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第41話 彼の退場

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 あれから一週間。
 もう、一週間。まだ、一週間。いろいろな思いが交錯する。
 
 城の大広間には再びジャンヌ様とリュシアン王子が並び立つ。
 一週間前と違うのは、ご両親の姿が見えないこと。ジャンヌ様はもはや領主の娘ではなく、ご自身が領主で『ヴァロン候』を名乗る身分であること。
 お二人は正式に婚約し、お祝いに集まった人々が膝を折って挨拶をする。領民たちがジャンヌ様に忠誠を誓う。

 ジャンヌ様が肩からかけているのは方形の金のメダルをつないだ首飾り。これはヴァロン家の家宝。
 指のダイヤモンドはリュシアン王子が贈った婚約指輪。
 腰にはフェリックス様からの赤いショールを帯のように巻き、金色の腰飾りを締める。
 豪奢な装飾品に全く劣らず、ジャンヌ様は本当にお美しいのだ。
 隣にいるリュシアン王子は王者の風格で余裕のたたずまい。彼自身も光り輝く美貌の人だけど、今日は少し抑え気味。どちらかというとジャンヌ様の方が王子を従えて、一層の輝きを増すようだ。
 
 人の列の間からフェリックス様がさっそうと現れる。旅装ではなくて儀礼用の正装で、肩にはジャンヌ様から贈られた青いマントを留める。非の打ちどころのない、見事な貴公子。
 彼の登場に集まった人々がざわめくけれど、それは賛辞。事情はすっかり知れている。

「見て、ルメール伯のフェリックス様よ……お美しいわ」
「ジャンヌ様をめぐってリュシアン王子と争って、結果は王子が勝ったのね」
「でもルメール伯は負けを認めてジャンヌ様のことはきっぱりとあきらめて」
「かつての恋敵が、今は頼りになる味方同士……」
「お二人は義兄弟の誓いをなさったんですってね……」
「ご立派だわ……リュシアン王子もルメール伯も」


 フェリックス様もジャンヌ様たちの前に進み出ると、膝を折って丁重に敬意を表す。お祝いの言葉を言う。

「このたびの御婚約に際して、お祝いを申し上げます。ヴァロン候とその夫君となられるリュシアン殿下に祝福がありますように、ヴァロンの土地がますます栄え安泰でありますようにお祈り申し上げます……」

 彼がすらすらと口上を述べ立てていると、ジャンヌ様とリュシアン王子は顔を見合わせて笑った。
 すぐにリュシアン王子が、跪いているフェリックス様の傍までやって来る。王子はフェリックス様を、自分たちがいる一段高い場所に引き上げた。
 フェリックス様は驚いてすぐに降りようとしたけれど、リュシアン王子がそれを押しとどめる。『お二人に並ぶには及びません』『他人行儀な奴だな』という会話が聞こえてくるようだ。

 王子とフェリックス様が抱き合って親しい者の挨拶を交わす。
 続いて、リュシアン王子がその背を押して、ジャンヌ様の前に出たフェリックス様は儀礼的にジャンヌ様の手に口づけようとする。しかしジャンヌ様も笑ってフェリックス様の手を引っ張りあげ、お二人も兄妹のように頬を寄せてキスをする。
 すっかり仲の良い三人の様子を、人々も好ましく見守る。

 なおも引き留めようとするのを辞し、フェリックス様は優雅に一礼してジャンヌ様たちから離れる。人々の列に戻った所で、周囲から彼に声がかけられる。フェリックス様も愛想よくそれに応える。あっというまに人に囲まれて、彼の姿が分からなくなる。


 ……遠い。彼が遠い。

 私は腕に黒猫を抱えながら人だかりの方向をじっと見つめる。今日も大広間に行くつもりはなかったのに、レグリスを捕まえてと言われ、ここまで来てしまった。
 一週間前と変わらないのは、広間の外にいる私。女中の私が中に入って行くことはない。首元に、贈られたスカーフだけが温かい。


 翌朝、フェリックス様はシャーズを伴ってルメール領への帰途についた。
 途中西の尼僧院に立ち寄って、お母上の遺骨と、墓地にあるハシバミの枝を一枝、持ち帰ったと聞いた。


***

 彼が帰ってから、たった三日後のことだった。

 その日は二日前から続いた風雨がようやくおさまり、城では片づけに追われた。周辺には枝や落ち葉が散乱し、小屋や柵にも損壊があった。
 朝からジャンヌ様はモリスを伴って領内の視察へ。城とその周辺はリュシアン王子が状況を確認して回っている。

 私たち女中は、いつもの川の洗濯場の水が濁って使えず、普段は行かない小川に行くことになった。

 その小川の水はいつも静か。流れの中には、上流と下流の間にいくつもの杭が打ち込んである。杭より上流側はヴァロン領だけど、その向こう側は隣の領地のオルラント領。
 無用の諍いを避けるため、この小川での漁や洗濯は禁止されている。それはあちら側の領内でも同じこと。
 だけど、今日だけは城から許可も出た。境界の杭には近づかないように、との注意付きで。


 洗濯を終えて城に戻ろうとすると、リゼットが別の洗濯物を持ってやって来た。これといった仕事の決まらない私は、彼女を手伝うためにリゼットと二人、小川に残った。

 リゼットが洗濯物を広げて間もなく、小さなハンカチのような物が川に落ちた。
「あら、いけない」
 リゼットはハンカチを追いかける。ハンカチは流され、領地の境界の杭のところに引っ掛かって止まった。

「リゼット、杭には触れないよう、気をつけて」
 服の裾をまくり上げて川に入って行くリゼットに、私は叫んだ。彼女はうなずいて、水に浮かぶハンカチをつかむと、慎重に足を引き抜くようにして岸に戻る。

「あ、痛っ」
 岸に上がったところでリゼットが突然転ぶように倒れ込む。何かに足を取られたようだ。
 私は慌てて駆け寄る。足に縄のような物が引っ掛かっている。
「外すからちょっと待ってて」
 私はそれをリゼットの足から外した。長い縄の先は小川の中でよく見えない。

 この縄は一体何だろうか。

 思わず力を込めて引くとそれは網だった。細めの綱を格子状に編んだ、漁に使うような網。領地の境に近いこんな場所に、誰かが網を沈めたのだ。
 私はびっくりして網から手を放す。私とリゼットは顔を見合わせて青ざめる。

 何だかとてもまずい物を引き当ててしまった気がする。

 さらに悪い事には、 
「女、そこを動くな」
と、対岸から男の怒鳴り声がした。こんな所を、見られてしまったのだ。
 馬に乗った誰かが、小川の、杭の下流側を渡って私たちのいる側へやって来る。馬上の男は、この辺りでは見ない格好をしていた。

「貴様ら、何をしていた」
「洗濯です」
 私は答えた。リゼットは恐ろしさのあまり震えている。
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