休憩室の真ん中

seitennosei

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健太はこちらに身体ごと向き直り、ベンチの上で胡座をかいた。
そして、背もたれに肘をかけながら「アンタ程の男が汐に本気なわけないよな?」と、再度念を押してきた。
偉そうな態度と、決めつけと、話の通じなさに、俺はやるせない怒りを感じはじめた。
「健太さん。俺の話聞いてましたか?」
「聞いてたよ。汐が合作だって例えもよくわかった。納得もしている。でもどうせ遊びなんだろ?悪戯に他人の作品に手を加えてみただけなんだろ?」
まるでお見通しだとでも言うかの様に、全くの見当違いを口にし、小馬鹿にした態度を見せてくる。
「汐は、可愛いよ。胸もデカいし、オシャレだ。でもそれだけなんだよ。一人じゃ何も出来ないし、面白い人間でもない。人の言いなりになるだけで、周囲に対しての影響力は持っていない。容姿の良さ以外に求心力も何もない。アンタみたいな男ならもっと良い女選べるだろ?」
俺は言葉を失った。
何なんだコイツ。
気持ち悪く執着し、付き纏っている側の人間の癖に、よくもそこまで見下した発言ができるもんだ。
それに俺より昔から見ている癖に、汐ちゃんのことを全くわかっていないじゃないか。
汐ちゃんは面白い。
俺はいつも笑顔にしてもらっている。
汐ちゃんは強い。
今も一人でなんとかしようと頑張っている。
汐ちゃんは影響力を持っている。
出会ってからのこの短期間で、俺の考え方を一変させた。
そのどれも、一つとしてコイツはわかっていないのか?
心配になり、隣の汐ちゃんを見る。
押し黙って下を向いていた。
俺は小声で囁く。
「聞くな。言っていることは全部でたらめだ。」
汐ちゃんに反応はない。
かわりに健太が反応する。
「そうやって気遣うふりして、たらし込むんだな。汐みたいな何もない女を王子様気取りで助けてやれば気持ちいいもんな。」
ダメだ。
震えがくる程腹が立つ。
もう平静を保てない。
思わず健太を睨みつける。
対抗する様に顔を醜く歪ませ、これ以上ない程に口角を釣り上げた笑いが返ってきた。
その姿に鳥肌が立つ。
「汐。わかったろ?お前程度の女に、こんな色男が本気な訳ないだろう。傷付けられて一人になる前に戻ってこい。汐は一人じゃ何にも出来ないんだからな。」
「だったら俺にくれよ。」
「あ?」
「俺にくれって言ったんだよ。」
我慢の限界だった。
本当はもっとスマートに解決したい。
もっと穏便に、そして確実に決着を付けたい。
そう思っていたのに。
海みたいに相手の選択肢を潰して、自ら後退を選ばせたかった。
だけど、汐ちゃんが目の前で酷い言葉を浴びせられているのに、とても黙っていられない。
「そんなに何も出来ない人間ならいらないだろう?俺にくれよ。」
喧嘩に慣れていないせいで、怒りの表現の仕方がわからない。
力の入った手がプルプルと震えた。
急激な俺の変化に、健太も勢いをなくし、オタオタと目を泳がせている。
「一方的に汐ちゃんに施しを与え、芸術っていう高尚な世界に身を置いているお前はさぞかし完璧なんだろうな。だったら俗物に執着しないで一人で生きていけよ。」
立ち上がり、健太の前まで行く。
そしてベンチに呆然と座り込んでいる奴を見下ろす。
「俺は汐ちゃんに貰ってばっかりだよ。与えることが出来たものの方が圧倒的に少ない。汐ちゃんはダメな人間じゃない。今いる場所には汐ちゃんの能力を必要としている人が沢山いる。お前にとって汐ちゃんは一方的に施してやるだけの存在だって言うなら、俺にくれよ。」
耳に届く自分の声が震えていて気付いた。
俺、泣いてる。
これまでの汐ちゃんの苦しみや孤独を思うと悲しくなった。
こんな奴が一度でも汐ちゃんに思われていたのに、俺は拒否られたんだって事実を思い出して悔しくなった。
純粋に汐ちゃんが好きすぎて切なくなった。
なんとしても汐ちゃんにまた笑って欲しくて必死になった。
色んな想いが一気に溢れて、情けないことに泣いてしまった。
こうなったら格好つけたって意味はない。
俺は健太に向かい、ガバッと頭を下げた。
「俺には汐ちゃんが必要なんだよ。大切にしないなら俺にくれよ。頼む。」
あんなに考えて、設定もキャラも作って挑んだのに、結局最後は素に戻って懇願することになってしまった。
恥ずかしくて顔が上げられない。
健太は何も言わない。
万策尽きた。
この先どうやって説得しようか。
そう考えていると横から声がした。
「健太。」
いつの間にか汐ちゃんが俺の隣に立っていた。
「健太といる時本当に楽だった。全部健太が決めてくれて、何でもしてくれて。だから健太がいなくなった時、どうやって生きたらいいのかわからなくて怖かった。健太は別れた後のこと『余所見』って言ってたけど、私にとってはそんな一瞬のことじゃなくて、急に寒い所に裸で放り出されたみたいで、ずっと不安だった。」
「ああ、わかってるよ。だからまた俺が全部引っ張ってやるから。もう放り出したりしないから。」
汐ちゃんの変化に焦ったのか、縋る様な声を出しながら、健太も立ち上がった。
汐ちゃんは一瞬だけビクッと身を強ばらせた後、右手で俺の左手を取った。
そして毅然と前を見据える。
「今いる人達は、指示じゃなくて『どうしたい?』って最初に聞いてくれるの。全部自分の責任だし、間違って反省することも沢山あるけど、私が考えて言った言葉や行動で誰かが喜んでくれるのが本当に嬉しい。『導いてやる』じゃなくて、『必要』って言ってくれるのが本当に嬉しい。」
健太は絶望した顔で汐ちゃんを見ていた。
今になってようやく、汐ちゃんが自分の物でないと理解したのかもしれない。
「だから、もう健太の元には戻らない。逃げないでもっと早くちゃんと言えば良かったね。健太、バイバイ。」
そうハッキリと宣言すると、汐ちゃんは俺の手を引いて、一度も振り返らずに公園を後にした。
俺は何度か振り返って健太を見た。
一度目に振り返った時は呆然と立ち尽くしてこちらを見送っていた奴が、次に振り返ったらベンチに座って天を仰いでいた。
それ以降は何度見ても同じ状態で動く気配はない。
流石の健太も、汐ちゃんの別れの言葉には堪えたのだろう。
嫌がらせや暴言で汐ちゃんが受けた傷を考えれば、奴が今味わっている挫折にも同情の余地はない。
それでも、あの落胆ぷりを見ると憐れみの感情が少し芽生えてしまった。

「ふふっ…。高橋さん。」
公園を出て健太が見えなくなった頃、汐ちゃんが笑い出した。
「可愛すぎますよ。急に泣いちゃうんですもん。」   
「…。」
恥ずかしさで言葉の出ない俺をクスクスと笑い続けている。
「最初は付き合ってる設定で呼び捨てだったのに、途中からちゃん付けにもどっちゃうし、まるで片思いしてるみたいな話になってくるし。」
「…う、うるせぇ。」
そっぽを向いて目を合わせないでいると、その前に回り込んで汐ちゃんが見上げてきた。
「高橋さん。ありがとうございます。」
そう言っていつもの可愛い顔で微笑んだ。
あんな残念な感じでも、結果として俺は役に立ったのだろうか。
まだ完全には解決していない。
話の通じない健太のことだ。
今は大人しくても、明日からどうなるのかは全くわからない。
それでも、長いこと汐ちゃんが怯えて言えずにいた思いを直接吐き出せたことは良かった。
それに汐ちゃんに笑顔が戻って俺も嬉しい。
「汐ちゃんが無事で良かったよ。」
対照的にぐったりしてしまった俺は弱々しく笑った。
汐ちゃんは前に向き直ると、再度俺の手を引いて歩き出す。
「もう汐って呼んでくれないんですか?」
「え?」
一瞬言われている意味がわからずに聞き返す。
「高橋さんの声で汐って呼ばれるの好きなんだけどな…。」
一歩前を行く潮ちゃんが、耳まで赤くした顔で振り返り、上目遣いに見てきた。
「…う、汐。」
恐る恐る呼んでみる。
「はい。」
満面の笑顔が返ってくる。

ああ、俺はコレを取り戻したくて、今日頑張ったんだ。
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