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第3話 春に戻る
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「ミルテ……ミルテ!」
身体が揺さぶられる。
もう、人がせっかく気持ちよく寝ているのに、何すんのよ。
再度揺すられて私は飛び起きる。
何? ……えっと、私、今まで何してたんだっけ?
わけがわからず、呆然として私は頭を押さえる。
「頭が痛い……」
傍らにはアンリエットの心配そうな顔。彼女が私を起こしたのだ。
「起こしてごめん、ミルテ。私、そろそろ行くわね」
「私、寝てた?」
「うん。わたしたち、昨晩おしゃべりしすぎたから? 大丈夫?」
「大丈夫、あんまりいいお天気だから、つい……」
どこかで全く同じ会話をした覚えがある。
足の下には柔らかい草、降り注ぐ温かい日差し。春の陽気。
眼下には運河、水面がおだやかに揺れている。船着き場には週に一度の連絡船が停泊中。
昨日までアンリエットは私の家に滞在していて、今日帰るところ。
私は船で帰るアンリエットを見送りに来ていて、うっかりうたた寝をした。
さっきまでの悪夢が思い出されて思わず身震い。夢だとしても本当にひどい悪夢。あんなの、夢でだって二度とごめんだ。
私は死んだ。死んだのは石像の下敷きになったせいだけど、きっかけを作ったのは私の母親。
肝心の所でエリックは来てくれなかった。もしかして私だと気づかなかっただけ? ……済んだことで期待するのはやめよう、彼について確かなことは何もない。
「ミルテ、本当に大丈夫? どこか悪いんだったら家まで一緒に戻るわ。わたしはまた別の船で帰ればいいんだし……」
「何でもない。ほら、行って。間に合わないわ」
私は自分にも言い聞かせる。あれは夢だったんだ。忘れてしまおう。
アンリエットは船に乗り込む。手を振りながら大声で言う。
「じゃあ次はロテールで会いましょうね。あなたも来てね」
「必ず行くわ」
アンリエットは先に帰るけど、夏になったら私もロテールの港町にあるアンリエットの家を訪ねる約束をした。
彼女の乗った船はゆっくりと運河を進む。運河を北上した後、内海を通ってロテールまで向かう。穏やかな船旅が待っている。
風が心地よい。旅にはいい季節だ。
アンリエットに出会ったのは王宮主催の行儀作法教室で。新興勢力が台頭する今の時代、旧来の伝統が失われることを憂えて王宮が開催した。
行儀作法の教室なんかに参加している時点で、参加者が自ら三流の家柄だと証明するようなもの。私も自分のことは否定しない。
アンリエットのような名家の子女には必要ないはずなのに、なぜか彼女は参加していて、
『そうねえ……いつも会うような人たちとは気が合わないから、場所を変えてみようかと思って』
などと言う。
とにかく、アンリエットが私の友人でいてくれてうれしい。
***
気分よく家に帰ると、机の上にある『農業大全』が目に留まった。以前アンリエットがくれた本だ。
この本、こんな場所に置いてあったっけ? いつ読んだんだろう?
覚えがない。もともと私はあまり本を読まないし、特にこの本は分厚くて重たくて、どこかに積んだままにしたと思っていた。
本の表紙のすぐ下からは、紙切れがはみ出している。
しおりの代わりかな?
私はしおりがはさんであるページを開く。しおりと思ったのは分厚い絵画用の紙だ。うす汚れた……。
次の瞬間、私は思わず本を閉じる。周囲には誰もいないと分かっているのに、それでも辺りを気にしながら再度本を開く。おそるおそるそれを確認する。
本の間にあったのは男の肖像画。顔の上に黒いペンで書きなぐった跡、全体的に踏みつけられた跡。
アンリエットが『わたしの婚約者』だと言って持ってきた絵だ。
どうして、こんな絵が、ここにあるの?
***
アンリエットの去った翌日、王都で暮らすマーゴから手紙が届た。
私には読まなくても手紙の内容が分かる。
手紙は、マーゴが恋人と別れ、今は一人になったという報告のはず。実際に封を開けてみると、その通りの内容だった。
次回の手紙で、マーゴには新しい恋人ができる。その恋人の名前がアラン。手紙には二人の出会いについて書かれる。
『私の靴が汚れているとことに気づいた時、ためらうことなく懐からハンカチを取り出して靴を拭いてくれたのがアランだったの。それですっかり彼のことが好きになってしまったのだわ』
これを読んだとき、そんな細かい事まで書いてこなくてもいいのに……、と苦々しく思ったのをよく覚えている。
マーゴから届いたばかりの手紙を見て考える。
やっぱり、私は時間を戻って来たのかな、と。
なぜか次に起こることを知っている。経験した覚えがある。
順番ではこの後、家の使用人のフィリップがやって来て私に聞くのだ。
『領主館での祝宴には参加なさいますか?』
『いいえ。今年もあなたに任せるわ』
『かしこまりました』
でも今回は、何と答えるか決めていた。
果たしてフィリップがやって来て私に尋ねる。
「お嬢様、領主館から使いがきておりお返事をいただきたいとのことです。領主館での祝宴には参加なさいますか?」
「今年は私も出るわ、フィリップ、あなたも来てね」
「かしこまりました」
少し驚いたようにフィリップが頭を下げ、その場を辞す。
毎年、近くの領主館では夏至の祝宴会があって、近隣の住人を招待している。この祝宴に私はいつも参加せず、フィリップにまかせていた。
本当は今年も参加しなかったのだけど……今回は、それとは違うことをやると決めた。
私の手元にはアンリエットの婚約者の肖像が残っている。正確には、今の時点ではまだ未来の婚約者で……何てややこしい。
未来のアンリエットが持ってくるはずの絵が、どうして今ここにあるのかは、分からない。
でも、この絵が、昨日のことが夢じゃないと教えてくれる。実際に一度起きたことで、これから起きる未来なんだ、って。私はもう一度同じ人生を経験しようとしているんだ、って。
特別に改心したんじゃない。何かを悔い改めたってわけでもない。
ただ、前と同じ事をしていては結果も同じになる。あの結末が待っている。何としてもそれは避けたい。避けなければ。
身体が揺さぶられる。
もう、人がせっかく気持ちよく寝ているのに、何すんのよ。
再度揺すられて私は飛び起きる。
何? ……えっと、私、今まで何してたんだっけ?
わけがわからず、呆然として私は頭を押さえる。
「頭が痛い……」
傍らにはアンリエットの心配そうな顔。彼女が私を起こしたのだ。
「起こしてごめん、ミルテ。私、そろそろ行くわね」
「私、寝てた?」
「うん。わたしたち、昨晩おしゃべりしすぎたから? 大丈夫?」
「大丈夫、あんまりいいお天気だから、つい……」
どこかで全く同じ会話をした覚えがある。
足の下には柔らかい草、降り注ぐ温かい日差し。春の陽気。
眼下には運河、水面がおだやかに揺れている。船着き場には週に一度の連絡船が停泊中。
昨日までアンリエットは私の家に滞在していて、今日帰るところ。
私は船で帰るアンリエットを見送りに来ていて、うっかりうたた寝をした。
さっきまでの悪夢が思い出されて思わず身震い。夢だとしても本当にひどい悪夢。あんなの、夢でだって二度とごめんだ。
私は死んだ。死んだのは石像の下敷きになったせいだけど、きっかけを作ったのは私の母親。
肝心の所でエリックは来てくれなかった。もしかして私だと気づかなかっただけ? ……済んだことで期待するのはやめよう、彼について確かなことは何もない。
「ミルテ、本当に大丈夫? どこか悪いんだったら家まで一緒に戻るわ。わたしはまた別の船で帰ればいいんだし……」
「何でもない。ほら、行って。間に合わないわ」
私は自分にも言い聞かせる。あれは夢だったんだ。忘れてしまおう。
アンリエットは船に乗り込む。手を振りながら大声で言う。
「じゃあ次はロテールで会いましょうね。あなたも来てね」
「必ず行くわ」
アンリエットは先に帰るけど、夏になったら私もロテールの港町にあるアンリエットの家を訪ねる約束をした。
彼女の乗った船はゆっくりと運河を進む。運河を北上した後、内海を通ってロテールまで向かう。穏やかな船旅が待っている。
風が心地よい。旅にはいい季節だ。
アンリエットに出会ったのは王宮主催の行儀作法教室で。新興勢力が台頭する今の時代、旧来の伝統が失われることを憂えて王宮が開催した。
行儀作法の教室なんかに参加している時点で、参加者が自ら三流の家柄だと証明するようなもの。私も自分のことは否定しない。
アンリエットのような名家の子女には必要ないはずなのに、なぜか彼女は参加していて、
『そうねえ……いつも会うような人たちとは気が合わないから、場所を変えてみようかと思って』
などと言う。
とにかく、アンリエットが私の友人でいてくれてうれしい。
***
気分よく家に帰ると、机の上にある『農業大全』が目に留まった。以前アンリエットがくれた本だ。
この本、こんな場所に置いてあったっけ? いつ読んだんだろう?
覚えがない。もともと私はあまり本を読まないし、特にこの本は分厚くて重たくて、どこかに積んだままにしたと思っていた。
本の表紙のすぐ下からは、紙切れがはみ出している。
しおりの代わりかな?
私はしおりがはさんであるページを開く。しおりと思ったのは分厚い絵画用の紙だ。うす汚れた……。
次の瞬間、私は思わず本を閉じる。周囲には誰もいないと分かっているのに、それでも辺りを気にしながら再度本を開く。おそるおそるそれを確認する。
本の間にあったのは男の肖像画。顔の上に黒いペンで書きなぐった跡、全体的に踏みつけられた跡。
アンリエットが『わたしの婚約者』だと言って持ってきた絵だ。
どうして、こんな絵が、ここにあるの?
***
アンリエットの去った翌日、王都で暮らすマーゴから手紙が届た。
私には読まなくても手紙の内容が分かる。
手紙は、マーゴが恋人と別れ、今は一人になったという報告のはず。実際に封を開けてみると、その通りの内容だった。
次回の手紙で、マーゴには新しい恋人ができる。その恋人の名前がアラン。手紙には二人の出会いについて書かれる。
『私の靴が汚れているとことに気づいた時、ためらうことなく懐からハンカチを取り出して靴を拭いてくれたのがアランだったの。それですっかり彼のことが好きになってしまったのだわ』
これを読んだとき、そんな細かい事まで書いてこなくてもいいのに……、と苦々しく思ったのをよく覚えている。
マーゴから届いたばかりの手紙を見て考える。
やっぱり、私は時間を戻って来たのかな、と。
なぜか次に起こることを知っている。経験した覚えがある。
順番ではこの後、家の使用人のフィリップがやって来て私に聞くのだ。
『領主館での祝宴には参加なさいますか?』
『いいえ。今年もあなたに任せるわ』
『かしこまりました』
でも今回は、何と答えるか決めていた。
果たしてフィリップがやって来て私に尋ねる。
「お嬢様、領主館から使いがきておりお返事をいただきたいとのことです。領主館での祝宴には参加なさいますか?」
「今年は私も出るわ、フィリップ、あなたも来てね」
「かしこまりました」
少し驚いたようにフィリップが頭を下げ、その場を辞す。
毎年、近くの領主館では夏至の祝宴会があって、近隣の住人を招待している。この祝宴に私はいつも参加せず、フィリップにまかせていた。
本当は今年も参加しなかったのだけど……今回は、それとは違うことをやると決めた。
私の手元にはアンリエットの婚約者の肖像が残っている。正確には、今の時点ではまだ未来の婚約者で……何てややこしい。
未来のアンリエットが持ってくるはずの絵が、どうして今ここにあるのかは、分からない。
でも、この絵が、昨日のことが夢じゃないと教えてくれる。実際に一度起きたことで、これから起きる未来なんだ、って。私はもう一度同じ人生を経験しようとしているんだ、って。
特別に改心したんじゃない。何かを悔い改めたってわけでもない。
ただ、前と同じ事をしていては結果も同じになる。あの結末が待っている。何としてもそれは避けたい。避けなければ。
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