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第2話
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「アイリス、ああよかった! 心配したんだぞ!」
「……お、父様? ここは」
「屋敷の一室だ。すごい熱を出して庭で倒れていたんだ」
「……私が、庭で?」
上体を起こすと頭がくらっとして、視界が黒くよどみました。右手を当てて頭痛が引くのを待ちます。
そんな折、視界の片隅に、どこか見覚えのある書物が映りました。
刹那、彼女の脳裏に未来の出来事がよみがえりました。
――4年後には殺されてしまう。
「この、この書籍に、わ、私のこれからのことが」
「アイリス? アイリス!」
手首をつかまれて、ハッと意識が引き上げられました。顔を上げれば、不安そうに少女を覗き込む父親の顔があります。
「しっかりするんだ。書籍なんてどこにもない」
「……え?」
*
ええ、そうです。
少女、アイリス・ヴィ・イザナリアこそ私です。
私の手に握られた【アカシックレコード】は、私以外の誰にも見えず、触ることさえできないようです。
「……確かにここに、ありますのに」
表紙の手触りも、ページをめくる音も、私にははっきり感じ取れます。
――いつものように庭で本を読んでいた。
――いつものようにお父様がやってきた。
――その頭上に、剥落した外壁が迫っていた。
――声を上げた時には手遅れだった。
――瓦礫はお父様の右肩を打ち抜いた。
――悪意が私を嗤っている。
――私のせいだ。私のせいなんだ。
――私が日記を無視したせいなんだ。
ぱたん。
私は本を閉じました。
『おそらく一時的なパニック症状でしょう』
お医者様はおっしゃいました。
すぐに元通りの生活を送れると。
本当に、幻覚、なのかな……。
「アイリス。やっぱり気分がすぐれないのかい?」
「お父様……!」
書斎でうんうん唸っていた私は、お父様がやってきていたことにも気づかなかったようです。ですが、これはちょうどよい機会です。
「お父様、大事な話がございます」
「うん? なんだい?」
口にして、思い止まりました。
……私は今、何を言おうとしたのでしょう。
頭上にお気を付けください?
屋敷の外壁が老朽化しています?
根拠をどう説明するつもりでしたか。
また、存在するかどうかも不確かな日記を引き合いに出すつもりですか。
お父様に心労をかけてまで。
「……あの、一番上の棚の歴史書を読みたいのです。取っていただけませんか?」
結局、口をついて出たのはそんな言葉でした。
お父様の職務は精神的に疲弊しやすいものです。
余計な心配を掛けたくはありません。
「構わないよ。でもアイリス、その前に一つだけ聞かせてくれるかい?」
「はい。なんでしょう」
「言いたかったのは、本当にそんなことかい?」
ですが、お父様はお見通しでした。
敵わないな、と思いました。
「はい。不安をあおるような言い回しをしてしまい申し訳ございませんでした」
「……そうか」
お父様は手を伸ばすと、分厚い歴史書を自由のきく右手で下ろしてくださりました。私は受け取り、お礼を口にしました。
お父様は、じっと私を見ています。
「今日はお庭に向かわないのかい?」
「……えっと、それは」
私は言い淀みました。
肯定すれば、未だに精神的に不安を抱えていると打ち明けることになり、否定すれば、日記通りのシチュエーションが完成してしまいます。
「いいよ、今日は。外に持ち出しても」
……いえ、この日記に書かれたことが現実に起こる確証なんてどこにもありませんね。
「はい。ありがとうございます。お父様」
いつも通りの私を心がけましょう。
大丈夫、お医者様も言っていたではありませんか。
一時的なパニック症状にすぎないと。
書斎の出入り口に向かいました。
大きな扉に手を掛けました。
背後からお父様が「ああ、それからアイリス」と私を呼び止めましたので、立ち止まります。
振り返った先にいたのは、いつにも増して真剣な顔をしたお父様。
「私はいつだってアイリスの味方だ。不安になったらいつでも頼りなさい」
……ああ、本当に。
お父様には敵わないなぁ。
少し、歴史書に没頭していました。
庭の木々の香りが、風の匂いが、肺を満たしていきます。もうそろそろ日も傾き始めるころでしょうか。
「おーい、アイリス。そろそろ日も暮れるよ」
「お父様!」
声がして、ハッと顔を上げました。
ゆったりと手を振りながら、お父様がこちらに足を向けています。
その顔は斜陽で真っ赤に染まっていました。
伸びる影が屋敷の壁に差し掛かり、上に向かって伸びています。
……その先には。
「お父様ッ!!」
あり得ません。
そんなはずがないのです。
だって、だってこれは。
「嘘、嘘よ……こんなの」
血飛沫の色。
むせかえるような鉄の匂い。
鈍い悲鳴が耳を穿つ。
――悪意が私を嗤っている。
「……お、父様? ここは」
「屋敷の一室だ。すごい熱を出して庭で倒れていたんだ」
「……私が、庭で?」
上体を起こすと頭がくらっとして、視界が黒くよどみました。右手を当てて頭痛が引くのを待ちます。
そんな折、視界の片隅に、どこか見覚えのある書物が映りました。
刹那、彼女の脳裏に未来の出来事がよみがえりました。
――4年後には殺されてしまう。
「この、この書籍に、わ、私のこれからのことが」
「アイリス? アイリス!」
手首をつかまれて、ハッと意識が引き上げられました。顔を上げれば、不安そうに少女を覗き込む父親の顔があります。
「しっかりするんだ。書籍なんてどこにもない」
「……え?」
*
ええ、そうです。
少女、アイリス・ヴィ・イザナリアこそ私です。
私の手に握られた【アカシックレコード】は、私以外の誰にも見えず、触ることさえできないようです。
「……確かにここに、ありますのに」
表紙の手触りも、ページをめくる音も、私にははっきり感じ取れます。
――いつものように庭で本を読んでいた。
――いつものようにお父様がやってきた。
――その頭上に、剥落した外壁が迫っていた。
――声を上げた時には手遅れだった。
――瓦礫はお父様の右肩を打ち抜いた。
――悪意が私を嗤っている。
――私のせいだ。私のせいなんだ。
――私が日記を無視したせいなんだ。
ぱたん。
私は本を閉じました。
『おそらく一時的なパニック症状でしょう』
お医者様はおっしゃいました。
すぐに元通りの生活を送れると。
本当に、幻覚、なのかな……。
「アイリス。やっぱり気分がすぐれないのかい?」
「お父様……!」
書斎でうんうん唸っていた私は、お父様がやってきていたことにも気づかなかったようです。ですが、これはちょうどよい機会です。
「お父様、大事な話がございます」
「うん? なんだい?」
口にして、思い止まりました。
……私は今、何を言おうとしたのでしょう。
頭上にお気を付けください?
屋敷の外壁が老朽化しています?
根拠をどう説明するつもりでしたか。
また、存在するかどうかも不確かな日記を引き合いに出すつもりですか。
お父様に心労をかけてまで。
「……あの、一番上の棚の歴史書を読みたいのです。取っていただけませんか?」
結局、口をついて出たのはそんな言葉でした。
お父様の職務は精神的に疲弊しやすいものです。
余計な心配を掛けたくはありません。
「構わないよ。でもアイリス、その前に一つだけ聞かせてくれるかい?」
「はい。なんでしょう」
「言いたかったのは、本当にそんなことかい?」
ですが、お父様はお見通しでした。
敵わないな、と思いました。
「はい。不安をあおるような言い回しをしてしまい申し訳ございませんでした」
「……そうか」
お父様は手を伸ばすと、分厚い歴史書を自由のきく右手で下ろしてくださりました。私は受け取り、お礼を口にしました。
お父様は、じっと私を見ています。
「今日はお庭に向かわないのかい?」
「……えっと、それは」
私は言い淀みました。
肯定すれば、未だに精神的に不安を抱えていると打ち明けることになり、否定すれば、日記通りのシチュエーションが完成してしまいます。
「いいよ、今日は。外に持ち出しても」
……いえ、この日記に書かれたことが現実に起こる確証なんてどこにもありませんね。
「はい。ありがとうございます。お父様」
いつも通りの私を心がけましょう。
大丈夫、お医者様も言っていたではありませんか。
一時的なパニック症状にすぎないと。
書斎の出入り口に向かいました。
大きな扉に手を掛けました。
背後からお父様が「ああ、それからアイリス」と私を呼び止めましたので、立ち止まります。
振り返った先にいたのは、いつにも増して真剣な顔をしたお父様。
「私はいつだってアイリスの味方だ。不安になったらいつでも頼りなさい」
……ああ、本当に。
お父様には敵わないなぁ。
少し、歴史書に没頭していました。
庭の木々の香りが、風の匂いが、肺を満たしていきます。もうそろそろ日も傾き始めるころでしょうか。
「おーい、アイリス。そろそろ日も暮れるよ」
「お父様!」
声がして、ハッと顔を上げました。
ゆったりと手を振りながら、お父様がこちらに足を向けています。
その顔は斜陽で真っ赤に染まっていました。
伸びる影が屋敷の壁に差し掛かり、上に向かって伸びています。
……その先には。
「お父様ッ!!」
あり得ません。
そんなはずがないのです。
だって、だってこれは。
「嘘、嘘よ……こんなの」
血飛沫の色。
むせかえるような鉄の匂い。
鈍い悲鳴が耳を穿つ。
――悪意が私を嗤っている。
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