上 下
55 / 85
美しく咲かせるために

愚者か悪か①

しおりを挟む
(どうしてっどうしてお姉様ばっかり!)

 エミリアは悔し涙を流しながら森の道を走る。
 ただ気になるカイルと一緒に居たかっただけなのに、カイルはエミリアを気にも留めない。
 平民だった頃はこんなことはなかった、と思ってしまう。
 ずっとお姫様のように扱われ、だれもがエミリアの要望を叶えようと我先に動いていた。
 それが貴族になって、社交界に出るようになって変わってしまった。
 アーノルトやクロエは別だが、誰もがララスティを優先し、エミリアは二の次。
 勉強や人付き合いなど気を張ることが多く、息抜きもろくにできない。
 そんな中で気になり始めたカイル。
 いつものように、当然自分を優先してくれると思ったのに、それはエミリアの勘違いだった。

(あたしだってがんばってるのに!)

 走り疲れ、「はあ」と息を吐きだした足を止める。
 近くの樹にもたれかかるように座り込み、「なんでよ」と呟く。
 もっと思い通りになるはずだった。
 今回の旅行について来たのだって、少しでもカイルとの距離を縮めたかったから。

「ランバルト公爵家の令嬢なら、あたしだっていいじゃない」

 不貞腐れたように呟き、落ちている枝で地面をつつく。
 アーノルトは、ララスティがカイルの婚約者なのはランバルト公爵家の娘だからと言っていた。
 それならば同じ公爵家の娘である自分でもいいはずだと、エミリアは勝手に思い込む。
 本当はララスティの血筋こそが重要なのだが、そのことをアーノルトもララスティも知らない。

「どうしてお姉様ばっかり……」

 初めて会ったとき、ララスティを見て本物のお姫様だと思った。
 そんなララスティの持ち物を好きにしていいとアーノルトに言われ、なんの罪悪感もわかなかった。
 だって、ララスティがいなければ本当なら全てエミリアの物だと言われたから。
 だから他人が奪ったと言ってきても、エミリアからしてみれば返してもらった感覚でしかない。

「みんなわかってくれない」

 エミリアはため息をついて枝でさらに地面をつつく。
 しかし、ララスティやルドルフに言われ、カイルに責められてその考えも揺らいでいる。
 自分は特別ではないのかもしれない。
 そう考え始めているのだ。

「あーあ、ハンカチ……また受け取ってもらえそうにないな」

 エミリアはポケットからハンカチを包んだものを取り出してため息をつく。
 以前ララスティのところから貰った・・・刺繍糸が余っていたので、あの後もまた刺繍をした。
 少し絵柄がよれてしまったが、愛嬌の範囲内で収まると自分で包んだ。
 カイルにプレゼントしようとずっとポケットに入れていたが、渡すタイミングが見つからない。

(がんばってる、よね? あたし……)

 しょんぼりと肩を落とし、手にした枝を落とす。
 ハンカチをポケットに戻すと、エミリアは「あーあ」と声を出して空を見た。

「ばっかみたい」

 なんのために頑張っているのだろう。
 公爵令嬢として皆に褒められるため? がんばって偉いと言われるため?
 ララスティに負けなようにするため?

「わかんないよ……どうしたいのかなんて……わかんない」

 ずっとアーノルトの言うように生きてきた。
 それで十分だと思っていたから、周囲がそれでいいと言ってくれていたから。
 でも貴族になってそれだけではうまくいかないことが増えてしまった。
 エミリアが深くため息をついた瞬間、ポツリと頬に水滴が当たる。

「え?」

 目を凝らしてみれば、少しずつ雨粒が空から落ちてくるのが見え、エミリアは「うっそ!」と声を上げてしまった。

「もうっ! なんでよ!」

 八つ当たりのように言うとエミリアは立ち上がってきょろきょろと当たりを見渡す。
 どんどん強くなる雨足に焦りが強くなり、とにかく雨宿りをしようと考え始めたところで、バシャバシャとこちらに近づいてくる足音が聞こえ、びくりと体を揺らしてしまった。

(だ、だれ?)

 不安そうに音の方を見れば、そこにはカイルが走って近づいてくるのが見え、エミリアは思わず「カイル様!」と大声を出した。

「エミリア嬢!?」

 カイルの驚きの声と近づいてくる足音にエミリアはほっと肩の力を抜く。
 その時、初めてルドルフの言葉を理解できた気になった。
 親しくないものが駆け寄ってくる恐怖。
 それが高貴な身分であれば暗殺や誘拐の可能性もあり、その恐怖はもしかしたら今自分が感じたもの以上なのかもしれない。

(あたし、とんでもないことしてたんだ)

「まったく、こんなところに居たのか」
「あの、こんなところって?」
「道を外れてる、というか……わき道にそれているよ」
「ええ!?」

 思いがけないことを言われ、エミリアは自分が辿ってきた道を見るが、いつの間にか違う道を走っていたようだ。

(全く気付かなかった)

 もしカイルが来なかったら迷子になっていたかもしれないと、思わずぞっとする。

「はあ、とにかく雨も降ってきたし……」

 カイルがそう言ったところで、護衛が近くにある小屋の話をする。

「小屋? わかった……とりあえずそこで雨宿りをしよう」

 そう言ってカイルは動かないエミリアを見る。

「いかないのかい?」
「え、あたしも行っていいんですか?」
「こんなところに一人で置いて行ったら僕がララスティ嬢に責められてしまうからね」
「あ……そう、ですね」

 エミリアは一瞬俯いた後、パッと顔を上げてにこりと笑う。

(あたしを助けてくれるのは、お姉様のためか)

 その事実に胸が痛くなるが、ここで泣いてもきっと迷惑だとエミリアは泣くのを我慢した。
 カイルと共に移動し、小屋に到着したころには二人ともずぶぬれになってしまい、護衛が暖炉に火を入れる。

「寒いだろう、上着は脱いだ方がいい」
「あ、はい」

 エミリアは言われたとおりに上着を脱ぎ、近くに来た護衛に渡す。
 カイルも上着を脱いで護衛に渡し、ため息を吐きだした。

「まったく、すぐに止むといいんだが……」

 カイルがそう言って窓の外を見た瞬間、ぽたりと髪の毛から水が垂れたので、エミリアは咄嗟に「これ!」とハンカチの包みを差し出す。

「よかったら使ってください!」
「……それは、ハンカチかい?」
「はいっ!」
「悪いけど」

 カイルはそっけなく言うと、自分のポケットからハンカチを取り出して髪の水滴を拭う。
 そのハンカチには綺麗な刺繍が施されており、エミリアはハッとしてしまった。

「そのハンカチ……」
「ララスティ嬢からのものだ」

 当然のように言うカイルにエミリアは胸が痛くなった。
 自分の刺繍とは比べ物にならない、お店で売っているようなきれいな刺繍。
 途端に自分の拙い刺繍が恥ずかしくなってしまい、エミリアはハンカチを慌ててポケットにしまう。

「……君は?」
「え?」
「君こそ水気を拭わなくていいのかい?」
「あ……」

 そこでエミリアは自分用のハンカチを忘れている事に気が付いた。

「あの、あたしは大丈夫です……」

 本当は意識した途端に張り付く髪や服が煩わしく感じてしまったが、まさかハンカチを忘れたとも言えず、「えへへ」と笑った。
 その態度に、なんとなく事情を察したカイルが「先ほどのハンカチを使えばいい」と言ったので、エミリアはショックを受けてしまう。

「え、あ……でも」
「使われた方がハンカチも役目を全うできるだろう」
「…………そう、ですね。あはは」

 エミリアはそう言って笑うとポケットからハンカチの包みを取り出し、ガサガサと開ける。
 現れたのはクリーム色のハンカチに赤い花っぽいものが刺繍されたもの。

(お姉様の刺繍とは全然違う)

 内心でしょんぼりとしながら、ハンカチで水気を拭い取っていく。
 その様子を観察しながら、カイルはエミリアを素直ではありそうなのに、と内心でため息をついてしまった。

(ララスティ嬢の言った通りなのかもしれないな)

 カイルは以前ララスティに言われた、エミリアは育った環境さえ違えば、もっと素直でまっすぐな子だと思うと言っていたことを思い出す。
 言われた時はまさかと思ったし、今も僅かに疑ってしまうが、少なくともカイルの発言に対して素直に行動はしている。

(環境、か……)

 あのアーノルトとクロエに育てられているのなら、偏った考えになってもおかしくはない。

「君は、自分の両親の行動に違和感を覚えたことはないのかい?」
「え?」

 唐突なカイルの質問にエミリアはキョトンと目を瞬かせる。
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

五人姉妹の上から四番目でいつも空気だった私は少々出遅れていましたが……? ~ハッピーエンドへ走りたい~

四季
恋愛
五人姉妹の上から四番目でいつも空気だった私は少々出遅れていましたが……?

いつまでも変わらない愛情を与えてもらえるのだと思っていた

奏千歌
恋愛
 [ディエム家の双子姉妹]  どうして、こんな事になってしまったのか。  妻から向けられる愛情を、どうして疎ましいと思ってしまっていたのか。

ひとりぼっち令嬢は正しく生きたい~婚約者様、その罪悪感は不要です~

参谷しのぶ
恋愛
十七歳の伯爵令嬢アイシアと、公爵令息で王女の護衛官でもある十九歳のランダルが婚約したのは三年前。月に一度のお茶会は婚約時に交わされた約束事だが、ランダルはエイドリアナ王女の護衛という仕事が忙しいらしく、ドタキャンや遅刻や途中退席は数知れず。先代国王の娘であるエイドリアナ王女は、現国王夫妻から虐げられているらしい。 二人が久しぶりにまともに顔を合わせたお茶会で、ランダルの口から出た言葉は「誰よりも大切なエイドリアナ王女の、十七歳のデビュタントのために君の宝石を貸してほしい」で──。 アイシアはじっとランダル様を見つめる。 「忘れていらっしゃるようなので申し上げますけれど」 「何だ?」 「私も、エイドリアナ王女殿下と同じ十七歳なんです」 「は?」 「ですから、私もデビュタントなんです。フォレット伯爵家のジュエリーセットをお貸しすることは構わないにしても、大舞踏会でランダル様がエスコートしてくださらないと私、ひとりぼっちなんですけど」 婚約者にデビュタントのエスコートをしてもらえないという辛すぎる現実。 傷ついたアイシアは『ランダルと婚約した理由』を思い出した。三年前に両親と弟がいっぺんに亡くなり唯一の相続人となった自分が、国中の『ろくでなし』からロックオンされたことを。領民のことを思えばランダルが一番マシだったことを。 「婚約者として正しく扱ってほしいなんて、欲張りになっていた自分が恥ずかしい!」 初心に返ったアイシアは、立派にひとりぼっちのデビュタントを乗り切ろうと心に誓う。それどころか、エイドリアナ王女のデビュタントを成功させるため、全力でランダルを支援し始めて──。 (あれ? ランダル様が罪悪感に駆られているように見えるのは、私の気のせいよね?) ★小説家になろう様にも投稿しました★

出生の秘密は墓場まで

しゃーりん
恋愛
20歳で公爵になったエスメラルダには13歳離れた弟ザフィーロがいる。 だが実はザフィーロはエスメラルダが産んだ子。この事実を知っている者は墓場まで口を噤むことになっている。 ザフィーロに跡を継がせるつもりだったが、特殊な性癖があるのではないかという恐れから、もう一人子供を産むためにエスメラルダは25歳で結婚する。 3年後、出産したばかりのエスメラルダに自分の出生についてザフィーロが確認するというお話です。

魅了魔法…?それで相思相愛ならいいんじゃないんですか。

iBuKi
恋愛
私がこの世界に誕生した瞬間から決まっていた婚約者。 完璧な皇子様に婚約者に決定した瞬間から溺愛され続け、蜂蜜漬けにされていたけれど―― 気付いたら、皇子の隣には子爵令嬢が居て。 ――魅了魔法ですか…。 国家転覆とか、王権強奪とか、大変な事は絡んでないんですよね? 第一皇子とその方が相思相愛ならいいんじゃないんですか? サクッと婚約解消のち、私はしばらく領地で静養しておきますね。 ✂---------------------------- カクヨム、なろうにも投稿しています。

訳ありヒロインは、前世が悪役令嬢だった。王妃教育を終了していた私は皆に認められる存在に。でも復讐はするわよ?

naturalsoft
恋愛
私の前世は公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者だった。しかし、光魔法の使える男爵令嬢に汚名を着せられて、婚約破棄された挙げ句、処刑された。 私は最後の瞬間に一族の秘術を使い過去に戻る事に成功した。 しかし、イレギュラーが起きた。 何故か宿敵である男爵令嬢として過去に戻ってしまっていたのだ。

悪妃の愛娘

りーさん
恋愛
 私の名前はリリー。五歳のかわいい盛りの王女である。私は、前世の記憶を持っていて、父子家庭で育ったからか、母親には特別な思いがあった。  その心残りからか、転生を果たした私は、母親の王妃にそれはもう可愛がられている。  そんなある日、そんな母が父である国王に怒鳴られていて、泣いているのを見たときに、私は誓った。私がお母さまを幸せにして見せると!  いろいろ調べてみると、母親が悪妃と呼ばれていたり、腹違いの弟妹がひどい扱いを受けていたりと、お城は問題だらけ!  こうなったら、私が全部解決してみせるといろいろやっていたら、なんでか父親に構われだした。  あんたなんてどうでもいいからほっといてくれ!

処理中です...