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第一章

1 ターニングポイントは五歳のある日

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 広いベッドに、黒から青色にグラデーションを作る柔らかな髪を広げ、五歳に満たないように見える幼女——ルディア=ヴェヌ=ウィンタークが眼を閉じて横たわっている。
 ズキズキと頭の痛みを感じ、静かにゆっくりと瞼が持ち上がっていけば、そこには深い青紫色のアメジストをはめ込んだような美しい瞳が姿を現した。
 ぼんやりとした視界でもわかる見たことのない天井に、思わずといったようにルディアが眉をひそめた。

(家じゃない。病院にしては……こんな豪華な天井なんてありえないでしょ)

 はぁ、と体の中に溜まっているような感覚だった空気を深く吐き出し、新しい空気を吸い込んだところで、すぐ隣で何かが動く気配がし、直後に「お嬢様、目が覚めたのですか!」と声を掛けられ、そちらに目を向ければ所謂メイドの格好をした赤茶色の髪を持つ女性——アヴィシア=リット=ウェナトルがいる。

(いや、だれ? というか、なにこの状況?)

 お嬢様、と呼ばれたルディアが相変わらず眉を寄せていると、アヴィシアが「今、医師を呼んでもらってきます」と言って離れていく。
 医師という単語に、ルディアは記憶の蓋が開くのを感じ、自分の手で額に触れようとして、その小ささに目を見開いた。

(なにこの手。子供みたい……いえ、わたくしは子供だから手が小さいのは当然。……ううん。私は……階段の途中で背中を押されて……突き飛ばされた? それで、落ちて……あれ?)

 そこからの記憶がないと考えた瞬間、ズキリと頭の奥が痛み、ルディアの顔が痛みに歪みうめき声を上げると、離れていたアヴィシアが慌てて戻って来る。

「お嬢様、苦しいのですか? どこか痛みますか?」
「あ、たまっ」
「頭が痛いのですか!?」

 痛みに両手で自分の頭を抱えている姿に、アヴィシアは手を伸ばしそっと頭を確認するように撫で、最後に額に手を当てると「熱が」と呟いた。
 今度は離れることなく、その場で他のメイドを呼び寄せると冷水の入った水盆とタオルを持ってくるように指示をだす。

「お嬢様、奥様の事でショックを受けているのですね」
「おく、さま?」

 ズキズキと痛む頭を抑えながら聞き返すと、アヴィシアは悲しそうに顔を歪めて頷いた。

「宮廷医が手を尽くしたのですが、奥様は解毒が間に合わずお亡くなりになりました」
「げど、く?」
「はい、奥様を刺した剣に毒が塗られていたそうです」

 その言葉に、ルディアの脳裏に、艶やかな黒と青のグラデーションが印象に残るまっすぐな髪を持つ女性が、こちらを守るよう飛び出し、一瞬動きが止まったかと思うとゆっくりと倒れ、その背中に深々と剣が突き刺さる光景が浮かぶ。
 ドクリッと心臓が音を立て、怒声や悲鳴が耳鳴りのように頭の中に響き渡り、ひどくなった頭痛にきつく目を閉じると、「お嬢様!」と慌てたような声が遠くに聞こる。
 脳みそがぐわんぐわんと揺さぶられているような感覚に、吐き気すらこみ上げてきそうな中、「ルディ!」と叫ぶ子供特有の高い声だけがはっきりとルディアの耳に届いた。


 ◆ ◆ ◆


 ルディアが次に目を覚ました時、ベッドの傍には先ほど見たメイドではなく、まだ幼い少年——フィディス=ヴェヌ=ウィンタークが椅子に座って祈るように手を組み、目を閉じている。
 黒から青色にグラデーションを作る髪色は同じものだが、髪質は柔らかなウェーブを作るルディアのものに対し、まっすぐで若干固めな印象を抱かせる。

「っこほ」
「ルディ! 目が覚めたの? 待ってて、すぐに水をっ」

 息を吸おうとして喉が詰まったような感覚に思わずむせると、フィディスが慌ててサイドテーブルにある水差しからコップに水を注ぎ、ゆっくりとルディアを起き上がらせ、そっと口元にコップを運んだ。
 自分で飲むと言いたかったが、ふらつく体は起きるのもやっとだったため、ルディアおとなしくフィディスに水を飲ませてもらった。

 口からコップを離し、「ふぅ」と深く息を吐きだしたルディアを、フィディスの淡い青紫の瞳が心配そうに見つめる。
 その視線に改めてフィディスを観察するように見るが、その特徴的な目の色と髪の色に、ルディアは眉をひそめた。

(こんな子供がコスプレ? ううん、おにい様はわたくしと同じで……え? 私のお兄ちゃんはこんな青のグラデーションなんかないし、目の色も黒……いえ、なにもおかしくはっ……ぁったま痛い)

「うぅ……」
「ルディ! 頭が痛むの?」

 またもや襲ってくる頭痛に、背中を丸めて頭に手を当てるルディアの姿に、フィディスが慌てたように手を伸ばして重ねると、いつから部屋にいたのか、それとも最初から部屋にいたのか、アヴィシアに医者を呼ぶように言いつけた。

「大丈夫だよ、ルディ。ゆっくり、ゆっくりでいいから息をして……そう、上手だよ」

 力の入った手の上から、温かなぬくもりが伝わり、心がこの声は安心できるのだと訴えてくることもあり、ルディアは言われたとおりにゆっくりと呼吸を繰り返し、頭痛で強張っている体から少しずつ力を抜いていく。

 涙がにじんで視界がぼやける中、ルディアは瞬きをして一粒涙をこぼすと、「だぁれ?」と不安げに力ない声で尋ねた。

「ルディ?」

 熱のせいで混乱しているのだろうかと、フィディスはルディアの頭を撫でようとして、次の言葉でその動きを止めてしまう。

「ここは、どこ? 私、は……わたくし、は……だぁれ? どうして、ここにいるの?」

 なんでこんなベタな台詞を言っているのだろうと思いながらも、ルディアは現状を把握できていない以上、目の前にいるフィディスにこう聞くしかなかった。

「だれって、ルディはウィンターク公爵家の長女、ルディア=ヴェヌ=ウィンタークだよ」
「りゅでぃア、べヌ、ウィターク?」

 不安そうな目をしながら聞かされた名前に、自分の名前はそんな長いものではないと思う反面、確かにそうだと納得する部分があり、ルディアは混乱してしまう。
 眉を寄せて混乱しているのがわかり、フィディスがそっとルディアの両手を握り締める。

「そう、ルディは私の何よりも大切な妹だよ」

 まっすぐに向けられる優しい瞳は、どこか既視感を抱くものの、やはり見慣れないという気持ちも強い。

「私は、いもうと?」
「うん」
「あなたは、おにいちゃん?」

 きょとんと瞬きをするルディアに、フィディスも驚いたように目を瞬いた。

「ルディにお兄ちゃんなんて呼ばれたのは初めてだね」

 クスリと笑ったフィディスは、それでもしっかりとルディアの両手を包み込んで離さない。
 まるでそうしていなければルディアがいなくなってしまうのではないかと、そう不安がっているようにも思えた。

 じっとのぞき込んでくる視線に、ルディアの瞳が揺れる。

「……私が、わからない?」

 不安そうに尋ねられる言葉に胸が苦しくなったが、ルディアは小さく頷いた。
 その拍子に肩から滑り落ちた長い髪が目に入り、それが目の前にいるフィディスと同じ黒と青のグラデーションであると気が付く。

「同じ、いろ」
「うん。私もルディも、お爺様やお母様と同じ色だよ」
「おかあ、様」

 そう呟いた瞬間、またもや脳裏に剣に刺された女性の姿が浮かび上がり、同時に殴られるような頭痛を感じて小さくうめき声を漏らしてしまう。

「ルディ!」

 慌てたように伸ばされたフィディスの手がルディアの頬を包み込むが、ガンガンと響く頭の痛みに、かみ殺したうめき声しか出すことが出来ない。

(知らない。あんな光景、私は知らない。……そう、お母様はわたくしの目の前で。違う。知らない。私はなにも知らないっ。違う、わたくしは、見ていた)

「うぅっ」
「ルディっ、可哀そうに……どうしたらっ」

 オロオロと視線をさまよわせるフィディスだが、その手はルディアから離さない。

「若様っ」

 そこにアヴィシアが扉を開けて速足で近づいてくる。

「医師を連れてまいりました」

 初老に入ったばかりのような男性の医師、「失礼します」と言ってフィディスをルディアから離すと、熱を測ったり脈を確とったり、視界や認識機能に異常がないかを確認する。
 頭の痛み以外は体に異常はないと告げれば、逆に頭痛がどのようなものか、どのタイミングでひどくなるのかを尋ねられた。
 ルディアが「わからない」と言いつつも、起こったこと・・・・・・家族について・・・・・・を考えるとひどくなる気がすると伝えれば、難しい顔をした医師がなにを覚えているか・・・・・・・・・と聞いてくる。

「覚えている、ことは……私、かいだんで押されて? ううん、おちゃ会で変な人が、おかあ様を……っぅあ」

 ズキン、と頭が痛み思わずルディアがうめき声を漏らすと、すぐ横に居るフィディスが慌てて小さな体を抱きしめる。

 耐えるようにうめき声を漏らす様子に、フィディスは不安に駆られるが、真剣な医師の顔に慰めるようにルディアの頭を優しく撫でる。

「私、わたく、し……は、だぁれ?」

 ボロリとこぼれた涙がルディアの頬を伝って流れ落ちていく。

「お嬢様。貴女様は今、恐らく2つの記憶が混ざり合い、混乱を起こしているのです」

 医師の言葉に、ルディアだけでなくその場にいる全員が驚きを浮かべ医師を見つめる。

「若君もご存じでしょう。人は、特に幼い子供や思春期の子供は生まれる前の記憶を思い出すことがあります」

 ゆっくりと、ルディアがパニックにならないように落ち着いた声で医師は話をする。

 それはある日何の前触れもなく思い出すこともあれば、何か衝撃を受ける出来事を経て思い出すこともある。
 思い出した当初は、その人物の中で過去と今が混在し、パニックに陥る事も、本来なら奥底に眠っている記憶による脳への負荷で、頭痛をはじめとした体調不良を起こすこともある。
 混乱により、それまで親しくしていた人物へ敵意を見せることも、危害を加えることもある。
 記憶は混ざり合い定着することもあれば、どちらかの記憶が勝り、上書きすることで落ち着き、それまでの性格と別人のようになることもある。
 その結果、年齢不相応に落ち着いた振舞いをすることもあれば、肉体年齢に記憶と感情が引きずられることもある。

 そこまで話し、医師は「そして、最も重要なことは」と言葉を切った。

「生まれる前の記憶のほとんどは、後悔や未練を残したまま、そして凄惨であったり非業な最期を迎えたものです」

 医師の言葉を受け、ルディアを抱きしめているフィディスの腕の力が強くなる。

「世界を恨む、自棄を起こす、復讐をしようと手段を選ばなくなる、逆に全てを放棄し再び死を望むこともある。それが、この現象において多く確認できることです」

 沈黙が部屋を支配しようかという時、ルディアが震える声を出した。

「わた、くしは、私は……しんだ、のね」

 囁くような小さな声であったが、その声は全員の耳に届いた。
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