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第十九章 聖女が街にやって来た

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「ではイリヤ殿下、そういうことで国境から送らせた残りの獣の死体は魔導士院で調査中ですので。詳しくはシグウェル魔導士団長から後ほど報告があるでしょう」

先日の国境沿いでの獣討伐の追加報告を終えたオレはさっさと皇太子宮を後にする。

「そうだシェラ、お前は相変わらず細っこいがちゃんと食っているのか?任務にかまけてまた食抜きをしていないだろうな、たまには俺と一緒に食事でも取っていくがいい!」

「これはもう幼い頃からの体質ですからね、今さら多少食べたところで変わりませんよ。では失礼致します。晩餐会でまたお目にかかりましょう」

「なんだつまらん、相変わらず愛想のない奴だ!」

「こんなにも愛嬌のあるオレに愛想がないなど仰るのは殿下くらいのものですよ」

一国の皇太子殿下と一介の騎士同士の、普通ならば許されないような軽口の応酬をしてその場を後にする。

オレと殿下の関係性を分かっている殿下の側近のゲラルドも、たいして気分を害することなく丁寧な礼でもって送り出してくれた。

・・・皇太子殿下から食事の同席を許されるなど、普通であれば光栄なことなのだろうがそんな事よりオレは早くユーリ様に会いたいし、どうせ食事を取らなければいけないのならその相手はユーリ様がいい。

遥か昔、みすぼらしい姿で助けられて以来こうして何かにつけイリヤ殿下がオレを気にかけてくれるのはありがたいが・・・。

自分よりも年下で、青っちろい痩せぎすの奴隷の少年が鎖に繋がれ襲われている姿を見たのがよほど衝撃的だったのだろう。

会うたびに細いだのもっと背は伸びないのかだの、レジナスのような筋肉はまだつかないのかだの言ってくる。

「まるで口うるさい親戚のようですねぇ・・・」

親は元より親族など見たこともない身には想像でしかないのだが。

それでも養父といい殿下といい、何かにつけ世話をしてくれようとするのはありがたいことだ。

昔はよく

「どうして会うたびに痩せてるだの小さいだの見れば分かることをいちいち言ってくるのだろう?」

と不思議に思っていたものだが、ユーリ様と出会って以来なんとなくその心情が理解出来るようになった。

分かってはいるが口に出さずにはいられないのだ。

それだけ相手が気になるということだ。

オレだってユーリ様がいつ持ち上げても羽根のように軽いのが心配になるし、ほんの少しでも肉付きがよくなっていれば嬉しい。

オレの勧めた菓子や食事を嬉しそうに口にしておかわりをしてくれたり、買い求めた髪飾りを付けては大事そうにそれに触れているのを目にすればこの上ない幸せを感じて、もっと色々買ってあげたくなる。

いや、これでは伴侶というより親か?

我ながら可笑しくなって口の端に自然と笑みが浮かぶ。

ああ、早くユーリ様に会いたい。

今頃ヘイデス国の者達との謁見を終えて部屋で休まれているだろうか?

さすがに真昼間から王宮の屋根を飛び越え近道をして奥の院へ向かうのは体裁が悪いので、はやる気持ちをぐっと堪えて先を急ぐ。

皇太子宮を出て王子宮を横目に庭園と回廊をいくつか横切り、戴冠式に向けて招待客達が滞在している迎賓館が並ぶ所に差し掛かる。

と、そこで庭園の一角ががさりと揺れた。

敵意は感じない。小動物の類いか何かだろうか。

足早に通り過ぎながら一応目の端で確かめれば、豊かな黒髪の後ろ姿が風に揺れた。

「ユーリ様?」

なぜこんなところに?先日王宮の庭園でバラの花を咲かせたらしいのでこちらの庭園にも同じような加護を付けに来ていたのだろうか。

足を止めてそちらへ向き直れば、オレの声に相手が振り向く。

「・・・騎士の方。ちょうど良いところへ。」

ふわりと優しげに微笑んでこちらを見つめたその姿はユーリ様ではなかった。

青紫色の落ち着いた髪色に、オレを見るその瞳は深い赤だ。

ユーリ様に全く似ても似つかない彼女を、オレとしたことがなぜ一瞬でもユーリ様だと思ったのか。

内心そんな自分に憤りながら礼を取る。

この容姿でこの場所に滞在している人物といえば。

「噂に名高いヘイデス国の聖女、エリス様とお見受け致します。オレは王宮付きの騎士、シェラザードと申します。」

そのままいつもの微笑みを顔に乗せゆっくりと頭を上げる。

シェラザードさま、と相手は呟き口元に手を当てて何ごとかを思案しているようだった。

・・・へぇ。ユーリ様曰く「無駄な色気を垂れ流している」オレの笑みに初見で動じない相手も珍しい。

神に仕える者すらたぶらかし邪悪だとも言われるこの容姿だが、逆にそれを利用してこの姿に惑わされるかどうかでオレは相手の力量を試しているところもある。

しょせん人など皮一枚剥げば皆同じ。

そんな薄皮一枚と、取り繕った所作などに誤魔化される者は多いがこの聖女様はどうやら違うようだ。

いや、むしろそれどころか・・・。

「靴のかかとが折れてしまい、困っておりました。助けていただけるとありがたいのですが」

視線の先でオレを見つめてくるその瞳が美しい赤に輝く。

と同時にオレの首にあるユーリ様からいただいたチョーカーがほんのりと熱を持ったような気がした。

・・・魅了魔法か?

男女を問わず、オレの気を引こうと媚びてくる者は多い。

だが相手を試すようないつもの笑みを浮かべたオレに媚びるのではなく逆にオレと同じように相手を試そうとするような魔法を使ってくる相手は滅多にいない。

シグウェル魔導士団長が警戒していた通りだ。

『あの聖女様はイリューディア神様の加護の力を強く感じるものに手を伸ばし、それを取り込めるか試しているような節がある。王都の結界に触れたのもその一つかも知れない』

だから気を付けろと言われていた。

ユーリ様の加護が強いのは一目見てすぐに分かられるだろうから、きっと何かされるだろうと。

もしユーリ様からいただいた装身具に何らかの反応があればそれが印だとも。

これがそうだろうか。

しばしの間、互いに見つめ合った後オレの方から口を開く。

「・・・他の護衛騎士の方たちはどちらに?」

いくら迎賓館の庭園といえど護衛どころか侍女もその姿がないとは。

その足元を見れば、確かに折れたヒールの靴を片方の足に履いている。

だがそれが本当にただ折れたものなのか、わざと折って誰かが通るのを待ち伏せていたのかは分からない。

「いつもたくさんの人に囲まれているので、気分転換に一人にしてもらいましたらこんな事になってしまって」

お恥ずかしい、と微笑む姿は邪気の一つも感じないが・・・。

チョーカーに感じていた熱はもうなくなっている。

こちらから近付いてみるのも一つの手か。

「お手伝いいたします」

聖女様を庭園のベンチに腰掛けさせ、その足元へ膝をつく。

「すぐに新しい靴を準備させましょう。侍女と護衛はどちらに?人払いをしていても目に入るところにいるはずですが」

そっとその足から靴を抜いてヒールの折れ具合を確かめる。

真新しいそれは作りも立派な上質のものだ。そう簡単に壊れるものでもないだろう。

やはり怪しいな、と思っていたらふいにオレの肩に手が触れた。

反射的に躱わしたくなる衝動を抑え、平然として・・・むしろそれが嬉しいかのような笑みを浮かべて相手を見る。

「どうかされましたか?」

「もしよろしれば肩を貸していただけますか?部屋はすぐそこですし、この階段を登り建物の中へ入れば誰かいるはずですので」

微笑み遠慮がちに申し出てくるその態度はあくまでも清らかな聖女そのものだ。

だがオレの肩に触れているその手から、何か違和感を感じる。

なんだ?何をしようとしている?

それに、近くに寄ればますますユーリ様に似た雰囲気を感じる。

見た目は違うのに纏っているその魔力がまるでユーリ様のようで、ユーリ様を真似ている・・・というか成り代わろうとしているような。

まさかユーリ様を真似て、その尊崇や愛情を自分のものに出来るとでも思っているのだろうか?

リオン殿下や魔導士団長、そしてオレ。レジナスだけは王都の警備でまだこの聖女様に会っていないが、それ以外のユーリ様の伴侶は皆こうして彼女と言葉を交わし触れられた。

ユーリ様のものを自分のものにしようとしているのか?
それが出来るかどうか試しているのだろうか。

ああ、今すぐこの肩にかけられた手をその腕の骨に沿って3枚に下ろして切り裂いてしまいたい。

顔に乗せた笑顔の奥で久しぶりに何とも御し難い凶暴な性根が顔を覗かせた。

すんでのところでそれを堪えたのは、別の人物の声がかかったからだ。

「失礼致します。エリス様、薬湯を飲まれる時間です。」

王宮の中だというのに頭からフードを被りその顔を見せないその相手は漂う魔力の気配からして魔導士だろうか。

その言葉にオレの肩から手が離れた。

「そうなのですか?」

聖女様は不満気だ。しかし相手は

「見たところ少しお疲れのようです。いつものように薬湯を飲まれて休み、御力を回復されるのが良いでしょう」

そんな事を言い、手を上げれば数人の騎士達が現れた。

どうやらオレは必要ないらしい。

「王宮の騎士様にはお気遣いいただきありがとうございました」

魔導士らしいその男は頭を下げ、騎士の一人に姫抱きをされた聖女様もオレに礼を述べた。

「少しの間ですがお話が出来て嬉しかったです。また明日、晩餐会でお会いするのを楽しみにしております。」

その言葉に、相手を見送りその姿が消えたのを確かめてからフンと鼻で笑う。

晩餐会で会おう?オレは王宮付きの騎士としか名乗らなかった。

そんな一介の騎士が大国の聖女様と晩餐会で会えるわけがない。

オレが晩餐会に出席し、また会えると分かっていたからついそれが口に出てしまったというのか?

騎士のような身分で聖女様と言葉を交わせる晩餐会の出席者など、ユーリ様の伴侶しかいない。

やはりオレがユーリ様に近しい立場の者と分かっていて声を掛けてきたのか?

「これではますます晩餐会でユーリ様のお側を離れるわけにはいかなくなりましたねぇ・・・」

せっかくユーリ様をどう美しく着飾るかだけを考えていたかったのに。

それだけではすまなくなって、オレはやれやれと肩をすくめた。






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