上 下
2 / 8

第2話

しおりを挟む
「アイリス、ああよかった! 心配したんだぞ!」
「……お、父様? ここは」
「屋敷の一室だ。すごい熱を出して庭で倒れていたんだ」
「……私が、庭で?」

 上体を起こすと頭がくらっとして、視界が黒くよどみました。右手を当てて頭痛が引くのを待ちます。
 そんな折、視界の片隅に、どこか見覚えのある書物が映りました。

 刹那、彼女の脳裏に未来の出来事がよみがえりました。

 ――4年後には殺されてしまう。

「この、この書籍に、わ、私のこれからのことが」
「アイリス? アイリス!」

 手首をつかまれて、ハッと意識が引き上げられました。顔を上げれば、不安そうに少女を覗き込む父親の顔があります。

「しっかりするんだ。書籍なんてどこにもない」
「……え?」



 ええ、そうです。
 少女、アイリス・ヴィ・イザナリアこそ私です。

 私の手に握られた【アカシックレコード】は、私以外の誰にも見えず、触ることさえできないようです。

「……確かにここに、ありますのに」

 表紙の手触りも、ページをめくる音も、私にははっきり感じ取れます。

 ――いつものように庭で本を読んでいた。
 ――いつものようにお父様がやってきた。
 ――その頭上に、剥落はくらくした外壁が迫っていた。
 ――声を上げた時には手遅れだった。
 ――瓦礫はお父様の右肩を打ち抜いた。
 ――悪意が私をわらっている。
 ――私のせいだ。私のせいなんだ。

 ――私が日記を無視したせいなんだ。

 ぱたん。
 私は本を閉じました。

『おそらく一時的なパニック症状でしょう』

 お医者様はおっしゃいました。
 すぐに元通りの生活を送れると。

 本当に、幻覚、なのかな……。

「アイリス。やっぱり気分がすぐれないのかい?」
「お父様……!」

 書斎でうんうん唸っていた私は、お父様がやってきていたことにも気づかなかったようです。ですが、これはちょうどよい機会です。

「お父様、大事な話がございます」
「うん? なんだい?」

 口にして、思い止まりました。
 ……私は今、何を言おうとしたのでしょう。
 頭上にお気を付けください?
 屋敷の外壁が老朽化しています?

 根拠をどう説明するつもりでしたか。
 また、存在するかどうかも不確かな日記を引き合いに出すつもりですか。
 お父様に心労をかけてまで。

「……あの、一番上の棚の歴史書を読みたいのです。取っていただけませんか?」

 結局、口をついて出たのはそんな言葉でした。
 お父様の職務は精神的に疲弊しやすいものです。
 余計な心配を掛けたくはありません。

「構わないよ。でもアイリス、その前に一つだけ聞かせてくれるかい?」
「はい。なんでしょう」
「言いたかったのは、本当にそんなことかい?」

 ですが、お父様はお見通しでした。
 敵わないな、と思いました。

「はい。不安をあおるような言い回しをしてしまい申し訳ございませんでした」
「……そうか」

 お父様は手を伸ばすと、分厚い歴史書を自由のきく右手で下ろしてくださりました。私は受け取り、お礼を口にしました。

 お父様は、じっと私を見ています。

「今日はお庭に向かわないのかい?」
「……えっと、それは」

 私は言い淀みました。
 肯定すれば、未だに精神的に不安を抱えていると打ち明けることになり、否定すれば、日記通りのシチュエーションが完成してしまいます。

「いいよ、今日は。外に持ち出しても」

 ……いえ、この日記に書かれたことが現実に起こる確証なんてどこにもありませんね。

「はい。ありがとうございます。お父様」

 いつも通りの私を心がけましょう。
 大丈夫、お医者様も言っていたではありませんか。
 一時的なパニック症状にすぎないと。

 書斎の出入り口に向かいました。
 大きな扉に手を掛けました。
 背後からお父様が「ああ、それからアイリス」と私を呼び止めましたので、立ち止まります。
 振り返った先にいたのは、いつにも増して真剣な顔をしたお父様。

「私はいつだってアイリスの味方だ。不安になったらいつでも頼りなさい」

 ……ああ、本当に。
 お父様には敵わないなぁ。



 少し、歴史書に没頭していました。
 庭の木々の香りが、風の匂いが、肺を満たしていきます。もうそろそろ日も傾き始めるころでしょうか。

「おーい、アイリス。そろそろ日も暮れるよ」
「お父様!」

 声がして、ハッと顔を上げました。
 ゆったりと手を振りながら、お父様がこちらに足を向けています。

 その顔は斜陽で真っ赤に染まっていました。
 伸びる影が屋敷の壁に差し掛かり、上に向かって伸びています。

 ……その先には。

「お父様ッ!!」

 あり得ません。
 そんなはずがないのです。
 だって、だってこれは。

「嘘、嘘よ……こんなの」

 血飛沫の色。
 むせかえるような鉄の匂い。
 鈍い悲鳴が耳を穿つ。

 ――悪意が私を嗤っている。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

泣き虫令嬢は自称商人(本当は公爵)に愛される

琴葉悠
恋愛
 エステル・アッシュベリーは泣き虫令嬢と一部から呼ばれていた。  そんな彼女に婚約者がいた。  彼女は婚約者が熱を出して寝込んでいると聞き、彼の屋敷に見舞いにいった時、彼と幼なじみの令嬢との不貞行為を目撃してしまう。  エステルは見舞い品を投げつけて、馬車にも乗らずに泣きながら夜道を走った。  冷静になった途端、ごろつきに囲まれるが謎の商人に助けられ──

悪役令嬢は王子の溺愛を終わらせない~ヒロイン遭遇で婚約破棄されたくないので、彼と国外に脱出します~

可児 うさこ
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生した。第二王子の婚約者として溺愛されて暮らしていたが、ヒロインが登場。第二王子はヒロインと幼なじみで、シナリオでは真っ先に攻略されてしまう。婚約破棄されて幸せを手放したくない私は、彼に言った。「ハネムーン(国外脱出)したいです」。私の願いなら何でも叶えてくれる彼は、すぐに手際を整えてくれた。幸せなハネムーンを楽しんでいると、ヒロインの影が追ってきて……※ハッピーエンドです※

悪役令嬢を追い込んだ王太子殿下こそが黒幕だったと知った私は、ざまぁすることにいたしました!

奏音 美都
恋愛
私、フローラは、王太子殿下からご婚約のお申し込みをいただきました。憧れていた王太子殿下からの求愛はとても嬉しかったのですが、気がかりは婚約者であるダリア様のことでした。そこで私は、ダリア様と婚約破棄してからでしたら、ご婚約をお受けいたしますと王太子殿下にお答えしたのでした。 その1ヶ月後、ダリア様とお父上のクノーリ宰相殿が法廷で糾弾され、断罪されることなど知らずに……

徒桜の聖女 ~「話し合えば分かり合える」だなんて、どの口が言いますか~

一ノ瀬るちあ/ねこねこバレット
恋愛
ねえ、こんな「もしも」を考えたことはある? もし1周分の知識をもって人生をやり直せたら、 今度こそ、うまく生きていけるのに、と。 私は、考えたことが無かった。 何故って――  「おお、生まれたか! 性別は……女か。ならばアイーシャと名づけよう!」 ――それが、自分自身に起こる未来だなんて、想像もしていなかったのだから。 ※タイトルの徒桜は「あだざくら」と読みます

乙女ゲームの世界だと知っていても

竹本 芳生
恋愛
悪役令嬢に生まれましたがそれが何だと言うのです。

[完結]本当にバカね

シマ
恋愛
私には幼い頃から婚約者がいる。 この国の子供は貴族、平民問わず試験に合格すれば通えるサラタル学園がある。 貴族は落ちたら恥とまで言われる学園で出会った平民と恋に落ちた婚約者。 入婿の貴方が私を見下すとは良い度胸ね。 私を敵に回したら、どうなるか分からせてあげる。

悪役令嬢に転生して主人公のメイン攻略キャラである王太子殿下に婚約破棄されましたので、張り切って推しキャラ攻略いたしますわ

奏音 美都
恋愛
私、アンソワーヌは婚約者であったドリュー子爵の爵士であるフィオナンテ様がソフィア嬢に心奪われて婚約破棄され、傷心…… いいえ、これでようやく推しキャラのアルモンド様を攻略することができますわ!

処理中です...