白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十九話「貴族の誇り」 その二

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 マセリア家。この名前は皇国の歴史に三度登場する。
 一度目は皇国成立以前の動乱期、初代皇王が帝国へと攻め込んだ際に敵対した傭兵隊の部隊長としてである。
 この部隊長はある都市の防衛を担っていたが、雇い主である領主が劣勢の中で逃亡を試みて捕縛され、その事実を知った都市の民によって殴殺されてしまった。
 戦いに敗れて捕虜となっていた部隊長だが、初代皇王に雇われる形で旧帝国攻略戦に参加、その功績を以て皇国の貴族に列せられた。当時の爵位は男爵だった。
 そして二度目、第三代皇王エリザベーティア御代、彼女の北征に軍司令官として同行して再び武勲を挙げ、ちょうどひとつ空席があった始原貴族に叙せられた。また同時にこのとき、陞爵し子爵となっている。
 そのまましばらくは武門の名家として始原貴族の一席を占めていたのだが、軍の引き起こした〈ルストール事件〉の責任を取って始原貴族位を返上、当主バッティスの判断によって三つの家に分割される。
 当主の息子ベウガーが初代となったリア・マセリア家。
 当主の弟ラーズリアが初代となったルフ・マセリア家。
 当主の妹マリカーシェルが初代となったラト・マセリア家の三つである。
 最後のマセリア家当主となったバッティスはこれを以て第六代皇王ゼーゲンに赦しを乞い、ゼーゲンは新たな三家を勲爵士とした。
 最初の二度は武門の栄光の一幕として、最後の一度は武門の汚点として名を残したマセリア家だが、現在でも多くの軍人を輩出する家であることに変わりはない。

「もう……せっかく非番だって聞いてたのに!」
 皇城から下町へと向かう坂道を駆け下りながら、軍装の少女アンヌ・ド・ラト・マセリアは叫んだ。道行く人々は軍装姿の少女が叫ぶ姿に首を傾げるが、それが士官学校の制服であると気付いた者は少なかった。
 士官学校の学生は、外出時に制服の着用を義務付けられる。如何なる場合も皇国士官候補生として自覚し、行動すべしという規範故の制度だが、アンヌにとっては尊敬する遠縁の女性とお揃いの服、という認識でしかない。
「マリカーシェルお姉さまのことだから、いつもの酒場でお気に入りのお酒飲んで、屋台でご飯買ってご自宅でだらだらしてると思ったのに……」
 マリカーシェルのそれよりも明るい金髪は緩く三つ編みにされ、彼女が一歩足を踏み出すたびにひょこひょこと跳ねている。顔立ちはマリカーシェルと同じくかなり整っているが、その目元はマリカーシェル以上に鋭い。そのせいで周囲の人々がぎょっとする場面もあるが、本人は慣れたものでまったく気に留めていない。
 むしろ彼女は、憧れのマリカーシェルとよく似ている自分の顔をこの上なく気に入っていた。
「うーん、せっかく取った許可だけど、お姉さまのお部屋掃除もできないだろうし、帰って勉強でもしてようかな」
 宿泊許可は取っていないため、点呼のある二二時までには寮に戻らないといけない。アンヌはぐぬぬぬぬと唸りながら坂を下り、そのまま暫く歩いていたが、ふと思い出して近くにある馴染みの雑貨店に寄って帰ろうと決めた。
 今日は、彼女とマリカーシェルが揃って蒐集している〈いざゆけレクト君連目シリーズ〉の新しいぬいぐるみの発売日だった。
「確か今回はお掃除レクト君のはたき版。限定色はたき……さ、三色ぐらいまでならお小遣いでも……ぬぬぬ」
 全十二色である。
「ああ! 何で一昨日特大甘味皿頼んじゃったんだろう!?」
 頭を抱えて後悔する士官学校の生徒に対し、街の人々の視線は生温い。
 老人が己の若かりし頃を思い出して遠い目をし、彼女を指差そうとした子どもを母親がそそくさと抱えて去って行き、近所の悪童たちが隙だらけの彼女を狙う。
「あーちゃん、たんこぶ痛いよ」
「我慢しろ!」
 悪童たちはアンヌの背後に回り、近くに自分たちを叱責した近所の主婦が居ないことを確認する。
 そして無言で頷き合うと、一気に走った。
「え?」
 まず一人目が全速力で横を走り抜け、アンヌの意識をそちらに向ける。
 続いて二人目が大声を上げながら一人目を追いかけ、その声によってアンヌの聴覚をそれに集中させる。
 そして最後のひとり、頭にたんこぶを作った子どもが候補生の灰色の軍装の筒袴の上から、アンヌの尻を思い切り揉んだ。
 そう、彼は思い切りたんこぶを作られたことによって自分の甘さを反省し、より一層の努力を誓ったのだ。――それが正しい方向であるかは別にして。
「みゃあっ!?」
 アンヌが叫び、その横を悪童が走り抜ける。
 慌てて手を伸ばそうとしたアンヌだが、悪童はそれをするりと躱した。
「よし! この調子で修行すれば……」
 一段上の自分になれそうなきっかけを掴んだことでどこか満足そうな悪童に対し、アンヌの顔が怒りで紅潮する。
「あ、あんたたち……!」
「げ、お前ら散開しろ! 待ち合わせはアの四号だ!」
「分かった!」
「にげろぉ!!」
 ぶわぁっと各方向へと逃亡する子どもたち。アンヌは一瞬どれを追い掛けようかと悩んだが、誰にも触られたことのない自分の尻を掴んだ悪がきを目標に定めた。
「逃がすかぁ!!」
 士官学校支給の革靴は、そのまま戦場でも用いることができるようになっている。
 アンヌは小さな背中を追い掛け、細い路地へと飛び込んでいった。

 下町とはいえ、路地裏はしっかりと清掃されている。
 何か固定物を設置することも許されていないため、あったとしても長鉢植えか、酒屋が配達に使っている中酒樽程度のものだ。
 そんな路地で、今壮絶な生存競争が行われていた。
「むあああああてええええええええええ!!」
「ひぎゃああああああああああっ!!」
 鬼の如き形相で追い掛けてくるアンヌに、悪童の頭目は半分涙目になっていた。
 先ほどの男連れの美人は一瞬怖気を感じるような視線を向けてきたものの、連れがいたからか、ここまで執拗に自分を追い掛けてはこなかった。
 しかし今自分を追い掛けている女は、この狭い路地を庭にしている自分がまったく引き離すことができないでいる。
(今日は厄日って奴だ! ガーリーのおっちゃんが言ってた奴だ!)
 ごく普通に過ごしていても、ふと不幸が重なる日がある。
 今は近衛軍にいる近所の青年の言葉を思い出し、彼は心の中で絶叫した。
「ふおおおおおおおっ!!」
「うわああああああっ!!」
 自分が鋭く角を曲がれば、背後の女は壁を蹴って力尽くで方向転換する。
「まぁてぇええええっ!!」
「ぎょええええええっ!?」
 生け垣の下を滑って潜れば、女は近くに置いてあった酒樽を踏み台にして生け垣を跳び越えてくる。
 その悪鬼の如き表情は、彼が今まで見てきた人の顔の中でもっとも恐ろしいものだった。
(世界一恐い! 絶対そうだ!)
 彼のそんな心の声をこの国の皇王が聞けば、優しく微笑んでくれるだろう。
 世の中、上には上が居るものなのだから。
「ふぉおおおおおおおっ!!」
「うわああぁぁ……あっ!」
 それは偶然だった。
 路地を飛び出し先にあったのは彼の遊び場でもある公園で、そこから出てきた男とあと少しでぶつかりそうになってしまった。
 しかし彼はぎりぎりの所で接触を免れたが、彼を追い掛けていた人物はそうはいかない。
「あれ?」
 そんな間抜けな声を発したのは、彼女の前に突然現れた男だった。
 路地から飛び出したアンヌは、ちょうどそこにいたその男に思い切りぶつかってしまった。
 視界がぐるりと回転し、足が地面から離れる。
「きゃっ!」
 そのまま近くの芝生に転がり、アンヌは小さく悲鳴を上げた。
「うわっと」
 それに対し、男は僅かに姿勢を崩すだけだ。彼も連れが居なければそのまま回避していたが、ぶつかったとしてもこの程度で済む。
「レクト様!?」
 驚いたような女の声が、芝生に転がっていたアンヌの耳に届いた。
(おねえさま……お姉さま?)
 アンヌはその声にかっと目を見開き、身体の発条を利用して飛び起きる。
「マリカーシェルお姉さま!」
 そして他の何を置いても、もっとも尊敬する女性の名を呼んだ。
「え? アンヌ?」
 突然名前を呼ばれたマリカーシェルが目を白黒させ、隣のレクティファールが首を傾げる。
「おね……むぎゅう」
 そしてアンヌは、ぶつかったあと急に身体を動かしたことが原因で、そのまま意識を飛ばすのだった。
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