43 / 60
43 最終話
しおりを挟むバーナードが亡くなって半年以上が過ぎていた。
季節は冬を通り過ぎて春を迎え、もうすぐ夏がやって来る。
ソフィアはコンタンと新しく作った用水路沿いを歩いていた。
「用水路を整備したおかげで、畑の水やりもずいぶん楽になったようです。だけど水路の両端にもう少し盛土をするべきだと思う。小さな子供が落ちてしまうと危険だし、大雨の時の増水を考えると、ある程度の深さが必要になる」
彼は水路を覗き込んで、高さを確認している。
ソフィアは「そうね」と相槌を打つ。
仕事がひと段落して時間が空いたので、散歩がてらコンタンと共に農地まで来ていた。
農道の先に荷車が停まっている。
農夫が大きな声で私たちに挨拶し、荷車を押して市場の方へ向かって行った。
誰もいなくなった畑で聞こえる音は、虫の声、風の音。
畑では大麦が穂を出し始めた。だいたい四十日程度で収穫になるだろう。
何もない場所で、コンタンの声はソフィアの耳に低く心地よく届く。
「バーナード様が亡くなったとき、ソフィア様が何を考えていたのか、あらゆる可能性を自分なりに考えた」
「……え?」
コンタンは立ち止まって横を向くと、少しかがんでソフィアに視線を向けた。
「気づけなくて……すみません」
彼が謝る理由が分からなかった。今頃何を言っているのだろう。
もうバーナードが亡くなって半年は経っている。
私は仕事に勤しんで、領地経営に精を出し、領民たちの生活の安定を図り、彼らの幸せの為、今は必死に頑張っているところだ。
気づけなかった……
気づけなかったのは彼ではない。自分だった。
ソフィアの目から涙が落ちる。
バーナードが死んだとき、私は領地を離れていた。彼の死に目に会えなかった。
そして彼の埋葬には立ち会えず、その足で王宮へ向かった。
亡くなったと同時にしなければならないことがあった。
領主が亡くなった時、その第一子男子が領地を継ぐ。しかし男子が未成年である場合、後見人を置く決まりがあった。それは摂政のような役割で、国王が高位貴族の中から選任する場合がある。
それは親戚に成人男性がいない場合や、親族が老齢の場合だ。
妻は女性であるから領主の役割を担うのは荷が重いと思われていた。
母親である私がその役目を引き受けることになる旨を、バーナードの書簡と共に国王へ届けなければならなかった。
時を争うことだった。
なぜなら私がその書簡を持っていたからだった。我が領地を欲しがっている貴族がいることは噂で聞いていた。
バーナードの訃報が王宮へ知らされ、後見人が立てられる前に、国王へ書簡を届けなければならなかった。
他の方法もあった。使者を王都に向かわせればよかった。
けれど私はそれをしなかった。
私は夫が亡くなっても毅然とした態度を崩さなかった。
私がしっかりしなければならないと思った。悲しみを表には出せない。
涙は流さなかった。
バーナードは私の夫であったが、私の彼に対する愛情はとっくの昔に冷めていた。
領地に戻る決意をしたとき、病に倒れた彼と過ごす時間は限られたものだと思っていた。
しかし……思いのほか彼は生きた。
私は彼に感情移入することを恐れた。
気持ちを持っていかれてはならないと、いつも気を張っていた。
彼との関係には一線を引いているつもりだった。
あんなに無気力で怠惰な主人だったのに、領地のことをすべて人任せにするような領主だったのに、邸の者達は悲嘆に暮れて喪に服した。
私はバーナードを喪った悲しみを露わにできなかった。
彼の前で、こんな畑の真ん中で、恥ずかしげもなく、次から次へと涙が溢れ出てしまう。
そして最後には子供のように泣きじゃくってしまった。
コンタンはずっと私の背を撫でながら。
「ソフィア様は、ちゃんと悲しまなければならなかった」
そう呟いた。
春の暖かな日射しを受けて、用水路の水面にうつる真っ白い雲が、ゆらゆらと流れに身を任せていた。
◇
「同じ学校にアーロンってやつがいてさ。俺より一つ年上なんだけどクラスは同じなんだ」
レオは王都の学園に通っている。
長期休みの為、今は領地へ戻って来ていた。
アーロンという名に思わず反応してしまう。
「そうなのね。友人になったの?」
「ああ。親友って言ってもいい」
まさか、あのアーロンじゃないわよね。
私は嫌な予感がした。
彼の母、マリリンはデクスター殺害の犯人として捕まり処刑された。
アーロンは実の父親の妻に育てられたと聞く。
「アーロンの母さんはさ、継母なんだって。血が繋がってない母親だけど、厳しく愛情をもって育ててくれたって言うんだ。道から外れず、正しく生きてこられたのは彼女のおかげなんだって」
「そうなのね」
継母……アーロンは、あのアーロンなのかしら。
「俺、思うんだよ。血は繋がってなくても、母親になれるって。愛情もって育ててもらえたら、血が繋がってなくったって父親になれると思うんだ」
父親?何を言っているのかしら?
「……そう」
「母さん。もう父さんが亡くなって三年が経った。母さんもそろそろ自分の周りを見てみなよ」
レオの言葉の意味をソフィアが知るのは、まだ少し先の話だった。
━━━━完━━━━
4,102
お気に入りに追加
7,320
あなたにおすすめの小説
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい
高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。
だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。
クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。
ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。
【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。
拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら
みおな
恋愛
子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。
公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。
クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。
クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。
「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」
「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」
「ファンティーヌが」
「ファンティーヌが」
だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。
「私のことはお気になさらず」
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。
藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。
何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。
同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。
もうやめる。
カイン様との婚約は解消する。
でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。
愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません!
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる