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突然の失踪(2)

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「それでわたくしのところへ来たの、ルー」

 コルセット姿で三人の召使いに髪をすかせながら、デュロワ伯爵夫人ことジュスティーヌ・デュロワは鏡越しにシルヴァリエに尋ねた。

「あなたが貴婦人の着替え中に押しかけるなんて礼を逸した行動に出た理由はわかったけれど、どうしてわたくしのところへ?」
「これですよ」

 シルヴァリエは腕組みをしたまま、女王からの親書が入った封筒をデュロワ伯爵夫人に見せつけるように動かす。

「女王陛下を即日動かせる相手なんて、あなたくらいしかいないでしょう、ジュスティーヌ」
「あら買いかぶりね。親書には特別任務、とあったのでしょう? そんなもの、わたくしは知らないわ」
「理由なんてどうとでもつけられる。僕は今、あなたとの探り合いの会話を楽しんでいる余裕はないんです。知っていることを教えてもらえませんか。全て」
「三日前ねえ……カルナス・レオンダルなら確かにわたくしのところへ来たわ」
「……やっぱり」
「陛下へ口利きしたのもわたくし。わたくしには、自分は女王陛下の騎士として不適格だから団長の肩書きも騎士の位も返上したい、というようなことを言っていたけれど……」
「え?!」
「親書ではそうなっていないということは陛下が慰留されたのじゃないかしら。それ以上のことは知らないわ」
「そう……ですか」

 胸をなでおろすシルヴァリエを鏡の中のデュロワ伯爵夫人は上目遣いににらみつけたあと、うんざりしたように言った。

「もういいかしら? コルセットを締め直したいの。脱がすつもりがないのなら出て行ってちょうだい、ルー」
「いいえ、まだです。まだ話していないことがありますよね、ジュスティーヌ」
「そんなものはなくてよ」
「カルナス団長はあなたに何を頼みに来たんですか」
「女王陛下に取り次いだ、と言ったでしょう」
「女王陛下への取り次ぎだけなら直接陛下のところへ向かうことだってできる。それなのにカルナス団長はまずあなたのところへ来たようだ。女王陛下ではなくあなたに頼みたい、なにかがあったということでしょう」
「…………」
「どうです?」
「……なかったとは言わないわ」

 デュロワ伯爵夫人は髪をすく召使いの手を煩わしげに振り払い、椅子から立ち上がりシルヴァリエのほうを向いた。

「でも、あなたには教えられないわ、ルー。言わないでほしいと頼まれているの」
「カルナス団長から?」
「そうよ。自分がここへ来たことも、わたくしへのたのみごとも、すべて秘密にしておいてほしいとね。特にシルヴァリエ、あなたには」
「とはいえ僕とあなたの仲だ。僕には教えてくれるんでしょう、ジュスティーヌ?」
「大した自信ねえ。残念だけど、わたくし人との約束は守るほうなのよ。気まぐれにすっぽかすのは逢引くらい。そうでなければ信頼など得られないもの」
「なるほど。口の軽い僕とは違うということですか」
「そういうことね」
「たしかに、僕ならスナメリオ叔父のこともぺらぺら吹聴してしまいそうだ」
「……スナメリオ?」
「ええ。ジュスティーヌ、あなたもよくご存知の名前です」
「知ってはいるけどすっかり忘れていたわね。古い名前だこと」
「僕も最近になってようやく思い出したんです。ふたりきりで思い出話に花を咲かせたいとは思いませんか」
「……いいわ」

 召使いを部屋から下がらせると、デュロワ伯爵夫人はシルヴァリエの前で腕を組み仁王立ちで睨みつけた。

 美しく手入れされた眉間に幾重ものシワが寄っている。

「スナメリオなんて不吉な名前まで出してどういうつもり?」
「不吉だとは知らなかった」
「アンドリアーノ公に対する反逆者よ。わたくしとなにか関係があるかのような言い方はしないでちょうだい」
「ジュスティーヌ、あなたでも父が怖いのですか」
「すでに死んだ人間の話をしてわざわざ敵を作りたいわけがないでしょう。強い相手となればなおさらよ」
「それなのになぜ、叔父に手を貸したんですか?」
「何を言っているのかわからないわね」

 素っ気なく返すデュロワ伯爵夫人の両の目の虹彩にはシルヴァリエの姿がくっきりと映っている。嘘をつくときに視線をそらすのは未熟な証拠、たとえ見え見えの嘘でも、相手の目を覗き込んで堂々と言えば相手は騙される、ということを、他ならぬデュロワ伯爵夫人から学んだことを、シルヴァリエは思い出していた。

「おかしな言いがかりをつけようとするのは、ルー、あなたでも許さなくてよ」
「この三日というもの、時間を持て余して騎士団の昔の記録を調べていたんです。スナメリオ叔父は確かに独自に魔術の修練を積んでいたようでしたが、それは身体強化といったところがせいぜい。アンドリアーノはそもそも魔術師の素養のある家系ではありません。叔父が所属していた騎士団も、魔術は忌避される傾向が強い。魔物を使ったり結界を張ったりするような、本格的な魔術を、叔父が独力で習得できたはずがない。僕は叔父に誰か協力者がいたはずだと確信しています」
「その協力者がわたくし、というわけ?」
「ラトゥールの王宮に仕える者で魔術に詳しい人間は少ない。その昔あなたがふざけて僕に淫紋をつけたこと、忘れてませんよ」
「別に王宮関係者でなくてもいいでしょう。どこかに行きつけの魔術店なり、出入りの魔術師なり、居たのじゃないの。それに、ふざけて淫紋をつけたからといって、淫魔を提供したのまでわたくしだと思われるのは心外だわ」
「そうかもしれませね。ですが――叔父が魔物を使ったことを知っている者は限られているのに、それには驚かないんですねジュスティーヌ。しかも、使ったのが淫魔であることまで知っているとは」
「…………あら」

 デュロワ伯爵夫人の瞳の奥の光が、わずかに揺れた。

「なにより、スナメリオ叔父は、公的にはまだ行方不明の扱いなんですよ、ジュスティーヌ。人払いの結界が消えると同時に、叔父の死体は煙のように消えてしまったんです」
「何の話かしら? わたくしが彼を死んだ、と言ったのは言葉のアヤよ。アンドリアーノ公に逆らった上、こんなに長い間姿をくらましているのですもの。ラトゥールの人間としては死んだも同然でしょう? 淫魔のことだって、以前あなたから聞いたのじゃなかったかしら」
「僕はつい先日まですっかり忘れていたのに?」
「記憶の底には残っていた、ということじゃないの。わたくしは確かにあなたから聞いたわ、シルヴァリエ」
「あなたがそう仰るのでしたら仰ってくださってもかまいませんよ。問題は、僕がこの話をしたときに、聞いた相手がどう思うか、ということですから」
「……誰に話すつもり?」
「誰にというなら誰にでも。誰にでも話したい気分ですね、僕は。なにか問題でも?」
「…………」
「とはいえもう過ぎたことです。あなたが昔話より今の話をしたい、というのなら、僕はそれに喜んでお付き合いしますよ、ジュスティーヌ」
「……嫌な子ね、シルヴァリエ」

 デュロワ伯爵夫人はため息をついた。
 
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