傾く方へ

seitennosei

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傾く方へ。

愛されている。

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横浜に異動してから半年。
私は今ビル近くにあるホテルのホールに居る。
ひとつのホールを貸し切り全てのテナントの副店長が集まる会議がこれから行われる。
毎月開かれている店長会議とは別に三ヶ月ペースで開かれているこのサブ会議。
これが私にとって3回目のサブ会議になる。
前のビルでも毎月の店長会はあったけれど、サブ会議やこんな大規模なものがあったのかは当時役職なしのアルバイトだった私には分からない。
会場が大きすぎて、近場のテナントの副店長さんや、顔見知りのスタッフも見当たらない中、特に席の指定は無いので端っこの後ろの方に一人寂しく腰を下ろす事にした。
目の前のテーブルには資料が置いてある。
始まるまでにはまだ少し時間があるので、手持ち無沙汰な私は資料に目を通し始めた。
周囲はガヤガヤと騒がしい。
段々と人が増えてきたのが顔を上げなくても分かる。
そろそろ私の隣にも誰か座るかな?
丁度そう思った頃。
カタッと小さな音を立て微かにテーブルが振動する。
そして「ここ良いですか?」と頭上から、思いがけない低くて懐かしい声が降ってきた。
まさか…。
着席は自由なのだから早くどうぞって言わないと。
それなのに声が出ない。
顔も上げられない。
だって声が…。
絶対にそんなわけないのに。
恐る恐る視線を少し上げてみる。
テーブルに着いている手が見えた。
白くて細いのに骨ばっているそれに、ギラギラのシルバーリング達。
そして手首には見覚えのある分厚い革ベルトの腕時計。
嘘だ。
何でここに?
「もしもーし。ここ、良いですか?」
「ダメです。」
「ふはっ…。」
顔を上げないまま冷たく言い放った私に吹き出したその人は、勝手に隣の椅子を引き腰を下ろす。
「相変わらず可愛げがないな。」
優しい声がすぐ隣から響いてきた。
私は「可愛くなくて結構です。」とそっぽを向いてムクれる。
その人はそれを手で無理矢理自分の方へ向け目を合わせると、「可愛くないとは言ってない。」と笑った。
ああ。
今、目の前に木内さんが居る。
笑顔で私を見つめる木内さんが。
ずっと会いたかった木内さんが。
「木内さん…。」
私は人目も憚らず泣いた。


会議が終わりホールからビルへ戻る道中。
オシャレな横浜の街を横目に、様々なテナントの副店長さん達がぞろぞろと歩いて行く。
仲の良い人同士で話しながら歩く者達や、1人で足早にビルへ向かう人など、各々が自由に振る舞う中。
私と木内さんは横に並んで歩いていた。
「ちょっと、着いて来ないで下さい。」
「相変わらずの自意識過剰ちゃんだな。俺もこっちなだけなんだけど。」
「じゃあ離れて歩いて下さい。」
「離れたきゃそっちが離れればいい。得意だろ?離れて行くの。」
嫌味たらしく笑う木内さん。
離れて行くって…。
そうさせたのは誰だよと言いたい。
「そんな事言っといて…本当は離れたら嫌な癖に。だからここまで追って来たんでしょ?」
「そうだよ。」
嫌味を返すつもりで言ったのに、急に素直に認めるから面食らってしまう。
「離れたきゃ離れればいいって言葉は本心だよ。どれだけ離れて行ったって絶対に捕まえるから。」
「木内さん…。」
「俺はしつこいからな。」
海側から強い風が吹く。
潮風に乗って隣の木内さんからあの匂い。
胸が締め付けられる。
目頭が熱くなって視界がぼやけた。
前が良く見えないまま木内さんのTシャツの裾を掴む。
立ち止まって私の顔を覗き込んでくる彼。
ぼやけた木内さんが笑顔で言った。
「あー、この顔久しぶり…。勃ちそう。」
「ほんっと、最低!」
「いてっ。」
あんまりな言葉に私は怒った。
べしっと音を立てて木内さんの顔面を手のひらで押し退ける。
この人ここまで何しに来たの?
私の事が好きだから追って来たんじゃないの?
この期に及んで真剣味が一切感じられない。
ハッキリ好きとも言ってくれないし、これからどうするつもりなのかも分からない。
さっきは再会出来た感動で絆されそうになったけれど、そもそも私達は出会いも離れる時も最悪だったじゃないか。
そしてこの人は一貫してずっとクズ野郎だった。
結局どうしたいの?
顔にあった私の手を掴み、飄々とした雰囲気でまた笑いかけてくる。
「ねぇ、もっと泣き顔見せてよ。」
愉しそうな表情。
本当に腹が立つ。
悔しい。
それでも私は…。
「好き。」
そう口にした瞬間、今までに見たことの無い顔をして木内さんは固まった。
いい気味だ。
ざまあみろ。
私だって振り回されてばかりじゃない。
「木内さんが好きです。」
追い打ちをかける様に続けると木内さんは私から離れ、バッと背を向け天を仰いだ。
「木内さん?」
手に持っていた会議資料で顔を隠し必死にこちらの呼び掛けを無視している。
だけど耳が真っ赤だ。
なんだ、この反応。
可愛いが過ぎるだろう。
やっぱり木内さんて私の事めちゃくちゃ好きなんじゃん。
「木内さん、顔見せて下さい。」
「無理!」
木内さんはバサッと資料を顔から剥がすと「あー、くっそぉ…。」と悪態を吐きながら先を歩き出した。
並んで歩き横顔を見る。
もういつもの涼し気で綺麗な横顔。
だけど耳はまだ赤い。
悪戯心が湧く。
「木内さん?」
「んー?」
こちらを見ないまま応える彼にしつこく呼びかける。
「木内さん!」
「何だよ!?」
振り向いた顔。
それを見詰め笑顔で言う。
「大好きです。」
一瞬にして真っ赤になる顔。
それを情けなく歪ませた後、木内さんは「もぉー、勘弁してくれ…。」と弱々しい声で呟いた。
そしてそれきり何も反応してくれない。
だけどいつの間にか繋いでくれた手が熱くて。
私は愛されているなって思った。
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