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第九章 聖地イエルザム
アリガトウ
しおりを挟む『オ父サン!!!』
《火防御》の外から響いたのは、パムの声だった。
「――ギギギギッ!」
ヘルハウンドもどきと化した老人は、まるで気にとめる様子もなく、叫んでアレクに飛びかかった。
長く伸びた、手の爪を振るう。
それをアレクは剣で受け止め、その表情を曇らせた。
「そりゃあ、そうだよな……」
つぶやいて、弾く。
弾かれて体勢を崩した老人に、アレクはさらに追い打ちを掛ける。
剣を振るい、その長い爪を切り落とす。
「……ギギッ!?」
怯んだように、老人が僅かに後ろに下がった。
通じるとも思えなかったが、アレクが老人に語りかける。
「無理だ。あんたは人間であって、ヘルハウンドじゃない。いくら爪が長く伸びたって、姿がヘルハウンドに似たって、あんたは人間なんだ。ヘルハウンドと同じ戦い方ができるはずない」
「ギギギィィ!」
老人からは、怒りの感情が伝わってくる。
もしかしたら通じているのかもしれないが、だからといって、正常な判断ができるわけでもないのだろう。
「もう眠ってくれ。あんたはとっくに復讐を果たした。もういいだろう。……あんたの娘が、心配しているぞ」
「ギギギギギィィィィィィ!」
返事はさらなる大きな叫びだった。
老人が飛びかかる。
爪を切られてしまった手ではなく、足で蹴りを繰り出すように、その長い爪をひらめかせる。
だが、アレクは一歩後ろに下がってそれを躱して、剣を振るう。
右足の爪を、すべて断ち切る。
「――ギギッ……」
追い詰められた様子の老人に、アレクは剣を構える。
もう老人は敵じゃない。その命を絶つことは、難しくも何ともない。
だというのに、それ以上体が動かない。
「……ここまで来て、ためらうな」
自らを鼓舞するように、言葉に出す。
一歩、踏み出す。
「《火柱》!」
突如、リィカが魔法を唱えた。
アレクのすぐ目の前で魔法が発動して、アレクは慌てて後ろに下がる。
「――リィカ!?」
驚き、そして咎めるようにリィカに視線を向けるが、リィカはすでに老人のすぐ近くにいた。
「ギギッ!」
威嚇するように声を出す老人だが、完全にその腰は引けている。
どこか、その顔は恐怖に彩られているようにも見える。
「……ごめんなさい」
リィカが一言謝罪し、老人の心臓部に手を当てる。
「待てっ、リィカ!」
リィカが何をしようとしているのかを察して、アレクが叫ぶが、遅かった。
「《火炎弾》!」
ゼロ距離で放たれた魔法は、老人の体のすべてを炎で包み込んだ。
※ ※ ※
(――ごめんなさい)
まるでヘルハウンドのように体が変化した老人を見て、リィカは謝らずにはいられなかった。
斧を《氷柱の棺》の中に閉じ込めた途端に、起こった変化。
木こりだった老人にとって、斧は自分の仕事の相棒。ある意味、半身とも言える物だったのかもしれない。
だから、魔石を飲み込んでも、狂ってしまっても、手にしていた斧だけが、老人を「人」のまま留めていたのだ。
ところが、その斧を失った事で、老人は人ですらなくなってしまった。
アレクが老人と戦っている姿を見る。
もはや戦いになっていない。
当たり前だ。人間の体で、四本足の魔物と同じ戦い方ができるはずがない。
この戦いが終わるのも、もう時間の問題だ。
「……ここまで来て、ためらうな」
アレクのつぶやきが聞こえた。
(大丈夫だよ、アレク。トドメは、わたしがやるから)
リィカは心の中だけで、アレクに語りかけた。
そう決めていたから、というだけではない。
それは、老人から斧を奪った自分がやるべき事だと、そう思うのだ。
老人は、恐怖を見せるだけで全く抵抗しなかった。
「《火炎弾》!」
リィカは、ゼロ距離で魔法を発動させる。
火に包まれた老人の目から、紅い光が消える。
人の目に戻った老人は、最期にリィカに笑顔を見せる。……そして、その体は焼け崩れて、炎の中に溶けるように消えた。
リィカは、ペタンと床に座り込む。
ともすれば涙が零れそうになるのを、必死に押さえる。
「……リィカ、何で手を出した。何で俺に最後までやらせてくれなかった……?」
アレクが、リィカの後ろから声を掛けた。
その声は、怒っているようでいて、ひどく悲しそうにも聞こえる。
リィカは、顔だけアレクの方に向けた。
「わたしが、やんなきゃダメだと思ったの」
それだけを言うリィカをどう思ったのか、アレクはただジッとリィカのことを見るだけだった。
『……アリガトウ』
リィカとアレクの間に、パムの声が飛び込んだ。
二人は同時にパムを見る。
『アリガトウ。コレデ、オ父サンも救ワレタ』
「「………………」」
出てくる言葉もなく、リィカもアレクも黙ったままだ。
だが、不意にアレクが口にした疑問に、リィカは一気に力が抜けた。
「あんた、どうやってこの《防御》の中に入ったんだ?」
「今、そこ疑問に思うところ?」
思わずリィカはツッコミを入れる。涙は引っ込んだ。
何というか、色々台無しだ。
「さっきは《防御》の外から声がしたんだぞ。疑問にも思うだろう?」
「そうかもしれないけど……」
でもこう、雰囲気とかあるじゃないか。
そう思うリィカだったが、シンミリした雰囲気を醸し出していた最要因のパムが、それを完全に吹き飛ばした。
『ヨク分カンナイケド……、オ父サンノ側ニ行コウト思ッタラ、スリ抜ケラレタヨ?』
今まで通りの、よく分からないという気の抜けた答えに、リィカはもうツッコむ事も諦めた。
簡単にすり抜けられた、という事実に落ち込む。
パムが、座り込んでいるリィカに視線を合わせてきた。
『本当ニアリガトウ。オ父サンヲ助ケテクレテ』
改めてお礼を言われて、引っ込んだはずの涙が、まだ落ちそうになる。
「わたしは…………」
言いかけて、それ以上言葉にならない。
うつむくリィカに、パムは手を伸ばした。
『オ父サン、笑ッテタデショ? ダカラ、アリガトウ、ダヨ。ネ?』
リィカが顔を上げる。怖かったはずなのに、見えたパムの笑顔は怖くなかった。
「…………うん」
リィカは、泣きそうなのを堪えて、何とか笑顔を見せた。
そんなリィカを見ながら、パムは決心したように言った。
『アノネ、オ願イガアルノ』
「……お願い?」
リィカは、不思議そうにその言葉を繰り返す。
パムは頷いた。
『ウン、二ツ。一ツハネ、オ父サンノ斧、私ノオ墓ニ、一緒ニ入レテホシイ』
リィカは、《氷柱の棺》の中に閉じ込めた斧を見る。老人の体は残っていない。残ったのは、斧だけだ。
あの中からどうやって取り出せばいいか、リィカ自身も分からなかったが、それでも頷いた。
お墓の場所も分からないが、イグナシオに聞けば何とかなるだろう。
「……分かった。あと一つは?」
リィカのその問いに、パムは周囲を見渡す。
未だに大量の不死がひしめいている。
『私ガイタラ、途切レナイ。ダカラ、私ヲオ父サント同ジ炎デ、終ワラセテホシイ』
「……………!」
リィカは、手で口元を押さえる。
涙が、零れる。
『……泣カナイデ』
パムに困ったように言われた。
ふと、肩に手を置かれた。
見なくても分かる。アレクの手だ。
その手に力をもらって、リィカは頷いた。
「……分かった」
『ウン。アリガトウ』
笑ったパムは、とても綺麗だった。
リィカは、立ち上がる。
一歩、パムから距離を置いて、呼吸を整える。
「《火炎弾》」
静かに魔法を唱えた。
パムが炎に包まれる。
最期にもう一度、『アリガトウ』と声が聞こえた。
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