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10.可愛い人

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 待機室のシャワールームへ移動した私は、濡れてしまったウィッグやメイド服をパパッと脱いでいく。温かいシャワーを浴び、ベタつきも取れた事で、ようやくホッとした。

 媚薬だとは最初から信じてなかったけれど、得体の知れないものをかけられたのだから、流石に不安ではあったのだ。

「媚薬なんて、そんなの実際ある訳ないもんね」

 着替えはどうしようかな……ダメ元で居室のクローゼットを開けてみると、一人でも着れそうな簡易ドレスが数着掛けてあり、私は目をぱちくりさせた。

「……何でここに私の体型に合いそうなドレスがあるんだろう?」

 一瞬そんな疑問が頭をよぎったのだが、まぁいいかと割り切って、有り難くそちらを拝借する事にした。着替えがあって正直助かったので。

 さて、ベタついたウィッグはどうしたものか……私はふむ、と腕を組んで考え込む。

 家になら普段使っている手入れグッズがあるのだけど、この部屋にそんな物はないだろう。結局今出来る事は、簡単に水洗いをして、自然乾燥をさせておく事しかなかった。

 それから、帰る時に忘れないようにと、ウィッグの隣に伊達メガネもそっと並べておく。

「これでよしっと……」

 ソファーに座って、地毛である銀髪から滴る水を、タオルでポフポフと拭き取る。ウィッグがあの状態じゃ、今日はもう夜会には戻れないな。……まぁ、一人の令嬢の暴走を未然に防いだのだから、許してもらおう。

「髪も殆ど乾いてきたし……あとは夜風に当たって乾かそうかなぁ」

 シャワーのおかげか身体はポカポカしているし、いつもより上機嫌な私はそう思い立って、鼻歌を歌いながらバルコニーへ続く扉を開けようとした、その時。レオ様の私室に繋がる方の扉が、バンッと勢いよく開いた。

「えぇ……? ノックもなしに誰……?」

 振り返ると、夜会服のままのレオ様が、少し息を切らしながら驚いた表情でこちらを見つめていた。

 あれ? さっき、後で様子を見に来るって言ってたの、ロラン様じゃなかったっけか? うーんと、そこにいるのは、ロラン様じゃなくて……

「……レオ様だぁ」

 にぱっと笑う私に、一瞬たじろぐレオ様。

 こんなレオ様、何だか珍しい。私はどうしたんだろう、と不思議に思いつつも「もう夜会は終わったんですか?」と問いかけた。

 側に近寄ると、レオ様は手で口元を抑えながら、流し目でこちらを見つめてくる。顔がほんのりと赤い気がするのは、気のせいだろうか。

「…………酔っ払ってるんだな?」

「酔ってないですよ。お酒なんて飲んでないですもん」

「顔にかかったとはいえ、少量舐めた程度で酔っ払うとか、どんだけ弱いんだよ……」

 呆れた様子のレオ様、やっぱり面白い。どんどん楽しくなってきた私は、いつもの丁寧口調もどこへやら、そんなのお構いなしな気分になって、くすくす笑いが止まらなかった。

「ふふー。変なレオ様」

「……っ、くそ、調子狂う……お前、ちょっと酔いを覚ませ」

 そう言うと、羽織っていたジャケットを脱いで、肩に掛けてくれると、私をバルコニーへと連れて行く。私、酔ってないんだけどなぁ……

「気持ちいい……」

 バルコニーに出ると、時折頬に刺すような冷たい風が当たる。もうすぐ三月になろうとしているが、まだまだ夜風は冷たいようだ。でも今は、これくらいの冷たさが丁度いい気がする。少し冷静さを取り戻した私は、胸の下辺りの高さにある手すりに、ちょこんと手を乗せた。

「……先日の雷の時は、ありがとうございました」

 あの日以降、キチンとお礼を言えずにズルズルと過ごしていた私は、これ幸いとばかりにお礼を告げた。

「レオ様はあの日、私に思い出したくない事を話してくださいましたよね。……私にも、あるんです」

「お前の思い出の引き金は……雷か?」

 私は「はい」と返事をして、夜空を見上げた。

「ご存知かもしれないですけれど、私の両親は、私が十歳の時に事故で亡くなりました。その日の夜は酷い雷雨で……家で留守番をしていた私は、夜、帰宅時間になっても戻って来ない両親を、ずっと待っていたんです」

 ────父様、母様、早く帰ってきて。

 一瞬、私の中であの日の思い出がフラッシュバックする。大丈夫、今はレオ様が側にいるからと、頭を振って自分に言い聞かせた。

「……結局、両親が帰ってくる事はありませんでした。悪天候の中、帰り途中で乗っていた馬車ごと事故に遭ったと、翌朝連絡が来ました」

 あれから何年も月日は経つのに、私は雷の夜が苦手なままだ。大好きだった月も、星も、雷雲が来ればたちまち消えてしまう。

 そうやって、突然大切な人を奪っていくから。

「夜空はいつだって綺麗で、嫌いになんてなれないけれど、心の何処かで少し怖いんです。……この歳にもなって、情けないですよね」

 夜空を見上げていた視線を下ろし、手元を見つめた私の頭にポン、と温かくて大きな手のひらが優しく乗せられた。

「いや……お前は今まで、そうやって一人で夜を乗り越えてきたんだろ? 少なくとも俺は、情けないなんて思わない」

 レオ様は馬鹿にする訳でもなく、私の隣で、静かに寄り添ってくれていて。

 それが私にとっては、すごく居心地がよくて、有難かった。

 ────────────────

 二人並んで、暫く夜空を眺めていたのだが、横から視線を感じて顔を向けると、パチリと目が合った。どうかしましたか、と私が問うと「髪の毛、銀色だったのか」と一言だけ告げられる。

「あれ? ご存知なかったですか?」

「……メイドの格好のお前にしか会わないから、地毛の事はすっかり忘れていた」

「だから部屋に入って来た時、驚いていたんですね」

 月明かりと夜風が相まって、私の銀髪は煌めいていた。

 レオ様は、クスクスと笑う私の髪の毛を掬うと「……綺麗だな」と、呟いた。

「……! あ、ありがとうございます」

 珍しくお褒めの言葉をいただき、嬉しくなって顔を綻ばせた私を見て、はー……と、レオ様は溜息をつく。

「お前はあれだ……酒には弱いし、いつもより素直になるわ、可愛いわで……反則技が多すぎる」

「反則って何がですか?」

 言われた言葉の意味を考えていたが、段々思考が働かなくなり、眠たくなってきた。私がバルコニーの手すりに頬杖をついてウトウトとしていると、それに気づいたのか、レオ様が私をフワリとお姫様抱っこする。

「ルル、ここで寝るな。眠いならベッドに連れてく」

「ん……」

 レオ様の体温と香りで、何だかフワフワした気分になる。それが酷く心地よかった私は、ポフ、と身を委ねて目を閉じた。

「おやすみ」

 そう呟いた優しい声と、私の額に触れた柔らかい感触。

 夢なのか現実なのか、よく分からなかったけれど、何だか幸せな気持ちで眠りについた私なのだった。

 
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