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第35話 使い魔の言い分

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 夕刻になって、私はようやく言いつかった用事を片付け、馬小屋のファラダの元に行くことができた。
「よかった。無事だったのね」
 私は彼女の首に抱き着き、彼女もそれに鼻息で答えた。
 女中頭はファラダを悪者にしていた。フェリックス様は心配ないといってくれたけど、こうして姿を見るまでは安心できなかった。
 偶然かシャーズも同じ馬小屋にいて、私たちの隣で、彼も自分の馬の毛を梳いていた。

 イアシントは柵の木の上に飛び移り、待っていたかのように言った。
「レア、妙な気を起こすなよ」
「何が?」 
「確かにあなたはあの男の魔法の力を借りているが、それがあってもなくても、俺はあなたを選んだんだ。使い魔にとってあなたはよい主人なのだ」
「……」
 そうなのか。やっぱり私は誰かの力を借りたからこそ、イアシントを使い魔にしているというわけだ。私自身の力ではなくて。

 イアシントの言うあの男とはフェリックス様のことに違いないが、イアシントは決してその名を言わない。そういえばフェリックス様もイアシントの名は言わず、『聖堂ネズミ』と呼んでいる。
 私はそのことを疑問に思って尋ねた。
「名前を呼ぶのを避けているの?」
「そうだ。使い魔とは不安定な存在なのだ。主従で名を呼び合うことで、この世での存在を安定させる。なので、普通は主従以外の関係にあるものは、名を呼んだりしない」
「そういうものなの……?」

 既に私はさんざんシャーズの名前を呼んでしまった。ジャンヌ様の鳩のことも。
 するとどうなるのだろう?

「気にすることはない。あなたに名前を呼ばれるのは誰だって悪い気はしない。それは多分、あなたが使い魔を利用しようとしないからだ」
 私はただ困惑して、イアシントを見た。すると彼は、
「あなたは使い魔のことを知らないな」
と言った。
「使い魔とは、もともとはただの動物だが、人々の念がこもると、ただならぬ存在となる」

 イアシントは大聖堂で暮らすネズミとして、人々の告白を聞き続けていたと言っていた。誰にも言えない話を聞くのに重宝される存在だったと。
 そうやって彼は様々な人の念を浴び続けて、ただならぬ存在とやらになったのだろう。

「……力を行使することは我らの喜び。しかしそれも、この世に我らの名前を呼ぶ主人の存在があってこそ。それで我らは人の使い魔となって結びつきを深め、この世で力をふるうことを選んだのだ」

 何だか壮大な話になってきたぞ。

「使い魔にとって主人は絶対だ。主人の魔法の力が強ければ強いほど我らの存在も安定し大きな力を使うことができる。その命令は絶対で逆らうことはできないが、一方で我らは主人から操られることを嫌う」

 話の通りだとすると、ずいぶんと面倒な方法を選んだものだ。主人に依存し服従するが隷属とは違うと言う。使い魔とは複雑で、矛盾をかかえた存在だと思った。

「じゃあ、もし主人が使い魔に、使い魔が望んでいないことを命じると、それはどうなるの?」
「使い魔は苦しみ、存在そのものが脅かされる」
「はあ……」
「だから、よい主人を選ぶことは重要なのだ」
 イアシントは胸をはった。彼は私を主人としたことに満足しているようだった。名前を呼ぶだけで、他にはなにも要求しない都合のよい主人というわけだ。
 しかし、主人が命じずに、あるいは主人の意思に反して使い魔が力をふるった場合、それはどうなるのだろう。使い魔に横暴があれば、それを止めるのは主人となった人の役割ではないだろうか。幸い、イアシントにその傾向は見られないのだが……。

「人と使い魔との主従を解消する方法はあるの?」
「ある。……やはりそう来るか。勘弁してくれ、次もいい主人が見つかるとは限らないじゃないか」
「私が主人だと言ったわね、もし私があんたに命じたら、その方法を教えないわけにはいかないんでしょう?」
「全くその通りだ。どうぞ、ご命令を」
「使い魔の意思で主従を解消することはできるの?」
 イアシントは驚いたように目をみはり、一瞬言葉につまった後で答えた。
「できる。主人を殺すんだ」
「……」
 今度は私が言葉を失った。

「……使い魔が頼んだとして、主人が主従を解消してくれればそれでいい。だが、主人が使い魔を放したがらない場合、お互いに命運をかけた、文字通り死闘になる」
「物騒な話ね」

 だいたい分かってきた。
 人の側から主従を解消したい場合は、ただ命じれば、それでいいのだ。使い魔は主人の命令に従う。しかし、使い魔がそうすることを望んでいない場合には、存在自体が脅かされると言っていた。すると使い魔は反撃に出るのではないだろうか。主人を殺す、自分の存在を守るために。

「分かったようだな。俺を生かすも殺すもあなた次第ということだ」

 思っていたよりも、事態は厄介だということが分かった。覚悟もなしに使い魔の、それも力と知恵のある使い魔の主人になど、なるものではない。

「何も、使い魔と人間の関係だけが特殊なのではない。人間同士にもあるだろう。契約を結び、お互いを所有し合う。束縛と制約が発生するが、それが力を与えるのだ」

 イアシントはあれこれと説明を尽くして私を説得しようとしているようだ。
 それでもイアシントは私には過ぎた使い魔で、私はお城の女中で使われる立場で、誰かの主人となることには慣れていないのだ。

「それになにより、俺はあなたがいい」

 そういうとイアシントは人の姿に化けて私の前に立った。青い瞳が私を見つめる。彼は真剣そのものだ。
 私が絶句している間に、彼の姿はまたネズミに戻り、私の肩に乗って来た。

 私はイアシントの鼻先に指をつけると答えた。
「分かったわ、考える。……でも人から借りている魔力があるなら返したい。どうしたらいい?」
「どうやって借りたのか、方法による。俺に会う前だ。憶えてないか?」

 そこではじめてシャーズが口を開いた。
「フェリックスは彼女の耳に息を吹き込んだ。私の言葉が分かるように」

 私は思わず耳を押えた。
 そういえば当初、そんなことがあったような。戯れにしたのだとばかり思っていたけれど、そんな意味があったのか。

「返す方法は?」
 私が聞くとイアシントは、慎重に言葉を選んだ。
「最も確実で誰にでも有効な方法があるんだが、それでいいか?」
「もちろん」

 他に何があるというのか?

「言葉の魔法は耳から口に抜ける。魔力は来た場所から返すのが鉄則だ。つまり、相手の口に息を吹き込めばいい」

 私は力が抜けて思わずへたりこんだ。ファラダが不思議そうに私の頭に顔をすりつける。
 だめだ。そんなこと、とてもできない。


 ***


 空が暗くなった頃、私はジャンヌ様を領主の部屋に訪ねた。
 お休み前に御用があるかどうか伺うと、ジャンヌ様はベッドのある方に向かった。

 リュシアン王子はお疲れの様子で既にお休みだ。当然のようにジャンヌ様のベッドで寝ている。ご自身の客間を『もう使わない』とおっしゃったのは、こうするつもりだったからだ。

「これを知っている? フェリックスの持ち物?」
 ジャンヌ様はベッド脇の台から手元灯を取り出した。私はそれには見覚えがあった。
「リュシアンの客間に残っていたんですって。ヴァロン家の物でもないし……じゃあフェリックスに渡してきてくれる?」
 東と西の客間の入れ替えをした時に、その手元灯は移すのを忘れられたのだろうと思われた。私は手元灯を受け取った。
「かしこまりました」

 ジャンヌ様はベッドのリュシアン王子を見て言った。その様子はとても満足そうだった。
「私よりも先に眠るのを、見るのは初めてかもしれないわ」
 その言葉で寝ていた王子が目を覚ました。起き上がるとジャンヌ様を引き寄せてベッドの上で抱きしめる。ジャンヌ様の長い髪が広がってお二人の身体を隠すように覆った。
「下がっていいわ。幕を下ろしていって……!」


 ***

 そんなことがあったわけで。ジャンヌ様からの言付けがあって私は西の客間に彼を訪ねたわけであって。

 部屋の前にはいつものようにシャーズが座り込んで番をしていた。彼は何も言わずに目で私に「通れ」と言った。
 ここまで一緒について来たイアシントがシャーズのもとに走り寄り、ネズミっぽい仕草で私を見上げる。ここから先へは私一人で行けということだ。

 私は大きくため息をつき、意を決して前へ進んだ。

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