はびっくりしてしまった。

「まあ、事情がありまして、もらってきたんです。」

「ほう、名前はなんて?」

「こ、孔明と。」

「は、は、は、光男くんらしい名前の付け方だなあ。全く、強いものに憧れる光男くんらしい付け方だ。」

確かに、光男が小さいときから、この地域にすんでいるおじさんだから、そんなことが言えてしまうのだ。

「まあ、今年は戌年だ。かわいいワンちゃんと一緒に充実した年にしろよ。うちもやっと、正月らしい正月を迎えられたんだから。」

とても意外な台詞だ。正月らしい正月を迎えられたなんて。だってこんな大きな家にすんで、花が植えられた立派な庭にすんで、自分達よりよっぽどいい生活をしているはずなのに?

「何かあったんですか?」

光男はおそるおそるきいてみた。

「いやあ、うちもねえ、うちの息子が脊髄に腫瘍が見つかってねえ。摘出手術だなんだといろいろあってねえ、今まで正月どころではなかった。でも、今年、やっと家に帰ってきたもんで、やっと正月が迎えられて、今年は張り切って、旗を出したと言うわけだ。」

そんなことがあったのか。いい生活をしているはずのおじさんが、正月どころではなかった程、大変なことがあったとは。

「だからね、光男くん、人生は何があるかわからんよ。うちの息子みたいに、急にポキンと折れちゃうことだってあるんだから。幸いうちは、なんとかなったけど、去年の夏には、もう正月なんて、迎えられないんじゃないかと泣いてないて泣いた。だから、お正月というのは、神聖なもんだよな。やっぱり、こうして、国旗をだして、盛大に祝うってのが、本当に必要だってよくわかるよ。」

おじさんは、にこにこしてそういった。光男はぽかんとして、それを聞いていた。

「そうですか。僕は、ただの付録でしか、意味をなしませんよ。」

光男は、ポロリと本音を漏らした。

「いや、光男くん、それは間違いだ。君が今つれて歩いている、孔明くんは、君がなければ散歩にもいけないし、ご飯だってもらえないじゃないか。そうして、世話ができるなんて、幸せなことだよ。だって、うちの息子が倒れたときは、もう、息子の顔も見れなくなるのかと、息子以上に泣いたものだった。

親にとって、これ以上悲しいことは、ないからね。」

おじさんは、しんみりと語ってくれた。

「おじさん、では、僕はどうしたらよいのでしょうか。兄はずっと寝たままだし、母は仕事で疲れはてたままです。ぼくは、何も役割がない。母は兄のことで、精一杯ですから、僕はいない方がいいのでは?」

「ちゃんとあるじゃないか!お正月を楽しむのさ。」

「楽しむって、どうしたらいいんですか?そんな暇もお金もありませんよ。」

「君がお正月を作るのさ、光男くん。お正月にはやることがたくさんあるよ。」

おじさんは、ニコニコしてそういう。

「大丈夫。そのうちわかる。」

おじさんは、光男の頭をなでて、家の中に入ってしまった。

「孔明、お正月を作るって、どういう意味なんだろうな。」

光男は孔明に話しかけてみたが、孔明は、答えなかった。犬に話しかけても仕方ないか。

もうしばらくいくと、公園に出た。

公園には、誰かいるかな、と、光男はぼんやりと公園をみると、突然、孔明が吠え出した。

「どうしたんだ?」

と、光男がたずねると、孔明は、公園の中へどんどん引っ張っていく。そして、ジャングルジムの前で止まった。目の前に黒いものが落ちている、と、思ったら物体ではなく人間で、しかも少女であった。彼女の頭は血液で真っ赤に染まっていた。

「おい、大丈夫か?」

と、声をかけてもはんのうはない。打ち所が悪かったということか。

「大変だ!」

と、光男は救急車をよぼうと思ったが、スマートフォンをいえに忘れてきたことに気がついた。病院につれていこうとしても、元日なので病院は休診である。光男は彼女を背負って、近くにあった、ある家のドアをたたいた。

「すみません!ちょっと車をだしてくれませんか!彼女を救急につれていきたいんです!」

ドアがあいて、間延びした顔の若いお姉さんがでてきた。

「なんなのよ、せっかくの正月なのに?」

「彼女が、ジャングルジムから落ちたんです。近くの病院は、やっていないから、救急につれていきたくて!」

「そんなのあんたがやればいいでしょ。」

「僕はまだ、高校生なんですよ!」

孔明も、何かを伝えたくて、一生懸命吠えている。

「他の人に頼んで。私はやりたくない。」

ガブ!

孔明が、お姉さんの足に噛みついた。

「何よ、この犬は!」

「お願いします!彼女を助けてあげてください!」

光男はあらためて、礼をした。

「わかったわ。」

お姉さんがそういうと、孔明は、お姉さんから離れた。お姉さんは、外へ出て、玄関先にあった軽自動車のエンジンをかけた。

「二人とも、早くのって。」

光男は、女の子を後部座席にのせ、孔明と一緒に飛び乗った。孔明は、女の子の額の傷口をなめている。お姉さんが、車を走らせた。町の中心部にいくと、買い物にいく人たちで混雑している。光男はじれったい気持ちになったが、それは仕方ないことだった。救急病院までは、40分かかった。

病院につくと、すぐに処置が行われた。光男も、お姉さんも、目が話せなかった。

「すみません!」

一人の女の人が、飛び込んできた。彼女のおかあさんであろうか、それにしては、ばかに若すぎる。

「うちの子が、ジャングルジムから落ちたって!まったく、なんて、バカな子なんでしょう!もう、公園には、いくなとあれほどいったのに!」

「ちょっとまってください。バカとはなんですか?」

光男は、おかあさんの言葉に、思わず反発してしまった。

「彼女は、落ちていたとき、もう意識がなかったんですよ!下手をしたら死んでいたかもしれない。それを何でバカというのですか!」

おかあさんは、女の子が落ちたのをいい迷惑と思っているのだろうか?何も逼迫した感じがなく、非常に困った顔をしている。

「あの子は、私の言うことを全然聞かないで、一人でジャングルジムに行ってしまったんです!足が悪いから、ジャングルジムなんか乗ってはいけないと、あれほどいいきかせたのに。まったく、落ちていいきみですよ!」

「だったら、おかあさんが、ちゃんと理由を伝えるべきです!いいきみなんて、冷たすぎますよ!」

光男は、あのおじさんの言葉を思い出していた。ある日突然、家族が死ぬかいきるかの瀬戸際になったら、いいきみなんて言ってはいけないはず。このおかあさんは、それがわかっていない。

女の子の処置は、思った程長くかかり、いつのまにか夕方になってしまった。太陽が、山に姿を隠そうとしたとき、孔明がまた吠え出した。

「孔明、どうしたんだ?」

お姉さんも心配そうな顔をしている。

ぎい、と、処置室のドアがあいた。

「先生!」

光男は、医師の前にかけよった。

「お陰さまで持ち直しました。頭だけではなく、内蔵も少し損傷していましたので、もう、だめかと思いましたけど。」

「じゃあ、うちの子は!」

おかあさんがさけぶ。光男はやっと安心した。

「大丈夫です。」

医師はにっこりした。

「ありがとうございました!」

光男は、医師に向かって最敬礼した。

「ありがとうございました!本当に、いい、お正月です。」

おかあさんが光男のてを握る。光男は嬉しいやら恥ずかしいやらで、顔を赤くした。

「よかったですね。」

あのお姉さんも、いまは、真剣な顔だ。

「もう、夜になっちゃう。帰らなきゃ。宿題、やってない。」

急に冬休みの宿題のことを思い出した。

「じゃあ、私が送っていきます。」

お姉さんがそう言ってくれたので、光男は孔明と車にのりこんだ。

しばらく走っていくうちに周りは真っ暗になってしまった。市街地を走り抜けると、光男の家が見えてきた。兄の部屋はまだ、明かりがついている。

「ありがとうございました!」

光男はお姉さんにお礼をいい、孔明と一緒に車を降りていった。







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