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番外編・愛し合う二人
番外編6.ナーシサスと子犬(水仙の娘・救済)
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暁の子との関係を解消して、エルフの里に戻ってきてから数日が経ちました。完全に独り身という立場になったわたくしが里に戻って何をしているかというと、特に何もする気になれず、とりあえず日がな一日弓の鍛錬をしております。
あまりに沢山矢を射ったので、的は隙間なく矢が突き刺さってまるで針鼠のよう。でも刺さった矢を抜くのも億劫に感じて、わたくしは無為に針鼠を量産しているのでした。
「精が出るね、水仙の娘。けれどもお前がそんなに矢を極めなくとも里の守りは私たちがするから、そろそろ休んだらどうだ。美しい若魚のような指が固くなってしまうよ」
「お父様」
里長であるお父様はたまにこうやってわたくしの手を止めさせに来ます。そのたびに、若い男エルフの名前を綴った木簡が山積みになっていくのです。
「こんなに年頃のエルフが居たのですね」
「そうとも。将来有望な立派な若者ばかりだ。みんなお前を妻にしたいと名乗りを上げているのだから目くらい通しておくれ。暁の子のことは残念だったと思うが、お前もそろそろあやつのことは忘れて先に進んでも良いのではないかね」
暁の子はここでは土に還ったということになっているので、子供のころからの幼馴染であり夫を失った女というわたくしに与えられたかたちを利用させてもらってしばらく婚約破棄の傷心を癒させてもらっていたのだけれど、そろそろ甘んじ切れなくなってきたのを感じます。まったくあとからあとから……並べて矢の的にするのにも限界があります……。
「こんなに若いエルフも名乗り出てるんですか……まだ百歳にもなってないではありませんか」
「ああ、望月の子か。あの若者はなかなか真面目でよいぞ。少し頼りない所があるかもしれないが、おまえがしっかりしている方だからな。若い代にはそういう夫婦がいても良いだろう……」
「……気が進みませんわ。もう少し一人で考えたいです」
「まあ、発情期がくれば気持ちも前向きになるかもしれぬしな。気になった相手がいればいつでもこの父に告げるのだぞ」
無表情ですが、お父様は心からわたくしを案じているのだと言うのがわたくしにはわかりました。お父様は暁の子のことも、こうやってよく案じてはいたのですけれど、この微妙な表情の変化を彼はまったく見分けられなかったようだから、お父様のことを誤解してしまっていたと思います。暁の子の訃報をわたくしから聞いた後、お父様はかなり落ち込んでしばらく部屋に籠っておりました。あのような変わり種がもしまた里に産まれたら、今度は失いたくないとそう思っているようです。
お父様が矢の習練場から出て行ったあと、わたくしは蔓で編んだ椅子に腰かけて山積みの木簡を眺めていました。この中から男性を選んで夫にし、子供をもうけるのがわたくしの義務……。幼いころから定められたわたくしの役目……か。
「は? キッショ」
矢を射っている間になんとなく考えていたことが頭の中で形になるにつれなんだかムカムカしてきて、大昔に暁の子がこっそり読んでいた人間の絵物語に出て来た汚い言葉がわたくしの口から出ました。
暁の子はそりゃかわいそうだったでしょうけど。結局のところ里を出て新しい恋人とよろしくやってるわけで、その上お父様にはかわいそうな子だったなー、悪いことしたなー、とか思ってもらえるわけで、は、いい気なもんですね。
暁の子のあの夢見るような瞳を思い出したら本当にめちゃくちゃ腹が立ってきて、気が付いたら目の前の木簡を全部素手でへし折っておりました。
なんでわたくしが子供産むのが義務になってるのかしら。わたくしそんなことのために産まれて来たのかしら。いままでやりたいこととか考えたことなかったですけれども、里長になる子供を産むことって別にわたくし自身がものすごくしたいこととかじゃないんですけれども。
「家出しましょ」
エルフらしからぬ体躯に成長して、人間と同じ臭いをさせて、夢見るような恋をしていた暁の子にわたくしは嫉妬しているのですね。お父様や古老たちが、暁の子が思っていたように彼を疎んじていたならこの感情に気が付くことはなかったと思うのですけど、わたくし、もう気付いてしまったので、気付いてしまったからにはもう気付く前には戻れません。わたくしも里を出ましょう。鳥狩りに行くふりをしてそのまま帰ってこないことにしましょう。そうしましょう。
そう思うとなんだかとっても楽しくなってきましたわ。言葉は絵物語や人間の吟遊でわかるし、そうだ、暁の子もなんだか言う人間っぽい名前で呼ばれていましたわね。大体この水仙の娘って名前もわたくし別に好きじゃありません。わたくし、何かの娘ではなくてわたくしがわたくし本人であることがわかる名前が欲しいです。そうね。名前はナーシサスに変えましょう。
人間の臭いは臭いけど、わたくしが同じ臭いになってしまえばきっとそのうち気にならなくなるんじゃないかしら。
「思い立ったらすぐやるに限りますものね」
お父様が会合に出かけた時間を見計らって、わたくしは狩りの装いで家を出ました。どこに行くかは決まってませんけど、暁の子が選んだ街とは違うところに行きたいと思います。的に突き刺さった矢の間に書き置きを挟んで置きましたので、そのうち誰かしらが気が付くでしょうけど、連れ戻しに来たら、フフッ、矢で射ってやろうかしら。
「水仙の娘!!」
一人心の中でほくそ笑んでいたわたくしの捨てた名を呼ぶ声がありました。振り返るとそこには年若い男のエルフが一人、頬を紅潮させて立っておりました。
「あなたは……ええっと。ああ、あなたたしか、望月の子……でしたかしら」
さっきへし折った木簡の中に名を連ねた、少年と言っていいような若いエルフ。何度か話したことがあるくらいかしら。あまりに若いのでそんなに意識したことはありませんでしたけど。
「どこへ行くのですか水仙の娘」
「どこって……この恰好を見てわかりませんこと? 鳥を狩りに行くのですけれど」
「それは嘘ですよね?」
あらまあ……。どうしてわかったのかしら。
「僕は……ずっとあなたを見ていました。あなたが暁の子の妻だったから想いを伝えることはなかったけれど。ずっと好きだったんです! だから、あなたが狩りに行くのではないくらい様子でわかります!」
「そうでしたか。気が付きませんでした。わたくしも案外鈍いのですね」
「まさか……暁の子の後を追うのでは……そんなの嫌です!! 生きてください!!」
「いや、全然わかってないじゃありませんか。自害とかしに行くんじゃないのですけれど」
「では何をしに行くつもりなのですか?」
しまった。やっちまいましたね。自害しに行くって言ったほうが良かったかしら。うーむ。
「冒険です」
「冒険?」
「わたくし、外の世界を知りたくなりました。暁の子が憧れた外の世界がちゃんと面白いのかどうか確かめに行きたくなったのです。発情期が来て誰かしらに孕まされてしまったらもうそんなことできなくなってしまうので、今行くことにしたのです。だから、止めないでいただきたいのですけれど」
望月の子は真面目な子だそうだから、変にごまかさずにちゃんと言ったほうがいいと判断して正直に言うことにしました。彼はなめらかで細い腕を組んでしばらく思案しているようでしたが、やがてまっすぐにこちらに向き直りました。
「わかりました。でしたら、僕をお供させてください」
「あら意外ね。いいのですか? お父様に知られたら大目玉かもしれませんけれど」
「僕が好きなのはあなたで、里長ではないので。あなたが自由に好きなことをしているところを一番近くで見たいんです。だから、一緒に連れて行ってください
殊勝なことを……。まあ、まっすぐ好意をぶつけられるのは悪い気はしないけれど。
「別にそれでわたくしがあなたのこと好きになるとは限りませんけれども?」
「そんなのやってみなければわからないじゃないですか!!」
望月の子が必死な声を出す。いやだ。ちょっと暁の子みたいじゃないですか。エルフらしくもない。ふむ。この男がどんなエルフなのか道すがら知っていくのも悪くはない……かも。
「確かにそうですわね。わかりました。ならついてらっしゃい」
「はい!!」
そうして、この子犬みたいな男とわたくしの旅が始まったのです。何が起こるかわかりませんけれど、きっと里で腐っているよりは何倍も楽しいと思いますので気が済むまでは帰りません。ではお父様、あとはよろしく。
あまりに沢山矢を射ったので、的は隙間なく矢が突き刺さってまるで針鼠のよう。でも刺さった矢を抜くのも億劫に感じて、わたくしは無為に針鼠を量産しているのでした。
「精が出るね、水仙の娘。けれどもお前がそんなに矢を極めなくとも里の守りは私たちがするから、そろそろ休んだらどうだ。美しい若魚のような指が固くなってしまうよ」
「お父様」
里長であるお父様はたまにこうやってわたくしの手を止めさせに来ます。そのたびに、若い男エルフの名前を綴った木簡が山積みになっていくのです。
「こんなに年頃のエルフが居たのですね」
「そうとも。将来有望な立派な若者ばかりだ。みんなお前を妻にしたいと名乗りを上げているのだから目くらい通しておくれ。暁の子のことは残念だったと思うが、お前もそろそろあやつのことは忘れて先に進んでも良いのではないかね」
暁の子はここでは土に還ったということになっているので、子供のころからの幼馴染であり夫を失った女というわたくしに与えられたかたちを利用させてもらってしばらく婚約破棄の傷心を癒させてもらっていたのだけれど、そろそろ甘んじ切れなくなってきたのを感じます。まったくあとからあとから……並べて矢の的にするのにも限界があります……。
「こんなに若いエルフも名乗り出てるんですか……まだ百歳にもなってないではありませんか」
「ああ、望月の子か。あの若者はなかなか真面目でよいぞ。少し頼りない所があるかもしれないが、おまえがしっかりしている方だからな。若い代にはそういう夫婦がいても良いだろう……」
「……気が進みませんわ。もう少し一人で考えたいです」
「まあ、発情期がくれば気持ちも前向きになるかもしれぬしな。気になった相手がいればいつでもこの父に告げるのだぞ」
無表情ですが、お父様は心からわたくしを案じているのだと言うのがわたくしにはわかりました。お父様は暁の子のことも、こうやってよく案じてはいたのですけれど、この微妙な表情の変化を彼はまったく見分けられなかったようだから、お父様のことを誤解してしまっていたと思います。暁の子の訃報をわたくしから聞いた後、お父様はかなり落ち込んでしばらく部屋に籠っておりました。あのような変わり種がもしまた里に産まれたら、今度は失いたくないとそう思っているようです。
お父様が矢の習練場から出て行ったあと、わたくしは蔓で編んだ椅子に腰かけて山積みの木簡を眺めていました。この中から男性を選んで夫にし、子供をもうけるのがわたくしの義務……。幼いころから定められたわたくしの役目……か。
「は? キッショ」
矢を射っている間になんとなく考えていたことが頭の中で形になるにつれなんだかムカムカしてきて、大昔に暁の子がこっそり読んでいた人間の絵物語に出て来た汚い言葉がわたくしの口から出ました。
暁の子はそりゃかわいそうだったでしょうけど。結局のところ里を出て新しい恋人とよろしくやってるわけで、その上お父様にはかわいそうな子だったなー、悪いことしたなー、とか思ってもらえるわけで、は、いい気なもんですね。
暁の子のあの夢見るような瞳を思い出したら本当にめちゃくちゃ腹が立ってきて、気が付いたら目の前の木簡を全部素手でへし折っておりました。
なんでわたくしが子供産むのが義務になってるのかしら。わたくしそんなことのために産まれて来たのかしら。いままでやりたいこととか考えたことなかったですけれども、里長になる子供を産むことって別にわたくし自身がものすごくしたいこととかじゃないんですけれども。
「家出しましょ」
エルフらしからぬ体躯に成長して、人間と同じ臭いをさせて、夢見るような恋をしていた暁の子にわたくしは嫉妬しているのですね。お父様や古老たちが、暁の子が思っていたように彼を疎んじていたならこの感情に気が付くことはなかったと思うのですけど、わたくし、もう気付いてしまったので、気付いてしまったからにはもう気付く前には戻れません。わたくしも里を出ましょう。鳥狩りに行くふりをしてそのまま帰ってこないことにしましょう。そうしましょう。
そう思うとなんだかとっても楽しくなってきましたわ。言葉は絵物語や人間の吟遊でわかるし、そうだ、暁の子もなんだか言う人間っぽい名前で呼ばれていましたわね。大体この水仙の娘って名前もわたくし別に好きじゃありません。わたくし、何かの娘ではなくてわたくしがわたくし本人であることがわかる名前が欲しいです。そうね。名前はナーシサスに変えましょう。
人間の臭いは臭いけど、わたくしが同じ臭いになってしまえばきっとそのうち気にならなくなるんじゃないかしら。
「思い立ったらすぐやるに限りますものね」
お父様が会合に出かけた時間を見計らって、わたくしは狩りの装いで家を出ました。どこに行くかは決まってませんけど、暁の子が選んだ街とは違うところに行きたいと思います。的に突き刺さった矢の間に書き置きを挟んで置きましたので、そのうち誰かしらが気が付くでしょうけど、連れ戻しに来たら、フフッ、矢で射ってやろうかしら。
「水仙の娘!!」
一人心の中でほくそ笑んでいたわたくしの捨てた名を呼ぶ声がありました。振り返るとそこには年若い男のエルフが一人、頬を紅潮させて立っておりました。
「あなたは……ええっと。ああ、あなたたしか、望月の子……でしたかしら」
さっきへし折った木簡の中に名を連ねた、少年と言っていいような若いエルフ。何度か話したことがあるくらいかしら。あまりに若いのでそんなに意識したことはありませんでしたけど。
「どこへ行くのですか水仙の娘」
「どこって……この恰好を見てわかりませんこと? 鳥を狩りに行くのですけれど」
「それは嘘ですよね?」
あらまあ……。どうしてわかったのかしら。
「僕は……ずっとあなたを見ていました。あなたが暁の子の妻だったから想いを伝えることはなかったけれど。ずっと好きだったんです! だから、あなたが狩りに行くのではないくらい様子でわかります!」
「そうでしたか。気が付きませんでした。わたくしも案外鈍いのですね」
「まさか……暁の子の後を追うのでは……そんなの嫌です!! 生きてください!!」
「いや、全然わかってないじゃありませんか。自害とかしに行くんじゃないのですけれど」
「では何をしに行くつもりなのですか?」
しまった。やっちまいましたね。自害しに行くって言ったほうが良かったかしら。うーむ。
「冒険です」
「冒険?」
「わたくし、外の世界を知りたくなりました。暁の子が憧れた外の世界がちゃんと面白いのかどうか確かめに行きたくなったのです。発情期が来て誰かしらに孕まされてしまったらもうそんなことできなくなってしまうので、今行くことにしたのです。だから、止めないでいただきたいのですけれど」
望月の子は真面目な子だそうだから、変にごまかさずにちゃんと言ったほうがいいと判断して正直に言うことにしました。彼はなめらかで細い腕を組んでしばらく思案しているようでしたが、やがてまっすぐにこちらに向き直りました。
「わかりました。でしたら、僕をお供させてください」
「あら意外ね。いいのですか? お父様に知られたら大目玉かもしれませんけれど」
「僕が好きなのはあなたで、里長ではないので。あなたが自由に好きなことをしているところを一番近くで見たいんです。だから、一緒に連れて行ってください
殊勝なことを……。まあ、まっすぐ好意をぶつけられるのは悪い気はしないけれど。
「別にそれでわたくしがあなたのこと好きになるとは限りませんけれども?」
「そんなのやってみなければわからないじゃないですか!!」
望月の子が必死な声を出す。いやだ。ちょっと暁の子みたいじゃないですか。エルフらしくもない。ふむ。この男がどんなエルフなのか道すがら知っていくのも悪くはない……かも。
「確かにそうですわね。わかりました。ならついてらっしゃい」
「はい!!」
そうして、この子犬みたいな男とわたくしの旅が始まったのです。何が起こるかわかりませんけれど、きっと里で腐っているよりは何倍も楽しいと思いますので気が済むまでは帰りません。ではお父様、あとはよろしく。
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