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5 領主の妻として
しおりを挟むバーナードは翌日、ゆっくりすることもできず、王都から派遣された軍の指揮官と共に、負傷した者の家族や戦没者たちの家を回った。
戦死者の家族のために国から十分な保証が与えられ、追悼式も行われることが決まったらしい。
屋敷の事にまで手が回らないだろうバーナードの代わりに、私も忙しく立ち回っていた。
マリリンさん達の事は、赤ちゃんに必要な洋服やおむつの手配をしたり、食事も栄養のあるものを準備して、気兼ねなく何でも言ってほしいと彼女に声をかけた。
マリリンさんは目に涙を浮かべながら、恐縮した様子で私に礼を言った。
儚げな彼女の姿に、誰もが守ってあげなければと感じただろう。
長旅の疲れと乳児の世話で体調も良くないようにみえた。
ゆっくり静養できるよう、子供を産んだ経験のあるメイドを専用に付けた。けれど彼女は「自分の子供の面倒は自分で見ます」と言ったそうで、メイドの助言を聞き入れないと報告された。
「産後は誰しも気が立つものですから、そっとしておいた方がよろしいかと思います」
子育て経験のあるメイドは私にそう言った。
私は子供を産んだことも育てた事もないので、その辺の事情はよく分からない。
「わかったわ。そうね……マリリンさんから何か頼まれたときだけ動く事にしましょう。お節介にならない程度に声をかけた方が良いかもしれないわね」
使用人達は私をこの屋敷の女主人として受け入れてくれている。
この邸の為にとてもよく尽くしてくれていた。
旦那様と私の世話に加えて、マリリンさんと赤ちゃんが増えたにも関わらず、しっかり働いてくれるのでありがたいと思った。
私は領主の妻として毎日忙しかった。
執事のモーガンと領地の仕事をこなして、領地の様子にも目を配る。
職業斡旋の場を役場に設けて、戦地から帰ってきて職が無い者達の為の職さがしも手伝った。
どこも今人手不足だった。職業案内所ができれば、帰還兵たちの仕事はすぐに見つかるだろう。
バーナードがいなかった二年間、領主の妻として、領民たちを飢えさせることなく、しっかりと彼らの生活を守ることに全力を傾けた。
その重圧に押しつぶされそうになりながら必死に頑張った。
苦しい時期を共有した領民たちとの繋がりは強固なものになり、今や私は領民に必要とされる大切な存在になっていた。
「バーナードが領地の仕事に完全に復帰するまで、まだ時間がかかるでしょう。もう少しの間苦労をかけるけれどよろしくお願いします」
執務室で私はモーガンに頭を下げた。彼は先代から執事としてこの屋敷でずっと働いてくれている。
もう引退してもおかしくない年齢にもかかわらず、私を支え領地の仕事に携わってくれていた。
「奥様も旦那様と同じくらい。いやそれ以上働いてらっしゃいます。お体が大丈夫か心配です。私どもでできる事があれば任せてお休みください」
忙しいのはみんな一緒だ。モーガンの優しい気遣いに心が温まった。
一カ月
執務室から出ると廊下の端で使用人達が話をしていた。
最近不満が溜まっているようで、聞こえてくる内容は決まってマリリンさん達親子の事だった。
「お客様だって言っても平民よね。なんで貴族みたいな扱いをしなきゃならないの?母乳の出が良くなるからって毎回自分用に新鮮なミルクを要求されるわ」
「赤ちゃんのおむつの洗濯まで私たちに任せるのっておかしくない?自分の子供の洗濯くらいできるでしょうに。もうアーロン君は四カ月でしょう?産後だからっていつまでもベッドで休んでるのおかしいわよ」
「うちの姉は、出産したけど三日後には台所に立ってたわよ。いつまで甘えるつもりかしら」
マリリンさんは客室からめったに出てこなかった。
体調が良くないからと初めのころは気を遣っていたけれど、もう一月経つ。メイドたちの話によると食欲もあって十分元気だという。
挨拶くらいはしたいのだけれど、お茶や昼御飯に誘っても赤ん坊がいるので御迷惑でしょうから。と断られる。
誘いすぎるのもどうかと思い 気が向いたらご一緒しましょうねと言葉をかけていた。部屋の中に閉じこもりすぎるのも良くないので、お庭の散歩はいかがですかとお誘いしたけれど丁重に断られた。
私も使用人たちが言っていることに間違いはないと思うが、自分までマリリンの愚痴を言ってしまうと、彼女たち親子の立場が悪くなるだろう。
メイド長のダミアがやってきて彼女たちを注意した。
「あなた達、いつまでも油を売っていないで仕事をしなさい」
廊下の端で盗み聞きしてしまった自分も、怒られたように感じ、ギクリとしてしまった。
ダミアは仕事ができるメイド頭だった。そしてメモ魔だった。全てを記録するのが趣味なのか、いつも自前のノートにいろんな事を記入していた。
「ですが、メイド長、マリリンさんは私たちが話しかけても愛想がないのに、旦那様がいらっしゃると、すごく甘えて、人によって態度を変える方なんです」
「奥様にだって、とても失礼な態度なんです。赤ちゃんがいるからっていう理由で何でもお断りになられます。そもそも平民ですよねマリリンさん。いつまでこの屋敷でお世話しなくちゃならないんですか」
ダミアは職務に忠実だ。主人のいう事は絶対なので、使用人たちの愚痴は聞き入れないだろう。
「旦那様がお決めになった事です。手が回らないのであれば、人員を増やしましょう。嫉妬や妬みは羨ましいと思う気持ちから起こるものです。そう思うのは自分がまだ半人前だからです。つべこべ言わずに仕事しなさい」
流石、厳しいわ。
きっと私もまだ半人前なのね。使用人達の事を上手く纏められるように頑張らなくてはならない。
メイド長の言葉に私も身を引き締めた。
個人的な話などはめったにしないし、打ち解けているかと言われたらそうではない。何年も一緒に住んでいるのに、一線を引いている感じは、彼女の持って生まれた気質だろう。
人員が足りないのはその通りだ。
戦争が始まる前と比べると、今では屋敷の使用人の数は三分の一ほどになっている。
「やはり使用人を増やすべきね……」
そんなことを考えながら、皆の不満を解消できるよう努力しなければと思っていた。
しばらくの間
ミラは結婚した時に私の実家から連れてきた侍女だった。ずっと私と共に過ごしてきたから一番に私のことを考えてくれる。
「旦那様は朝から晩までお仕事ですね。奥様とゆっくり過ごすことなんて全くできないじゃないですか」
せっかく帰って来たのに屋敷にほとんどいないバーナードに対して、メイドのミラが愚痴をこぼしている。
「駄目よそんなこと言っちゃ。旦那様は寝る時間もないくらい働いてらっしゃるの。戦争の後処理はとても重要な仕事で、旦那様はハービス領の男性たちを率いた隊の長をされていたから、これも領地のお仕事のような物。私たちもできるだけバーナードの助けにならなくてはいけないわ」
私はミラを窘めた。いくら私付きのメイドだと言っても、屋敷の主人の悪口を受け入れるわけにはいかない。
「奥様が贅沢もせず、お洋服も着古したものをお召しになり、ご自分の手持ちの物を売ってしまわれた。まともな宝石一つも持っていないことに旦那様はお気づきでしょうか。もう少しご自分の妻のことを見て欲しいです」
確かに私を見ていらっしゃらない気はしているけど……
「旦那様は、まだ屋敷や領地の事にまで手が回らない。落ち着くまであと少しハービス領を頼んだとおっしゃったわ。いろいろ大変だけどあと少しの間頑張りましょう」
できるだけ明るく前向きな言葉をかけた。
バーナードは戦地から帰ってからも、軍の仕事で王都まで行かなければならない日が続いていた。合間を縫って私にもちゃんと声をかけてくれている。
「旦那様がいらっしゃらない二年間、領地を守ってきたのは奥様です。男手がない中、鍬をもって畑を耕したソフィア様のことをちゃんとわかってらっしゃったらいいんですけど」
もうミラの愚痴は止まりそうにないわねと、私はため息をつく。
「今度の戦争で、バーナードは活躍したでしょう。戦争などで貢献した者は陞爵されるわ。新しい領地も増えるでしょうし、報奨金も頂けます。だからこれからは沢山贅沢できるわ」
贅沢したいと思っていないけど、そう言っておくとミラも納得するだろう。
「きっと国から褒美が出たら、ドレスとか宝石とかたくさんプレゼントして下さいますね」
そうですよね!とミラは納得したようだった。
◇
旦那様はスコット様の家族に会いに行き、名誉の戦死だったと伝えお悔やみ申し上げた。そしてマリリン達親子の話をしたようだ。
その日バーナード は夜遅くに帰って来た。かなり疲れた様子でそのままマリリンさんたちの様子を見に行った。
スコット様の実家の様子を彼女に伝えたのだろう。
旦那様は、就寝前に私に話してくれた。
「スコットの両親は、彼に子供がいる事は聞いていないし手紙もなかったことで、アーロンが孫であることは認められないと言った」
やはりそうだろうと思った。
「スコット様もお亡くなりになったばかりで、まだ気持ちの整理がついていらっしゃらないのでしょう」
「ああ。しばらくの間は、マリリンとアーロンの面倒を見る事になりそうだ」
旦那様は旧友の忘れ形見を無碍にはされないだろう。
しばらくとは、どれくらいの時間だろう。
そう思ったが、ただでさえ戦後の混乱の中、やらなければならない事が山積みの今、心労が絶えない旦那様にうるさく言う事は控えた方がいい。
私はお疲れさまでしたとだけ声をかけた。
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