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23 【バーナードside】 一人の男
しおりを挟むその頃、一人の男がスコットの両親の家の前に立っていた。
かつての鮮やかな色を失い、今では灰色にくすんでいるぼろを身に纏いっている。破れて何度も繕った跡のある上着は、軍支給の物だった。その男の髪の色は見事なブロンドだ。
男の目は、太陽の光が眩しいのか半眼になっている。
薄く開いた瞼の下からはブルーの瞳が覗いていた。
彼は松葉杖をつき、右足は膝から下を失っている。
そして大きな荷物をドアの前に置くと、男は力強く拳で扉をドンドンと叩いた。
先の戦争から十カ月が経とうとしていた。
◇
領主の仕事をずっと放置するわけにも行かず、ソフィアを探しながらも、溜まった書類に目を通す。
私がいなかった間、ソフィアが領主の仕事を頑張っていたことが、彼女の文字の跡から読み取れた。
「クソッ……ソフィアが全ての仕事を引き受けていたのか……」
少し考えればわかることだった。
戦時中、使用人が三分の一になり、年老いたモーガン一人の執事では領主の仕事は回らない。
彼女は民を飢えさせることなく、戦争を乗り切った。
自ら鍬を持ち畑にまで出たという。
領主の妻である責任を果たしたのだ。あの小さな体で、一人で必死に頑張っていた。
戦地で命を懸けて戦ったことに誇りを持っていたが、彼女はここで戦っていたんだ。
彼女こそ英雄だった。
邸の使用人たちは私が問いかけるまで口をきかない。
ソフィアが出て行った責任は全て領主である私にあると、まざまざと見せつけるかのような視線。針の筵に座らされている気分だった。
あれからマリリンと話した。
『私は、奥様に対してなにもしていません。居候である立場は分かっていましたし、旦那様の慈悲深さに感謝こそすれ、まさか奥様がいなくなった後、旦那様の後妻の座をなどとは考えてませんでした』
マリリンが言っていることは正しい。私が彼女たちの不遇を憐れみ、情けをかけたのだ。
『旦那様はいつも言ってらっしゃいました。私は親友のスコット様の恋人で、アーロンは彼の忘れ形見。親友を大切に思っているそのお気持ちは、敬うべきもので、けっして否定されるものではありませんわ』
そうだマリリンは自分の気持ちを分かってくれていると感じていた。
彼女の言っていることは正しいはずだ。
ただ、限度があった。彼女達への度を越えた優遇は、使用人達、領民にさえも誤解を与えた。
いつからおかしくなった?
スコットの両親が、アーロンを息子の血を引いた子供だと認めなかった頃からか……
彼らの言い分は息子と似ていないことと、戦時中彼からの手紙でその知らせが無かったことに言及していた。
確かにおかしい。
それにガブリエルが言っていた「ケビン」という男のことも調べなければならない。
直にマリリンに訊いてみるか……そうは思っても、考えなければいけない件が多すぎて、重たい腰を上げることが出来なかった。
このままではソフィアに合わす顔がない。
彼女の行き先は、間違いなくコンタンが知っているだろう。
彼女の両親や友人。マザーハウスの関係者に訪ねてみたがみな一様にわからないと言った。
だが、彼女が出て行ったのに、使用人たちは落ち着きすぎている。
皆で私に彼女の居場所を隠しているのだろうと感じた。
教える気がないのなら、自ら捜すしかない。
執務室のドアをノックする音がする。
「旦那様、マリリンさんがお呼びです」
ダミアだった。
マリリンの専属メイドは首になった。
彼女はまだ客室にはいるが、専属の侍女は付ける必要はないと命じた。
もう十分体調は整っているだろう。
マリリンが呼んでいると聞き、正直もう顔も見たくないと思ったが、マリリンに確かめなければならない件もある。
スコットの形見の品をなにか持っていないか、それとケビンという男のことも。
私は、わかったとダミアに告げて、マリリンの部屋へ向かった。
どのみち、近々ここを出ていってもらうことになる。
話は早くしておかなければならない。
「旦那様!良かった!いらしてくださったのですね」
彼女は喜びの声を上げ、慌てた様子で私の側までやってくる。
そしてマリリンは、憂いを帯びた顔でアーロンの方を指さした。
「見て下さい!アーロンが歩いたんです!」
彼女の視線の先には、ゆっくりとした前傾の姿勢で立っているアーロンがいた。
アーロンはよちよちおぼつかない足取りではあったが確かに補助無しで歩いている。
それはなんの汚れもない、清らかな光景だった。
両手を前に出し、私に抱いてくれとせがむように一歩一歩と小さな歩幅で歩いている。
この赤子に……アーロンになんの罪があろう……
今まで心に渦巻いていた黒いモヤが晴れていくような気がした。
その時。
ドンドンドン!ドンドンドン
勢いよく部屋のドアが叩かれた。
返事をしていないのに、モーガンが飛び込んでくる。
「だ、だ、んな……旦那様!スコット様が戻られました!スコット様が……戦地から、只今戻られました」
叫ぶような泣き声とともに、モーガンがその場に膝をついた。
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