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28 カーレンという国
しおりを挟むマリーにカーレンという国のことを聞いた。
カーレンは南国の島国で、この国とは違い空気もきれいで自然豊か、そして食べ物がおいしいらしい。四方を海に囲まれているためフルーツがよく育ち、ダイヤやオパールなどの鉱物以外にも輸出できる作物が沢山あるという。
島国だなんてとても素敵だ。私の国は内陸にあったため、生まれて一度も海というものを見たことがなかった。それでいて資源が豊富だなんて、まるで夢の国だわ。
そんな恵まれた自然の中で子供を育てられたらどんなにいいんだろうと思った。
世界には自分の知らない場所が沢山ある。私は行ったことのない南国の島国に想いを馳せた。
「ソフィア様、、そんな本を借りてどうするおつもりです?」
「そうね。けれどこれは子供用の本だわ。絵がついていて分かりやすい物だから、見ていて楽しいの」
私はマリーからカーレン語の本を借りた。
時間だけはあるので、新しい言語でも学んでみようかしらと気軽に借りてきた本だ。
「本で言語を学んでも、発音が分からなければ意味がありませんわ。マリーも訳が分からないわよと言ってました」
私はふふふと笑った。確かにその通りだ。
「ここにちゃんと発音の仕方が書いてあるわ。舌を丸めて『ス』って、ほら『スッ』よ、『ス』」
「なんだか良くわかりませんが、ソフィア様が楽しそうなので良いですわ」
ミラは『スッ』ですねと言って、私の発音をマネした。
もし、カーレン語を読むことができたなら、あの花束のカードに何が書いてあったのかが私にも理解できたかもしれない。
盗み見のようなまねをしてしまったカードだけれど、中にどんな内容が書いてあったのか知りたかった。
きっと素敵な恋の言葉だろう。
「この国で二人だけにしか通じない言語で、このアパルトマンのオーナーとムーン様は話をしているのかしら」
「えっ?アイリス様と花束の君のことですか?」
ミラはおかしそうに笑った。
「何がおかしいの?」
私が問うと。
「アイリス様には、ちゃんとした別のお相手がいらっしゃいますよ」
ちゃんとした?別のお相手と彼女は言った。
その言葉に私は驚いた。
叶わぬ恋ということかしら……
毎日、こんなに美しい花束をくださるのに……とても残念だわ。
恋に破れるムーン・ババール様のことを考えると、まるで我が身のようにとても辛い気持ちになった。
◇
妊娠は病気ではない。
世の中ではそう言われているようだけど、なかなかしんどいものだと思っている。
とにかく凄く眠たいし、食の好みも変わってしまった。でも、領地で見た女性たちは妊婦であっても皆一生懸命働いていた。眠ってなんかいられない。私もこの子が生まれた後、母としてだけではなく、世帯主として頑張っていかなければならない。
ソフィアズハウスはこの国にはないから、甘えたことを考えてはならないわ……
しんどいからといって、ベッドに寝ているだけでは駄目。
私は街を歩くことにした。今までは大人しくしていたが、何もしないことは、私にとってかなりストレスだった。
肉体労働は出来なくても、頭を使う仕事ならできる気がする。
計算はできるし、文を書くことも得意だ。家庭教師もできるかもしれない。
経理とか事務関係の仕事でも探そうかしら……
いろいろ考えながら通りを歩いていた。
向かい側に、大きな花屋を見つけた。
王室御用達と書いてある。
私はふらふらとそのお店に引き寄せられるように入っていった。
中はきれいな色とりどりの花が、揃いのバケツに入って並んでいる。
高価な花も沢山あって、植物園へ入ってきたような雰囲気があった。
背の高いガッシリとした体躯の男性が花を選んでいた。服装の模範を示すような装いなのに、わざと着崩した感じにまとめて、高貴な身分を誤魔化しているようだった。
異国の血が流れているのか、幾分褐色に近い肌の色、漆黒の髪色、女性なら誰もが目を奪われそうな雰囲気を醸し出している。
もしかしてあの人は……
考えながら見惚れてしまい、私は足下のバケツに躓いた。
ガタンと音が鳴った。
驚いてよろけてしまった。
転んではダメだ、お腹に赤ちゃんがいる!
思わず青ざめた瞬間、私の腕を取り支えてくれた人がいた。
先程の男性が素早く走りより、即座に手を伸ばして助けてくれたのだ。
私は安堵のため息をついた。
『すみません。ありがとうございました』
突然のことに驚いた拍子に、私の口から出たのは、覚えたてのカーレン語だった。
彼がカーレン国のムーン様ではないかと思っていたせいで、咄嗟に口にしてしまった。
彼は虚を突かれたように目を丸くしている。
言い訳のように言葉を続けた。
「お腹に赤ちゃんがいるので、転ばずに済んで助かりました。そ、それでは……」
「いや、ちょっと待って。君が今話したのはカーレン語か?」
「いえ……その……」
「あまりにも、ひど、いや、その、ユニークな発音だったから、いまいち聞き取れなかった」
私は恥ずかしさのあまり顔を赤くした。
「私の住んでいるアパルトマンのオーナーに、お花を届けてくれている方がいらっしゃいます。それで、その……カーレンという国に興味がわき言語を学びたいと思いました」
正直にわけを話した。
彼はほっとした様子で、なるほどねと頷いた。
「君はアイリスのアパルトマンに住んでいるんだね」
「はい。あの、お花は沢山頂いたということで、皆さんにも鑑賞して欲しいとおっしゃいましたので。それで私にも分けてくださいました」
人からもらったものを他人に渡すなんて普通失礼にあたるだろう。
できるだけアイリス様の善意の気持ちだと強調する。
「ああ。彼女からは迷惑がられているね。そろそろ引き際かもしれないな」
彼は苦笑いする。
ああ……私はなんて酷いことを言ってしまったのかしら。
彼はアイリス様のお気持ちを御存じなんだわ。
急に悲しくなってしまった。
こんなに素敵な人なのに、それでも恋に破れることなんてあるのね。そう思うと目頭が熱くなってきて思わず目を伏せる。
妊娠すると涙もろくなるというけど、部外者の私がここまで感情移入するのはおかしい。それでは失礼しますと頭を下げて、急いでその場を後にした。
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