49 / 78
第49話 ピエロがそっと微笑んだ
しおりを挟む
雨が降る伊勢の街並みを、忘我のままに歩き続けた。
体を打つ雫が体温を奪っていく。
芯から冷えていく。
伊勢市駅に着くと、そこに紅映がいた。
駅のホームで、閉じた傘を手に持って、ぼんやりと雨を眺めていた。
声をかけようとして、言葉を飲み込み、物陰に身を隠した。自身の手を見る。呪われたように真っ黒な毛が、ひじから先を覆っている。
――バケモノ。
たった四文字の言葉が、こんなに鋭いなんて知らなかった。思い返すたびに心臓にきりきりとした痛みが走り、胸が張り裂けるように苦しくなる。
「あれ? 想矢? 傘もささずにどうしたの? 風邪ひいちゃうよ?」
いつのまにか、傘を差した紅映が目の前にいた。
「紅映っ! ちがう、違うんだ!」
「違う? 何が?」
紅映が、オレの方に傘を寄せた。
その手が、不意に止まる。
「……何よ、その腕」
紅映が、がちがちと歯を鳴らした。
差し出された傘が、ひっこめられる。
「ちがう! 違うんだ! 誤解だ!!」
「何が違うのよ!」
「っ」
二つの目が、オレを見ていた。
不安、恐怖、嫌悪、猜疑。
いろいろな感情がないまぜになったその瞳は、バケモノを前にした動物のそれだった。
「ちがう、オレは……」
なんで、どうして。
誰も、わかってくれないんだ。
「見つけたぞバケモノ!!」
「お兄ちゃん!!」
「紅映、無事か?」
また、碧羽さんがオレの前に現れる。
「今度こそ封伐してやる」
違う。違うんだ。
「なんで、なんでわかってくんないんだよ!!」
「また逃げる気か! そう何度も逃げ切れると思うなよ!!」
雨の中、決死の鬼ごっこが幕をあげる。
打ち付けるしぶきをかき分けて、どこともわからないどこかに向けて走り出す。
(オレは、誰かを傷つけるつもりなんてないんだ。
どうして誰も、わかってくれないんだ)
『うふふ、関係ありませんもの。そんなの』
どこからともなく、声が聞こえた。
誰の声? 聞き覚えはある。
だけど思い出せない。
『楪灰想矢。わたくしの声は、あなたの心の声です』
(……オレの、心の声?)
『ええ。わたくしはあなたで、あなたはわたくし。わたくしだけが、あなたを理解してあげられる。そう、あなたが心を許せるのは、唯一無二の理解者であるわたくしだけ』
気づけば世界は時を止めていて、オレは背後から誰かに抱きしめられていた。
雨の匂いを、花の香りが打ち消していく。
この香りは、確か、エピメディウム。
『怖かったわね。でももう大丈夫よ。わたくしはあなたを一人になんてしない。たとえ世界のすべてがあなたの敵になっても、わたくしだけはあなたのそばにいてあげられる』
ひどく甘い言葉だった。
脳がどろりと溶けるようだ。
深く考えるのが、億劫になる。
ただただ、この言葉が耳に心地いい。
抗う気力も、生まれてこない。
言われるがままを真実だと考えられれば、どれだけ楽になれるだろうか。
『あなたは偶然にも力を得た。それは、人が『呪い』を倒し、『呪い』が人を殺すことで保たれてきた均衡を、たった一人で崩壊させる強大な力』
ぼんやりと、記憶の靄が晴れていく。
そうだ。
オレは、【アドミニストレータ】というスキルを手に入れて、それから、超常の柩というオーパーツを手に『呪い』と戦ってきたんだ。
(どうして、忘れていたんだっけ)
『くす、大事なのはそこではありませんわ。どうして戦うのかです』
……そうだろうか。
そうかもしれない。
多分そうなんだろう。
『あなたがどれだけ身を粉にして戦って、人々を呪いの恐怖から守っても、平和になった世界において強大な力は畏怖の対象でしかない。誰もあなたを受け入れない』
(誰かを守るために、戦ってもなのか?)
『くす、誰があなたの言葉に耳を傾けるのです? あなたを殺そうとした碧羽という青年ですか? あなたから距離をおこうとした紅映という少女ですか?』
(それ、は……)
『言葉の通じない相手との交渉なんて、ただ無益なだけです』
女性の手が、オレの頬を撫でていく。
優しく顔を回されて、後ろを向かされる。
目と鼻の先に、青い女性の顔があった。
彼女はオレの唇に、彼女の唇を重ねた。
『わたくしなら、あなたのすべてを受け入れてあげられます。ですから、ね?』
……オレはこの時、悪魔のささやきを聞いた。
『楪灰様も、わたくしを受け入れてくださいませ』
初めて耳にするそれは、どうしようもなく甘美だった。
体を打つ雫が体温を奪っていく。
芯から冷えていく。
伊勢市駅に着くと、そこに紅映がいた。
駅のホームで、閉じた傘を手に持って、ぼんやりと雨を眺めていた。
声をかけようとして、言葉を飲み込み、物陰に身を隠した。自身の手を見る。呪われたように真っ黒な毛が、ひじから先を覆っている。
――バケモノ。
たった四文字の言葉が、こんなに鋭いなんて知らなかった。思い返すたびに心臓にきりきりとした痛みが走り、胸が張り裂けるように苦しくなる。
「あれ? 想矢? 傘もささずにどうしたの? 風邪ひいちゃうよ?」
いつのまにか、傘を差した紅映が目の前にいた。
「紅映っ! ちがう、違うんだ!」
「違う? 何が?」
紅映が、オレの方に傘を寄せた。
その手が、不意に止まる。
「……何よ、その腕」
紅映が、がちがちと歯を鳴らした。
差し出された傘が、ひっこめられる。
「ちがう! 違うんだ! 誤解だ!!」
「何が違うのよ!」
「っ」
二つの目が、オレを見ていた。
不安、恐怖、嫌悪、猜疑。
いろいろな感情がないまぜになったその瞳は、バケモノを前にした動物のそれだった。
「ちがう、オレは……」
なんで、どうして。
誰も、わかってくれないんだ。
「見つけたぞバケモノ!!」
「お兄ちゃん!!」
「紅映、無事か?」
また、碧羽さんがオレの前に現れる。
「今度こそ封伐してやる」
違う。違うんだ。
「なんで、なんでわかってくんないんだよ!!」
「また逃げる気か! そう何度も逃げ切れると思うなよ!!」
雨の中、決死の鬼ごっこが幕をあげる。
打ち付けるしぶきをかき分けて、どこともわからないどこかに向けて走り出す。
(オレは、誰かを傷つけるつもりなんてないんだ。
どうして誰も、わかってくれないんだ)
『うふふ、関係ありませんもの。そんなの』
どこからともなく、声が聞こえた。
誰の声? 聞き覚えはある。
だけど思い出せない。
『楪灰想矢。わたくしの声は、あなたの心の声です』
(……オレの、心の声?)
『ええ。わたくしはあなたで、あなたはわたくし。わたくしだけが、あなたを理解してあげられる。そう、あなたが心を許せるのは、唯一無二の理解者であるわたくしだけ』
気づけば世界は時を止めていて、オレは背後から誰かに抱きしめられていた。
雨の匂いを、花の香りが打ち消していく。
この香りは、確か、エピメディウム。
『怖かったわね。でももう大丈夫よ。わたくしはあなたを一人になんてしない。たとえ世界のすべてがあなたの敵になっても、わたくしだけはあなたのそばにいてあげられる』
ひどく甘い言葉だった。
脳がどろりと溶けるようだ。
深く考えるのが、億劫になる。
ただただ、この言葉が耳に心地いい。
抗う気力も、生まれてこない。
言われるがままを真実だと考えられれば、どれだけ楽になれるだろうか。
『あなたは偶然にも力を得た。それは、人が『呪い』を倒し、『呪い』が人を殺すことで保たれてきた均衡を、たった一人で崩壊させる強大な力』
ぼんやりと、記憶の靄が晴れていく。
そうだ。
オレは、【アドミニストレータ】というスキルを手に入れて、それから、超常の柩というオーパーツを手に『呪い』と戦ってきたんだ。
(どうして、忘れていたんだっけ)
『くす、大事なのはそこではありませんわ。どうして戦うのかです』
……そうだろうか。
そうかもしれない。
多分そうなんだろう。
『あなたがどれだけ身を粉にして戦って、人々を呪いの恐怖から守っても、平和になった世界において強大な力は畏怖の対象でしかない。誰もあなたを受け入れない』
(誰かを守るために、戦ってもなのか?)
『くす、誰があなたの言葉に耳を傾けるのです? あなたを殺そうとした碧羽という青年ですか? あなたから距離をおこうとした紅映という少女ですか?』
(それ、は……)
『言葉の通じない相手との交渉なんて、ただ無益なだけです』
女性の手が、オレの頬を撫でていく。
優しく顔を回されて、後ろを向かされる。
目と鼻の先に、青い女性の顔があった。
彼女はオレの唇に、彼女の唇を重ねた。
『わたくしなら、あなたのすべてを受け入れてあげられます。ですから、ね?』
……オレはこの時、悪魔のささやきを聞いた。
『楪灰様も、わたくしを受け入れてくださいませ』
初めて耳にするそれは、どうしようもなく甘美だった。
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説
アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~
明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!!
『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。
無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。
破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。
「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」
【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?
【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】
その攻撃、収納する――――ッ!
【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。
理由は、マジックバッグを手に入れたから。
マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。
これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。
異世界で穴掘ってます!
KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~
石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。
ありがとうございます
主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。
転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。
ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。
『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。
ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする
「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。
欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します
ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!!
カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。
無限に進化を続けて最強に至る
お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。
※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。
改稿したので、しばらくしたら消します
異世界転生はどん底人生の始まり~一時停止とステータス強奪で快適な人生を掴み取る!
夢・風魔
ファンタジー
若くして死んだ男は、異世界に転生した。恵まれた環境とは程遠い、ダンジョンの上層部に作られた居住区画で孤児として暮らしていた。
ある日、ダンジョンモンスターが暴走するスタンピードが発生し、彼──リヴァは死の縁に立たされていた。
そこで前世の記憶を思い出し、同時に転生特典のスキルに目覚める。
視界に映る者全ての動きを停止させる『一時停止』。任意のステータスを一日に1だけ奪い取れる『ステータス強奪』。
二つのスキルを駆使し、リヴァは地上での暮らしを夢見て今日もダンジョンへと潜る。
*カクヨムでも先行更新しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる