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第49話 ピエロがそっと微笑んだ
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雨が降る伊勢の街並みを、忘我のままに歩き続けた。
体を打つ雫が体温を奪っていく。
芯から冷えていく。
伊勢市駅に着くと、そこに紅映がいた。
駅のホームで、閉じた傘を手に持って、ぼんやりと雨を眺めていた。
声をかけようとして、言葉を飲み込み、物陰に身を隠した。自身の手を見る。呪われたように真っ黒な毛が、ひじから先を覆っている。
――バケモノ。
たった四文字の言葉が、こんなに鋭いなんて知らなかった。思い返すたびに心臓にきりきりとした痛みが走り、胸が張り裂けるように苦しくなる。
「あれ? 想矢? 傘もささずにどうしたの? 風邪ひいちゃうよ?」
いつのまにか、傘を差した紅映が目の前にいた。
「紅映っ! ちがう、違うんだ!」
「違う? 何が?」
紅映が、オレの方に傘を寄せた。
その手が、不意に止まる。
「……何よ、その腕」
紅映が、がちがちと歯を鳴らした。
差し出された傘が、ひっこめられる。
「ちがう! 違うんだ! 誤解だ!!」
「何が違うのよ!」
「っ」
二つの目が、オレを見ていた。
不安、恐怖、嫌悪、猜疑。
いろいろな感情がないまぜになったその瞳は、バケモノを前にした動物のそれだった。
「ちがう、オレは……」
なんで、どうして。
誰も、わかってくれないんだ。
「見つけたぞバケモノ!!」
「お兄ちゃん!!」
「紅映、無事か?」
また、碧羽さんがオレの前に現れる。
「今度こそ封伐してやる」
違う。違うんだ。
「なんで、なんでわかってくんないんだよ!!」
「また逃げる気か! そう何度も逃げ切れると思うなよ!!」
雨の中、決死の鬼ごっこが幕をあげる。
打ち付けるしぶきをかき分けて、どこともわからないどこかに向けて走り出す。
(オレは、誰かを傷つけるつもりなんてないんだ。
どうして誰も、わかってくれないんだ)
『うふふ、関係ありませんもの。そんなの』
どこからともなく、声が聞こえた。
誰の声? 聞き覚えはある。
だけど思い出せない。
『楪灰想矢。わたくしの声は、あなたの心の声です』
(……オレの、心の声?)
『ええ。わたくしはあなたで、あなたはわたくし。わたくしだけが、あなたを理解してあげられる。そう、あなたが心を許せるのは、唯一無二の理解者であるわたくしだけ』
気づけば世界は時を止めていて、オレは背後から誰かに抱きしめられていた。
雨の匂いを、花の香りが打ち消していく。
この香りは、確か、エピメディウム。
『怖かったわね。でももう大丈夫よ。わたくしはあなたを一人になんてしない。たとえ世界のすべてがあなたの敵になっても、わたくしだけはあなたのそばにいてあげられる』
ひどく甘い言葉だった。
脳がどろりと溶けるようだ。
深く考えるのが、億劫になる。
ただただ、この言葉が耳に心地いい。
抗う気力も、生まれてこない。
言われるがままを真実だと考えられれば、どれだけ楽になれるだろうか。
『あなたは偶然にも力を得た。それは、人が『呪い』を倒し、『呪い』が人を殺すことで保たれてきた均衡を、たった一人で崩壊させる強大な力』
ぼんやりと、記憶の靄が晴れていく。
そうだ。
オレは、【アドミニストレータ】というスキルを手に入れて、それから、超常の柩というオーパーツを手に『呪い』と戦ってきたんだ。
(どうして、忘れていたんだっけ)
『くす、大事なのはそこではありませんわ。どうして戦うのかです』
……そうだろうか。
そうかもしれない。
多分そうなんだろう。
『あなたがどれだけ身を粉にして戦って、人々を呪いの恐怖から守っても、平和になった世界において強大な力は畏怖の対象でしかない。誰もあなたを受け入れない』
(誰かを守るために、戦ってもなのか?)
『くす、誰があなたの言葉に耳を傾けるのです? あなたを殺そうとした碧羽という青年ですか? あなたから距離をおこうとした紅映という少女ですか?』
(それ、は……)
『言葉の通じない相手との交渉なんて、ただ無益なだけです』
女性の手が、オレの頬を撫でていく。
優しく顔を回されて、後ろを向かされる。
目と鼻の先に、青い女性の顔があった。
彼女はオレの唇に、彼女の唇を重ねた。
『わたくしなら、あなたのすべてを受け入れてあげられます。ですから、ね?』
……オレはこの時、悪魔のささやきを聞いた。
『楪灰様も、わたくしを受け入れてくださいませ』
初めて耳にするそれは、どうしようもなく甘美だった。
体を打つ雫が体温を奪っていく。
芯から冷えていく。
伊勢市駅に着くと、そこに紅映がいた。
駅のホームで、閉じた傘を手に持って、ぼんやりと雨を眺めていた。
声をかけようとして、言葉を飲み込み、物陰に身を隠した。自身の手を見る。呪われたように真っ黒な毛が、ひじから先を覆っている。
――バケモノ。
たった四文字の言葉が、こんなに鋭いなんて知らなかった。思い返すたびに心臓にきりきりとした痛みが走り、胸が張り裂けるように苦しくなる。
「あれ? 想矢? 傘もささずにどうしたの? 風邪ひいちゃうよ?」
いつのまにか、傘を差した紅映が目の前にいた。
「紅映っ! ちがう、違うんだ!」
「違う? 何が?」
紅映が、オレの方に傘を寄せた。
その手が、不意に止まる。
「……何よ、その腕」
紅映が、がちがちと歯を鳴らした。
差し出された傘が、ひっこめられる。
「ちがう! 違うんだ! 誤解だ!!」
「何が違うのよ!」
「っ」
二つの目が、オレを見ていた。
不安、恐怖、嫌悪、猜疑。
いろいろな感情がないまぜになったその瞳は、バケモノを前にした動物のそれだった。
「ちがう、オレは……」
なんで、どうして。
誰も、わかってくれないんだ。
「見つけたぞバケモノ!!」
「お兄ちゃん!!」
「紅映、無事か?」
また、碧羽さんがオレの前に現れる。
「今度こそ封伐してやる」
違う。違うんだ。
「なんで、なんでわかってくんないんだよ!!」
「また逃げる気か! そう何度も逃げ切れると思うなよ!!」
雨の中、決死の鬼ごっこが幕をあげる。
打ち付けるしぶきをかき分けて、どこともわからないどこかに向けて走り出す。
(オレは、誰かを傷つけるつもりなんてないんだ。
どうして誰も、わかってくれないんだ)
『うふふ、関係ありませんもの。そんなの』
どこからともなく、声が聞こえた。
誰の声? 聞き覚えはある。
だけど思い出せない。
『楪灰想矢。わたくしの声は、あなたの心の声です』
(……オレの、心の声?)
『ええ。わたくしはあなたで、あなたはわたくし。わたくしだけが、あなたを理解してあげられる。そう、あなたが心を許せるのは、唯一無二の理解者であるわたくしだけ』
気づけば世界は時を止めていて、オレは背後から誰かに抱きしめられていた。
雨の匂いを、花の香りが打ち消していく。
この香りは、確か、エピメディウム。
『怖かったわね。でももう大丈夫よ。わたくしはあなたを一人になんてしない。たとえ世界のすべてがあなたの敵になっても、わたくしだけはあなたのそばにいてあげられる』
ひどく甘い言葉だった。
脳がどろりと溶けるようだ。
深く考えるのが、億劫になる。
ただただ、この言葉が耳に心地いい。
抗う気力も、生まれてこない。
言われるがままを真実だと考えられれば、どれだけ楽になれるだろうか。
『あなたは偶然にも力を得た。それは、人が『呪い』を倒し、『呪い』が人を殺すことで保たれてきた均衡を、たった一人で崩壊させる強大な力』
ぼんやりと、記憶の靄が晴れていく。
そうだ。
オレは、【アドミニストレータ】というスキルを手に入れて、それから、超常の柩というオーパーツを手に『呪い』と戦ってきたんだ。
(どうして、忘れていたんだっけ)
『くす、大事なのはそこではありませんわ。どうして戦うのかです』
……そうだろうか。
そうかもしれない。
多分そうなんだろう。
『あなたがどれだけ身を粉にして戦って、人々を呪いの恐怖から守っても、平和になった世界において強大な力は畏怖の対象でしかない。誰もあなたを受け入れない』
(誰かを守るために、戦ってもなのか?)
『くす、誰があなたの言葉に耳を傾けるのです? あなたを殺そうとした碧羽という青年ですか? あなたから距離をおこうとした紅映という少女ですか?』
(それ、は……)
『言葉の通じない相手との交渉なんて、ただ無益なだけです』
女性の手が、オレの頬を撫でていく。
優しく顔を回されて、後ろを向かされる。
目と鼻の先に、青い女性の顔があった。
彼女はオレの唇に、彼女の唇を重ねた。
『わたくしなら、あなたのすべてを受け入れてあげられます。ですから、ね?』
……オレはこの時、悪魔のささやきを聞いた。
『楪灰様も、わたくしを受け入れてくださいませ』
初めて耳にするそれは、どうしようもなく甘美だった。
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