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閑話休題 千夜一夜物語

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興味を惹かれたその少女に、
わざとぶつかればその手から
籠が離れて中身が飛び出すと
飴や焼き菓子が転がった。
拾い集めながら、飴の一つを適当に
割って話す口実を作る。

こちらからぶつかったのに、自分より
大きいオレに気を遣って心配してくれ、
飴を買い直すと言うオレの申し出には
大きな目を瞬いてきょとんとした表情で
戸惑っていた。

結局その時はオレを警戒した侍女に
阻まれて会話にならずに別れてしまい、
残念に思ったが警戒心が強いのは
良いことだ。

一瞬だけ交差した視線の先で、
少女の美しい瞳が見えただけでも
良しとしよう。

なるほどデレクの言うように、
黒目がちの瞳の中には宵闇のような
複雑な紫紺色がゆらめいて、
そこには星の瞬きのような
金色がきらきらと輝いている。

ふと、あの悪辣な王の下で夜更けに
人知れず剣を振るっていた日々の、
凍える冬の夜空を思い出した。

そこに静かに佇み輝く星々は、
今にして思えばあの頃のオレの
唯一の慰めで美しいものだったのかも
知れない。

もう一度、あの冬の夜空の星々のように
輝く美しい瞳を見たい。
そう思いながらその後をそっと追う。

少女はやけに目立っていて
居並ぶ屋台の中、窃盗団らしき店主らが
互いに目配せしているのが分かった。

このままだと、窃盗団がどこかで
必ず少女に接触するのは明白だった。

だがそれは毎回、騒ぎを起こした
混乱の中でだ。一体どうやって
騒ぎの中から自分達の獲物を
探し出しているのだろう?

そう思っていたら、少女が一つの
屋台の前で立ち止まった。

言葉を交わす店主を見れば、
優しげな目の奥にはあの悪辣な王と同じ
吐き気がするような澱みを感じた。

他の窃盗団と思しき者どもと
その目に宿る雰囲気が違う。
こいつが頭か、と理解した。

ああ、なんて醜いのだろう。
少女と話すその姿をみていると、
純真な少女と同じ世界の生き物とは
とても思えなかった。

今すぐあいつをこの世から
消し去ってやりたい。
そう思いながら様子を見守っていると
店主は魔法を使い、赤い風船が
少女から離れないようにした。
なるほど、あれが目印か。

屋台で銀貨を差し出した少女は、
金の価値も知らない世間知らずな
田舎貴族のお嬢様が王都見物に
来たと思われたらしい。

そのまま庭園へと歩く少女を見守れば、
不審な動きをする者が数人その後を
つけていた。

周囲の気配を探れば、人混みに紛れて
騎士達もついて来ているようだが
これではダメだ。

あいつらの今の動線では、窃盗団が
騒ぎを起こせばその人波に分断されて
癒し子の下へ駆け付けるのは
間に合わない。

侍女も先程屋台で何を言ったのか
知らないがあの窃盗団の頭に
目を付けられたようだった。

とりあえず侍女は一緒にいる
騎士2人に守ってもらい
癒し子は確実にオレが保護して
王宮に送り届けよう。

そう考えて、少女に話しかけている
途中で事態は動いてしまった。

ひとまず火事の延焼を防ごうと
隊員達に指示を出すため一度
その場を離れた。
そうしたら、なんと癒し子が
侍女と離れ離れになって
しまったではないか。

急いで探せば、あの赤い風船が
人波に揉まれながらどんどん遠くへ
流れていくのが目に入った。

窃盗団が連携を取り、わざとこの場から
遠い位置へと誘導しているようだった。
これが手口か。

そのまま監視していれば、やはりあの
窃盗団の頭と思われる男が接触した。

どこへ行くのか2人が走り出したので
後を追う。

このまま泳がせておけばやがて
窃盗団は全員が合流し、一網打尽に
捕まえられる。だがそれまで癒し子は
無事でいられるだろうか。

その時、なぜか少女は立ち止まって
何事かを男に尋ねていた。

まさか正体に気付いたのか?
オレと違って悪党の気配を
感じ取ることもできない
ただの少女なのに?

その聡明さは見た目の可愛らしさを
更に美しく彩る、賞賛に値するものだが
この場でそれを言うのはまずい。

ほら、あの悪党が逆上してしまった。

ああ、純真な少女に対して何という
乱暴な扱いをするのだろう。

しかも聞くに耐えない穢らわしい事を
その下卑た笑い声と共に少女に
告げているではないか。

そいつが口を開くその度に、
少女からその美しさと清らかさが
失われて穢されていくようだ。

今すぐ少女を抱えるその腕を
切り落として、汚らしい戯れ言しか
吐き出さないその口を剣で貫きたい。
 
そんな衝動を抑えて、少女を
怯えさせないようになるべく
穏やかに声を掛けた。

だが、魔物にも劣る悪党に
人間の言葉は通じない。
オレの忠告も無視して少女を手放さず、
愚かにも仲間を呼ぶと立ち向かってきた。

その後はいつも通りだ。

性根の醜さが表れた見るに耐えない
ツラの皮を剥がし、
口汚くオレを罵る者どもの首を
引っこ抜いて黙らせる。

血の雨は温かくオレを濡らし、
悪党どもが息絶えて
この世から消え失せた
実感が湧き上がる。

さあ、次はどいつだ。

高揚感のままに声を上げれば、オレが
騎士だと言うことに少女が気付いた。

ようやく少女と話が出来る。
嬉しくなり心からの笑顔と共に、
とりあえず念のため少女の正体を
確かめた。

デレクの話を振れば、彼のことを
きちんと覚えていてやはりこの少女が
癒し子、ユーリ様で間違いがなかった。

あの星を宿した美しい瞳がオレを
静かに見つめている。
それだけで不思議とオレの心は落ち着き、
いつも腹の底に渦巻いて消えない
悪党どもへの怒りと憎しみが凪いでいく。

今までに感じたことのないその感覚に、
まるであの冬の夜空の星に見つめられて
慰められているような気分になった。

もしもあの星が人の姿形をかたどって
オレの目の前に現れたなら、
きっとこのように身も心も清らかで
美しい者だったに違いない。

まるで小さな星の女神がオレの前に
佇んでいるようだった。

オレの女神だ。唐突にそう思った。

見つめているだけで不思議と落ち着く
その存在は、もしかすると悪党に対して
どうしようもなく歯止めのきかない
憎しみに染まっている、
醜いオレの心を唯一救ってくれる
存在なのかも知れない。

そう。少年の頃にあの冬の夜空の星々に
心を慰められたように。

どうか彼女の美しい世界の一員に
オレを加えて、この醜い心を
救って欲しいと願うように、
心からの畏敬の念を込めて礼をして
名を名乗った。






ー・・・イリューディア神の大神殿、
その尖塔に腰掛けて光と花の降り注ぐ
王都の夜景を見ながら先ほどまでの
ユーリ様とのそんな邂逅を
思い出していた。

養父に引き取られ、美しい名を貰い、
キリウ小隊に属していることに
これほど感謝したことはなかった。

おかげでユーリ様をこの手で
救うことが出来、
オレの姿をその美しい瞳に宿して
見つめて貰ったのだから。

唯一オレの心を慰められる、オレだけの
女神を見つけ出すことが出来た。

養父が口癖のように言っていた、

『生きていて良かったと思える日が
必ず来る、だから諦めるな』

そんな言葉の意味をようやく実感して
心から理解する。

あの辛く屈辱にまみれた少年の日々。
人の醜さしか見ることがなく、
生きている意味などないと思っていた。

だが今ここで、この時、このオレの心を
慰めてくれるオレの女神に出会えた。

あの辛い日々から今までの、
幾千夜の夜はユーリ様に出会う
この一夜のためにあったのだと思えた。

ユーリ様に出会えるのなら、
あの幾千夜を越えて生きる価値はある。

オレの今までの生は今この時の
たった一夜のためにあったのだ。

ここまで生きて来て良かった。
初めて心の底からそう思った。

久しぶりに養父に手紙でも書こうか。

田舎に住む養父が、今夜のこの
世にも妙なる美しい光景を
見られないのが残念だ。

オレの持てる限りの言葉を尽くし、
生きていて良かったと思える出来事が
あったことと、この美しい光景を
余すことなく伝えよう。

そう思いながら、懐から形の欠けた
リンゴの飴細工を取り出す。

ユーリ様に返しそびれたそれを
口にすれば、子供騙しの安っぽい味しか
しないはずが遥かに甘く感じる。

次に会う時は、養父の名付けてくれた
美しい響きのオレの名を呼んで欲しい。

あの涼やかな可愛らしい声で
名を呼んで貰えたならどれだけ
幸福だろう。

さっきオレとユーリ様の前にまるで
番犬のように立ち塞がったレジナスに、
仔猫のようにぴょんと縋り付いた
ユーリ様はとても愛らしかった。

ユーリ様が窃盗団の頭に地面に
放り出された時は、あまりにも
畏れ多くて触れていいかどうかも
分からず助け起こすことが
出来なかったが、

いつかオレもあの時の
レジナスのようにユーリ様に
頼ってもらえるようになるだろうか。

どうかそうなって欲しい。

生きる喜びを初めて実感させてくれた
彼女に頼られるなら、それほど
嬉しいことはない。

幾千の夜を越えて出会えた、
あの冬の夜空の星のように美しい
オレの女神の姿を思い浮かべる。

降り注ぐ金色の光を浴びながら
オレの腕に、肩に、髪の毛に、
白い花が舞い降りては
雪が溶けるように消えていく。

どうかそのまま、オレの腹の底に
渦巻く醜い怒りも憎しみも、
全て溶かして消してくれ。

そう願いながら、尖塔の上で1人
いつまでも目の前の美しい光景を
目に焼き付けるように見つめ続けた。
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