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三章・めぐり合う二人

53.暁の子は幸せになるために生まれて来た(視点・レイモンド)

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 ハッとするほど熱い粘膜に全身を包まれ、私は正気を取り戻した。

(私はドーソンを助けられただろうか?)

 ギルド長からローパー出現の報を聞いた瞬間、私の頭はもやがかかった様になってしまい、自分の発言や行動を、まるで自分の頭の中に住んで、窓からただ見ているだけの小さな生き物のようにコントロールできなくなってしまっていた。
 制御不能になった私の体はさも冷静であるかのように振舞ってはいたが、ひたすらあのローパーに再び呑まれることだけど考え、焦がれ、周りを巻き込んで、自分がローパーの元に行くことに大義名分を与えるように誘導していた。
 理性の私はそれを止めようと必死になっていたが、その意思を言葉に出すことはまったくできずにずっともがき続けていたのだ。

(また私は自分が不甲斐ないせいで、仲間に迷惑をかけてしまった……)

 ローパーの目玉に見据えられて動けなくなったドーソンを見たとき、私の理性が馬鹿力を発揮してくれたお陰で、一瞬自由を取り戻して突き飛ばすことだけはできたが……リィナがドーソンをローパーから引き剝がしてくれたことを祈るしかない。私にできることは、もうないのだから。

(苦しい……)

 ぶよぶよとした粘膜が私の体をローパーの内臓の奥へと送り込んでいく。前回呑まれたときに鼻や口にミミズのような器官を入れられたのがとても嫌だったので、片手で鼻と口を押さえる。呑まれたときに風の精霊が二体一緒に入ってきてくれたのを見たので、呼ぶと目の前までやってきてくれた。ああ、こんなところに。ごめんなさい。
 一体を顔を抑えた手のひらの中に隠し、もう一体には私の周りで風を起こして空間を作ってもらった。見慣れない精霊だな……もしかしたら水仙の娘についてきていて、彼女に付いて帰らずに私の周りに残ったのかもしれない。精霊にとって面白い私があまりに頼りなくて情けなくて、放っておけなかったのだろうか。

「ぐッ、ひ、来るな……!!」

 息を確保するための行動をしている間に、いつの間にかズボンの裾やウエストから泥食い蟲が潜り込んできていた。片手で掴んで外に出そうとするがぬるぬる滑って掴めない。抵抗虚しく、私はまた男としての尊厳をこの原始的な生き物に凌辱されてしまう。無理やり内臓を押し広げられる痛みと、何匹もの蟲の質量による圧迫で血の気が引き、私は呼吸を確保していた手を離してローパーの体内に吐瀉物をぶちまけた。

「オ゛ェ゛……ッ……ゲェッ……」

 吐瀉物のかかった粘膜の壁は唸りを上げて表面を波打たせている。またあのミミズのような器官が来るのかと慄き慌てて再び口元を覆うが、よく見るとどこにもあの器官はなかった。

(ひょっとして、前回呑まれたときと違う内臓なのだろうか)

 苦しさにのたうちながら他人事のように考え、涙のにじむ目で肉壁を見るとそこには小さな穴がびっしりと開いていて、そこからぽちりと黒い粘液が滲みだしていた。その粘液の珠はどんどん大きくなり、やがてどろどろと流れ出して体を丸めた私の下半身を覆うほどに底に溜まり始めていた。

(まずい。この液体が顔の所まで来たら私は……!!)

 ぐずぐずしては居られない。今もなお腹の中を穿り回されて力の入らない足をなんとか奮い立たせて立ち上がろうとするが、精霊の作ってくれたなけなしの空間はとても狭く、内臓の上部はぎゅっと引き絞られて開くことはできなかった。

「ああ……ああ……。死ぬのか……? 私は……」

 私の声は随分と哀れに響いた。まるで命乞いのようだった。誰も答えないというのに。誰も答えないから、自分で答える。そうだ。おまえは死ぬのだ。情けなく、哀れで駄目なエルフとして、ローパーの腹で溶かされ、骨も残らない……。

(駄目なんかじゃないです。レイモンドさんは優しくて一生懸命な、素敵なエルフです。だから、もっと自分のこと好きになってあげてください)

 絶望に折れかけた私の頭に、そのとき、鈴のような声の記憶が蘇った。ああ。君は私自身よりもずっと、私のことを愛してくれていたね。なんだか今まで君のことをすっかり忘れてしまっていたようだよ。一秒たりとも忘れたくないと、褥の中で叫ぶように約束したというのに。

(そうだ。私はまだ彼女に借りを返せていない。私のために頑張ってくれている彼女に、自分の気持ちを伝える事すらできていないじゃないか……)

 まだ死ねない。そう思うと、だんだん腹が立ってきた。なんで私がこんな糞ったれの下等生物の腹の中でケツの穴をほじくられながらめそめそ泣いて懺悔めいたことをしなくちゃいけないんだ。ふざけるなよ。
 拳を握ると、鍛えた腕にぐっと力が入った。腰の剣に手を伸ばすが、触手にもみくちゃにされたときに抜けてどこかにいってしまったようで、鞘すら残っていなかった。仕方ない。結局最後は自分の身一つか。頼れるのは。

「ウオ゛ォオォオオオォッッッ!!!!」

 ドボォッッッ!!!!!!!

 気合と共に肉の壁を拳で殴る。柔らかい肉の壁はぶよぶよとたわんで手ごたえがない。だが弱い内臓だ。まったくダメージが通らないとは思えない。
 黒い液体はもう腰のあたりまで来ていた。腕の所まで来る前になんとかしたい。カルキノスの甲羅を破ったときのことを思い出せ。私にはできる。必ず。自分を信じて、私は目の前の腹立たしい壁を殴り続けた。

(……ドさん……、レイモンドさんっ……)

 自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。彼女はサキュバス界へ行っていたはずだが、私がこの愛しい声を聞き間違えるはずがない。声と一緒に、なにか固いものをガリガリと削るような音もエルフの耳が拾っている。

(シルキィ君……! 外から、穴を開けようとしてくれているのか……!?)

 粘液は肩のあたりまで登ってきていた。間に合え、間に合え、彼女に会うんだ。会って彼女に伝えたい。私を受け入れてくれてありがとう。私を励ましてくれてありがとう。私のために泣いてくれてありがとう。そんな君を、私は愛しているんだ……!!!!!!

 ビチリ。

 小さな音を立てて、顔の横から何かが突き出してきた。危うく刺さるところだったが、間違いない。これは、ツブラさんが打ったシルキィ君のダガーの刃! 私は引っ込んだその刃の後を追って小さい隙間に指をひっかける。
 とうとう、液体は鼻の所まで到達した。溜まった液で勢いを殺された打撃はもう気休めにもならない。この目の前に開いた突破口を拡げるために、全神経を指先に集中させる。頭の先まで黒い液体に浸かってしまった私は、目を閉じて指先に感じるひっかかりを力いっぱい押し広げた。しかしもう限界だ。息を止めていられない。ごぼ、と呼気が泡となって飛び出し、代わりに液体が喉の奥にどんどん入ってくる。

(もう少し、あと少し頑張れば出られるんだ……諦めるな暁の子。すぐ目の前に愛する人がいるんだ。しっかりしろ……! レイモンド!!!!)

 ビチッ……ベリ……ミチミチミチッ……!!

 木の倒れるような音を聞いてねばつく瞼をそっと開くと、そこには光が見えた。

「レイモンドさん!!!」

 名前を呼びながら、誰かが私を抱きしめている。窒息寸前の私はもう何も考えられなくなっている。誰だ。この愛しい腕は誰の腕なんだ。

『幸福に生きなさい。私たちの愛し子よ』

 えっ?

 下半身だけが埋まっていたローパーの中で爆発のような何かの力が破裂し、私は腕の中の存在を抱きしめたまま空中へ放り出された。
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