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下拵えE⑨

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 七月に入り、もう何度目になるかわからないランバルト公爵家での、カイルとララスティのお茶会。
 そこにエミリアが参加することに慣れきってしまったカイルであったが、別邸の玄関まで迎えに来たララスティが、部屋に案内だけして離れようとするのを見て、思わずその腕を掴んでしまう。

「ララスティ嬢、どこに行くつもり?」
「少し、用事がありますの。中にはいつものようにエミリアさんがいますので、安心してくださいませ」

 どこか悲しそうな笑みを浮かべながら言うララスティに、カイルが戸惑ってしまう。
 いままでも途中で退席することはあっても、最初からいないということはなかった。

「僕は君との親睦を深めるために来たんだよ……。確かにエミリア嬢はいつも参加しているけど、僕の目的は———」
「もうっ、部屋の前でなにしてるんですか? 早く入ってくださいよ、カイル殿下! あ、お姉様は忙しいんですよね」

 カイルが何かを言いかけた時に部屋のドアが開き、エミリアが顔を出すとカイルの腕を引く。
 その隙にララスティは自分の腕からカイルの手を外し、エミリアに向けて「では、楽しんでくださいませ」と言ってから離れていった。

「ララスティ嬢!」
「もうっ、お姉様はいいじゃないですか! ほら、今日はあたしがお茶を淹れますね!」

 エミリアは少し強くカイルの腕を引いて部屋に招き入れると、そのまま扉をしっかりと閉める。
 部屋に入ればソファーの隣にエミリアが座る。

「エミリア嬢、君は婚約者じゃないんだ。控えてくれ」

 カイルが言うとエミリアが「大丈夫です」と笑顔になる。

「お姉様が、カイル殿下が受け入れてくれれば応援するって言ってくれました!」
「……ララスティ嬢が?」
「はい! だって、お姉様はカイル殿下を愛してないんですよ。だから、カイル殿下を好きなあたしに譲ってくれるんです!」

 エミリアの言葉にカイルは硬直してしまう。

(僕を、譲る・・? ララスティ嬢がそう言った? 本当に?)

 当たり前のように譲ってもらうと言うエミリアに、カイルは思わず立ち上がり、ソファーを大きく回って扉に向かう。

「カイル殿下?」
「ちょっと失礼する。頭を整理する時間が欲しい」
「え?」

 カイルは驚くエミリアを置いて部屋を出ると、外で待機しているメイドにララスティの居場所を尋ねた。
 自室にいると聞かされたカイルは、メイドにララスティの部屋までの案内を頼んだ。
 メイドがララスティに確認を取らずにカイルを案内することに疑問すら抱かず、カイルはララスティの部屋の前に立つ。
 ゆっくり深呼吸をすると、控えめに目の前の扉をノックする。

「……どうぞ」

 中から静かな声が聞こえてくれば、カイルは慎重に扉を開け、半開きにしたまま入室した。

「カイル殿下、どうかなさいましたか?」

 穏やかな笑みを向けてくるララスティに、カイルはぎゅッと奥歯を噛みしめた。

「エミリア嬢が、……ララスティ嬢が僕を譲ると言っていたと……」
「いいえ、カイル殿下はものではありませんもの。譲る譲らないの問題ではないとはいいましたわ。けれど、エミリアさんはカイル殿下を愛している相手と結ばれるべきだとおっしゃって、わたくしに邪魔をするなと……。だから」
「だから僕とエミリア嬢を二人にしたのかい? 僕の気持ちを聞かずに? 君は本当にそれでいいの? エミリア嬢にまた奪われるんだよ?」

 カイルは泣きそうな顔でララスティの腕を掴んで言うが、ララスティも泣きそうな表情で首を横に振る。

「お約束ですもの。カイル殿下に本当に想う人ができれば、わたくしは婚約解消に向けて協力すると。その相手がエミリアさんでも同じことですわ」
「僕はっ……僕がどうしてエミリア嬢を好きな前提で話すの?」

 ぐっとララスティの腕を強く握ってカイルが訴えると、ララスティは涙を一筋流す。

「カイル殿下は、エミリアさんに頼られて嬉しそうになさっていますわ。その感情は、わたくしでは引き出すことができないものです」

 声を震わせて言うララスティを見て、カイルは胸の奥がドクリと高鳴ってしまう。

「だから、カイル殿下がエミリアさんを望むのであれば、ちゃんとご協力いたしますわ。でも、わたくしが協力するのはあくまでもカイル殿下にです。カイル殿下が望まないのであれば……今からでもお茶会に参加いたします。……エミリアさんもわかってくださいますわ、だって……家族ですもの」

 そう言って笑みを浮かべたララスティの体が震えていることに気づき、カイルは思わずララスティを抱きしめてしまう。

「家族だからって、ララスティ嬢ばかりが我慢する必要なんてないよ」
「いいえ、カイル殿下だってご存じではありませんか。エミリアさんだって苦しんでいますわ。今までの環境のままではよくないと気づき、殻を破ろうとしております。そう導いてくださったのは、わたくしではなくカイル殿下です。わたくしが同じことを言っても、エミリアさんには…………届きませんの」

 震える声でララスティはそう言うと、カイルの胸の中で涙を流す。

「わたくしは、エミリアさんに家族として認められていませんのね、きっと……。いいえ、お父様にもお義母様……クロエ様にも認められていない。わたくしは、この家で独りぼっちですわ……」
「ララスティ嬢……」
「でも、それでもわたくしは…………わたくしは、諦められなくて……。少しでも良く思ってもらおうと愚かな選択をしてしまいますの。なにをしても、意味などないでしょうに」

 震えるララスティの肩をカイルは強く抱きしめる。

「僕がエミリア嬢に話してみるよ。君はこんなにもエミリア嬢を思っているんだって、ちゃんと伝えてくる」
「カイル殿下」

 カイルはそう言うとララスティの体を離し、顔を覗き込む。
 そこにはいつかのエミリアのように、涙を流して目元を赤くしているララスティの顔があった。
 そのことに胸が苦しくなりながらも、カイルは「任せて」と言って部屋を出ていった。

(ふふ、涙を流すのが得意なのは、エミリアさんだけではありませんの)

 ララスティはしっかりと扉が閉まったのを確認して、くすりと笑った。

 その頃、元の部屋ではエミリアがイライラとしながらカイルを待っている。
 あの後すぐにカイルを追いかけようとしたが、別邸に来た時は必ず案内が付いていたため、どこになんの部屋があるのかわからない。
 捜し歩いている間にカイルが戻って来ても意味がない為、エミリアはただひたすら部屋で待つしかなかった。

(邪魔しないって言ったのに、結局邪魔してるじゃない)

 エミリアは自分の爪を噛んでイライラを誤魔化しながら、何度も扉を見て、いつカイルが戻って来るのかを気にしてしまう。
 ずいぶん待たされているような、それでいてあまり時間が経っていないような奇妙な感覚に、余計に苛立ってしまう。

(お姉様が婚約者のままだからカイル殿下が気にしちゃうのよ。早くあたしに譲ってくれればよかったのに。そうすればこんな面倒なことにならなかったのよ)

 同じランバルト公爵家の娘であれば条件は同じだとアーノルトは言っていた。
 だからエミリアは自分でもカイルの婚約者になれると信じている。
 むしろ、カイルを愛している自分こそが婚約者にふさわしいと思っている。
 イライラする気分が収まらず、立ち上がって廊下を確認しようと思った瞬間、扉がノックされた。
 思わず扉に飛びつき、勢いよく開ければ、そこには少し驚いたようなカイルがいて、エミリアは思わず涙を流してしまう。

「エミリア嬢!? どうしたんだい?」
「あ、あたし……そのっ……不安で……」

 咄嗟に不安と口にして、エミリアは顔を俯かせた。
 その様子にカイルは動揺しながらもソファーに座るように言い、エミリアが座ったのを確認してから対面に座った。

「どうして、隣に座ってくれないんですか?」
「何度も言っているけど、僕たちは婚約者でもなんでもない。節度は守るべきだよ」

 カイルはそう言って部屋の扉が半分開けたままになっていることを確認する。

「ララスティ嬢から聞いたよ。……彼女を邪魔もの扱いしたんだってね」
「っ……ち、違います! あたしはただカイル殿下と一緒に居たくて、お姉様にそう言っただけなんです!」
「その言葉が、ララスティ嬢を傷つけたかもしれないのに?」
「え?」

 エミリアはカイルの言葉にきょとんと首をかしげてしまう。

「ララスティ嬢は、自分が受け入れられないとわかっていても、君たち家族を大切に思って尊重している。今だって、妹である君の願いを叶えるために苦しんでいるんだ」
「カイル殿下、何を言っているんですか? お姉様は自分からあたしとカイル殿下が会う機会を作ってくれてるんです。それって、あたしにカイル殿下を譲った証拠じゃないですか」

 エミリアはそう言ってソファーから身を乗り出すが、カイルはエミリアを手で制した。

「わかりません。なんでお姉様が傷つくんですか? お姉様はカイル殿下を愛していないじゃないですか。婚約者じゃなくなったって平気なはずです」
「そうじゃない!」

 カイルは声を大きくしてエミリアを睨みつける。

「君がしていることは、何も変わってない。ララスティ嬢なら、君に譲るのは当たり前だと思ってるじゃないか」
「それはっ」

 カイルの言葉にエミリアは咄嗟に言い訳が出ずに言葉に詰まってしまった。
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