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閑話休題 北の国では

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「・・・髪、まだあまり伸びないね。」

温かく柔らかなお湯の中、ヒルダの真っ白な肩口に
かかる濡れた髪の毛を僕は手に取る。

早朝の真冬の湖に張った無垢な氷のように美しい
薄水色をした髪の毛は、その背中の中ほどまで
ようやく伸びたところだ。

僕の向こう側を向いてバルドルと話していたヒルダは
その呟きに、うん?と振り向いた。

ぱしゃんと水音を立ててこちらを見つめる青い瞳が
微笑む。

「なんだカイ、もしかしてまだ気にしているのか?
私だって人間だ、そんなにすぐに前のように腰まで
あるような長さに戻るわけがあるまい。あれから
まだ数ヶ月しか経っていないんだぞ?むしろこの
長さの方が頭が軽くて快適なくらいだから気にする
んじゃない。」

よしよしと子供をなだめるように頭を撫でられる。

僕が落ち込んだ時に慰めてくれる昔から変わらない
ヒルダの癖だ。

僕の方が歳下なせいもあるけどいつになっても僕を
子供扱いする癖は抜けないらしい。

「カイゼル、ヒルダ様の言う通りだ。もう過ぎたこと
だし皆無事だった。こうして俺達は三人ともいつもと
変わらない日常に戻れたのだから気にせずそれに
感謝すればいい。」

ヒルダの向こう側からバルドルにも声を掛けられた。

「だけど何度考えても死人が出なかったのが奇跡な
だけで、まさか癒し子様にまで迷惑をかけたなんて
落ち込まないわけにはいかないよ・・・」

そう。僕はあろうことか魔道具らしき物の影響を
受けて人格が豹変した結果、愛する大事なヒルダは
おろかダーヴィゼルドの民や騎士にも迷惑をかけた。

その上、応援を要請したヒルダの訴えに応えて
王都からは唯一無二の貴重な存在である癒し子様
その人自らが駆け付けてくれて助けられるという
なんとも情けない姿を晒したのだ。

しかも癒し子ユーリ様は小さな少女だと言うのに
馬車どころか騎士の駆る馬に二人乗りで非常時にしか
使われないような急峻な山越えまでして急いで来て
くれた。

「この恩は本当に、一生かかっても返しきれない
よ・・・」

はあ、とため息をつくのもこの数ヶ月の間何度も
繰り返している。

その度に目の前の二人は慰めてくれるけど。

「カイ、それ以上まだぐちぐちと言うつもりなら
湯に沈めるぞ。恩返しをしたければその分この北方を
しっかりと護れば良い。」

ふん、とヒルダが誇らしげに胸を張って風呂のへりに
両腕を預けた。

「ヒルダ様、冷えるのでしっかり肩までつかって
ください。」

「もう充分温まった。そろそろ蒸し風呂に移って
ひと汗かいてから雪に飛び込みたいところだ。」

「またそんな事を・・・」

バルドルの注意を鼻で笑ったがそれでもおとなしく
ヒルダは湯に浸かり直す。

僕達三人が共に夜を過ごした翌朝、こうして一緒に
湯に浸かるのはいつの間にか出来上がっていた習慣
の一つだ。

それも湯浴み着もなしに何も身に付けずに。

言い訳をさせてもらえば、この凍るほど寒い北国で
衣類など身に付けて風呂に入ればどんなに工夫を
こらしていても温まった体は湯から上がればすぐに
寒さを感じるほど濡れた衣類はあっという間に
冷えてしまうから、むしろ何も身に付けずに風呂に
入る方がいいからだけど。

多分中央の貴族達には考えられない風習だろう。

それに僕らは夫婦だし今さら裸だからどうこうと
いうこともないけれど。

だけど男前過ぎるヒルダはもう少し恥じらいが
あってもいいんじゃないかなとはたまに思わない
でもない。

とりとめなくそんな事を考えていたら、ヒルダが僕に
そういえば、と声を掛けてきた。

「カイ、昨日聞こうと思って忘れていたが南西部の
関所から報告が何か上がって来ているということ
だったな。」

「ああ、そうそう。大したことではないんだけどね、
少し気になったと言うか面白いなと思って。」

「誰か古神殿を盗掘して見つけた祭具でも売ろうと
していたか?」

ヒルダの青い瞳が朝の爽やかな空気を切り裂くように
鋭さを増した。

ここダーヴィゼルド領は領地の端の大半を他国との
国境に接しているため、その境目に点々と設けて
ある関所には交易のため宿屋や酒場、市場のある
わりと栄えた集落がある。

そしてその全ての集落には他国の情報を集めるため
密偵を潜ませてあるのだ。

僕が被害に遭った騒動以降、中央とも話をした結果
世の中に悪影響を与えそうなヨナス神の神殿の遺物や
祭具を見つけ出して確保するために、骨董品を高く
買い取る店があるという噂を各地の密偵を通じて
流してあった。

だから僕の報告にヒルダが思わず目を鋭くしたのも
そんな危険な物が見つかったという話かと思った
らしい。

「残念ながらというか幸いにもというか、そんな
重大なものでもないんだ。ただ、今まで一度も聖者や
聖女が現れたことのないヘイデス国に聖女が現れた
って言う噂話でね。」

「なんだ」

ヒルダの瞳から鋭さが消えてあっという間に興味を
なくしてしまったようだ。本当に好戦的なんだから。

対して、バルドルの方はそれに興味を持った。

「ヘイデス国はそれほどイリューディア神様への
信仰が篤い国というわけでもないだろう?今まで
聖女など現れたこともない国に一体どうして?」

「そこまで詳しい話はまだ聞こえて来ないんだけど、
ユーリ様のように人を癒したり皆に慕われていたり
するそうだよ。ほら、この先イリヤ殿下の戴冠式が
あるだろう?ヘイデス国も僕らも招待されているから
もしかしてその聖女様とやらもやって来て僕らも
会えるのかなと思って。」

そう言った僕にぱしゃりとヒルダが湯をかけて来た。

「何するんだい⁉︎」

「くだらないな、他国の聖女がどれほどの者であろう
ともユーリ様以上に優れた慈愛を持って民に貢献して
くれる方はいないだろう。そんな話よりも、もっと
面白い話はないのか?」

ヒルダのその言葉に、ちょうど冷えた飲み物を
差し入れに来ていた女官長のアイダがそういうこと
ならば、と口を挟んできた。

昔からヒルダの側仕えをしていて僕らとも気心が
知れている仲だからこういう場でも遠慮がない。

「姫様、僭越ながらこのわたくしが姫様好みの
面白い話を一つお教えしましょうか?」

「アイダの話なら面白そうだ」

飲み物を受け取りながらヒルダが目を細めた。

「侍女の情報網で回って来た話です。癒し子ユーリ様
の三人目のご伴侶様はどうやらシグウェル魔導士団長
で間違いないようですよ。それから更に、キリウ小隊
のシェラザード隊長様もユーリ様へ求婚するらしい
とかもうすでに求婚していて返事待ちらしいとか。」

「なんだと⁉︎」

静かな朝の空気にそぐわないヒルダの大声が広い
風呂場に反響した。
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