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第十六章 三年目の始まり

平民クラスとの別れ

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 平民クラスの扉の前に立って、リィカはノックしようとした手を下ろした。

 今朝までは、今年一年普通にこの教室で一緒だと思っていたのだ。それがいきなりこんなことになって、どう思われたかを考えると、怖い。
 しかし、代わりにアレクが前に出て扉をノックし、さっさと開けてしまった。

「失礼します。リィカの荷物を取りに来ました」
「ち、ちょっと……!」

 リィカは、なんの心の準備もできないままだ。それなのに、ザワつく教室内をアレクは中に入っていき、それにバルとユーリも続いた時点で、ようやくリィカも声を上げた。

「ま、まって。自分で、やるから」
「そうか? 持つのは手伝うぞ?」
「……そ、そんなに、ないから」

 今まで通りの話し方。
 そう言われても、なかなかに心理的な抵抗はあるのだが、それで変な呼ばれ方をされても嫌だ。ぎこちないが、何とか敬語は使わないように気をつける。

 そして、視線が集中しているのを感じて、ペコッと頭を下げた。

「えっと、邪魔してごめんなさい。すぐまとめます」
「慌てなくていいぞ、リィカ。ゆっくりやれ」

 今朝までと変わらない口調でリィカに話しかけたのは、ダスティンだった。

「そして、荷物はそこの三人に持たせろ。今回の件はそこの三人が仕組んだんだろ? リィカに確認すらせずにな。その程度はさせろ」
「え……」
「仕組んだはひどいですよ、ダスティン先生」
「ひどくない。事実だろ?」

 アレクとバルとユーリを顎でしゃくるダスティンに、敬語で話すアレク。そのやり取りと内容に、さらに教室はざわめいた。

「いいかリィカ。いくら国王陛下でも、あの場ですぐお前を貴族にする決断をするのは無理だ。昨日のうちに話は決まっていたんだよ。講堂でのやり取りは、ただの演技だ」
「え?」

 リィカは呆然としたまま、バツの悪そうな顔をしているアレクたちを見る。

「実際に、俺は朝のうちに聞いていたからな。お前が貴族クラスに編入になることを」
「……え?」
「全部筋書きを整えて準備してあったんだ。国王陛下にまで話を通した上で、あの茶番があったんだよ。お前はある意味被害者だ。だからもっと怒っていいし、荷物持ちくらいさせろ」
「……………」

 リィカがアレクたちを見れば、三人が三人とも、曖昧な笑みを浮かべていた。それを見て、ダスティンの言うことが本当なのだと、分かる。

「まるで見てきたように仰るんですね、先生は」

 アレクが拗ねたように言った。そんな言い方をするアレクを、初めて見た気がする。

「俺だってこの学園に勤めて長いんだ。その程度は分からなきゃ、やっていけん。ほら、とりあえずリィカが荷物をまとめる間、お前らは外に出てろ」

「何故ですか」

「第二王子と騎士団長の息子と神官長の息子がいたら、俺の生徒たちが緊張するだろ。ここは平民クラスなんだぞ」

「……俺も、先生の生徒のつもりなんですが」

「そう思ってなきゃ、俺もこんな口はきいていない。分かったら出てろ、シス、バル、ユーリ」

 冒険者をしていた頃に使っていた名前を呼ばれて、アレクは少し目を見開き、少し笑った顔は嬉しそうだった。
 バルもユーリもこそばゆそうに笑いつつ、ダスティンの言う通りに教室から出て行き、扉が閉められる。

 教室中のあちこちから、安堵のため息が聞こえた。リィカは、何となく閉められた扉を見つめていたら、ダスティンに声を掛けられた。

「リィカ、荷物をまとめろ。早くしないと、あの三人が乗り込んでくる」
「は、はい……!」

 アタフタと荷造りを始めた。とはいっても、今日復帰したばかりだから、荷物らしい荷物はほとんどない。あっという間にまとめ終わると、クラスメイトたちにジッと見られていることに気付いた。

 みんなはどう思っているのだろうか。怖い。けれど、しっかりはつけたかった。

「ダスティン先生、最後に挨拶だけして、いいですか?」
「ああ、もちろんだ」

 リィカは前に立ち、ゴクッと唾を飲み込む。クラスメイトたちの顔を見ることができないまま、話し始めた。

「えと……わたしも、何でこんなことになっちゃったか全然分かんなくて、気持ちもまだグチャグチャなんだけど……」

 言いながら、自分が何を言いたいかもよく分からず、ただ思いつくままに言葉を続けた。

「旅の間、アレク……たちとは仲良くしてて、身分なんか関係なくて本当に楽しくて。昨日お別れの言葉を言ったのに、なんでかまたすぐ会うことになっちゃって」

 違う。そうじゃない。言うべきは、クラスメイトたちへの言葉だ。

「今年、みんなと一緒にいられるって思ってたのに寂しい。でも、一年生の時、みんなにはお世話になりました。わたしが怖がらずに魔物と戦えたのは、みんなのおかげだから」

 思い出すのは、誘われていった王都郊外の森での魔物退治。魔物に恐怖して魔法を放てなかった最初の頃。

 それでも、何度も声をかけて誘ってくれたのだ。それがなければ、あの魔王誕生時、自分がレーナニアを助けることはできなかった。アレクたちとも、泰基や暁斗とも会うことはなかった。

 そう。あの時、何度も誘ってくれたのは、カタルだった。
 視線を向けると、目が合った。少し寂しそうではあるけれど、それでも笑ってくれていた。その笑顔に勇気づけられて、リィカは最後の言葉を言った。

「ありがとうございました。……これからは、なかなか会えなくなっちゃうかもしれないけど、でもわたしにとってみんなは友だちです」

 拍手がされた。カタルが手を叩いていた。

「がんばれリィカ! 仲良かったって聞いて安心した! 王子様たちが側にいるなら、大丈夫だな!」

 その声を皮切りに、全員が拍手をした。口々に「がんばれ」と声がかけられる。
 リィカは泣きそうになりながら、頭を下げた。

「リィカ、俺は時々顔を出す。どこまで力になれるかは分からんが、何かあったら言ってこい」
「はい。――ダスティン先生にも、お世話になりました」

 一年生の時、文字の読み書きすらできなかった自分に、一から付き合ってくれた。色々常識破りの魔法を使う自分は面倒だっただろうに、きちんと付き合ってくれた。

 深々と頭を下げるリィカに、ダスティンは「ん」と照れくさそうな様子を見せた。そして、それをごまかすように扉へと視線を向ける。

「リィカ、もう行け。……しびれを切らしたらしい」

 釣られてリィカも見れば、ほんの少しだけ扉を開けて中を覗いているアレクと目が合った。慌てて扉を閉めるアレクにリィカは笑って、荷物を持って扉へ向かう。

「ありがとうございました」

 最後にもう一度だけ言って、そして教室を後にした。

 出れば、そこにいるのはアレク、バル、ユーリ。
 旅を共にした、仲間たち。

「はいこれ」

 結局、バッグ一つにまとまってしまった荷物を差し出すと、アレクが少し情けない顔をして、それを受け取った。

「お待たせ。これからもよろしく。――わたし、分からない事ばかりだから、ちゃんと教えてね」

 自分を強引に貴族社会に引っ張り込んだのだ。その程度は望んでも罰は当たらないだろう。……というか、むしろその程度は当然だ。

 笑顔で、しかし挑発的に言い放ったリィカに、バルとユーリが苦笑しつつ頷く……いや、頷こうとしたら、その前にアレクがリィカを抱きしめていた。

「ひえっ!?」
「ああ。よろしくな、リィカ」

 アレクは無言で、リィカに渡されたバッグをバルに向けて突き出す。

「ああ? なんでおれに持たす……」

 言いかけた文句は、途中で切れた。
 アレクが、リィカを横抱きに抱き上げたからだ。

「な、なにすんの、アレク!」
「ん? 貴族の女性は、こうやって移動するんだよ」
「そんなの聞いたことないし、見たことない!」
「まあいいじゃないか」

 暴れるリィカをもろともせずに抑え込み、スタスタ歩き出すアレクを呆れた顔で見ながら、バルとユーリは後を追う。
 とりあえず、言うべきことは言っておく。

「アレク、嘘教えんじゃねぇ」
「リィカも分かっているでしょうが、貴族の女性も普通に歩きますからね」
「それは分かってるから、アレクをどうにかして」
「下ろすつもりはないから、大人しくしろ」

 こうして、リィカの三年目は貴族の身分になって始まった。
 勇者の還った世界。バルとユーリと、そしてアレクと共に過ごす三年目。

 お姫様抱っこされて貴族校舎に入っていく自分を嘆くとともに、これから始まる貴族としての生活に、リィカの緊張は高まっていった。

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