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20.魔女と奴隷と大いなるもの

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「うーん、はかばかしくないねえ」

 その夜。書庫のテーブルに積み上げた本から顔を上げてオーウェンは嘆息した。ヒビが入ってもう使えない乳鉢を灰皿代わりにして普段は吸わないコケ煙草を押し付ける。何度も母にたしなめられた癖だが、これがないと読書が味気なくてかなわなかった。
 ザジの奴隷紋をなんとかする方法がないかどうか調べ物をしていたのだ。

「呪印紋関係はねえさんが得意だったんだが……今どこにいるかわからないからな……」

 大体の魔女には得意分野というものがあって、どちらかというとオーウェンはお役立ちアイテムの開発を得意としている。
 そもそも魔女が使う呪いや魔術は何から起因しているのかというと、彼女たちも完全にわかっているわけではない。ただ、この世のどこか、あるいはあの世……に存在する『大いなるもの』と仮に呼んでいる何かから力を『借りる』のがうまい、そういう者たちだ。彼女たちは一般の者には感じることのできない大いなるものの存在を感知することができ、大体においてそういう者は人間社会に馴染みづらいので近場の魔女の庵の扉を叩き、弟子入りすることが多い。
 オーウェンは大いなるものの存在を明確に感じることは実はそんなに得意ではない。オーウェンはただ体に良いものとしか思っていないが、毎朝飲んでいる薬湯はこの世ならざる者を知覚しやすくなる効果があり、それを飲んでいなければ魔女の力をやがて失ってしまうだろう。しかし、『大いなる魔女』の称号を持っている彼の母エウェンはどうやら大いなるものから特に気に入られている魔女だったらしく、人より長い年月を若いまま、そしてそんな尋常じゃない生きざまでも迫害されることなく生きていられたのはおそらくそのせいなのではないかとオーウェンは思っているのだが……、とにかく、そんなエウェンの一人息子であるオーウェンもまた大いなるものに気に入られているらしく、そのおかげで男でありながら魔女を名乗り、箒に乗れるのだった。

(オーウェン良くお聞き。大いなるものはアタシたち魔女が大好きで、食べちまいたいくらい可愛いと思っているから、基本的になんでも『貸して』くれるんだ。だけど、そんな可愛い魔女同士が争うことを何より嫌ってもいる。だから魔女同士は争ったらいけないよ。争ったら大いなるものが仲裁に来て、今まで貸して来た力の代わりに『大事な何か』を取り立てられちまうんだ。何を取り立てられるかはアタシたち魔女には選べないから、内臓をいくつか持っていかれたままどういうわけか生きてる魔女も中にはいる。いいかい、魔女同士で争ってはいけないよ)

 気が付いたら次の煙草に火をつけて吸い込んでいたオーウェンが天井を見上げると、己の吐いた紫煙がゆらゆらと昇って行くのが見える。今一番頼りにしたい姉弟子は、そんなオーウェンを見かけると、お師匠の本が黄色くなっちゃう! と言ってきたものだ……。

(ねえさんともほとんど喧嘩別れみたいなかんじになっちまったからな……仕方ない、なるべくザジの健康に気を配って、一緒に行動するようにするしかないな)

 何も思いつかないなら何もしていないのと同じだ。オーウェンは煙草の火を消し、積み上げた本を棚に戻してザジが寝ているだろう部屋に顔を出した。

「変わったにおいがします……」
「なんだ、起きてたのかい。もう大丈夫なのかい」

 暗い中、ろうそくの灯りを反射してザジの目がくりくりと光っている。

「大丈夫です。一日中寝ていたので目が覚めてしまいました。奴隷なのに仕事しなくて申し訳ありません」
「そういうのは、いいんだ。具合の悪いものを働かせるのはアタシは嫌いだ」

 オーウェンは医者ではないが、病気にカウントされず放られがちな女の困りごとを診る魔女としての生き方を母から継いだ。それゆえ辛そうな女をこき使おうなどとはおくびにも思わない。それはオーウェンという男の生来の優しさだ。もちろん相手が男だろうがそれは変わらない。彼はザジの寝ていたベッドに腰かけあぐらをかくと、傍らに置いてあった櫛を手に取った。赤い髪がわずかに絡みついている。姉弟子のものだろう。軽く綺麗にしてゴミをポケットに適当に突っ込むと、ザジを呼んだ。

「おいで、髪の毛が絡まって酷い有様じゃないか」

 苦しんで転がったのだろう、ザジの柔らかく細い髪に毛玉がいくつもできていて、見ていられなくなったオーウェンは彼女を膝に乗せるとブラシで髪を梳き始める。

「ふへ、ふへ、ふへへえ」
「なんだいその声は……。手元が狂うから変な声出さないでおくれよ……」

 ブラッシングが気持ちよかったのだろう、ザジが間の抜けた声で笑うのを咎めながらもオーウェンは知らず、笑ってしまっていた。
 誰かと一緒に暮らすのは暖かくて楽しい。母を喪ってしばらくはそれを忘れていて、そのせいで姉弟子との縁も切れてしまった。あのとき今のような気持ちを持っていたら彼女は今もこの庵に住んでいたのだろうか。

「オーウェン様、足がすごく冷たいですよ。靴か靴下を履いた方がいいんじゃないですか?」

 じっとしているのが暇なのか、ザジがオーウェンのあぐらに組んだ足をさすさすと触っている。その手はとても暖かかったが、オーウェンの固いかかとにどんどん熱を奪われていった。

「アタシは靴を履けないんだよ」
「どうしてですか? 成長期?」
「んなワケあるかい、さすがに成長期は終わったよ。これ以上でかくはなりたくない。アタシはね、『靴を履く権利』を取られちまってるのさ。だからいつも裸足でいなくちゃならない」
「取られたって、誰に?」
「なんだい、今日は随分訊いてくるじゃないか」

 オーウェンがそう言うと、ザジはしばらく口をつぐんだまま彼のかかとをいじいじとつまんでいたが、ゆっくりと振り向くと、オーウェンをちらりと見ながら口元をむにゅむにゅ動かして呟く。

「……オーウェン様ともっと仲良くなりたいから……」
「ひっ!」

 オーウェンの横っ面を、今まで何度か感じた『ズガン』のやつがもはや『ドギャン』になって打ち据える。可愛いの暴力にぶちのめされて、オーウェンは思わず小さく叫んだ。

「……んんんんんん……」
「オーウェン様?」

 たまらず、オーウェンはザジの小さな体を後ろから抱きしめる。

「今夜はアタシもここで寝るッ!!!」

 ザジを抱えたままベッドにごろんと横になったオーウェンは、彼女の後頭部に鼻面を押し付けて、赤くなった顔を見られないようにした。彼女の髪は日向の埃の匂いがした。

「オーウェン様ぁ、動けません……」
「動くな、もう寝ろ」
「まだ寝たくない……」
「じゃあ起きてなッ!!」

 オーウェンは自分を大人と言うが、見ようや立場によっては二十三歳は子供に毛が生えたようなものだ。ザジは駄々っ子そのものの主人の振る舞いに苦笑いをした。

「ねえオーウェン様、これ、この部屋で拾いました。ザジはこの土地の文字が読めません。なんて書いてあるのですか?」
「あ? なんだいこりゃあ……」

 つけたばかりのろうそくを消すのもつまらないし、ザジは枕の下から見つけたしおりのようなものをオーウェンに見せる。

「ああ……、これはねえさんの字だね……うーん……」
「なんて書いてあるのですか?」

 ザジの手からそれをつまみ上げたオーウェンは何とも言えない顔をした。

「明日から文字を教えてやるよ。それで自分で読んでみな。とりあえず、ここからここまではアタシの名前だよ。これで『オーウェン』って読む」
「オーウェン」
「んぐっ……」

 呼ばれた自分の名前が切なくて酸っぱくて、オーウェンは再び腕の中の彼女をぎゅっと抱きしめた。
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