恋愛蜜度のはかり方

るうあ

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幸せな日常 ◇◇美鈴視点

Girl’s talk(社食でまったりトーク 2)

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 おしゃべりしながらも、桃井さんはさっさとオムライスを口に運んでは胃に落とし、気がつけば、あっという間に食べ終わってしまっていた。サラダは半分ほど残していたけれど、桃井さんは食べるのが早い。
「じゃ、あたし、喫煙ルーム行きたいから。あっ!」
 席を立った桃井さんは、わたしと浅田さんの後方に誰かを見つけたらしく、片手をあげてた。
「こっちこっち! こっち空きますよ、高倉しゅにーん!」
 桃井さんの甲高くよく通る声に、周りの人の目が一瞬こちらに集中する。
 わたしと浅田さんは同時に振り返り、社員食堂にやってきたばかりの、わたし達の「上司」に目をやった。
 名を呼ばれた高倉主任は、ちょっとばつが悪そうな顔をしながらも片手をあげて応えた。他に連れはいなかった。
「じゃ、お先に失礼しまぁす」
 そう言うや、桃井さんは忙しなくこの場から去り、高倉主任に席を譲った。


 そのあとしばらくして、桃井さんが空けた席についた高倉主任は、自分のランチ(ハヤシライス)の他に、わたしと浅田さんのためにコーヒーを買ってきてくれた。なんとも如才ない人だ。というか、申し訳ないような気分になってしまう。だって、高倉主任の分はないんだもの。あとで飲むつもりで買ってこなかっただけかもしれないけど、だからこそさらに恐縮した気分になってしまう。
「浅田さんが、コーヒーコーヒーって合図を送ってきたからね」
 と、高倉主任は笑う。
 どうやら浅田さんは、声は出さず口だけを動かして、高倉主任にコーヒーを買ってくるようねだったらしい。全然気づかなかった。浅田さんも如才ないなぁ。
 浅田さんは、高倉主任に対しては遠慮なしにわがままを言う傾向がある。とはいえ、もちろん度を過ぎるわがままは言わないし、越権行為は絶対にしない。その点はちゃんと弁えてる人だ。
 だから嫌味な感じはしないし、傍にいてもハラハラするようなことはない。浅田さんのからりとした性格によるところが大きいと思う。
「いいじゃないの。コーヒー一杯でわたし達のやる気を買えると思えば」
「まぁ、いいけどね」
 浅田さんはからからと朗らかに笑い、それを受けて高倉主任はやれやれとため息をつき、苦笑いを浮かべた。
 その顔は、買ってきてやったぞと言わんばかりの自慢顔でもなく、馴れ馴れしさを不愉快に思う顔でもない。もちろん追従笑いでもない。高倉主任の鷹揚な笑みは、真意を隠す仮面のようでもある。
 そんな高倉主任に、わたしは不安を覚えてしまう。わたし自身に対する不安感。
 わたしはちゃんと、維月さんのように「何事もない」表情をしているだろうか。隠し事をしてるからいつだって不安を抱えていて、それがふとした拍子に胸中を脅かす。いけないことをしているわけではないのにって言い訳も、こんな時にはなんの役にも立たない。かえって良心がいたむくらい。
 そんな思考を、なんとか払いのける。
 なにげなく高倉主任の胸元に目をやると、見憶えるあるネクタイピンが目に入った。ピン先に深緑色のトンボ玉のついたタイピン。妹さんのハンドメイドだ。試作でいくつか作ったから使えと送られてきたと、前に見せてもらったことがある。
 夏場はクールビズってこともあってネクタイはめったにしないけど、冬場になるとネクタイ着用が普通になってくる。着用を義務付ける規則はないのだけど、維月さんはネクタイを好む方だ。わたしが贈ったものも、使ってくれる。
 ――いけない。
 どうしても「維月さん」として見てしまう。
 わたしは泳いでしまいがちな目線を、なんとか落ち着かせた。
「今度ちゃんと奢り返すから。あ、木崎さんは気にしないで。遠慮なく奢ってもらっちゃえばいいからね」
「そんなわけには……あの、コーヒー代、ちゃんとお返ししますから」
 遠慮しなくていいって浅田さんは言うけれど、さすがにそんなわけには……。
「木崎さんは遠慮深いな」
 高倉主任は穏やかに笑んでわたしを見る。こちらに向ける顔は、もちろん「高倉主任」なんだけど、「維月さん」は内緒の目配せを送ってくるのだから、困ってしまう。
「気にしなくていいよ、コーヒーくらい。木崎さんは、少し浅田さんを見習った方がいいかもしれないな」
「なにそれ、高倉くん? わたしは遠慮なしってか?」
 浅田さんは言葉とは裏腹に愉快そうな笑い声をたてた。
 高倉主任と浅田さんの間には湿っぽく艶おびた雰囲気がなく、だから自分でも不思議なほど、嫉妬心はおこらない。
 浅田さんが既婚者だからというのもあるけど、何より高倉主任と浅田さんを信頼しているから、妙な勘ぐりは起きない。
 浅田さんには打ち明けたい。わたしと高倉主任のこと、浅田さんには知らせておいた方がいいと思う。
 そう思うのにタイミングを逃してしまって、もう半年。グズグズしてたせいで、余計に話すタイミングを掴みにくくなってる。
 ちょっと不思議なくらいの鈍感さが浅田さんにはある。他人の恋愛事に疎く、あまり興味を示さない。噂話に耳を傾けることもめったになくて、そこが桃井さんと気が合わないところなんだろう。桃井さんの噂好きに呆れた顔をする浅田さんだもの。
「そういや、さっきね、桃井さんに結婚してるのかって聞かれたわ」
 浅田さんは愚痴るように高倉主任にこぼした。
 桃井さん本人の前で迷惑そうな顔はしなかったけれど、浅田さん的に、バレちゃって困ったと思ってるのかもしれない。
「周りにあれこれと聞きまわらず本人に直接訊きに来るあたりは、ありがたかったけどね」
「いや、ある程度は聞きまわってたと思うよ。で、確認に来たってところだろう?」
「まぁ、そうだよね。どこから漏れたのか……高倉くん……じゃないよね? うーん、田辺くんあたりかな?」
「僕からは何も言ってないんだけど……。たぶん総務あたりで聞いたんじゃないかな」
「あー、なるほどね、それはありうる。はーぁ、なんというか、地獄耳ねぇ、あの子は」
 わたしはひどく落ち着かず、それをごまかすために食事に集中した。黙々と食事に専念する。
「そうそう、その桃井さんね、高倉くんのこともあれこれ探ってるっぽいから気を付けなよ?」
「……っ」
 スプーンをお皿に置こうとして、うっかりガチャンと大きな音をたててしまった。
 ううっ、動揺を露わにしないよう気をつけてたのに。
 ありがたいことに、浅田さんはわたしのことはさほど気にせず話を続けた。高倉主任も一瞬わたしに目線を寄越したけれど、何も言わなかった。
「あれこれってのはつまり恋愛関係ね。あの子、そういうのほんと好きだから」
「みたいだね。何をそう知りたいんだか……。ともかく、一応気をつけよう」
 高倉主任は軽く息をついてから語を継いだ。
 うん。わたしも気をつけなくっちゃ。こんな程度で動揺してちゃ怪しまれちゃう。
 平静平静、と心の中で何度か唱えて、気を落ち着ける。あんまりうまくいってるとも思えないけど。
「しかし桃井さんのあの情報収集能力は……感心するといっていいレベルだね。別の課のことまで話題に出してくるから、本当、驚くよ。陰口の類ではないからいいけど」
 高倉主任は小さく笑った。嫌味っぽくはなく、けれどちょっとだけ困ったような、そんな微笑だった。
「それが桃井さんらしいとこだね。悪い子じゃないんだけど、口が軽くって、少し厄介ではあるね。いろんなことに首を突っ込みたがりだし。木崎さんも根掘り葉掘り聞かれて困ってるんじゃない?」
 浅田さんは食事を済ませ、高倉主任が買ってきてくれたコーヒーに口をつける。存外甘党で、砂糖の投入量は多め。わたしもやっとオムライスを食べ終えて、コーヒーを手元に引き寄せた。
「それほどでもないです。いろいろ聞かれることもあるけど、飽きっぽいっていうか、桃井さん、すぐに話題をかえちゃうから」
「あー、そういうとこあるね。ま、なんか困ったことあったら言いなさいね。プライベートなこと、あんまり知られたくない方でしょ、木崎さん?」
「は、はい……」
 どうしよう。
 たしかにプライベートなことはあまり語りたくない。浅田さんはそれを察してくれて、私事に関して、あれこれ尋ねてきたりはしない。
 浅田さんは基本、公私を分けて考える人だ。一緒に飲みに行ってた頃には、いろいろとプライベートなことも話したけれど、酒の席の話ということもあって、深く追求してきたりはしない。節度を保ってる、というんだろうか。
「話したかったら話せばいいよ」
 というスタンスの人なのだ、浅田さんは。
「木崎さんは内に溜めこむタイプだよね」と心配して、「話すだけでもすっきりすることあるし、わたしでよければ聞くよ?」と言ってくれたこともあった。
 淡白なようでいて、面倒見のいい人なのだ。
 ――今、話してしまおうか。
 そう思って、ちらりと高倉主任の方に目をやった。
 付き合っている彼氏がいる、ということまでは浅田さんに知られている。だけどその相手が誰なのかは告げていない。浅田さんも、それが誰なのかとまではつっこんでこなかった。
 相手が高倉主任……高倉維月さんだと知ったら、浅田さん、どう思うだろう。
 高倉主任はわたしと目を合わせない。合わせたら、わたしが動揺するって分かってるからだ。
「…………」
 とりあえず、コーヒーを一口飲んだ。
 少しだけ冷めてしまったコーヒーはやや苦く、けれどその苦みのおかげで目が覚めたみたいな気分になった。
 ここじゃ、だめだ。
 人通りも多いし、わたし達の会話が誰かの耳に入ってしまわないとも限らない。
 ちゃんと落ち着いたところで、できれば会社の外、プライベートな時間の時に話す方がいい。
 なんといってもここは職場なのだ。今ここで打ち明けられても浅田さんも困るだろうし、もしかしたら怒られてしまうかもしれない。
 やっぱり、「けじめ」はちゃんとつけなくちゃ。
 そう思い至って、この場では口を噤んだ。
 何か言いかけてやめたのに、浅田さんは気づいたのかもしれない。けれどそれに関して追及してはこず、わたしではなく高倉主任に顔を向けて、言った。
「木崎さんは、ガードが堅いようでいて甘いところあるから、高倉くん、フォローしてあげなよね? もと飲み仲間なんだし。ね?」
「うん、……分かってる。気をつけるよ」
 そう応えて、高倉主任は曖昧な微笑を浮かべた。「気をつけるよ」と、わたしにも言ってくれてるようだった。


 食後のコーヒーを済ませ、わたしと浅田さんは高倉主任をひとり残し、席を立った。
「お先に」
 と、浅田さんが声をかけ、その後をわたしはついていく。高倉主任に軽く会釈をし、傍を通り過ぎようとした、その時だった。
「美鈴」
 ひそやかな声がわたしを呼んだ。わたしは足を止め、座ってこちらに顔を向ける高倉主任を見やった。目が合ったのは、一瞬。
 高倉主任……ううん、維月さんの手がわたしに伸びかけていた。けれど、わたしの腕に触れかけたその手はすぐにひっこめられた。その刹那、維月さんの表情に戸惑いが走ったように見えた。維月さんはわたしから目を反らし、ちょっとわざとらしいような咳払いをした。
 いつだって平静沈着な維月さんだけど、もしかしたら内心ではヒヤヒヤしたり焦ったりしてるのかもしれない。
 ふっと、心が凪いだ。
 わたしだけじゃないって安堵感、そして垣間見た維月さんの感情に、ゲンキンなわたしは励まされた気分になった。
 わたしはさり気なく言葉を返した。
「……大丈夫です」
 フォローしてもらうばっかりじゃなく、わたしも維月さんのフォローをしなくちゃ。
 維月さんにばかり負担をかけたくない。わたしがお願いして「秘密」にしてもらったんだから。しっかりしなくちゃ。
「今度、わたしもコーヒー、奢り返しますね」
 わたしがそう言うと、高倉主任はこちらに顔を向ける。
「そうさせてもらうよ、遠慮なく」
 さっきとは打って変わり、高倉主任は悠揚と微笑んだ。

 感情を曖昧に包んだ笑い方が、噂とお喋り好きな女子の好奇心をくすぐってるってこと、高倉主任は自覚してるんだろうか。

 高倉主任とも維月さんともつかない曖昧な笑い方に、わたしは内心で苦笑した。
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