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第5章
30.ヒロイン観察日記。
しおりを挟む「なっ、なんだったんだ、あの人……」
私は小走りしていた歩みを止めて、はふ、と息を吐いた。何が、とは言えないけれど、私の中で危険レーダーが作動していた。
「まぁ……別にもう会う事もないだろうからいっか」
私が待ち合わせ場所のオープンカフェに到着した時、予め決めておいた集合時間を少しオーバーしてしまっていた。
「イヴ! ごめん、お待たせ」
「いえ」
そう短く返すとイヴは、とたぱたと駆け寄った私のズレたフードを直してくれる。今日1日薄々と感じてたけど、何か……赤ずきんになった気分だな。さっきまでカゴの代わりみたいにケーキの箱持ってたし。
「ナタリーの様子、どう?」
「途中報告させていただいた時と、あまり変わり映えはしておりません」
丁度今はあちらに、と話すイヴの視線を追うと、とあるアクセサリーショップのガラスに映るナタリーの姿があった。
「あのさ……王宮メイドのお給料って、そんなにいいの?」
ナタリーが今いる店は、平民向けというよりは少し値がはる店だ。
「今日1日で服屋でしょ、アクセサリーにカフェ……羽振りよすぎだよね?」
「明らかにメイドの1ヶ月分の給金は超えているかと」
「だよね。パパ活でもしてるのかな……」
「……? パパ……?」
「えーと、なんて言うんだろう……合ってるか分からないけど、パトロン? みたいな」
イヴは、私の言い換えた言葉であぁ、と納得がいったようだ。
「その可能性もありそうですね」
このタイミングで都合よく王宮メイドに内定した事といい、ナタリーにヒロイン補正がかかってると考えたにしても、バックに有力貴族が付いているような気がする。
順を追って冷静に考えると、いくら何でも上手く行き過ぎているんだ。
夜会の時の行動や、庭園での誰かとの密会……ナタリーの最終的な目的って何なんだろう。
「殿下方に見初められて、行く行くは王妃になりたいとか……?」
ヒロイン的にはハッピーエンドだけど、私の気分的にはバッドエンドである。
私の呟きを拾ったイヴが、隣で心底嫌そうなオーラを放っていた。
「ナタリーの生い立ちとかって調べはもう済んだ?」
「はい。別の者が担当しておりますが、そろそろ調査結果が上がるかと。些か厄介な状況だったらしく、確認に遅れが生じていたようです」
「へぇ……本当にパトロンがいたとして、その人が結構な有名人とかだったりしてね」
ナタリーの休日を監視してくれたイヴの為にも、追々色々と辻褄が合うといいな。
「誰かと会う感じは……もう今日はなさそうだね」
「そうですね。非番の王宮騎士に偶然会って、カフェでご馳走になっていた位でしょうか」
なら後はもう少しだけ様子を見て、帰るだけかな。紅茶を飲んで一息ついた私に、イヴが口を開く。
「サシャ様。殿下に外出許可をいただきに伺った際、その行き先と理由を聞かれまして、お答えしました。漠然とした感覚なのですが……何かを悟られているように感じられました」
「えーと、理由は私が用意しておいたやつを言ってくれた?」
「はい。ですが、やはり納得はしておられない様子でした。それだけ?と訝しんで、もう少し詳しく説明をするよう求められましたので……申し訳ありません」
ロワン家が出資しているケーキ屋の名前を挙げて、そこに行きたい、なんて言ったら色々勘ぐりされそうだなと思った。
だから一応それらしい理由を用意しておいたのだけど、やっぱり無理だったか。
「いいよ。イヴの本来の主は私じゃなくてノエル様なんだから、それで大丈夫。ま、私はイヴの事を頼りにしてるけどね?」
「……はい」
冗談を交えた、あっけらかんとした私の言い方に、少し驚いた様子のイヴだったけれど、すぐに普段通りの表情へと戻っていた。
「それにあの王子様、私がケーキ屋に行くって知った時点で、多分色々と察してたんじゃないかなとも思って」
いつだったか、私が王家のお菓子についてあれこれ感想を言ってた時に、不思議そうにしていたし。
頭の切れる王子様は本当に仕事のパートナーとして申し分ないけれど、隠し事をするにはとても厄介だ。
「それにしても、特定の記憶を消す……かぁ」
イヴに、また急に何やら物騒な事を呟いているな、と思われているに違いない。私が誰かの記憶を消す訳じゃないからね?
先日ノエル様が話していた、幼少期に王妃様から聞いていた御伽話の記憶を忘れていたという不可思議な件。
王妃様は病弱ながらも温厚で、美しくも聡明だった。そんな王妃様が亡くなられたのは、お2人が確か10歳になる年だったはず。王家の仲睦まじい姿は有名な話だった為、国民の哀しみもとても深かった。
そんな王妃様との大切な思い出を自ら記憶にしまうなど、あるのだろうか。
「消したくない思い出なのに消えてしまうってさ、どうしてなのかな」
「消したくない思い出以上に、何か心を惑わす衝撃的な事があったから、でしょうか」
「そっか……」
王妃様の死、か……
幼い王子様達の心に蓋をした人がいる。それは良心からなのか、それとも──……
答えは出ないまま、夕暮れを迎えていた。
────────────────
サシャとイヴが街へ外出した日の夜。
町はずれの酒屋の、貴族の密会に使われる地下の部屋。そこは薄暗く、煙たい空気が漂っていた。
「名前はサシャ・ロワン。子爵令嬢で、第2王子の婚約内定者として今王宮に滞在している」
「ふーん? その子が今度のターゲット?」
「そうだ。先日マクシミリ嬢の時はその娘のせいで失敗に終わったからな。こちらから処理すると決めたらしい」
「だから俺、確実に息の根を止めるやり方にすればって提案したのに」
スパッと首元を掻っ切るような動作をして、ペロリと唇の端についたパイ生地を舐めた。
「知らん……あの方なりのプランがあるのだろう。いいか、特徴は紺色の長い髪に、紫色の瞳。人目を引く容姿だから、お前なら間違えない筈だ」
「はいはい。紺色の髪に、紫の目の女の子ね。……ん? そういやあの子も、そんな髪色だったような……」
「何か言ったか?」
「ま、いーや。ううん、何でもなーい」
「というかお前、その強いシナモンの香り……どうにかならんのか」
「やだなー雇い主さん。……俺が刺激的な物がだーいすきなの、わかってるっしょ?」
ニヤリと妖しく笑うその姿。笑っているのに瞳の奥は冷え切っていて、雇い主と呼ばれた人物は、思わずうっ……と小さく後退りした。
「っ……期日は1週間以内。やり方はお前に任せる、との事だ。好きにしろ」
「へぇ、珍し。りょーかいしましたぁ」
「どうやらこの令嬢、想定していたよりも第2王子のお気に入りらしい。部屋は王子の隣室、更には警備も固められているからな……気をつけろよ」
「王宮の警備と俺、どっちが勝つかなんて愚問だね。伊達に高ーい報酬貰ってないからさ、その分のお仕事はするって」
その警告に、何だそんな事、と言わんばかりにカラカラと笑ったのだった。
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