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宿泊の町―リグレット―
2話 プロポーズ
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一歩踏み出せば、草露が弾けた。
つかの間の小雨の後には、どこまでも澄んだ蒼天が広がっている。青野を漂う空気はまだ少し冬の香りを覚えているようで、光風の凍みにハッとさせられる。
並んで歩くアリシアの、ハーフアップにした金色の艶やかな髪がふわっと羽ばたいた。
「アリシア、見えてきたぞ」
どこまで続くのかと思うほど広い草原。
その草筵にも、ようやっと集落が見えてきた。
石造りの壁でぐるっと囲われた街だ。
「では、あそこが宿泊の町なのですね!」
草原にポツンと、たった一つの町。
昔は交易路の中継点として栄えた時期もあったらしい。しかし、今はここより北にもっとしっかりした道が舗装されたがゆえに、人がやってくることはめっきり減ったという。現に、町の囲いの内から賑わいや喧騒が聞こえると言うわけでもなく、閑散とした様子が窺える。
のんびりと過ごすには都合がよかった。
「楽しみですね! ウルさん!」
「そうだな」
勇者パーティを追放された俺たちは、後の事を勇者に任せてスローライフを送ることにした。
町に着いたらあれをしたい、これをしたいなんて、アリシアと会話に花を咲かせていると、遠くに見えた門はあっという間に目の前にあった。町に入ろうとする人なんて一人もおらず、おかげでスムーズに入国審査に移れた。
「名前は?」
「俺はウルティオラ、こっちはアリシア」
「アリシアです」
「入国の目的は?」
「移住をしようかと」
「右に同じくです」
「ん?」
門番さんが、不思議そうな声を出した。
「おや、お二人さんは旅のお方ではないのかい?」
「そうですね、移り住もうと考えております」
「ははっ、悪いことは言わねぇ。君らはまだ若いんだから、こんな何もない場所に居を構えようとは思わない方がいい」
門番さんなりの善意なのだろう。
だけどそれは俺達の望みでもあったから、やんわりと忠告を断る。
「あはは、まだ若いですからね。後悔なんて100回してもお釣りが来ますよ」
「……そうかい。若いってのは良いなァ」
「門番さんもまだまだ若いでしょう?」
「へっ、ちげぇねぇ」
門番さんが入国許可証にサインをする。
ついでに一枚の便箋を取り出し、何かをさらさらと記入している。やがて何かを書き終えた彼は筆を置き、俺達に手渡した。
「この町に住むっつっても、どうせあてもねえだろ。便箋の方に俺の弟が昔使っていた家の場所を記しておいた。好きに使ってくれて構わん」
「弟さんはどうされたんですか?」
「……逝っちまったよ。二年前の冬に、流行り病でぽっくりとな」
「それは……」
俺やアリシアが冥福を祈るより早く、門番さんは笑って俺たちを送り出した。
「定期的に掃除はしてるんだが、やっぱり家ってのは人が住んでねえとすぐダメになる。お前さんたちが使ってくれたら俺も気を揉まずに済むってこった。だから変な気を使うんじゃねえぞ?」
「それは、その……いえ、ありがとうございます」
「おう! じゃあ改めて。ようこそ、宿泊の町へ!」
*
その木造家屋からは、歴史の香りがした。
「本当に掃除が行き届いていますね、ウルさん」
「ああ、埃の一つ目につかないな」
俺とアリシアは門番さんに紹介された家にやってきていた。
ふと思い起こされる記憶がある。
あれは、俺がまだ影武者として抜擢されるよりさらに昔の話。
人族の別の国にスパイとして向かった時のことだった。
俺はもともと暗部の人間だったから、公式な外交身分なんてもらえなかったし、一般人を装っての諜報活動だった。公式な身分さえあれば下手を打っても、国外追放のみで済む場合が多いけど、俺たちの場合は即刻死刑だ。
名前も身分も偽りの状況で、死を迎える。
そうなれば、俺の死は当時の俺の上司にしか伝わらない。
誰にも知られず朽ち、ウルティオラとして死ぬことすらかなわない。
スパイというのはそういうものだ。
俺はその中でも生き残り続け、最終的に勇者の影武者という立場を得るほどに功績を残せたけれど、最初から今の能力を持っていたわけじゃない。
駆け出しの、ひよっこ時代はあったし、当時はミスもした。
偽の情報をまんまとつかまされ、罠にはめられ、敵陣にとらえられたことがあった。
そのときの家屋もちょうどこの建物と同じ木造だった。
もっとも、その家屋は血と埃にまみれていて、呼吸をすれば肺が痛むような悪環境だった。
大黒柱らしき木材には、腐食した跡があった。
それと比べればこの家屋は丁寧な掃除が行き届いていて、門番さんがどれだけこの家屋を大事に取り扱ってきたかが、なんとなくわかる気がする。
「町の人もいい人たちだったな」
「そうですね。こんなに色々頂いて」
門から、ここに来るまでの間に増えた荷物を置いてみた。両手いっぱいに抱えてきたそれは、ここに来るまでに町の人からもらった果物や野菜などだった。
外から来た人と忌避するのではなく、受け入れてくれる。この町の人々は心暖かい人ばかりだった。
それから、私物を片付けようと思い家を調べる。
こじんまりとした家ではあったが、部屋は居間を除いて二つあるようだ。それぞれが使えばちょうどいいだろう。
「アリシア、二つ部屋があるみたいだけど、どっちを使いたい?」
「……え?」
「え?」
え?
何か間違えたこと言った?
「あの、ウルさん。もしかして部屋を分けるつもりではありませんよね?」
「え、そうだけど……」
「ダメです! 一緒に寝ましょう!」
「アリシア……!?」
ギュッと俺の腕にしがみ付く彼女。
「ウルさん、言ってくれたじゃないですか。私と一緒にいてくれるって。あれは嘘だったんですか?」
「待て待て。確かに一緒にいると言った。それは紛れもない本心だし、今も変わりないよ。だけど結ばれてもいない男女が同じ部屋で寝るのは良くない」
「ウルさんは私以外の女性と結ばれたいのですか?」
「そういう訳じゃないけど……」
「でしたら! 何の問題もないではありませんか!」
いやあるだろ。
なんて、率直に伝えると悲しむんだろうな。
ちなみに、勇者パーティで野宿するときはちゃんと男女で別のテントを使っていた。
どうにか遠回しに説得できないだろうか。
「アリシア。君の気持ちは嬉しい。でも、こういうのはきちんと順序を踏んでいくべきだと思うんだ。ここは俺の意見にも耳を傾けてくれないかい?」
「……ウルさんはズルいです」
「そうか」
「はい。ズルいです。そんな言い方されたら断れませんもの」
アリシアが俺の腕から一歩離れ、俺と向き合った。
「では、ウルさん」
「なんでしょうか」
心なしか、アリシアの顔が赤くなっている。
それから彼女は口を開いたり、閉じたりして、それからようやく、意を決したように言葉を紡いだ。
「私と、結婚してください」
……違う、そうじゃない。
つかの間の小雨の後には、どこまでも澄んだ蒼天が広がっている。青野を漂う空気はまだ少し冬の香りを覚えているようで、光風の凍みにハッとさせられる。
並んで歩くアリシアの、ハーフアップにした金色の艶やかな髪がふわっと羽ばたいた。
「アリシア、見えてきたぞ」
どこまで続くのかと思うほど広い草原。
その草筵にも、ようやっと集落が見えてきた。
石造りの壁でぐるっと囲われた街だ。
「では、あそこが宿泊の町なのですね!」
草原にポツンと、たった一つの町。
昔は交易路の中継点として栄えた時期もあったらしい。しかし、今はここより北にもっとしっかりした道が舗装されたがゆえに、人がやってくることはめっきり減ったという。現に、町の囲いの内から賑わいや喧騒が聞こえると言うわけでもなく、閑散とした様子が窺える。
のんびりと過ごすには都合がよかった。
「楽しみですね! ウルさん!」
「そうだな」
勇者パーティを追放された俺たちは、後の事を勇者に任せてスローライフを送ることにした。
町に着いたらあれをしたい、これをしたいなんて、アリシアと会話に花を咲かせていると、遠くに見えた門はあっという間に目の前にあった。町に入ろうとする人なんて一人もおらず、おかげでスムーズに入国審査に移れた。
「名前は?」
「俺はウルティオラ、こっちはアリシア」
「アリシアです」
「入国の目的は?」
「移住をしようかと」
「右に同じくです」
「ん?」
門番さんが、不思議そうな声を出した。
「おや、お二人さんは旅のお方ではないのかい?」
「そうですね、移り住もうと考えております」
「ははっ、悪いことは言わねぇ。君らはまだ若いんだから、こんな何もない場所に居を構えようとは思わない方がいい」
門番さんなりの善意なのだろう。
だけどそれは俺達の望みでもあったから、やんわりと忠告を断る。
「あはは、まだ若いですからね。後悔なんて100回してもお釣りが来ますよ」
「……そうかい。若いってのは良いなァ」
「門番さんもまだまだ若いでしょう?」
「へっ、ちげぇねぇ」
門番さんが入国許可証にサインをする。
ついでに一枚の便箋を取り出し、何かをさらさらと記入している。やがて何かを書き終えた彼は筆を置き、俺達に手渡した。
「この町に住むっつっても、どうせあてもねえだろ。便箋の方に俺の弟が昔使っていた家の場所を記しておいた。好きに使ってくれて構わん」
「弟さんはどうされたんですか?」
「……逝っちまったよ。二年前の冬に、流行り病でぽっくりとな」
「それは……」
俺やアリシアが冥福を祈るより早く、門番さんは笑って俺たちを送り出した。
「定期的に掃除はしてるんだが、やっぱり家ってのは人が住んでねえとすぐダメになる。お前さんたちが使ってくれたら俺も気を揉まずに済むってこった。だから変な気を使うんじゃねえぞ?」
「それは、その……いえ、ありがとうございます」
「おう! じゃあ改めて。ようこそ、宿泊の町へ!」
*
その木造家屋からは、歴史の香りがした。
「本当に掃除が行き届いていますね、ウルさん」
「ああ、埃の一つ目につかないな」
俺とアリシアは門番さんに紹介された家にやってきていた。
ふと思い起こされる記憶がある。
あれは、俺がまだ影武者として抜擢されるよりさらに昔の話。
人族の別の国にスパイとして向かった時のことだった。
俺はもともと暗部の人間だったから、公式な外交身分なんてもらえなかったし、一般人を装っての諜報活動だった。公式な身分さえあれば下手を打っても、国外追放のみで済む場合が多いけど、俺たちの場合は即刻死刑だ。
名前も身分も偽りの状況で、死を迎える。
そうなれば、俺の死は当時の俺の上司にしか伝わらない。
誰にも知られず朽ち、ウルティオラとして死ぬことすらかなわない。
スパイというのはそういうものだ。
俺はその中でも生き残り続け、最終的に勇者の影武者という立場を得るほどに功績を残せたけれど、最初から今の能力を持っていたわけじゃない。
駆け出しの、ひよっこ時代はあったし、当時はミスもした。
偽の情報をまんまとつかまされ、罠にはめられ、敵陣にとらえられたことがあった。
そのときの家屋もちょうどこの建物と同じ木造だった。
もっとも、その家屋は血と埃にまみれていて、呼吸をすれば肺が痛むような悪環境だった。
大黒柱らしき木材には、腐食した跡があった。
それと比べればこの家屋は丁寧な掃除が行き届いていて、門番さんがどれだけこの家屋を大事に取り扱ってきたかが、なんとなくわかる気がする。
「町の人もいい人たちだったな」
「そうですね。こんなに色々頂いて」
門から、ここに来るまでの間に増えた荷物を置いてみた。両手いっぱいに抱えてきたそれは、ここに来るまでに町の人からもらった果物や野菜などだった。
外から来た人と忌避するのではなく、受け入れてくれる。この町の人々は心暖かい人ばかりだった。
それから、私物を片付けようと思い家を調べる。
こじんまりとした家ではあったが、部屋は居間を除いて二つあるようだ。それぞれが使えばちょうどいいだろう。
「アリシア、二つ部屋があるみたいだけど、どっちを使いたい?」
「……え?」
「え?」
え?
何か間違えたこと言った?
「あの、ウルさん。もしかして部屋を分けるつもりではありませんよね?」
「え、そうだけど……」
「ダメです! 一緒に寝ましょう!」
「アリシア……!?」
ギュッと俺の腕にしがみ付く彼女。
「ウルさん、言ってくれたじゃないですか。私と一緒にいてくれるって。あれは嘘だったんですか?」
「待て待て。確かに一緒にいると言った。それは紛れもない本心だし、今も変わりないよ。だけど結ばれてもいない男女が同じ部屋で寝るのは良くない」
「ウルさんは私以外の女性と結ばれたいのですか?」
「そういう訳じゃないけど……」
「でしたら! 何の問題もないではありませんか!」
いやあるだろ。
なんて、率直に伝えると悲しむんだろうな。
ちなみに、勇者パーティで野宿するときはちゃんと男女で別のテントを使っていた。
どうにか遠回しに説得できないだろうか。
「アリシア。君の気持ちは嬉しい。でも、こういうのはきちんと順序を踏んでいくべきだと思うんだ。ここは俺の意見にも耳を傾けてくれないかい?」
「……ウルさんはズルいです」
「そうか」
「はい。ズルいです。そんな言い方されたら断れませんもの」
アリシアが俺の腕から一歩離れ、俺と向き合った。
「では、ウルさん」
「なんでしょうか」
心なしか、アリシアの顔が赤くなっている。
それから彼女は口を開いたり、閉じたりして、それからようやく、意を決したように言葉を紡いだ。
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