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番外編
西方見聞録 18
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「おおー!すごい、やるじゃん皇子‼︎頑張ったなあ」
皇国から送られて来た荷物を開けた僕は思わずそんな声を上げた。
数週間ほど前、騎士団のシェラザード様を訪ねた際に思いがけずまたユーリ様にも会い、そのかわいらしい人柄について報告する手紙がてら皇子には
『ユーリ様のご伴侶の一人シェラザード・イル・ザハリ様は自らの稼ぎを注ぎ込み、宝石そのものだけでなく美しい真珠の採れる島まで買い求めてユーリ様へ捧げております。ですからどうか皇子もそれに匹敵するような、ユーリ様の気を引く物、心を動かすような珍しい物をぜひ送ってください』
と書いた。そこで送られてきた物がこれだ。
僕の前には50センチ四方の丸い金魚鉢のような形の密閉されたガラスの入れ物がある。
そしてその球形に密閉されたガラスで出来た鉢のようなその中には、淡い紫色の小さな花弁をいくつも持つ花が一つ植えられていた。
更にはその花の上、ガラスの天井からはしとしとと何もない空中から霧雨のような細かい雨が降り注ぎ、花に水分を与えている。
「シーリン様、それは何ですか?」
連日の織り機作業と手作業のレース編みでフラフラになりながら、職人達がやって来て僕の目の前のそれを物珍しそうに覗き込んだ。
「水やり器も何もない空中から雨のように水が降り注いでますよ」
「花は紫陽花ですか?」
「球形のガラスで出来た入れ物だなんて、随分と高価そうな物ですね」
口々にそんな事を言っているのを聞きながら頷く。
「これはジェン皇子からユーリ様へのプレゼントだよ。紫陽花は露に濡れているとその輝きが増して美しいけど、その水やりの手間を省けるように皇子が魔法をかけた特製のガラス鉢だね。」
僕の説明に職人達が
「さすが皇子様ですね。こんな小さな鉢の中に天気を操る魔法をかけたんですか」
と感嘆の声を上げた。そうなのだ。この小さなガラス鉢の中、絶えず降り注いでいる魔法の雨は美しい紫陽花の花を更に鮮やかに彩っている。
すごく繊細で神経を使う難しい魔法だけど、さすが水魔法の得意なジェン皇子だ。
本気を出せばこんなに繊細で操作が難しく、発動時間も長い魔法を使えるのだ。いつもこんな風に真面目ならいいのに。
だけどまあ、いつもは干ばつ地域にざばざば大雨を降らせたり海の大波を動かして他国の侵略から国境や海域を守るような大掛かりな魔法ばっかり使う皇子にしてはこんな小さな容器の中に魔法を閉じ込めるなんて繊細な作業、随分と頑張った。次の手紙ではうんと褒めてあげないと。
そんな風に考えていた僕の前で職人達はまだ感心したようにその紫陽花の花の植わっているガラス容器を眺めている。
「これだけ素晴らしい物ですと早くユーリ様へ献上したいところですね。いつお持ちするんですか?」
そう聞かれて答えに困った。ユーリ様には先日、何か困り事があったら言ってくださいね!とは言われたし、恐らく社交辞令だろうけどまたお話しましょうね!とも言ってもらえた。ただ、連絡するための直接的なツテがない。
「それなんだよね。やっと王宮に出入りできるようにはなったけどこの国の中枢部に簡単に取り次ぎしてもらえるような身分になったわけでもないし・・・」
ユーリ様の婚儀に関する異国の技術職人の代表者として王宮に出入りしているだけなので身分的にはちょっと裕福な商人程度のようなものだ。
とてもじゃないけどそう簡単に王族やそれに準ずるユーリ様に会える身分じゃない。だから一番手っ取り早くユーリ様に連絡を取ろうとするならば・・・
「何とかしてシェラザード様に連絡を取って、ユーリ様にお会い出来るか伺いを立ててみようかな?」
そう呟いた僕に職人達が青くなって一斉に悲鳴のような声を上げた。
「やめてください!」
「まさかここにあの方をお呼びして話すつもりですか⁉︎」
「どうかそれだけはご勘弁を‼︎」
みんな物凄い拒否反応だ。まあ分からないでもない。
ユーリ様にあの金糸のネックレスを献上し・・・っていうかシェラザード様にアレが見つかって余計な仕事が増えてから一週間後、仕事の進捗具合を見にシェラザード様がふらりとここへ現れた。
そして工房の中を見たり仕事を確かめたりした最後、納期に間に合うよう膨大な作業量に疲労困憊でヘロヘロな職人達を目の前にしたシェラザード様は
「そうそう、これはオレからの差し入れです。あなた達のためにユーリ様にお願いして、わざわざそのお力を使っていただいた果物になります。その慈愛溢れる御心に感謝して、ありがたく食べてください。今すぐ、オレの目の前で。」
そう言ってあの色気たっぷりな笑顔で持ってリンゴやらブドウやら色々な果実が盛られた大きな籠を僕達の前にどんと置いたのだ。
いや、差し入れはありがたいけど何でそんなに強引に今すぐ自分の目の前で食べろなんて言うんだろう・・・?
怪しいなあ、と若干疑いの目でそれを見つめながら
「は、はあ・・・。ありがとうございます。しかしユーリ様のお力が込められた果物って・・・?」
と聞けば
「大変な作業をしているあなた達の疲れが取れるよう、疲労回復の癒やしの加護を付けていただきました。ありがたく思いなさい。」
ドヤ顔でそう返された。疲労回復の加護?噂に聞く、この国の女神の力を分け与えられているというユーリ様の使う強力な魔法のことだろうか。
まさか自分がそれを直接体験できるなんて思いもよらなかった。
色めき立つ僕らを見たシェラザード様は満足そうに頷き、
「ユーリ様の貴重なお力が込められた果物を他国に持ち出されては敵いませんので、あなた達には今すぐオレの目の前で一つ残らず食べてもらいたいのです。さあどうぞ。」
ともう一度籠に山盛りのそれらを勧めてきた。
「そう言う事なら遠慮なく・・・」
見たこともないほど大きなブドウの実をその房から一つ摘んだ僕にシェラザード様が
「皮のある果物も、皮ごと食べられるようにしてくださったようですからそのままどうぞ」
と言ったので皮ごと口に含んで噛めば、それはぷつりと口の中で弾けて途端に甘く瑞々しい果汁が溢れ出す。
なんだこれ、今まで食べたことのある果物のどれよりも遥かに甘くて新鮮だ。
皇子に付き合って、かなり上等な・・・皇族方しか口に出来ない高級な果物を今までに何度も食べたことがあるけどこれはそのどれとも違う。こんなの今までに食べたことがない。
しかも一口噛むほどに知らず知らずのうちに溜まっていた疲れが消えていき、体がすっきりと軽くなっていく。これがユーリ様の・・・癒やし子と言われる人の力か。
驚きと、今までに食べたことのない甘さを持つ果物に一つ、もう一つとブドウへと伸びる手は止まらない。
他の職人達も思い思いに果物を手に取っては口にして、僕と同じように驚いている。
「細かい作業で痺れていた手指のこわばりが消えたぞ!」
「肩こりがなくなった・・・?」
「すごい、目の疲れが取れたぞ。むしろ前よりもよく見える!」
なんて事を口々に言っていて、シェラザード様はそれを聞いてはさもありなん、と満足そうに頷いていた。
そして差し入れの果物をいつの間にか夢中になって食べていた僕らはあっという間に平らげてしまい、すっかり籠の中身は空になった。するとそれを確かめたシェラザード様は、
「全て食べましたね?あなた達が喜んでいたことは如才なくユーリ様にお伝えします。・・・さて、」
ニコニコと話していたのに、最後に突然キラリとあの金色の瞳を鋭く光らせて態度を改めた。
「これまでの作業での疲れもすっかり取れたことですし、改めて精魂込めて仕事に邁進していただきましょうか。まず、このレースについてですが糸をほどいて全てやり直してください。」
「・・・はい?」
ユーリ様すごい、これが噂に聞く癒しの力か、とそれまで興奮していた僕らはぽかんとしてシェラザード様を見た。
だけど当の本人はそんな僕らにお構いなく、作業途中のレースを手にして指示を続ける。
「やはり疲れが溜まっていたからでしょうか?途中から糸の間隔が僅かに変わっていますよね。ここはもう少し、レースのヒダ同士の間隔を詰めて縫い直してください。疲労の取れた今ならもっと正確に、美しい縫い目で作り上げられるはずです。それからこちらの織り物も、白地と金地のグラデーションの切り替えはあなた達の実力であればもっと素晴らしい仕上がりに出来るはずです。」
と、次々に作業途中の物にダメ出しをしていく。その上
「さきほど見させていただきましたが作業場の動線もよろしくないですね。作業台の位置や荷物の搬入場所など、いくつか変更すれば更に効率よくなるでしょう。さっそく使用人と騎士を数人呼んで変えさせます。」
と工房の作業場についてもあれこれ指摘してきた。
え?ちょっと待って、ただ工房を見学しながら差し入れをしに来たんじゃなくて、まさか僕らの作業工程を監視しに来たの?
てことはもしかして、差し入れもただの差し入れじゃなく・・・。嫌な予感がした僕に、
「良かったですね、ユーリ様のお力がこもった食べ物のおかげで今まで以上に作業に精を出せるほど回復が出来て。ですから今から作業をやり直して、それが多少深夜に及んだとしても納期には間に合いますし疲れも感じないでしょう。大丈夫ですよ、もし疲れて限界を感じた時は言っていただければユーリ様にお願いしてまた差し入れを持ってきますから。」
そう言い放ったのだ。話し言葉はどこまでも優しく丁寧で身分が下の僕らに対して勿体無いくらいだけど、その中身はヒドイことこの上ない。
つまりは寝る間も惜しんで働け、疲れたらまた回復させてやるからもっと働けってことだ。
「女神の如きユーリ様の手足となって働ける光栄をその身によく刻みつけ、日々そのありがたさに感謝してくださいね。・・・まさかユーリ様のご加護の付いた食べ物を口にしながら、その御身の一生に一度の婚儀のための衣装を作るのに全身全霊を注がないなどという不敬はしないでしょうね?」
うわー!最初から僕らを馬車馬のように働かせるためにユーリ様の加護の付いた差し入れを持ってきたくせによく言うよ!それじゃまるで騙し討ちみたいなものじゃないか。
だけどユーリ様の加護のついた果物をもう食べちゃった僕らに拒否権はない。
そんなわけで有無を言わさずまた作業をやり直しにされたので、それ以来職人達はシェラザード様に会うのを恐れているし警戒している。
だからジェン皇子のユーリ様へのプレゼントを渡すために、シェラザード様と連絡を取り合いあの人がまたここへやって来ることだけは職人達は反対なのだ。
もし来たらまた何か指摘されてやり直しになる作業があるかもしれないからね。
「どうかあの詐欺師みたいな人にだけは取り次ぎをしないでください‼︎」
そう職人達に声を合わせて懇願された。いや、詐欺師って。言いたいことは分かるけど、仮にもユーリ様の伴侶だぞ?
本人にはどうか聞こえないで欲しいと思いながら、誰に連絡をしてユーリ様に取り次ぎを頼むべきか、僕はすっかり困ってしまった。
皇国から送られて来た荷物を開けた僕は思わずそんな声を上げた。
数週間ほど前、騎士団のシェラザード様を訪ねた際に思いがけずまたユーリ様にも会い、そのかわいらしい人柄について報告する手紙がてら皇子には
『ユーリ様のご伴侶の一人シェラザード・イル・ザハリ様は自らの稼ぎを注ぎ込み、宝石そのものだけでなく美しい真珠の採れる島まで買い求めてユーリ様へ捧げております。ですからどうか皇子もそれに匹敵するような、ユーリ様の気を引く物、心を動かすような珍しい物をぜひ送ってください』
と書いた。そこで送られてきた物がこれだ。
僕の前には50センチ四方の丸い金魚鉢のような形の密閉されたガラスの入れ物がある。
そしてその球形に密閉されたガラスで出来た鉢のようなその中には、淡い紫色の小さな花弁をいくつも持つ花が一つ植えられていた。
更にはその花の上、ガラスの天井からはしとしとと何もない空中から霧雨のような細かい雨が降り注ぎ、花に水分を与えている。
「シーリン様、それは何ですか?」
連日の織り機作業と手作業のレース編みでフラフラになりながら、職人達がやって来て僕の目の前のそれを物珍しそうに覗き込んだ。
「水やり器も何もない空中から雨のように水が降り注いでますよ」
「花は紫陽花ですか?」
「球形のガラスで出来た入れ物だなんて、随分と高価そうな物ですね」
口々にそんな事を言っているのを聞きながら頷く。
「これはジェン皇子からユーリ様へのプレゼントだよ。紫陽花は露に濡れているとその輝きが増して美しいけど、その水やりの手間を省けるように皇子が魔法をかけた特製のガラス鉢だね。」
僕の説明に職人達が
「さすが皇子様ですね。こんな小さな鉢の中に天気を操る魔法をかけたんですか」
と感嘆の声を上げた。そうなのだ。この小さなガラス鉢の中、絶えず降り注いでいる魔法の雨は美しい紫陽花の花を更に鮮やかに彩っている。
すごく繊細で神経を使う難しい魔法だけど、さすが水魔法の得意なジェン皇子だ。
本気を出せばこんなに繊細で操作が難しく、発動時間も長い魔法を使えるのだ。いつもこんな風に真面目ならいいのに。
だけどまあ、いつもは干ばつ地域にざばざば大雨を降らせたり海の大波を動かして他国の侵略から国境や海域を守るような大掛かりな魔法ばっかり使う皇子にしてはこんな小さな容器の中に魔法を閉じ込めるなんて繊細な作業、随分と頑張った。次の手紙ではうんと褒めてあげないと。
そんな風に考えていた僕の前で職人達はまだ感心したようにその紫陽花の花の植わっているガラス容器を眺めている。
「これだけ素晴らしい物ですと早くユーリ様へ献上したいところですね。いつお持ちするんですか?」
そう聞かれて答えに困った。ユーリ様には先日、何か困り事があったら言ってくださいね!とは言われたし、恐らく社交辞令だろうけどまたお話しましょうね!とも言ってもらえた。ただ、連絡するための直接的なツテがない。
「それなんだよね。やっと王宮に出入りできるようにはなったけどこの国の中枢部に簡単に取り次ぎしてもらえるような身分になったわけでもないし・・・」
ユーリ様の婚儀に関する異国の技術職人の代表者として王宮に出入りしているだけなので身分的にはちょっと裕福な商人程度のようなものだ。
とてもじゃないけどそう簡単に王族やそれに準ずるユーリ様に会える身分じゃない。だから一番手っ取り早くユーリ様に連絡を取ろうとするならば・・・
「何とかしてシェラザード様に連絡を取って、ユーリ様にお会い出来るか伺いを立ててみようかな?」
そう呟いた僕に職人達が青くなって一斉に悲鳴のような声を上げた。
「やめてください!」
「まさかここにあの方をお呼びして話すつもりですか⁉︎」
「どうかそれだけはご勘弁を‼︎」
みんな物凄い拒否反応だ。まあ分からないでもない。
ユーリ様にあの金糸のネックレスを献上し・・・っていうかシェラザード様にアレが見つかって余計な仕事が増えてから一週間後、仕事の進捗具合を見にシェラザード様がふらりとここへ現れた。
そして工房の中を見たり仕事を確かめたりした最後、納期に間に合うよう膨大な作業量に疲労困憊でヘロヘロな職人達を目の前にしたシェラザード様は
「そうそう、これはオレからの差し入れです。あなた達のためにユーリ様にお願いして、わざわざそのお力を使っていただいた果物になります。その慈愛溢れる御心に感謝して、ありがたく食べてください。今すぐ、オレの目の前で。」
そう言ってあの色気たっぷりな笑顔で持ってリンゴやらブドウやら色々な果実が盛られた大きな籠を僕達の前にどんと置いたのだ。
いや、差し入れはありがたいけど何でそんなに強引に今すぐ自分の目の前で食べろなんて言うんだろう・・・?
怪しいなあ、と若干疑いの目でそれを見つめながら
「は、はあ・・・。ありがとうございます。しかしユーリ様のお力が込められた果物って・・・?」
と聞けば
「大変な作業をしているあなた達の疲れが取れるよう、疲労回復の癒やしの加護を付けていただきました。ありがたく思いなさい。」
ドヤ顔でそう返された。疲労回復の加護?噂に聞く、この国の女神の力を分け与えられているというユーリ様の使う強力な魔法のことだろうか。
まさか自分がそれを直接体験できるなんて思いもよらなかった。
色めき立つ僕らを見たシェラザード様は満足そうに頷き、
「ユーリ様の貴重なお力が込められた果物を他国に持ち出されては敵いませんので、あなた達には今すぐオレの目の前で一つ残らず食べてもらいたいのです。さあどうぞ。」
ともう一度籠に山盛りのそれらを勧めてきた。
「そう言う事なら遠慮なく・・・」
見たこともないほど大きなブドウの実をその房から一つ摘んだ僕にシェラザード様が
「皮のある果物も、皮ごと食べられるようにしてくださったようですからそのままどうぞ」
と言ったので皮ごと口に含んで噛めば、それはぷつりと口の中で弾けて途端に甘く瑞々しい果汁が溢れ出す。
なんだこれ、今まで食べたことのある果物のどれよりも遥かに甘くて新鮮だ。
皇子に付き合って、かなり上等な・・・皇族方しか口に出来ない高級な果物を今までに何度も食べたことがあるけどこれはそのどれとも違う。こんなの今までに食べたことがない。
しかも一口噛むほどに知らず知らずのうちに溜まっていた疲れが消えていき、体がすっきりと軽くなっていく。これがユーリ様の・・・癒やし子と言われる人の力か。
驚きと、今までに食べたことのない甘さを持つ果物に一つ、もう一つとブドウへと伸びる手は止まらない。
他の職人達も思い思いに果物を手に取っては口にして、僕と同じように驚いている。
「細かい作業で痺れていた手指のこわばりが消えたぞ!」
「肩こりがなくなった・・・?」
「すごい、目の疲れが取れたぞ。むしろ前よりもよく見える!」
なんて事を口々に言っていて、シェラザード様はそれを聞いてはさもありなん、と満足そうに頷いていた。
そして差し入れの果物をいつの間にか夢中になって食べていた僕らはあっという間に平らげてしまい、すっかり籠の中身は空になった。するとそれを確かめたシェラザード様は、
「全て食べましたね?あなた達が喜んでいたことは如才なくユーリ様にお伝えします。・・・さて、」
ニコニコと話していたのに、最後に突然キラリとあの金色の瞳を鋭く光らせて態度を改めた。
「これまでの作業での疲れもすっかり取れたことですし、改めて精魂込めて仕事に邁進していただきましょうか。まず、このレースについてですが糸をほどいて全てやり直してください。」
「・・・はい?」
ユーリ様すごい、これが噂に聞く癒しの力か、とそれまで興奮していた僕らはぽかんとしてシェラザード様を見た。
だけど当の本人はそんな僕らにお構いなく、作業途中のレースを手にして指示を続ける。
「やはり疲れが溜まっていたからでしょうか?途中から糸の間隔が僅かに変わっていますよね。ここはもう少し、レースのヒダ同士の間隔を詰めて縫い直してください。疲労の取れた今ならもっと正確に、美しい縫い目で作り上げられるはずです。それからこちらの織り物も、白地と金地のグラデーションの切り替えはあなた達の実力であればもっと素晴らしい仕上がりに出来るはずです。」
と、次々に作業途中の物にダメ出しをしていく。その上
「さきほど見させていただきましたが作業場の動線もよろしくないですね。作業台の位置や荷物の搬入場所など、いくつか変更すれば更に効率よくなるでしょう。さっそく使用人と騎士を数人呼んで変えさせます。」
と工房の作業場についてもあれこれ指摘してきた。
え?ちょっと待って、ただ工房を見学しながら差し入れをしに来たんじゃなくて、まさか僕らの作業工程を監視しに来たの?
てことはもしかして、差し入れもただの差し入れじゃなく・・・。嫌な予感がした僕に、
「良かったですね、ユーリ様のお力がこもった食べ物のおかげで今まで以上に作業に精を出せるほど回復が出来て。ですから今から作業をやり直して、それが多少深夜に及んだとしても納期には間に合いますし疲れも感じないでしょう。大丈夫ですよ、もし疲れて限界を感じた時は言っていただければユーリ様にお願いしてまた差し入れを持ってきますから。」
そう言い放ったのだ。話し言葉はどこまでも優しく丁寧で身分が下の僕らに対して勿体無いくらいだけど、その中身はヒドイことこの上ない。
つまりは寝る間も惜しんで働け、疲れたらまた回復させてやるからもっと働けってことだ。
「女神の如きユーリ様の手足となって働ける光栄をその身によく刻みつけ、日々そのありがたさに感謝してくださいね。・・・まさかユーリ様のご加護の付いた食べ物を口にしながら、その御身の一生に一度の婚儀のための衣装を作るのに全身全霊を注がないなどという不敬はしないでしょうね?」
うわー!最初から僕らを馬車馬のように働かせるためにユーリ様の加護の付いた差し入れを持ってきたくせによく言うよ!それじゃまるで騙し討ちみたいなものじゃないか。
だけどユーリ様の加護のついた果物をもう食べちゃった僕らに拒否権はない。
そんなわけで有無を言わさずまた作業をやり直しにされたので、それ以来職人達はシェラザード様に会うのを恐れているし警戒している。
だからジェン皇子のユーリ様へのプレゼントを渡すために、シェラザード様と連絡を取り合いあの人がまたここへやって来ることだけは職人達は反対なのだ。
もし来たらまた何か指摘されてやり直しになる作業があるかもしれないからね。
「どうかあの詐欺師みたいな人にだけは取り次ぎをしないでください‼︎」
そう職人達に声を合わせて懇願された。いや、詐欺師って。言いたいことは分かるけど、仮にもユーリ様の伴侶だぞ?
本人にはどうか聞こえないで欲しいと思いながら、誰に連絡をしてユーリ様に取り次ぎを頼むべきか、僕はすっかり困ってしまった。
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