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第7章
50.契約継続ですか!?
しおりを挟む掴まれた手首に伝わる温度が思った以上に熱くて、少し驚いた。私としては「ちょっとそこまで」の感覚だったから、そんなに心配をかけてしまったのかと、慌てて反省する。
「す、すみません、勝手に抜け出して……」
「……ううん」
さっきまでの激しさはあっという間にどこかへ消え、ノエル様はそっと私の手首から手を離す。
「あの、黒猫にお礼を言いたくて。ダメ元でここに来たら、最後にもう一度だけ会えたんです。ノエル様は……?」
「庭園に向かうのがバルコニーから見えたから。……さっきはサシャが月夜に溶け込んで、黒猫と一緒にどこかへ消えてしまうような気がした」
どことなくシュンとした様子のノエル様は、なんだか叱られた犬のようである。
「私は黒猫や妖精みたいな不思議な存在じゃないですから、突然消えたりしませんよ? ノエル様って、もっと現実的に物事を考える方だと思ってましたけど……」
消えちゃうなんてそんな事、ある訳ないのに。随分とロマンチックな発想をするようになったんだなぁ。思わずくすくすと笑っていると、ちょっとだけばつが悪そうに今度は手を差し伸べられた。
私が小首を傾げていると、ちょうど風に乗って会場の音楽が所々小さく聴こえてきた。
「会場はサシャと話したがる人間が多くて邪魔が入るし、ここで休憩がてら、ゆっくり1曲踊らない?」
その提案に私は思わずチベットスナギツネみたく、目を細めてしまった。
「……私がダンス苦手なの、さっきので分かってくれましたよね? 足を踏んでも許してくださるのなら……」
ここなら誰も見ていないだろうし、まぁいいかと思い、ノエル様の手にそっと自分の手を重ねる。
夜会で婚約者候補として踊った時、私はノエル様を意識しすぎてか、何度か足元がおぼつかなくなってしまった。その度にノエル様が何てことはないかのように軌道修正してくれたのだけど、更に身体が密着するわ、キラキラした微笑みは間近にあるわで。
私は流石にポーカーフェイスを維持できず、何なら余計に緊張してしまったのだった。
「ギャップがあってよかったよ? サシャが言ってるほど全然悪くなかったし。……まぁ、おかげでダンスの後からサシャを見る男達の視線が更に鬱陶しくて、僕はうんざりしてたけどね」
「え? あ、それにレクド王子も無事、クララ様と踊る事ができてよかったですね。凄く幸せそうにしてました」
「うん。レクドは足が治って、クララと踊れたのが1番嬉しかったんじゃない? そういえばさ、僕達を救ってくれた事……本当に公表しなくてよかったの?」
夜会が始まる前に、陛下にも何度か確認されたけれど、私自身が命を救った訳じゃないからと言って断った。
「……神秘の子爵令嬢が占いを使って暗躍。今回の事件も解決に導いたって、もう噂でバッチリ広まってるけどね」
「ちょ、え!? それじゃお断りした意味がほとんどないじゃないですか!?」
「ん~……僕としては頭の堅い貴族達にサシャの活躍を知ってもらった方が好都合だと思って、そのまま噂を黙認してたんだよね」
沈黙は肯定の意ってね……と、にんまり意地悪そうに微笑む王子様である。
「ていうか身を挺してクララを助けてくれた時から一目置かれていたのに、それも気づかなかったの?」
私はノエル様からの問いかけに、ぶんぶんと首を横に振る。ぜ、全然気づかなかった。
契約を無事に終える事を第一に考えていたから、限られた人としか交流もしていなかったし、そんな噂があるなんて情報、入ってこなかったのだ。ガクリと頭を落とすと頭上から、ふふ、と機嫌のよさそうな笑い声が聞こえてくる。
「……契約、このまま無事に終わりそうだね」
「あ……」
満月の下、幻想的な雰囲気も相まって、別世界で踊っていたような気になっていた私は、すっかり現実へと引き戻された。
明日からはもう、婚約者候補でもなんでもない。契約を結んだ当初は、報酬を貰えればそれでいいと思っていたのに、私の心の奥底は何故か満たされていなかった。
音楽が鳴り止む。ダンスを終えた私達は形式に則って、終わりの礼をする。そのままお互い手を離す事なく、まっすぐに見つめ合った。
「今夜をもって、当初の予定通り契約は満期終了とする。契約内容は不足なく、むしろ十分すぎるくらいクリアしてくれたし、本当に感謝してる」
「……はい」
「……ということでサシャは婚約者候補から、婚約者に格上げね。正式な婚約者決定おめでとう」
「……はいっ!?」
「うん、早速いい返事をありがとう」
そのまま距離を詰められ、ガバッと抱きしめられる。
「ちがっ、今のは返事じゃなくて……え!? はっ!?」
婚約者候補のフリは終わって、今度は、正式な婚約者? ノエル様の腕の中で、ぐるぐると言葉を繰り返すけれど頭が働かない。
「えー、じゃあ俺との契約を継続してよ、主。アップルパイ焼いてくれるなら高額な値段ふっかけないし。王族の仲間入りするんだったら、警備って大事だと思うよー?」
「えぇ……? ていうか、いつから居たんですか……」
「護衛なんだから当たり前だろー?」
ニョキッと木の上からバイパーが顔を出した。ノエル様はまるで邪魔が入ったと言わんばかりに、心底うんざりした顔をしながら、私をギュッと抱きしめ直す。
「なら僕がお金を出してサシャの護衛に君を雇うよ。パイはサシャじゃないと難しいだろうから、焼いてあげてくれる? さっそくだけど、会場にいる今後めんどくさい動きをしそうな人間を見繕っといてほしいんだよね」
「腹黒い奴見つけんのは早いから任せといて」
バイパーはザザッと木の中に潜ったかと思うと、器用に木から木へと飛び移っていく。その姿を眺めながら、ノエル様はいい笑顔で「やっと邪魔者がいなくなった」と呟いている。
「あの暗殺者といい……なんだかんだ言ってさ、サシャって人たらしだよね。あの日も、初めて会った胡散臭い王子に変な契約を提案されてさ。正直断られるだろうなと思ったのに、気づけば僕まで無意識にサシャに惹かれてたんだもの」
「……お金って大事ですから」
「うんうん、そういうところも現実的でいいよね」
「ノエル様の第一印象は正直いって最悪でしたけど……」
「う……それに関してはごめんとしか言いようがない……ねぇ、相変わらず敬語は抜けないのは何で? もうちょっと砕けて話してくれていいのに」
「これは癖みたいなものなんです」
こうやって軽快に会話をかわせられるのも、ノエル様だからなんだよね、きっと。
王宮で過ごした長いような、短いような半年間で、私はお金よりも大事に想ってしまう人を見つけてしまったらしい。なんか悔しいけど。
「……貴方を好きになった私の、負けなのかもしれません」
腕を突っ張って距離をとり、少し俯き気味な私の零した言葉に、ノエル様が驚き、息を呑むのが分かった。
「え……? サシャ、それホント……?」
「エルが好き。だから……これからもよろしくお願いします」
意地をはるのはもうやめた。1人で抱え込むのも、もうおしまい。だから、少しずつ変わっていこう。まずは、心の中でずっと呼びたいと思っていた、私だけの貴方の特別な呼び方から。
まだぎこちないけれど小さくはにかんだ私の瞳に映るのは、間近に迫ったエルの綺麗な顔だった。冷たい青い瞳の中に確かに滲むのは、熱を帯びた光。
「僕も好きだよ、サシャ」
伏目がちなまつ毛、長いんだな。男の人なのに、本当に綺麗な顔立ち……なんて思ったりして。柔らかくて心地よい感触が唇に伝わったのはそれからのすぐの事だった。
「ん……え?」
「この前言ったでしょ? 契約が終わる時に特別手当をつけてあげるって」
「キ、キスが特別手当って、どういう事ですかっ!?」
「ん? 1回じゃ足りないって事? 欲張りだなぁサシャは」
「~~~っ違います!」
真っ赤になった私に、再び甘ったるいキスを落とす。人たらしなのはどっちの方なんだ。
「これからも僕の隣にいて。占ってよ、僕のこと」
こうして半年間に渡った偽装契約は終わりを迎えた訳なのだけれど。
どうやらアップデートして甘くなった契約関係は、これからもずっと続くようである。
―― 終 ――
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