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追放された弟は、兄の手を取り、英雄への道を進む
5.フランルーク、振り回される
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さて、僕は寮暮らしだ。
それに伴って、兄さんも僕と一緒に寮に入ることになった。
一応、監視役と監視対象、という関係の都合上、同室がいい、という話になったけど、寮は全部個室だ。
だから無理だと思っていたんだけど、部屋移動を命じられた。
文句を言ったけど、封殺された。
入寮する貴族によっては、自分の使用人を連れてくる貴族もいるらしい。
ここはそのための部屋だ。
つまり、兄さんに与えられた部屋は、使用人用の部屋だ。
確かに、同室と言えば同室だけど、それはないじゃないか、と思う。
兄さんは、文句を言わないばかりか、逆に「グレンの使用人になったほうがいいでしょうか」なんて、義父さんに聞いていて、腹が立った。
もちろん、問答無用で却下だ。
その日の夜、食事を終えて部屋に戻ってきたら、兄さんが僕に紅茶を出してくれた。
……やることが使用人だ。
そのまま脇に立っていそうな雰囲気だったので、強引に椅子に座らせて、一緒に飲んだ。
おいしかった。
「兄さん、こっちで一緒に寝ようよ」
部屋に戻ろうとする兄さんを、後ろから羽交い締めにする。
僕の所のベッドは、広すぎるくらいに広いから、何も問題ない。
「……ついこの間、一緒に寝てやっただろ。この年になって一緒に寝る兄弟なんて、いないぞ?」
「いーの!」
兄さんは、文句は言いつつも拒否しない。
ベッドに横になったら、小さい頃したみたいに、兄さんの背中にピッタリ体をくっつけて、お腹の辺りに手を回す。
「えへへ」
あの頃に戻ったみたいで、なんか嬉しい。
「……今日だけだからな」
兄さんは、そう言うけれど。
「ダメ、毎日こうする。一応、僕監視役だし。寝ている間に、兄さんが逃げちゃったら大変だもん」
「……逃げないよ」
うん、分かってる。そんなの、ただの建前だ。
ただ、10歳で途切れてしまった続きを、したいだけだ。
次の日の朝。
何かがモゾモゾ動いて、僕は目が覚めた。
モゾモゾ動いていたのは、兄さんだ。
寝る前と同じく、僕は兄さんにピッタリくっついているし、手もお腹に回ったまま。
普段、僕の寝相はいいとは言えないのに、小さい頃から兄さんにくっついて寝ると、どういうわけか、朝になってもそのままだ。
お腹に回っている手に力を込めれば、兄さんの動きが止まった。
兄さんの首筋が見えて、何となく、顔を近づけて、スンスン匂いを嗅いでみる。
「……グレン、起きたんなら、離せ」
「もうちょっと」
兄さんが文句を言ってきたけど、構わず、さらにくっつく。
「……どうしたら、兄さんみたいに上手に魔法が使えるようになるのかなぁ」
「この体勢で、する話じゃないぞ」
「どの体勢だって、話はできるよ」
はあ、と大きく息を吐くのが聞こえた。
「ただひたすらに、基礎の練習を重ねるだけだ。それをしていれば、上手になるさ」
「……………それが難しいんじゃないか」
真面目に取り組んできたんだろうな、というのが分かる兄さんの言葉だけど、基礎の練習はつまらないし、面倒だし、疲れるしで、地道に続けていくのが大変だ。
「だったら、一緒にやるか?」
思わず、お腹に回した手に、さらに力を込めてしまった。
ぐえっ、という声が聞こえた気がしたけど、気にせず叫ぶ。
「やるやる! 一緒にやる!!」
「分かった。分かったから、いい加減離せ! 本気で苦しい!」
兄さんの悲鳴に、僕もやっと手を緩めた。
登校時。
兄さんがゲッソリしているので、「大丈夫?」と聞いたら、「お前のせいだろう」と恨めし気に言われた。
ウォーレンサー家が逮捕されたことは、すでに知れ渡っているんだろう。周りの視線が、僕たちに集中しているのが分かる。
ただ、思っていたより、嫌な視線は少ない。どちらかというと、兄さんに同情しているような視線が多いように感じた。
――まあ、考えてみれば、目立つところで当主が意味不明のことを怒鳴り散らした挙げ句、兄さんを張り倒して、しかも次に登校してきたときは、その傷がそのまま、という状態だ。
よほど捻くれている奴じゃない限り、同情もしたくなるか……。
「二人とも、おはよう」
その声に、ゲッと思う。
振り向けば、案の定、王太子だ。
「フランルーク、新しい部屋はどう?」
「……おかげさまで、快適に過ごさせて頂いております。色々と手続きをして下さいまして、ありがとうございました。――ですが、殿下。その質問は、まずグレンにするべきではないかと思うのですが」
「グレンは快適に決まってるでしょ。いい部屋なんだから。使用人部屋に押し込められた君を、心配しているんだよ」
周りがザワッとした。この王太子、声量を抑えるでも何でもなく、普通に話しているから、周りにも声が聞こえている。
「あのですね、心配というなら、もう少し配慮して下さいよ」
僕が王太子を睨むが、王太子は笑うだけだ。
「グレン。別に俺は構わないから。――殿下、ご心配下さいまして、ありがとうございました」
兄さんが頭を下げると、王太子はつまらなそうな顔をした。
「……そういう反応されると、面白くないんだよねぇ。グレンみたいに反発してくれば、からかいがいもあるのに……」
そっか。この人相手には、兄さんみたいな対応が正解なのか。
一つ勉強になった。
Sクラスの教室のメンバーは、兄さんを歓迎していた。
またきちんと登校できる状況になったことを、喜んでくれていた。
放課後。
約束通り、一緒に練習をすることになった。
練習だから、魔法の打ち合いでもするつもりだったのに、兄さんに「まずは基礎から」と言われてしまった。
ちなみに、基礎の練習は、体内の魔力を頭のてっぺんから足の先まで、ひたすらぐるぐる回し続ける、というものだ。
これをやると体内の使っていない魔力を使えるようになるし、魔法の制御力も高められる、とは言われているが、正直なところ、どれだけ違うのかが分からない。
そう思っていたんだけど。
兄さんがその基礎を始めてすぐ、その魔力量にゾクッときた。
魔力量だけなら、僕の方が多いはずだ。
それなのに、兄さんの方が圧倒的に感じる。
その膨大な魔力が、兄さんの体を巡っている。
時にはゆっくり、時には早く。時には回す方向を逆回転にさせて。
全身に魔力を巡らせているのが、分かる。
(グレン、やらないの?)
ミーシェの笑うような声が、頭に響いて、ハッとした。
(……やる)
ちゃんと基礎をやることでどれだけ差がでるのか、と言うことを、目の当たりにした。
次の休み。
僕は、兄さんを連れて、家に戻っていた。
なぜか、王太子がいたので視線を向けたら、「聞きたいことがあるんだよ」と言われた。
「フランルーク、君、どこで寝てるの? ベッドを使った形跡が全然ないって報告が上がってるんだけど」
王太子の顔は、珍しく真剣なものだったけど、兄さんは思いきり吹き出していた。
「……あれ、予想外の反応だね? 変な所で真面目を発揮して、自分はベッドを使用しません、とか言い出されることを予想してたんだけど」
「――……あー、と、その、いえ、大丈夫です」
しどろもどろになりながら、それでも僕に視線を寄越さないのは、正直すごい。
でも、別に隠さなくていいと思う。
「兄さんなら、僕と一緒に寝てるんで、問題ありません」
あれから、僕は宣言通りに、毎日兄さんを後ろから抱きしめて寝ている。
これからもそうするつもりだし、たぶん、兄さんの部屋のベッドを使うときはないと思う。
「――グレン!!」
「………………はあ?」
焦った様子の兄さんの声と、訝しげな王太子の声が重なった。
「……一緒に寝てんの? ……兄弟仲良く? ……その年で?」
「はい」
何か問題ありますか? と王太子を見返す。
兄さんは、頭を抱えている。
「言い出したのは、グレン?」
「もちろんです。兄さんから言ってくれたら嬉しいですけど、多分言ってくれないんで」
「……当たり前だろ」
ボソッと、兄さんが突っ込んできた。
「………………………ああ、そう。なんか心配して損した。フランルーク、嫌なら嫌だと、きちんと言うべきだと思うけど」
兄さんが口ごもっているから、代わりに僕が答える。
「兄さんは、基本的に根っこから兄さんだから。甘えられると嫌だって言えなくて、諦めて受け入れてくれるんです。
一度、どこまで受け入れてくれるのか、試してみたいなぁ、なんて思ったりもしますね。よほどじゃない限り、受け入れてくれそうですけど」
今度は、兄さんは顔を覆っていた。
耳が真っ赤だった。
「……要するに、君はそれをいいことに、甘えられるだけ甘えているわけか。ていうか、どこまで受け入れてくれるのか、って、例えば、何をする気?」
「グレン! 殿下も! その話はここまでにして下さい」
珍しく、兄さんが話を切ってきた。
いつも、王太子に対して丁寧な対応だから、とても新鮮だ。
――顔が赤いけど。
「フランルーク、君、何されてんの?」
「ですから、話は終わりです!」
「体をピッタリくっつけて、後ろから抱きしめて寝てるだけです。別に大したことしてません」
「――グレン!!」
兄さんは、さらに顔を赤くした。そんな気にする事じゃないと思うけど。
「あのねぇ、グレン。普通、兄弟でそんな事しないでしょ。恋人同士じゃあるまいし。十分、大したことだと思うけど」
「普通の兄弟がどうか、なんて関係ないです。僕たちには僕たちの普通があるんですから」
「……大変だねぇ、フランルーク」
「……そう思って下さるなら、話を続けないで欲しかったです。……まあ、小さい頃の反動が今来ているんだろうな、と思うと、拒否しきれないというのはありますけど。
でも、このまま俺にくっついてばかりじゃ、好きな女の子とかできないんじゃないか、と思うと、心配ではありますね」
「えー、別にそんなのできなくてもいいよ」
むしろ、このまま兄さんにくっついていたい。
「好きな女の子云々を言うなら、フランルークの方が気にした方がいいよ。君に好きな子ができて、それなのにグレンがくっついてたらどうするの。邪魔でしょ」
人を邪魔扱いしないで欲しい。
さすがに、遠慮するべき時はちゃんと遠慮する。……多分。
でも、兄さんはキョトンとしていた。
「俺は別に結婚する気はありませんし、その必要もありませんよ? 好きな女性ができる事はないですよ」
当たり前の事を当たり前に言うように言った。
「……いや、でも、君……」
「兄さん」
王太子が言いかけた所を遮る。
「悪いけど、ちょっと部屋の外に出てて。あ、建物の外に出ちゃ、ダメだからね!」
「分かった」
小首を曲げて不思議そうにしながらも、何も文句も言わずに部屋から出て行った。
※ ※ ※
「満足してしまった……だったかな。重症だね」
ずっと僕たちのやり取りを黙って見ていた義父さんが、口を開いた。
「叫んだり赤くなったりしてたのを見て、安心してたんだけど、駄目だね。肝心の部分で、彼は自分自身に興味がない。自分自身のためにこの先、生きていく気は全くないんだね」
「……そうか。ウォーレンサー家をどうするつもりなんだと思ったけど、それ以前の問題か」
僕は、ここ最近の兄さんの様子を思い浮かべる。
「魔法の練習を一緒にしてるんだけど……、確かにすごいよ。すごいけど……、覇気がないというか、重みがないというか……。上手く言えないけど、模擬戦の時の、あの絶対に敵わないって思わせるものが、全く感じられない」
模擬戦の時の兄さんを思い出す。
本当に強かった。この人にどうしたら手が届くのか、まったく分からなかった。でも、どうしようもなく、その強さに惹かれた。憧れた。
それなのに、今の兄さんには、そういうのがまったくない。
「こればかりは、フランルークが自分でどうにかするしかない。周りの人が考えたって、何にもならない」
義父さんが言うのは分かる。確かにその通りだと思うけど、満足したっていうのに、僕が関わるだけに、どうしても気になってしまう。
「ただ、もう少し不平不満を口にしてもいいと思うのだけどね。先ほども、グレンが突然部屋を出て行けと言ったのに、理由も何故とも聞かずに素直に出て行ったし。
グレン、さっき言っていた、どこまで受け入れてくれるのか、というのを本当にやってみてもいいんじゃないか? 具体的に何をする気かは知らないけど、あまりにも抵抗しないようだったら、怒っていいと思うよ」
「――え、あっちの話とこっちの話がくっつくの?」
全然別物の話だと思ってたから、驚いた。
そうしたら、逆に義父さんから驚かれた。
「なんだ。てっきりフランルークの覇気のなさを心配して、必要以上にくっついているのかと思ったら、違うのか?」
「いや、全く。そっちは普通に僕がくっつきたかったから、くっついているだけ」
「……グレン、それはそれで問題だ」
「何で! いや、うん、そうだね。兄さんを心配してくっついてるって事にしとこう。そうしたら、これからも遠慮なくくっつけるし」
「……どうせ、遠慮なんかする気ないだろう……」
王太子が呆れ気味に言ったけど、僕は気にしなかった。
話が終わって兄さんを探すけど、見つからない。
やっと見つけたと思ったら、調理場でお茶の準備なんかをしていた。
「話、終わったのか?」
「終わったけど……何してんの、兄さん」
「見れば分かるだろ。じゃあ行くか」
用意したお茶セットを持って、さっさと兄さんは歩き出してしまう。
それを慌てて追い掛けながら、
「兄さん、なんでそんなことするの? しなくていいよ」
お茶の用意は、使用人のやることだ。
うちにはほとんどいないから、忙しければ義父さんか僕がやる。
「気にするな。手が空いたからやっただけだ」
寮でも、毎日のように僕にお茶を入れてくれる。
僕が言わなきゃ、兄さんは自分の分の用意をしない。
「……兄さんは使用人じゃないよ。監視対象になってても、それでも兄さんだって貴族だ」
「分かってるよ」
あっさりと受け流される。
ふとお茶セットを見て、気付いた。
「――兄さん、カップ、一つ足りない!」
「……え……あ……」
気付かれたか、と言わんばかりのバツの悪そうな顔をした兄さんを置いて、僕は取りに戻った。
「――悔しいけど、おいしい」
「おいしいんですよね……」
「……おいしいね」
兄さんの入れてくれたお茶を飲みながら、王太子、僕、義父さん、と口々に感想を言い募る。
そうなんだよね。寮にいたときから思ってたけど、おいしい。入れる手つきも、妙に慣れている。
物問いたげな僕らの視線に気付いて、兄さんは少し悩むそぶりを見せたけど、教えてくれた。
「……家にいたときから、やってたんです。あいつらが、我が儘言ったりかんしゃく起こしたりで、使用人達が怯えていたから。教えてもらって、できる限り俺がやっていました。それで、すっかり慣れました」
兄さんは苦笑するけど、こっちはそれどころじゃない。
「何それ、おかしいよ! 大体、兄さんがそんなことしてて、あいつら、何も言わないの?」
「最初は言われたよ。でも、興味があってやりだしたらハマった、と言ったら、それ以降何も言わなくなった。
――最初の頃は、自分の分も入れて一緒にお茶してたけど、段々遠慮がなくなってきて、おかわりとか色々要求してくるものだから、面倒になって一緒に飲むのをやめた。それでも、何も言われなかったし」
「……………えええぇぇぇぇ?」
なんだそれ。あの弟妹達、ずいぶん兄さんを慕ってたように見えたけど、家じゃそんな事になってたわけ?
「パーリアとシルスも、俺の後を付いて回ることが多かったけど、孤児院の訪問とか、理解できないことをやっている変な兄、みたいな評価もしてたからな。
多分、俺がお茶を入れて何かと世話焼いていたのも、俺が好きでやってるだけ、くらいに思ってたんじゃないか?」
「………………それにしたってさぁ」
さすがに、限度ってものがあると思う。
それに、そう話しながら、別に兄さんは不満だったわけじゃないみたいなのが、意味が分からない。
「フランルーク、何か不平不満はないのか。文句でもいいが、今のことでも、昔のことでも、何かないのか?」
「……え?」
突然の義父さんからの質問に、兄さんが面食らっていた。
「グレンから突然の退室命令にしても、何一つ聞く事なく、素直に従うし、お茶の話にしても、好き勝手な家族に不満の一つを抱いてもおかしくない。そもそも、主人が癇癪を起こして使用人に当たるなど、珍しいことでも何でもない。それを君にさせて良しとしていた使用人側にも問題がある。
――そういうことを含めて、何か不平不満はないのか?」
「……え……と」
兄さんは考えつつ、僕を見た。
「グレンからの退室命令については、“犯罪者の息子”がいては、できない話もあると思ったので、特には。
お茶の件は、使用人に当たってる家族を見たくなかった、というのもあったので、こちらも別に。元々自分のために始めたことです。面倒と思ったのは確かですけど、癇癪起こして怒鳴り散らしている空間にいるよりは、ずっとマシでした」
「……………そうか」
小さくつぶやいた義父さんの口が、難しいものだな、と動いたのが見えた。
それに伴って、兄さんも僕と一緒に寮に入ることになった。
一応、監視役と監視対象、という関係の都合上、同室がいい、という話になったけど、寮は全部個室だ。
だから無理だと思っていたんだけど、部屋移動を命じられた。
文句を言ったけど、封殺された。
入寮する貴族によっては、自分の使用人を連れてくる貴族もいるらしい。
ここはそのための部屋だ。
つまり、兄さんに与えられた部屋は、使用人用の部屋だ。
確かに、同室と言えば同室だけど、それはないじゃないか、と思う。
兄さんは、文句を言わないばかりか、逆に「グレンの使用人になったほうがいいでしょうか」なんて、義父さんに聞いていて、腹が立った。
もちろん、問答無用で却下だ。
その日の夜、食事を終えて部屋に戻ってきたら、兄さんが僕に紅茶を出してくれた。
……やることが使用人だ。
そのまま脇に立っていそうな雰囲気だったので、強引に椅子に座らせて、一緒に飲んだ。
おいしかった。
「兄さん、こっちで一緒に寝ようよ」
部屋に戻ろうとする兄さんを、後ろから羽交い締めにする。
僕の所のベッドは、広すぎるくらいに広いから、何も問題ない。
「……ついこの間、一緒に寝てやっただろ。この年になって一緒に寝る兄弟なんて、いないぞ?」
「いーの!」
兄さんは、文句は言いつつも拒否しない。
ベッドに横になったら、小さい頃したみたいに、兄さんの背中にピッタリ体をくっつけて、お腹の辺りに手を回す。
「えへへ」
あの頃に戻ったみたいで、なんか嬉しい。
「……今日だけだからな」
兄さんは、そう言うけれど。
「ダメ、毎日こうする。一応、僕監視役だし。寝ている間に、兄さんが逃げちゃったら大変だもん」
「……逃げないよ」
うん、分かってる。そんなの、ただの建前だ。
ただ、10歳で途切れてしまった続きを、したいだけだ。
次の日の朝。
何かがモゾモゾ動いて、僕は目が覚めた。
モゾモゾ動いていたのは、兄さんだ。
寝る前と同じく、僕は兄さんにピッタリくっついているし、手もお腹に回ったまま。
普段、僕の寝相はいいとは言えないのに、小さい頃から兄さんにくっついて寝ると、どういうわけか、朝になってもそのままだ。
お腹に回っている手に力を込めれば、兄さんの動きが止まった。
兄さんの首筋が見えて、何となく、顔を近づけて、スンスン匂いを嗅いでみる。
「……グレン、起きたんなら、離せ」
「もうちょっと」
兄さんが文句を言ってきたけど、構わず、さらにくっつく。
「……どうしたら、兄さんみたいに上手に魔法が使えるようになるのかなぁ」
「この体勢で、する話じゃないぞ」
「どの体勢だって、話はできるよ」
はあ、と大きく息を吐くのが聞こえた。
「ただひたすらに、基礎の練習を重ねるだけだ。それをしていれば、上手になるさ」
「……………それが難しいんじゃないか」
真面目に取り組んできたんだろうな、というのが分かる兄さんの言葉だけど、基礎の練習はつまらないし、面倒だし、疲れるしで、地道に続けていくのが大変だ。
「だったら、一緒にやるか?」
思わず、お腹に回した手に、さらに力を込めてしまった。
ぐえっ、という声が聞こえた気がしたけど、気にせず叫ぶ。
「やるやる! 一緒にやる!!」
「分かった。分かったから、いい加減離せ! 本気で苦しい!」
兄さんの悲鳴に、僕もやっと手を緩めた。
登校時。
兄さんがゲッソリしているので、「大丈夫?」と聞いたら、「お前のせいだろう」と恨めし気に言われた。
ウォーレンサー家が逮捕されたことは、すでに知れ渡っているんだろう。周りの視線が、僕たちに集中しているのが分かる。
ただ、思っていたより、嫌な視線は少ない。どちらかというと、兄さんに同情しているような視線が多いように感じた。
――まあ、考えてみれば、目立つところで当主が意味不明のことを怒鳴り散らした挙げ句、兄さんを張り倒して、しかも次に登校してきたときは、その傷がそのまま、という状態だ。
よほど捻くれている奴じゃない限り、同情もしたくなるか……。
「二人とも、おはよう」
その声に、ゲッと思う。
振り向けば、案の定、王太子だ。
「フランルーク、新しい部屋はどう?」
「……おかげさまで、快適に過ごさせて頂いております。色々と手続きをして下さいまして、ありがとうございました。――ですが、殿下。その質問は、まずグレンにするべきではないかと思うのですが」
「グレンは快適に決まってるでしょ。いい部屋なんだから。使用人部屋に押し込められた君を、心配しているんだよ」
周りがザワッとした。この王太子、声量を抑えるでも何でもなく、普通に話しているから、周りにも声が聞こえている。
「あのですね、心配というなら、もう少し配慮して下さいよ」
僕が王太子を睨むが、王太子は笑うだけだ。
「グレン。別に俺は構わないから。――殿下、ご心配下さいまして、ありがとうございました」
兄さんが頭を下げると、王太子はつまらなそうな顔をした。
「……そういう反応されると、面白くないんだよねぇ。グレンみたいに反発してくれば、からかいがいもあるのに……」
そっか。この人相手には、兄さんみたいな対応が正解なのか。
一つ勉強になった。
Sクラスの教室のメンバーは、兄さんを歓迎していた。
またきちんと登校できる状況になったことを、喜んでくれていた。
放課後。
約束通り、一緒に練習をすることになった。
練習だから、魔法の打ち合いでもするつもりだったのに、兄さんに「まずは基礎から」と言われてしまった。
ちなみに、基礎の練習は、体内の魔力を頭のてっぺんから足の先まで、ひたすらぐるぐる回し続ける、というものだ。
これをやると体内の使っていない魔力を使えるようになるし、魔法の制御力も高められる、とは言われているが、正直なところ、どれだけ違うのかが分からない。
そう思っていたんだけど。
兄さんがその基礎を始めてすぐ、その魔力量にゾクッときた。
魔力量だけなら、僕の方が多いはずだ。
それなのに、兄さんの方が圧倒的に感じる。
その膨大な魔力が、兄さんの体を巡っている。
時にはゆっくり、時には早く。時には回す方向を逆回転にさせて。
全身に魔力を巡らせているのが、分かる。
(グレン、やらないの?)
ミーシェの笑うような声が、頭に響いて、ハッとした。
(……やる)
ちゃんと基礎をやることでどれだけ差がでるのか、と言うことを、目の当たりにした。
次の休み。
僕は、兄さんを連れて、家に戻っていた。
なぜか、王太子がいたので視線を向けたら、「聞きたいことがあるんだよ」と言われた。
「フランルーク、君、どこで寝てるの? ベッドを使った形跡が全然ないって報告が上がってるんだけど」
王太子の顔は、珍しく真剣なものだったけど、兄さんは思いきり吹き出していた。
「……あれ、予想外の反応だね? 変な所で真面目を発揮して、自分はベッドを使用しません、とか言い出されることを予想してたんだけど」
「――……あー、と、その、いえ、大丈夫です」
しどろもどろになりながら、それでも僕に視線を寄越さないのは、正直すごい。
でも、別に隠さなくていいと思う。
「兄さんなら、僕と一緒に寝てるんで、問題ありません」
あれから、僕は宣言通りに、毎日兄さんを後ろから抱きしめて寝ている。
これからもそうするつもりだし、たぶん、兄さんの部屋のベッドを使うときはないと思う。
「――グレン!!」
「………………はあ?」
焦った様子の兄さんの声と、訝しげな王太子の声が重なった。
「……一緒に寝てんの? ……兄弟仲良く? ……その年で?」
「はい」
何か問題ありますか? と王太子を見返す。
兄さんは、頭を抱えている。
「言い出したのは、グレン?」
「もちろんです。兄さんから言ってくれたら嬉しいですけど、多分言ってくれないんで」
「……当たり前だろ」
ボソッと、兄さんが突っ込んできた。
「………………………ああ、そう。なんか心配して損した。フランルーク、嫌なら嫌だと、きちんと言うべきだと思うけど」
兄さんが口ごもっているから、代わりに僕が答える。
「兄さんは、基本的に根っこから兄さんだから。甘えられると嫌だって言えなくて、諦めて受け入れてくれるんです。
一度、どこまで受け入れてくれるのか、試してみたいなぁ、なんて思ったりもしますね。よほどじゃない限り、受け入れてくれそうですけど」
今度は、兄さんは顔を覆っていた。
耳が真っ赤だった。
「……要するに、君はそれをいいことに、甘えられるだけ甘えているわけか。ていうか、どこまで受け入れてくれるのか、って、例えば、何をする気?」
「グレン! 殿下も! その話はここまでにして下さい」
珍しく、兄さんが話を切ってきた。
いつも、王太子に対して丁寧な対応だから、とても新鮮だ。
――顔が赤いけど。
「フランルーク、君、何されてんの?」
「ですから、話は終わりです!」
「体をピッタリくっつけて、後ろから抱きしめて寝てるだけです。別に大したことしてません」
「――グレン!!」
兄さんは、さらに顔を赤くした。そんな気にする事じゃないと思うけど。
「あのねぇ、グレン。普通、兄弟でそんな事しないでしょ。恋人同士じゃあるまいし。十分、大したことだと思うけど」
「普通の兄弟がどうか、なんて関係ないです。僕たちには僕たちの普通があるんですから」
「……大変だねぇ、フランルーク」
「……そう思って下さるなら、話を続けないで欲しかったです。……まあ、小さい頃の反動が今来ているんだろうな、と思うと、拒否しきれないというのはありますけど。
でも、このまま俺にくっついてばかりじゃ、好きな女の子とかできないんじゃないか、と思うと、心配ではありますね」
「えー、別にそんなのできなくてもいいよ」
むしろ、このまま兄さんにくっついていたい。
「好きな女の子云々を言うなら、フランルークの方が気にした方がいいよ。君に好きな子ができて、それなのにグレンがくっついてたらどうするの。邪魔でしょ」
人を邪魔扱いしないで欲しい。
さすがに、遠慮するべき時はちゃんと遠慮する。……多分。
でも、兄さんはキョトンとしていた。
「俺は別に結婚する気はありませんし、その必要もありませんよ? 好きな女性ができる事はないですよ」
当たり前の事を当たり前に言うように言った。
「……いや、でも、君……」
「兄さん」
王太子が言いかけた所を遮る。
「悪いけど、ちょっと部屋の外に出てて。あ、建物の外に出ちゃ、ダメだからね!」
「分かった」
小首を曲げて不思議そうにしながらも、何も文句も言わずに部屋から出て行った。
※ ※ ※
「満足してしまった……だったかな。重症だね」
ずっと僕たちのやり取りを黙って見ていた義父さんが、口を開いた。
「叫んだり赤くなったりしてたのを見て、安心してたんだけど、駄目だね。肝心の部分で、彼は自分自身に興味がない。自分自身のためにこの先、生きていく気は全くないんだね」
「……そうか。ウォーレンサー家をどうするつもりなんだと思ったけど、それ以前の問題か」
僕は、ここ最近の兄さんの様子を思い浮かべる。
「魔法の練習を一緒にしてるんだけど……、確かにすごいよ。すごいけど……、覇気がないというか、重みがないというか……。上手く言えないけど、模擬戦の時の、あの絶対に敵わないって思わせるものが、全く感じられない」
模擬戦の時の兄さんを思い出す。
本当に強かった。この人にどうしたら手が届くのか、まったく分からなかった。でも、どうしようもなく、その強さに惹かれた。憧れた。
それなのに、今の兄さんには、そういうのがまったくない。
「こればかりは、フランルークが自分でどうにかするしかない。周りの人が考えたって、何にもならない」
義父さんが言うのは分かる。確かにその通りだと思うけど、満足したっていうのに、僕が関わるだけに、どうしても気になってしまう。
「ただ、もう少し不平不満を口にしてもいいと思うのだけどね。先ほども、グレンが突然部屋を出て行けと言ったのに、理由も何故とも聞かずに素直に出て行ったし。
グレン、さっき言っていた、どこまで受け入れてくれるのか、というのを本当にやってみてもいいんじゃないか? 具体的に何をする気かは知らないけど、あまりにも抵抗しないようだったら、怒っていいと思うよ」
「――え、あっちの話とこっちの話がくっつくの?」
全然別物の話だと思ってたから、驚いた。
そうしたら、逆に義父さんから驚かれた。
「なんだ。てっきりフランルークの覇気のなさを心配して、必要以上にくっついているのかと思ったら、違うのか?」
「いや、全く。そっちは普通に僕がくっつきたかったから、くっついているだけ」
「……グレン、それはそれで問題だ」
「何で! いや、うん、そうだね。兄さんを心配してくっついてるって事にしとこう。そうしたら、これからも遠慮なくくっつけるし」
「……どうせ、遠慮なんかする気ないだろう……」
王太子が呆れ気味に言ったけど、僕は気にしなかった。
話が終わって兄さんを探すけど、見つからない。
やっと見つけたと思ったら、調理場でお茶の準備なんかをしていた。
「話、終わったのか?」
「終わったけど……何してんの、兄さん」
「見れば分かるだろ。じゃあ行くか」
用意したお茶セットを持って、さっさと兄さんは歩き出してしまう。
それを慌てて追い掛けながら、
「兄さん、なんでそんなことするの? しなくていいよ」
お茶の用意は、使用人のやることだ。
うちにはほとんどいないから、忙しければ義父さんか僕がやる。
「気にするな。手が空いたからやっただけだ」
寮でも、毎日のように僕にお茶を入れてくれる。
僕が言わなきゃ、兄さんは自分の分の用意をしない。
「……兄さんは使用人じゃないよ。監視対象になってても、それでも兄さんだって貴族だ」
「分かってるよ」
あっさりと受け流される。
ふとお茶セットを見て、気付いた。
「――兄さん、カップ、一つ足りない!」
「……え……あ……」
気付かれたか、と言わんばかりのバツの悪そうな顔をした兄さんを置いて、僕は取りに戻った。
「――悔しいけど、おいしい」
「おいしいんですよね……」
「……おいしいね」
兄さんの入れてくれたお茶を飲みながら、王太子、僕、義父さん、と口々に感想を言い募る。
そうなんだよね。寮にいたときから思ってたけど、おいしい。入れる手つきも、妙に慣れている。
物問いたげな僕らの視線に気付いて、兄さんは少し悩むそぶりを見せたけど、教えてくれた。
「……家にいたときから、やってたんです。あいつらが、我が儘言ったりかんしゃく起こしたりで、使用人達が怯えていたから。教えてもらって、できる限り俺がやっていました。それで、すっかり慣れました」
兄さんは苦笑するけど、こっちはそれどころじゃない。
「何それ、おかしいよ! 大体、兄さんがそんなことしてて、あいつら、何も言わないの?」
「最初は言われたよ。でも、興味があってやりだしたらハマった、と言ったら、それ以降何も言わなくなった。
――最初の頃は、自分の分も入れて一緒にお茶してたけど、段々遠慮がなくなってきて、おかわりとか色々要求してくるものだから、面倒になって一緒に飲むのをやめた。それでも、何も言われなかったし」
「……………えええぇぇぇぇ?」
なんだそれ。あの弟妹達、ずいぶん兄さんを慕ってたように見えたけど、家じゃそんな事になってたわけ?
「パーリアとシルスも、俺の後を付いて回ることが多かったけど、孤児院の訪問とか、理解できないことをやっている変な兄、みたいな評価もしてたからな。
多分、俺がお茶を入れて何かと世話焼いていたのも、俺が好きでやってるだけ、くらいに思ってたんじゃないか?」
「………………それにしたってさぁ」
さすがに、限度ってものがあると思う。
それに、そう話しながら、別に兄さんは不満だったわけじゃないみたいなのが、意味が分からない。
「フランルーク、何か不平不満はないのか。文句でもいいが、今のことでも、昔のことでも、何かないのか?」
「……え?」
突然の義父さんからの質問に、兄さんが面食らっていた。
「グレンから突然の退室命令にしても、何一つ聞く事なく、素直に従うし、お茶の話にしても、好き勝手な家族に不満の一つを抱いてもおかしくない。そもそも、主人が癇癪を起こして使用人に当たるなど、珍しいことでも何でもない。それを君にさせて良しとしていた使用人側にも問題がある。
――そういうことを含めて、何か不平不満はないのか?」
「……え……と」
兄さんは考えつつ、僕を見た。
「グレンからの退室命令については、“犯罪者の息子”がいては、できない話もあると思ったので、特には。
お茶の件は、使用人に当たってる家族を見たくなかった、というのもあったので、こちらも別に。元々自分のために始めたことです。面倒と思ったのは確かですけど、癇癪起こして怒鳴り散らしている空間にいるよりは、ずっとマシでした」
「……………そうか」
小さくつぶやいた義父さんの口が、難しいものだな、と動いたのが見えた。
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