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第14話 こんな間柄

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 どうしたものかと迷っているうちに、私は盗み聞きを続けることになってしまった。
 もともとヴァロン候ご夫妻には、使用人の前でも話をはばからない傾向があるけれど、それにしても今日の場合はひどい。今、お二人の話の最中に、のこのこ出て行くのは、さすがに無理だ。

 私はフェリックス様に言われ、大聖堂への訪問許可を取り付けようとしていた所なのだ。まず家令のモリスに頼むことを考えたが、あいにくとモリスは部屋を空けていた。それで奥様にお話ししようかと思ってご一家の居室までやって来たのだが、……どうにも間が悪い。それどころではないようだ。
 
 どうしたものか。

 ご夫妻の口論の原因はフェリックス様の扱いをめぐってなのだが、お二人ともだいぶ感情が高ぶって、声が大きい。

「……要はあなたの作戦は失敗だったのでしょう、口では偉そうなことを言っておいて」
 人を馬鹿にするような奥様の声だ。
「まだだ。まだ機会はある」
「昔からあなたは、いつもいつもテオドールに勝てなかった。そして今度は、その息子にも負けるのがお似合いね」
「黙れ。お前は自分の夫を侮辱するのか」
「事実でしょう」
「お前の方はどうなのだ、ええ? あの男は、お前の女中の子だろう。女中一人、お前の思い通りにできなかったのか」

 旦那様の言葉に奥様が押し黙るのが分かった。
 今度は旦那様が嘲って笑った。

「残念だったな。本当は、お前があの男の母親になりたかっただろうに」
「嫌味なら結構。あの若者から短剣一つ奪えないで、偉そうなことを言わないで」
「お前の役立たずの、浅知恵はどうなった?」
「とんでもない、役に立ちますとも」
「主人が女中に手を出したところで、それくらいで不貞になるわけないだろう。え? それで婚約者として不義の大義名分になるとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい」
「そうね、それがあなたのお考えね。もしかして、あなた、実際にそういうことがあったのではないでしょうね?」
「……馬鹿なことを言うな」

 ご夫妻は事情を知っている者同士、遠慮のない物言い。意味深で、言葉の裏を色々と考えてしまう。旦那様と奥様、テオドール様とその奥様、二組の夫婦の事情について。


 不意にモリスの顔が目の前に現れ、私はあやうく声を上げるところだった。
 彼は口元に指をあてて声を立てないようにと身振りで示した。
「レア、なぜここにいる」
「フェリックス様の明日の外出の許可を……」
「大聖堂か。それならばわしが話しておこう。お前はもう戻れ」
 私はうなずいた。
 フェリックス様の明日の行き先が大聖堂だと、なぜモリスが知っているのかはこの際どうでもよかった。この場から堂々と立ち去るきっかけができて、私は安堵した。

「お前、いつもの被り物はどうした」
 モリスに言われて私は頭に手をやった。そこで初めて頭髪がむき出しになっていることに気づいた。

 頭部を頭巾で覆う。それが城で働く使用人の不文律だ。
 私も、今日城に戻った時には頭巾は被っていたはず。それがどこでなくなってしまったのだろう。

「フェリックスのところか」
 モリスは言った。
 城内で他に立ち寄った所もなく、それしか考えられなかった。
 
 と、同時に私はモリスを驚いて見上げた。モリスも私のことをそういう目で見ていたのか。
 でも、私は『領主の赦し』の指環までもらっているのだから、むしろそう思われる方が当然かもしれない。

 モリスの皮肉っぽい視線を感じて、私は彼にだけは本当のことを言っておきたい気持ちになった。
「頭巾は取り返しに行きますが、それだけです。まだあの人と何の関係も持ってはいません」
 言って私は思わず顔をそらした。何だか余計なことを言った気になった。
 モリスは苦笑した。
「それは他では言わない方がいい。奥様は、お前とあの男の関係を取り持ったことを自分の手柄にしている。奥様の顔を潰すな」

 私は再び彼の目を見た。モリスは奥様よりも、私を信用した。彼の反応からそれが分かった。
 私がうなずくと、モリスはしわのある口元に微笑を浮かべた。

「今はフェリックスと話を合わせておけ。後でお前の思うようにしたらいい。さあ、行け」
 モリスはその目線で再度、私を促した。
 私は急いでその場を離れた。


 ***

 フェリックス様の客間を訪れた時、座って壁にもたれていたシャーズは目だけを動かして私を見た。そして何も聞かずに、
「お前ならば、通れ」
と、言った。そして再び周囲の警戒に戻った。

「失礼いたします」
 私は室内に向かって呼びかけた。
 煌々と明かりがついた室内で、フェリックス様はベッドの中にいて、背を起こして座っていた。ベッドの周りの幕はすべて上げたままだった。
 几帳面な性格なのか、衣類や持ち物が枕の隣にきちんと揃えられていた。でも例の短剣だけはなかった。枕の下にでも入れているに違いない。
 私の頭巾の布も、きちんと畳まれてあった。私の頭巾だけが古汚くてみすぼらしく、この場にそぐわない気がした。

「お休みの所を、申し訳ありません」
 私が深々と頭を下げると、フェリックス様はベッドから降りた。
「構いませんよ。探し物はこれですか」
「はい、ありがとうございます」
 私は足早に駆け寄って、フェリックス様の手から頭巾を受け取った。
 その場で頭に巻き付けて額の左側で結び目を作り、余った部分と前髪とを頭巾の中にしまった。その様子をフェリックス様は感心したように見ていた。

「この城の女中は、みな頭巾を被っていますね」
「特に決まりがあるわけではないのですが、何となく暗黙の規則みたいになっていて」
「被り方にも決まりが?」
「顔の右側に結び目があれば、恋人がほしいという印です」
「左側の場合は?」
 フェリックス様はゆっくりと私の頭を撫で、左側の頭巾の結び目と、いつのまにか私の左の頬に触れた。
「……今はその気がないから構わないでほしい、という意思表示です」
「おやおや」
 フェリックス様は笑った。
 結び目にはそれ以外の意味もある。体調のいい悪いとかこっそり妊娠しているとか、他の理由で助けて欲しいとか、大っぴらにできない事情を身内だけ伝えて助け合うための意味の表出がある。でもそれは領主の立場にあるフェリックス様には言うことではなかった。

「もしあなたが今日来なくても、忘れ物はきっと明日返しましたよ」
「お邪魔をして申し訳ありませんでした」
「いいえ、せっかく来てくれたのだし、僕の方にも忘れ物が」
 フェリックス様は私の腕をつかんで引き寄せると、私の額の左側、ちょうど頭巾の結び目があるあたりにキスをした。
「おやすみなさい、また明日」
 これはジャンヌ様への言伝てではなくて私へのキスだった。フェリックス様は優しい目をしていた。私は素直に受け入れて、でもすぐに目をそらした。

「僕が追い出さなくても、あなたは出て行くのでしょう?」
「お一人でお休みになるのを、お邪魔したくありませんから。……少し明るすぎるのではありませんか? 幕を下ろしましょうか? 」
 私はベッドの周りの幕を指した。フェリックス様は首を横に振った。
「いえ、このままで構いません。眠り過ぎないようにするための、用心がありますから」
 彼は本気で言っているようだった。
 私はただ頭を下げて部屋を辞した。

***

 女中部屋に戻ると、私の寝場所がなくなっていた。いつもの場所は別の女中が占めていた。

 出口に一番近い場所にいた女中がその訳を説明してくれた。
「新入りのリゼットが、あんたの場所で寝たらいいってさ、女中頭が連れて来たの。あんたはしばらくの間、夜戻って来ないだろうから、って、お頭は言ってたけど」
 そこで彼女はじろじろと私を見た。
「でも、あんたは戻って来たわね。うん、そんなこったろうと思ってた」
 別の女中が起き上がり、部屋に向かって呼びかけた。
「ちょっと詰めてちょうだいよ。レアがいるの。詰めたらあと一人くらい、寝れるでしょう」
 そして両手で部屋の奥に物を送るような仕草をした。

 何人かはあきらかに渋々と、それでも少しずつ部屋の奥の方へとずれて、ちょうど一人分の寝場所ができた。
「ほら、そこ」
「ありがとう」
 私はそうっと隙間をぬってその場所まで行き、腰を下ろした。

 隣の女中たちが言った。
 「おかしいと思ったの。あんたが夜、男の元に行くとは見えないし」
 「行くにしたって、女中頭にはばれないようにやるでしょう?」
 「なんかやらかしたの? 大丈夫よ、あんたはここにいなかったことにしてあげるから」
 
 普段と逆だ。部屋に戻っていない女中を、皆で口裏を合わせて、気づかぬ知らぬと通すものなのに、私の場合は、部屋にいることを一緒に隠し通してくれるらしい。
 女中部屋から閉め出されようとは思ってもみなかったけれど、女中仲間たちの助けを心からありがたいと思う。
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