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【1章】萩乃の日常と初めてのゲーム
4.深い兄の愛情&初挑戦のババロア
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夕食後一番に、兄がゲームの購入手続きをしてくれた。
一般消費者の場合、ゲーム専用カプセルの到着は現在のところ、およそ三週間の待ち状態にあるらしい。ところが、アステロイドゲームスでかつて優秀な開発者であった兄の顔が利き、特別待遇で明後日届くことになった。兄の元上司で今は販売部長をしている人が取り計らってくれたそうだ。
そしてサポート担当者には、兄の一年後輩の人が選ばれた。明日さっそくカプセルの設置準備をするため、挨拶を兼ね猪野家にやってくることが決まった。
「吉兆寺桜さんといって、二十四歳の明るい女性だよ。根が真面目で、きっと萩乃とも馬が合うことだろう」
「そうでしょうか?」
「もちろんだとも。なにも心配はいらないさ。だから萩乃は大船に乗ったつもりでいるといい。あははは」
「はい。お兄様」
兄が心配ないと言うのだから、なにも案ずることはない。
無事にゲーム購入手続きを終えたので、萩乃は予定通り、ババロアを作るために厨房へ向かった。
兄は自室で、毎晩の日課にしている日記を書き始める。
いつもその内容のほとんどが萩乃のことだ。涙を堪えながら、妹の短くも美しい人生として日々綴っているのである。
今夜はとりわけ書くことが多い。最近ではほとんど見せることのない、あの元気だった頃のような、無邪気な振舞いを見せたこと。喫茶店の味に負けまいと、懸命になってババロアを作っていること。そんな萩乃を陰で応援したいと思った兄が、こっそり厨房の隅に隠れて見ていたので、すぐに気づいて「もう、覗いちゃダメですよう!」と言って追い返したこと。明日の朝のデザートとして出すので「お楽しみになさっていて」と約束したこと。
それからもう一つ、大森くんのゲームをやる気になったこと。兄は特にこれを嬉しく感じたのであった。突発性夢遊テレポーテーション能力は、決して「伝染病」などではないため、外出を禁ずるなどの法的措置は一切採られていない。萩乃が高校へは行かないと決心したのは、自由意志によるものだ。同年代の人たちに能力を移してしまうと、その子たちが自分と同じように、数年以内に命を落とすことになるからだ。そうならないように、萩乃自身で外出を禁じたのであった。
突発性夢遊テレポーテーション能力を会得するということは、それは「感染させられた」のではなく、自らの自由意志で受け取ったのである。だから移した側にしてみれば、なんら良心に呵責を感じる必要は毛頭ない。しかし、萩乃は一貫してそういう考え方をしない、まるで天人のような性格を持っているのだ。兄は、そんな妹の姿勢を立派だと誇りにすら思っている。その一方で、狭いカゴの中の小鳥になってしまっている萩乃の姿を見るに堪えないのであった。
これまで萩乃は、兄からゲームを勧められたことは一度もない。だが兄は、たとえ異世界の中でも、再び萩乃に元気な姿で外を駆け回って欲しいと、ただ心の奥底から願い続けている。その思いで、それとなく可算無限世界帯域利用型ゲームについて、萩乃に何度か話してくれた。昨日もさりげなく雑誌を買ってきて手渡してくれたのだった。こういう兄の深い愛情をヒシヒシと感じながら、萩乃は厨房で美味しいババロアを作っているのである。
∞ ∞ ∞
朝食を終える頃合いを見計い、萩乃渾身のババロアが運ばれてくる。
冷蔵庫で一晩冷やされていたものだ。
「さあさ、お兄様。どうぞ、お召し上がりになって」
「うん。どれどれ」
兄は舌鼓を打った。
銀の匙を片手に、まずは色・艶・形を鑑賞している。
「お兄様?」
「うん。この造形美は、兄さんが昨日見たババロアに勝るとも劣らない表現力を有している。なかなかどうして、これはよいババロアだ。あははは」
「もうダメですよう、そのようなご冗談ばかり!」
「はっはは、失敬失敬」
ようやく兄は止めていた匙を動かし、一口分をすくい取って口に運ぶ。
萩乃はそんな兄の顔を、少し緊張しながら見つめている。
「おお萩乃、これは兄さんが昨日食べたババロアの三倍は美味しい!」
初挑戦のババロア。兄から文句なしの花マルをもらえた。
「お兄様ったら、三倍というのは大袈裟ですわ」
「本当に美味しいのだよ。ありがとうな、兄さんのために……」
兄は涙を堪えるのに精一杯だ。歯を強く強く、噛み続けるのだった。
一般消費者の場合、ゲーム専用カプセルの到着は現在のところ、およそ三週間の待ち状態にあるらしい。ところが、アステロイドゲームスでかつて優秀な開発者であった兄の顔が利き、特別待遇で明後日届くことになった。兄の元上司で今は販売部長をしている人が取り計らってくれたそうだ。
そしてサポート担当者には、兄の一年後輩の人が選ばれた。明日さっそくカプセルの設置準備をするため、挨拶を兼ね猪野家にやってくることが決まった。
「吉兆寺桜さんといって、二十四歳の明るい女性だよ。根が真面目で、きっと萩乃とも馬が合うことだろう」
「そうでしょうか?」
「もちろんだとも。なにも心配はいらないさ。だから萩乃は大船に乗ったつもりでいるといい。あははは」
「はい。お兄様」
兄が心配ないと言うのだから、なにも案ずることはない。
無事にゲーム購入手続きを終えたので、萩乃は予定通り、ババロアを作るために厨房へ向かった。
兄は自室で、毎晩の日課にしている日記を書き始める。
いつもその内容のほとんどが萩乃のことだ。涙を堪えながら、妹の短くも美しい人生として日々綴っているのである。
今夜はとりわけ書くことが多い。最近ではほとんど見せることのない、あの元気だった頃のような、無邪気な振舞いを見せたこと。喫茶店の味に負けまいと、懸命になってババロアを作っていること。そんな萩乃を陰で応援したいと思った兄が、こっそり厨房の隅に隠れて見ていたので、すぐに気づいて「もう、覗いちゃダメですよう!」と言って追い返したこと。明日の朝のデザートとして出すので「お楽しみになさっていて」と約束したこと。
それからもう一つ、大森くんのゲームをやる気になったこと。兄は特にこれを嬉しく感じたのであった。突発性夢遊テレポーテーション能力は、決して「伝染病」などではないため、外出を禁ずるなどの法的措置は一切採られていない。萩乃が高校へは行かないと決心したのは、自由意志によるものだ。同年代の人たちに能力を移してしまうと、その子たちが自分と同じように、数年以内に命を落とすことになるからだ。そうならないように、萩乃自身で外出を禁じたのであった。
突発性夢遊テレポーテーション能力を会得するということは、それは「感染させられた」のではなく、自らの自由意志で受け取ったのである。だから移した側にしてみれば、なんら良心に呵責を感じる必要は毛頭ない。しかし、萩乃は一貫してそういう考え方をしない、まるで天人のような性格を持っているのだ。兄は、そんな妹の姿勢を立派だと誇りにすら思っている。その一方で、狭いカゴの中の小鳥になってしまっている萩乃の姿を見るに堪えないのであった。
これまで萩乃は、兄からゲームを勧められたことは一度もない。だが兄は、たとえ異世界の中でも、再び萩乃に元気な姿で外を駆け回って欲しいと、ただ心の奥底から願い続けている。その思いで、それとなく可算無限世界帯域利用型ゲームについて、萩乃に何度か話してくれた。昨日もさりげなく雑誌を買ってきて手渡してくれたのだった。こういう兄の深い愛情をヒシヒシと感じながら、萩乃は厨房で美味しいババロアを作っているのである。
∞ ∞ ∞
朝食を終える頃合いを見計い、萩乃渾身のババロアが運ばれてくる。
冷蔵庫で一晩冷やされていたものだ。
「さあさ、お兄様。どうぞ、お召し上がりになって」
「うん。どれどれ」
兄は舌鼓を打った。
銀の匙を片手に、まずは色・艶・形を鑑賞している。
「お兄様?」
「うん。この造形美は、兄さんが昨日見たババロアに勝るとも劣らない表現力を有している。なかなかどうして、これはよいババロアだ。あははは」
「もうダメですよう、そのようなご冗談ばかり!」
「はっはは、失敬失敬」
ようやく兄は止めていた匙を動かし、一口分をすくい取って口に運ぶ。
萩乃はそんな兄の顔を、少し緊張しながら見つめている。
「おお萩乃、これは兄さんが昨日食べたババロアの三倍は美味しい!」
初挑戦のババロア。兄から文句なしの花マルをもらえた。
「お兄様ったら、三倍というのは大袈裟ですわ」
「本当に美味しいのだよ。ありがとうな、兄さんのために……」
兄は涙を堪えるのに精一杯だ。歯を強く強く、噛み続けるのだった。
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