上 下
545 / 619
第十六章 三年目の始まり

朝の遭遇

しおりを挟む
 翌朝。リィカは、セシリーとミラベルと一緒に朝食を食べて、一緒に寮を出て学園に向かう。道中、妙に視線を感じた。

「……なんか、見られてる?」
「諦めなさい。私とセシリーって、はみ出しものの組み合わせなのよ。そこにあなたが入り込んでいるのだから、注目くらい集めるでしょう」
「はみ出しもの……?」

 ミラベルの言葉に首を傾げると、セシリーが笑った。

「そ。地方の貧乏男爵家出身のあたしと、公爵家の婚外子。だぁれも話す相手がいなかった同士が、とりあえず一緒になっただけ。だから、はみ出しもの」

 明るいその言い様に、リィカが少し笑みを浮かべる。

「でも、二人とも仲よさそうって思う」

「仲良いんじゃなくて、公爵家のご令嬢様に、このあたしが色々指導してやってるの」

「あら。いつ私がセシリーに教えてもらったかしら? 王子殿下方と一緒のクラスになった、礼儀なんか分からない、どうしよう、と言ってきたのを、教えてあげた記憶はあるけど」

「ベ~ル~!」

 ミラベルがあっさり暴露した内容にセシリーが噛み付き、リィカは笑いたくなるのを堪えた。
 セシリーの思考が、この学園に入学したての自分と似ている気がする。本当に、平民クラスの方が合っていたのかもしれない。

 そんな感じで、寮から学園までの短い道のりを、なんだかんだと楽しそうに話をしながら歩いていた三人だが、ミラベルの足がピタッと止まり、おしゃべりも止まる。

「ミラベル様、どうし……ぁ……」

 問いかけたリィカの声は、途中で切れた。自分たちに近づいてくる男性がいる。その顔に見覚えがあったからだ。

「ほぉ。おやおや。これはこれは、名誉貴族殿か。まさか、寮からの登校で?」

 リィカは、スカートの裾をつまんで礼をとった。
 何がなのか分からない。そもそも、なぜ自分に先に声をかけるのか。公爵家の令嬢で婚約者がそこにいるのに、そちらは無視なのか。

 などなど、色々思う所はあるが、それを口にはしない。
 リィカは、風の手紙エア・レターに魔力を流してから、口を開いた。

「おはようございます。昨日は、お怪我は大丈夫でしたしょうか」

 その当人は、まさに昨日の模擬戦の時、試合場の外に飛んで行ってしまった自分の魔法が直撃しそうになった、ナイジェルだ。だから、まず先にそれを口にすれば、相手の顔が妙に歪んだ。

「何も怪我などしていない。言っておくが、わざわざ貴様が手を出さずとも、この俺様がどうにでも出来たのだ。いつまでも偉そうに言うな」

 リィカはフーッと気付かれないように小さく息を吐く。セシリーやミラベルが心配そうに見ていることに気づき、さらに周囲からの視線も集まっている気がする。

 正直、この場から逃げ出したいが、やっていくと決めた以上は、できるところは自分で頑張りたい。

「それは申し訳ありませんでした。……その前に、こちらも大変申し訳ないことではありますが、お名前を存じ上げませんので、教えて頂けないでしょうか」
「なん、だと……」

 相手の顔が、ヒクッとなった。
 セシリーやミラベルの顔もヒクついている。

 が、何が問題なのか分からない。「初めまして」なのは確かなのだ。例え知っていたとしても、名前を名乗り合うのが"普通"だと、ルバドール帝国の皇女ルシアから教わった。
 警戒しろと言われた相手でも、それが礼儀である以上は従うべきだ。

「知らないというのか、貴様」
「……? はい。お会いした……というほどでもありませんが、初めてお顔を拝見したのは、昨日の模擬戦の時かと思いますが」

 あれ? と思いながらも、言葉を続ける。名乗るのは位が上の者から。彼は侯爵家で、リィカの名誉貴族というのは伯爵相当だと聞いた。
 貴族の位は、第一位の公爵があり、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。つまりは、相手の方が貴族としての位は上だから、リィカが先に言うわけにはいかない。

 ……というのも、ルシアから教わったことを元に判断したのだが、何か間違っただろうか。もしかして、ルバドールとアルカトルでは、その辺りの常識が違ったりするのだろうか。

 ギリィ、という音が妙に響いて聞こえて、ギョッとする。その音が聞こえたのは、目の前の男性からだ。そして、その形相がとんでもなく怖いことになっている。

「リィカ」

 呼ばれた名前に振り向けば、そこにいたのはアレクだ。ホッとして、緊張が抜ける。

 風の手紙エア・レターを繋げれば、こちらの声が聞こえるから、来てくれると思ったのだ。あまり頼りたくはないけれど、今のリィカは分からない事も多いから、やはりどうしても頼りにしてしまう。

 アレクはリィカに頷くと、怖い形相がさらに怖くなっている男に向き直った。

「ナイジェル、名前を問われたのだから、答えるくらいしたらどうだ? 貴族としての、当たり前の礼儀だろう?」
「まさか、第二王子殿下に礼儀を諭されるとは、いやいや面白い事もあるものですな」

 明らかにアレクを蔑むような言葉。けれど、怒りを抑えて頬をピクピクさせながら、無理矢理その怒りを抑え込むような話し方は、何というか、負け惜しみのようにしか聞こえない。

 そのせいかリィカも腹が立たず、どちらかというと変なものを見たような気分だ。

「ちぃっ」

 ナイジェルは舌打ちを隠そうともしない。

「アレクシス殿下、一つご忠告しておきましょう。例え貴族になったとは言っても、その娘に流れる血は平民のもの。情婦にするならともかく、王家に平民の血を入れるのは王家の品格を下げるものと、ご承知した方がよろしいと存じます」

 言って踵を返して去っていくセリフは、はっきり言って捨て台詞でしかなかった。
 が、リィカの心に、一つの単語がのしかかる。

(情婦……)

 唇を引き締める。昨日の模擬戦で、アレクに腰に手を回されたことから、そういう単語が出てきたのだろう。

 別に、その言葉に傷つくことなどない。分かっている。アレクと共にいる未来を、リィカは望んでいるわけじゃない。だから、聞き流せばいいだけなのに、それでもどうしようもなく重く感じる。

「あの表情とか舌打ちとかがなかったら、俺ももう少しショックを受けたんだろうけどな」

 アレクのため息交じりの声が聞こえて、リィカはハッとした。

「大丈夫か、リィカ」
「……う、うん。大丈夫だけど。えと、わたし何かダメだったかな」

 とっさに表情を取り繕って、口を開く。動揺した様子もない自分の声に、ホッとする。

 結局、ナイジェルは名前を名乗ることなく去っていった。知っているからいいといえばいいが、今後どうしていいか分からない。

「貴族のやり取りとしては間違っていないが、学園の中の学生同士だから、その辺りはあやふやになる。全生徒といちいち自己紹介しあっていられないから、知っていれば普通に名前で呼んでいる」

「……あ、そうなんだ」

 でもそんなことは知らなかった。どうやり取りするべきか分からなかったし、とりあえず名前を聞くことで、アレクたちが来てくれるまで時間稼ぎをしようという考えもあった。
 だが結果的に、相手を怒らせるだけ怒らせた結果となったらしい。

「……どうしよう」
「気にするな。しかし、あいつ単体だと小物感満載だな。レイズクルスの息子は、同じ台詞でも心を抉る感じが半端じゃなかったが。所詮はただの取り巻きか」

 レイズクルスの息子。つまり去年卒業した人。そして……。

 そこまで考えて、リィカはハッとした。
 レイズクルスの息子は、ミラベルの兄だ。そのミラベルはといえば、まったくの無表情だった。

「ミラベル様、あの……」

 昨晩、ミラベルとナイジェルの婚約を知らないと、アレクたちは言っていた。お互いに会話どころか挨拶すらないのであれば、それも当然かもしれない。
 自分の婚約者が目もくれないというのはどういう気持ちなのだろうか。

 けれど、ミラベルは無表情のまま、ほんの一瞬だけ目を閉じただけだ。

「アレクシス殿下、おはようございます。リィカさんも行きましょう。遅刻するわよ」

 礼儀上なのかアレクに挨拶はしてから、ミラベルは校舎へと向かったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】婚約破棄されて修道院へ送られたので、今後は自分のために頑張ります!

猫石
ファンタジー
「ミズリーシャ・ザナスリー。 公爵の家門を盾に他者を蹂躙し、悪逆非道を尽くしたお前の所業! 決して許してはおけない! よって我がの名の元にお前にはここで婚約破棄を言い渡す! 今後は修道女としてその身を神を捧げ、生涯後悔しながら生きていくがいい!」 無実の罪を着せられた私は、その瞬間に前世の記憶を取り戻した。 色々と足りない王太子殿下と婚約破棄でき、その後の自由も確約されると踏んだ私は、意気揚々と王都のはずれにある小さな修道院へ向かったのだった。 注意⚠️このお話には、妊娠出産、新生児育児のお話がバリバリ出てきます。(訳ありもあります)お嫌いな方は自衛をお願いします! 2023/10/12 作者の気持ち的に、断罪部分を最後の番外にしました。 2023/10/31第16回ファンタジー小説大賞奨励賞頂きました。応援・投票ありがとうございました! ☆このお話は完全フィクションです、創作です、妄想の作り話です。現実世界と混同せず、あぁ、ファンタジーだもんな、と、念頭に置いてお読みください。 ☆作者の趣味嗜好作品です。イラッとしたり、ムカッとしたりした時には、そっと別の素敵な作家さんの作品を検索してお読みください。(自己防衛大事!) ☆誤字脱字、誤変換が多いのは、作者のせいです。頑張って音読してチェックして!頑張ってますが、ごめんなさい、許してください。 ★小説家になろう様でも公開しています。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~

未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。 待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。 シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。 アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。 死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。

ヒューストン家の惨劇とその後の顛末

よもぎ
恋愛
照れ隠しで婚約者を罵倒しまくるクソ野郎が実際結婚までいった、その後のお話。

私ではありませんから

三木谷夜宵
ファンタジー
とある王立学園の卒業パーティーで、カスティージョ公爵令嬢が第一王子から婚約破棄を言い渡される。理由は、王子が懇意にしている男爵令嬢への嫌がらせだった。カスティージョ公爵令嬢は冷静な態度で言った。「お話は判りました。婚約破棄の件、父と妹に報告させていただきます」「待て。父親は判るが、なぜ妹にも報告する必要があるのだ?」「だって、陛下の婚約者は私ではありませんから」 はじめて書いた婚約破棄もの。 カクヨムでも公開しています。

処理中です...