恋愛蜜度のはかり方

るうあ

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甘えて。 ◇◇美鈴視点 (各お題利用)

逃げるな危険 4

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 訊いてきた当人の田辺さんも、いささか唐突過ぎたと思ったのだろう。慌てて補足をした。
「い、いやさぁ、その……木崎さん、今、彼氏いるって小耳に挟んだものだから。それ、ほんとなのかな、と」
 田辺さんは焦り顔で視線を泳がせている。ちらちらと探るような視線をわたしに止めては逸らし、そうして返答を待っていた。
 でも、焦っているのはわたしの方だ。
 どうしよう……。
 もしかして、高倉主任……維月さんとのこと、気付かれてしまったんだろうか?
 わたしは隠し事全般がどうにも下手で、ごまかそうとするとかえって挙動不審になってしまうきらいがあり、高倉主任に笑われたこともあった。浅田さんにからかわれたりもした。
 それでも、高倉主任とのことは、なんとか上手くごまかし続けてきたと思ってた。高倉主任もさり気なくフォローし続けてくれたから、誰にも気づかれてないと思っていた。だけど、ばれてしまったんだろうか、田辺さんに?
 動揺を抑えるため、胸元で両手を合わせてぎゅっと握った。
 ともかく、今この場から……田辺さんから逃げ出すわけにもいかない。
 なんとか白を切って、ごまかしきらなきゃ。
 ところが、わたしの内心の周章など田辺さんは気付く様子もなさそうで、不明瞭に言葉を継いでいた。
「俺、木崎さんってフリーだとばっかり思ってたから、いるって聞いてちょっと意外っていうか、驚いたって言うか……」
「……」
 わたしは少し俯かせていた顔をおそるおそる上げ、田辺さんを見やった。そこに見つけたのはからかう風でも冷やかす風でもない、ちょっと決まりの悪そうな田辺さんの困惑顔だった。
 質問の意図は分からないけれど、ともあれ、高倉主任とのことを気付かれたわけではないようで、少し、ほっとした。
 だけど、わたしの「彼氏」の情報はいったいどこから得たのだろう。
 考えを巡らせるほどもなく思い当ったのは、二人。浅田さんと桃井さんだ。
 わたしに、今現在「彼氏」がいると知っているのは、この二人だけだと思う。……当事者は除いて。
 浅田さんは、他人の恋愛事を誰彼かまわず吹聴して回る口軽な人じゃない。口が堅く、他人のプライベートを無責任に侵したりはしない。
 となると、やはり桃井さんだろうか?
 もう随分と前になるけれど、桃井さんに、つい詰まらない見栄を張って、彼氏がいることを、わたしから明かしてしまったことがあった。もちろん相手が誰だかは言ってない。
 桃井さんは噂好きで、悪気なく口が軽いから、仲が良いらしい田辺さんに喋ってしまってる可能性は高いように思う。
 ただ、ちょっと疑問は残る。
 桃井さんは、他人の恋愛事情に関心が深く、その情報収集に余念のない人だ。だけど気が変わりやすく、最新の噂話を好むから、古い話題をわざわざ蒸し返すようなことはめったにない。
 それはわたしに対してもそうだった。
 わたしの「彼氏話」なんて、すっかり忘却の彼方に追いやっていた……と、少なくともわたしはそう思って、ほっとしてた。
 だから今頃になって、田辺さんにわたしの「彼氏話」なんて持ち出さないと思うのだけど……。
「田辺さん……その話は誰から聞いたんですか? ……もしかして桃井さんから、ですか?」
「桃井さん? 桃井さんからは特に何も聞いてないよ?」
 田辺さんは「え、なんで?」とでも言いたげなきょとんとした顔で答えた。
「え……」
 違うの? 桃井さんじゃない……?
 てっきり桃井さんだとばかり思いこんじゃってたけど、それじゃぁ、浅田さんだったの?
 そりゃぁ、田辺さんと浅田さんは親しいようだから、その可能性だってなくはないんだろうけど……。
「で、木崎さん、ほんとのとこはどうなの?」
「え?」
 ずけりと、田辺さんが切り込んできた。ひどくもどかしげな顔をして、わたしの様子を窺っている。
「や、だから、彼氏のことなんだけど」
「…………」
 わたしは思わず眉根をしかめた。
 田辺さんのわたしに向けてくる視線が急に煩わしく感じられ、心がもやもやとしてきて、重たくなった。
「あの、わたし……、そういうこと聞かれるの、正直……嬉しくないです」
 田辺さんから顔を背け、ぽつりと吐きだした。
「田辺さんにも、会社的にも、関係ない……ですよね、わたしの、そういうプライベートなことって」
 どうしてそんな個人的なことを詮索してくるのだろうと気持ちが苛立って、そのせいで、抑えたつもりではいたけれど、口調がきつくなってしまった。
 すぐに言い方がまずかったと後悔したけれど、後の祭りだった。
 気まずい思いを抱え込んだのはどうやら田辺さんも同様だったみたいで、それをかき消すように、「ごめんっ」と即座に謝罪の声を上げた。
「ごめん、木崎さん! プライベートなことあれこれ突っ込まれるの、たしかにいい気分じゃないよね。……いやでも、ただの好奇心とか興味本位っていう軽いノリなんかじゃなくって、俺なりに真剣なわけで……」
 田辺さんはしどろもどろに言い訳をしだした。さっきよりも顔が赤くなってきているのは、酔いさらに回ったきたからだろうか。
「高倉さんにもさぁ、すごくプライベートなことだから、迂闊に喋って木崎さんに迷惑かけるなって言われたんだよ」
「え、高倉主任……?」
 どきりとして、思わず胸の前で手を握り、身を固めてしまった。
 高倉主任の名が出るだけで過敏に反応してしまう自分が情けない。
「あ、あの、それじゃぁもしかして、高倉主任から聞いたんですか?」
「え? ああ、うん。ちらっとだけど。クリスマスとかの予定は彼氏と埋まってるらしいってなこと、高倉さんから聞いて。浅田さんから聞いたとか何とか……」
「…………」
 ああ、そうか……。と、ようやく腑に落ちた。
 少し前に、田辺さんからみんな…というか、わたしと浅田さん、そして高倉主任と田辺さんの四人で飲みに行こうと誘われたのだけど、どう断ってよいやら困っていた。
 大人数で飲みに行くのならさほど躊躇しなかったろうけど、あまりに個人的すぎる飲み会は極力避けたかった。わたしと高倉主任との関係が明るみになってしまう危険性が高いから。
 高倉主任はともかく、わたしは隠し事が下手で、気をつけてるつもりなんだけど態度に出てしまっているみたいで、そこから勘づかれてしまうおそれがある。
 うちの会社は、社内恋愛禁止ってわけではない。それどころか、社内での恋愛が成就して結婚に至ったカップルだっていた。ダメになったカップルもいるらしいけれど……。
 どちらにせよ、色恋沙汰関連の噂話というのは、人心を惑わせる。
 そういった噂の的になるのが、嫌だ。恋愛沙汰の噂話を社内に流されるなんて、もう……こりごりだから。
 結局、田辺さんから言いだし、浅田さんも乗り気になっていた飲み会の話は、有耶無耶のうちにお流れになった。高倉主任がそれとなく中止にしてくれたのだろう。わたしの知らないうちに。
「こういう話ってさ、下手するとセクハラ発言になりかねないから気をつけろって高倉さんに念を押されてたんだ。気をつけろっていうか、そういう、迂闊な発言をして嫌な思いをするのは相手だけじゃないって」
「……」
「高倉さんってさ、昔っからそうだけど、会社内の人間関係にすごく気を遣う人なんだよね。ちょっと神経質なんじゃねってくらいにあっちこっちに気を回して。上手いことバランスをとらせてるっていうか。まぁ、そういう気配りとかが評価されて昇進しただけはあるよ。うん、さすがにさ」
 田辺さんの口調は敦朴で、多少の妬心を感じないでもないけれど、嫌みったらしくはない。高倉主任の事を信頼し、敬慕してるんだなと言葉の端々から感じられる。
 そんな田辺さんの態様に、わたしは少しだけ気を緩められた。高倉主任に対して、似たような感慨を抱いてるんだなってことが嬉しくもあった。
 だけど、それはそれ、これはこれというもので、田辺さんが投げかけてきた唐突な質問への警戒心やわだかまりは解けきらず、安堵しきれずにいた。
「あ、でさっ、話逸れちゃったけど、高倉さんに釘さされてたってのに、不愉快なこと訊いちゃって、ほんとごめん。ヤな思いをさせちゃったよね。そんなつもりはなかったんだけど」
「そんな…っ、わたしこそ、すみません」
 わたしは慌てて首を横に振って、謝り返した。
 たしかに、ああいったことを訊かれるのは嬉しくないし、不愉快とまではいかなかったけど、いい気持ちはしなかった。だけど、もっとものやわらかな言い方があったはずだ。田辺さんの方がもっと嫌な思いをしただろう。
 わたしは本当にどうしてこう不器用なんだろう。
 言葉の選び方一つとっても上手くいかず、相手を傷つけてしまったり不愉快な思いをさせてしまったりする。どうして相手の心情や、先々の事まで考えが及ばないんだろう。
 ――そのせいで誰かを疑ったり、あまつさえ、好きな人の心すら見失いかけたりする。
「わたしこそ、きつい言い方をしてしまって、すみませんでした」
 わたしは身を竦めて田辺さんに謝罪した。
「あの、わたし……、セクハラとかそんなの、全然思ってませんから」
「あ、ああ、それならよかったよ、うん、よかった。……けど、うーん、しかしまたこれはなんというか……」
 田辺さんは何だかそわそわと落ち着かない様子で、顎を撫でたり、ネクタイをさらに緩めたりしていた。何か言いたげな顔をしてわたしの顔をちらちらと見やり、そのたびに困ったように眉を下げて嘆息した。
 困っているというのなら、わたしもだった。
 田辺さんと二人きりで対面してるところを誰かに見られているのではないかと心配で、わたしは気もそぞろになっていた。
 幸い、周りに人はいない。廊下の留まっているのは、今のところわたしと田辺さんだけだった。
 たまに会場からお手洗いに向かう人達も出てきたけど、お手洗いに直行するのは年配の男性社員がほとんどで、わたしと田辺さんには一瞥もくれない。
 周りの目なんて気にすることないって頭では分かっている。
 だけどどうしても気になって、平静ではいられなかった。
 高倉主任の名前が出たからだけではない気がした。
 田辺さんとこうして二人でいること自体に緊張してるのだろうとは思う。今まで話す機会もめったになかった田辺さんと、どうしてこんな風に向かい合って話してるんだろう。
 ……ひどく、落ち着かない。頬も火照ってきてる。
 なぜかしら田辺さんも沈着さを失っているようで、とまどっているような、もどかしげな表情をしていた。
「まいっちゃうよなぁ、そういう顔されるとさ」
「え? 顔って、わたし……ですか?」
「まいるっていうか、うーん、諦めつかなくなって弱るっていうかさぁ」
「え……?」
 何を言おうとしてるのか、田辺さんの意図がさっぱり読めず、わたしは首を傾げるばかりだ。
「木崎さん、俺さ……」
「はい?」
「……いや、やめとく」
 田辺さんはふっと短く息をつき、急に真顔になった。
「今は酒も入ってるし。それに、なんかダメっぽい感じがひしひしと伝わってくるんだよなぁ。……うん、てなわけで、今日のところはとりあえず引こう」
「……?」
 田辺さんはひとり言のように言い、何やら一人納得しているようだけど、わたしは何を言われているのか全く分からず、返答に窮していた。
 田辺さんは真顔を崩し、表情をこわばらせているわたしに、意味ありげに笑いかけてきた。
「じゃ俺、もう会場の方に戻るよ。引きとめて、へんなこと訊いちゃって、ほんとごめんね、木崎さん」
「い、いえ……」
 わたしはとまどいながらも、ふるふると首を横に振った。
 ……なんだろう、胸が熱くなってドキドキする。不安なような、怖いような……どうしてかは、分からない。
「それじゃ、またね、木崎さん!」
 そう言うや、田辺さんはくるりと身を翻し、小走りになって、まだまだ宴もたけなわの会場内へと戻っていった。
 そしてわたしは一人取り残され、しばしぼう然と立ち尽くしていた。


 その後、我に返ったわたしは、携帯電話を取り出して、メールを打っていた。
 送り先は、維月さん。
 何かしら不安で堪らず、今夜を独りきりで過ごすのは耐えられない気がした。
 ううん。不安の原因は分かってる。
 思いだしたくないことを思いだしてしまったからだ。
 もう、過去のことなのに。忘れようとして、……忘れられていたはずだったのに。
 ――会いたい。維月さんに会いたい。
 気持ちが急いて、何度も打ちミスをした。それに、ひどく一方的な内容になった。
 維月さんからの返信は、忘年会が終わる頃になってようやく届いた。それを確認し、わたしは大急ぎでアパートへ荷物を取りに戻った。
 維月さんのマンションへ行くために。
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