26 / 42
4 新たな客
4-3 花と帽子
しおりを挟む
ジュリーのもとに招待を告げる伝令が来た。ベルシー女公爵と令嬢の二人の到着を歓迎して、昼食会が催されるとのことだった。
「私だけですか?」
「はい」
ジュリーは聞き返したが、答えは同じだった。
昼食会はごく内輪の正餐ということだった。ジュリーは招待されたがアナイスは呼ばれなかった。
「他にはどなたがお出ましになるの?」
「女性がお嬢様を含めて三名、男性が三名の合計六名様と伺っております」
女性の三名というのは、ベルシー女公爵と令嬢、ジュリーの三人と想像できた。
男性の三名と言うのは、まずグラモン侯爵、次にリュミニー子爵セドリック。
はて、残りの一名は誰だろうか?
ジュリーはアナイスと話したが、二人とも首をかしげてしまった。
何人かの名前は思いついた。しかし、誰もがその資格があるようでないようで、今一つ決め手に欠けた。
昼餐に出かける支度をしながら、ジュリーはしきりに不安がった。
ジュリーも貴族の出自ではあったが、他の参加者よりは格が劣った。それに、今までアナイスと一緒だったのに、独りで行かなくてはならないことが一層不安だった。
「あなたが一緒だったらよかったのに」
「ジュリー、あなたなら、どこへ行っても大丈夫よ。このドレスも素敵よ」
アナイスはジュリーを励ました。それは本心からだった。
晴れて気持ちのよい午後だった。山荘全体が静かだった。訪問者はなく、滞在客たちも散策や狩りに出かけたり、それぞれが思い思いに過ごしていた。
昼餐に呼ばれなかったアナイスは中庭で本を読もうと、玄関から外へでた。ちょうどジュリーを送り出した後だった。
馬車寄せにリュミニー子爵家の家紋付き箱馬車が到着していた。セドリックがいつも使っている軽装馬車ではなかった。今日は正餐への招待であり、訪問の格式を守ってのことだった。
馬車の中からは帽子に外套姿のセドリックとエヴァンが降りて来た。二人の整った身なりを見て、二人が正餐に招待されているのだとアナイスは理解した。
正餐に呼ばれた男性のうち、三人目は誰なのか、ジュリーと一緒に想像したものだった。しかし今日の装いを見る限り、それはエヴァンのことに違いなかった。
そうと分かってアナイスは少し沈んだ気持ちになった。自分だけが取り残されたような気がした。
その時、前庭の方から馬車寄せに近づく老人の姿があった。先日、アナイスとエヴァンを荷車に乗せた庭師だった。
突然むさ苦しい格好の老庭師が登場し、セドリックはぎょっとして立ち止まった。老人はセドリックには目もくれず、持っていた帽子と白い花を無言でエヴァンに押し付けた。そして玄関から中庭に出て行こうとするアナイスを指さし、去って行った。あっという間の出来事で、庭師を呼び止める暇もなかった。
エヴァンは困惑して持たされた帽子と一輪の花とを見つめた。帽子には見覚えがあった。アナイスの帽子だった。散策のときに失くなったとばかり思っていたが、荷台に乗って帰って来た時に、積み荷の干し草にでも埋もれてたのかもしれない。
「すまない、すぐに戻る」
エヴァンはセドリックに言うと、走ってアナイスの方に向かった。
駆け寄ってきたエヴァンの姿を見てアナイスは驚いた。
「この前の荷車の老人が、これを君にと……」
アナイスは先に花を受け取った。すでに左手には分厚い本があった。右手には花を持つと、両手がふさがってしまって帽子を受け取れなくなった。
エヴァンはちょっと困った顔をすると「失礼」と言って帽子をアナイスの頭に乗せた。
「ゆるく結んでおきます」
エヴァンは少しだけかがんでアナイスの首元をじっと見た。礼装用の手袋をしたままの手でエヴァンは顎のリボンをたぐった。アナイスには触れそうで、触れなかった。
アナイスは聞いた。それは確認だった。
「あなたも正餐に?」
「僕は数合わせです」
エヴァンはつまらなさそうに答えた。
リボンをよく見ようとして目を凝らしたとき、エヴァンの帽子がアナイスの肩に触れて落ちた。
「あなたの帽子が」
「後で拾います。じっとしていて」
すぐにリボンは結び終わって、エヴァンは顔を上げた。
「素敵ですね。似合いますよ」
とたん、アナイスは吹き出した。彼にそんなことを言われるとは、思ってもみなかった。
「何か?」
「だって、……あなたが人にお世辞を言うのを、初めて聞いたわ」
「お世……」
お世辞じゃない、と言おうとしたところでセドリックが叫んだ。
「おーい、遅れるぞ」
時間がなかった。今日ばかりは遅刻するわけにはいかなかった。
エヴァンは帽子を拾うと砂を払った。
「また、後で」
エヴァンの目がアナイスをじっと見た。見つめられてアナイスの心は揺れた。エヴァンは帽子をかぶりながら走って行った。走る彼の後ろ姿には外套のすそが広がった。
『また、後で』
アナイスはエヴァンの言葉を口の中で繰り返した。渡してくれた花に顔を違づけて匂いをかいだ。
先刻までの疎外感はどこにもなかった。
「私だけですか?」
「はい」
ジュリーは聞き返したが、答えは同じだった。
昼食会はごく内輪の正餐ということだった。ジュリーは招待されたがアナイスは呼ばれなかった。
「他にはどなたがお出ましになるの?」
「女性がお嬢様を含めて三名、男性が三名の合計六名様と伺っております」
女性の三名というのは、ベルシー女公爵と令嬢、ジュリーの三人と想像できた。
男性の三名と言うのは、まずグラモン侯爵、次にリュミニー子爵セドリック。
はて、残りの一名は誰だろうか?
ジュリーはアナイスと話したが、二人とも首をかしげてしまった。
何人かの名前は思いついた。しかし、誰もがその資格があるようでないようで、今一つ決め手に欠けた。
昼餐に出かける支度をしながら、ジュリーはしきりに不安がった。
ジュリーも貴族の出自ではあったが、他の参加者よりは格が劣った。それに、今までアナイスと一緒だったのに、独りで行かなくてはならないことが一層不安だった。
「あなたが一緒だったらよかったのに」
「ジュリー、あなたなら、どこへ行っても大丈夫よ。このドレスも素敵よ」
アナイスはジュリーを励ました。それは本心からだった。
晴れて気持ちのよい午後だった。山荘全体が静かだった。訪問者はなく、滞在客たちも散策や狩りに出かけたり、それぞれが思い思いに過ごしていた。
昼餐に呼ばれなかったアナイスは中庭で本を読もうと、玄関から外へでた。ちょうどジュリーを送り出した後だった。
馬車寄せにリュミニー子爵家の家紋付き箱馬車が到着していた。セドリックがいつも使っている軽装馬車ではなかった。今日は正餐への招待であり、訪問の格式を守ってのことだった。
馬車の中からは帽子に外套姿のセドリックとエヴァンが降りて来た。二人の整った身なりを見て、二人が正餐に招待されているのだとアナイスは理解した。
正餐に呼ばれた男性のうち、三人目は誰なのか、ジュリーと一緒に想像したものだった。しかし今日の装いを見る限り、それはエヴァンのことに違いなかった。
そうと分かってアナイスは少し沈んだ気持ちになった。自分だけが取り残されたような気がした。
その時、前庭の方から馬車寄せに近づく老人の姿があった。先日、アナイスとエヴァンを荷車に乗せた庭師だった。
突然むさ苦しい格好の老庭師が登場し、セドリックはぎょっとして立ち止まった。老人はセドリックには目もくれず、持っていた帽子と白い花を無言でエヴァンに押し付けた。そして玄関から中庭に出て行こうとするアナイスを指さし、去って行った。あっという間の出来事で、庭師を呼び止める暇もなかった。
エヴァンは困惑して持たされた帽子と一輪の花とを見つめた。帽子には見覚えがあった。アナイスの帽子だった。散策のときに失くなったとばかり思っていたが、荷台に乗って帰って来た時に、積み荷の干し草にでも埋もれてたのかもしれない。
「すまない、すぐに戻る」
エヴァンはセドリックに言うと、走ってアナイスの方に向かった。
駆け寄ってきたエヴァンの姿を見てアナイスは驚いた。
「この前の荷車の老人が、これを君にと……」
アナイスは先に花を受け取った。すでに左手には分厚い本があった。右手には花を持つと、両手がふさがってしまって帽子を受け取れなくなった。
エヴァンはちょっと困った顔をすると「失礼」と言って帽子をアナイスの頭に乗せた。
「ゆるく結んでおきます」
エヴァンは少しだけかがんでアナイスの首元をじっと見た。礼装用の手袋をしたままの手でエヴァンは顎のリボンをたぐった。アナイスには触れそうで、触れなかった。
アナイスは聞いた。それは確認だった。
「あなたも正餐に?」
「僕は数合わせです」
エヴァンはつまらなさそうに答えた。
リボンをよく見ようとして目を凝らしたとき、エヴァンの帽子がアナイスの肩に触れて落ちた。
「あなたの帽子が」
「後で拾います。じっとしていて」
すぐにリボンは結び終わって、エヴァンは顔を上げた。
「素敵ですね。似合いますよ」
とたん、アナイスは吹き出した。彼にそんなことを言われるとは、思ってもみなかった。
「何か?」
「だって、……あなたが人にお世辞を言うのを、初めて聞いたわ」
「お世……」
お世辞じゃない、と言おうとしたところでセドリックが叫んだ。
「おーい、遅れるぞ」
時間がなかった。今日ばかりは遅刻するわけにはいかなかった。
エヴァンは帽子を拾うと砂を払った。
「また、後で」
エヴァンの目がアナイスをじっと見た。見つめられてアナイスの心は揺れた。エヴァンは帽子をかぶりながら走って行った。走る彼の後ろ姿には外套のすそが広がった。
『また、後で』
アナイスはエヴァンの言葉を口の中で繰り返した。渡してくれた花に顔を違づけて匂いをかいだ。
先刻までの疎外感はどこにもなかった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる